『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
今回は、靖国神社より頂いた出版物の中にあった、「神道は日本人のエトス(潜在意識)」というコラムを紹介します。神道について、あるいは”宗教”と”宗教心”について分かり易く解説されています。

◆神道は日本人のエトス(潜在意識)

首相の靖国神社公式参拝は憲法違反であるという説は、果たしてどの程度の妥当性があるのだろうか? それに答えるには”宗教”と”宗教心”との違いを再認識しなければならない。

神道は、仏教やキリスト教、イスラム教などような”宗教”とは明らかに異なる。特定の個人(開祖)に起源を持たず、また特定の集団(教団)によって布教されたものでもないからである。なおかつ神社の神官が行う祭祀だけが神道ということでもない。日常の生活のなかで先祖を祭ったりあるいは土地の神々(産土[うぶすな]さまや鎮守さま)を敬う気持ちを持っていれば、もう既にそれが広義の神道である。換言すれば、日本人の宗教心とは、先祖や偉大なる先人(菅原道真公など)、鎮守の森に対して、”敬いの気持ちや畏れの感情”(宗教心)を抱き、その御祭神の天佑神助(てんゆうしんじょ)を乞い願い祭りを祈ることであった。したがって、宗教と宗教心は本来区別しなければならないのであるが、近代憲法のもとでは、神道も宗教の一角に押し込められた。先祖を祭る行為は日本人の自然の振る舞いである。日本人が日本語を使うのが当たり前であるように、先祖崇拝は日本人の心情(潜在意識)に完全に包摂されている。つまりこれがエトス(行動様式・潜在意識)あるいは宗教心であり、日本人の精神的DNAに組み込まれているのである。

憲法が言及する政教分離とは、特定の宗教団体や教義が政治と深くかかわるのを防ぐためのものであった。それが曲解され今や日本人のエトス(行動様式・潜在意識)までが政教分離の対象にされている。

日本人固有のエトスを否定し、自分を日本人たらしめている宗教心を捨てた日本人はいったい何人と呼べばよいのだろうか・・・。

「わが家に神棚はなく、仏壇しかない。祖父祖母の葬式も仏式だった。わたしは神道のエトスとは関係ない」という方もいるかもしれない。だが、仏式あろうとも、キリスト教式であろうとも、それは神道のエトスの”想定の範囲内”である。なぜなら、本来の仏教(インドの原始仏教)には葬法はあっても、亡くなった方を祭るという習慣はないからである。キリスト教やイスラム教などにも明確な先祖祭りの認識がない。神道のように素朴な霊魂観があるからこそ、亡くなった方を祭り、お盆を大切にするわけである。死者の冥福を祈る行為の淵源を、外来思想や現憲法が規定する”宗教”に求めることはできない。あくまでも日本人固有の天然自然の”宗教心”にこそ見出される。日本独自のエトスから出発し、より洗練された作法として完成された神社神道の形式、つまり祝詞(のりと)や幣の祓い、手水や二拝二拍手一拝が、いったいどうして法で規制される対象でありえよう。

靖国参拝反対派は、エトスとしての神道を知らず、狭い宗教観にとらわれた政教分離という立場から小泉首相の参拝を批判した。小泉首相は政治的判断からか、その相手の土俵に乗って一切の参拝作法を省略した。もし、「神道の作法は日本人のエトスの結晶である。天然自然の宗教心である。断じて憲法が制限する特定の宗教行為ではない!」という信念で対応すれば、反対派のマスコミや、韓国と中国も批判の矛先に迷ったであろう。更に「なぜ昇殿参拝しないのか?」という国内の批判も受けずにすんだ。小泉首相にはその辺りを御理解いただき「憲法によって国家の宗教行為が規制されているから仕方ない」などと弱腰にならず、日本古来の文化伝統を堂々と主張し、次回は正式な作法に則って参拝していただきたい。(終)   

”宗教”と”宗教心”の違いというのは、あまり意識していませんでしたが、このコラムに書かれているとおりだと私も思います。
靖国訴訟に関しては、拙ブログでも以前取り上げましたので、お読み下さればと思います。
◆首相の靖国参拝は「違憲」なのか

◆靖国訴訟、高松高裁が控訴棄却・・・憲法判断には触れず

それから、靖国神社には「靖国神社崇敬奉賛会」という会があります。内容については、靖国神社HPの説明文より引用します。

靖国神社崇敬奉賛会は、靖国神社にお祀りされている英霊を奉慰顕彰するとともに、そのみこころを受け継ぎ、健全なる国民道徳の作興と国家社会の安泰に寄与することを目的として、平成10年12月17日に設立されました。

本会では、設立の精神に基づき、公開シンポジウム、英霊慰霊顕彰勉強会を始めとする様々な事業を行っております。
ご遺族、戦友の方々をはじめとする崇敬者各位はもとより、日本の将来を担う壮・青年層の方々から、幅広く本会設立の趣旨にご賛同いただき、お一人でも多くの方々に、崇敬奉賛会会員としてご奉賛賜りますよう、心よりお願いを申し上げます。
(引用終)



この靖国神社崇敬奉賛会ですが、会員数は平成14年度末の9万人をピークに減少に転じてしまっています。会の中心メンバーである戦友やご遺族の方が、高齢ゆえに亡くなられているからです。
幕末から昭和まで、日本の為にその命を捧げられた方々をお祀りする貴い神社を、私達の祖父、祖母の世代が戦後六十年年間支えてこられたのに、このままではその意思と行為を私達の世代やその次の代で断絶してしまうことにもなりかねません。
実際、18歳から39歳までの会員数が僅か二千名程度だそうですから、大げさとは言い切れません。

私もこのことを知り、先月入会しました。定期的に送られてくる会報を読むだけでも大変勉強になりますので、是非とも入会をご検討下さればと思います。

◆靖国神社HP
http://www.yasukuni.or.jp/

◆靖国神社崇敬奉賛会
http://www.yasukuni.jp/%7Esukei/

靖国神社に眠る英霊の方々は、愛する家族を、故郷を、国を守るため、そして何より後世を生きる我々のために、命を賭けて戦いました。
私の個人的見解を言えば、先の米国を始めとする連合国との戦いは、自衛戦争であったと考えています。当時、日本が進むべき選択肢は二つ、戦わずして降伏し、奴隷の平和をとるか、それとも、民族の誇りを守るため、乾坤一擲(けんこんいってき)の戦いを挑むか、です。
この究極の選択を迫られた先人は、戦う道を選びました。それは何故でしょうか。

戦わずしての負けは、魂までも喪失する永遠の亡国を意味するからです。

たとえ負けるにしても、国民が一丸となって死力を尽くして戦えば、必ずや後世を生きる人々が、自分達の意思を受け継ぎ、この国を再起してくれると、そう信じていたからこそ戦ったのです。

奴隷の平和を選び、民族の誇り、魂というものを無くしてしまったら、二度と再起することは出来ないということを、先人は知っていたのです。

現在を生きる私たちは、英霊の方々が命懸けで守ってくれた日本の再起を託されているのです。この先人の思い、願いこそ、私がブログで一番伝えたかったことです。この先人の思いについても、拙ブログで以前取り上げましたので、是非とも読んで下さい。

◆先人の思い(靖国騒動を見て思ったこと)

◆「国立追悼施設を考える会」の皆様へ伝えたい、小野田寛郎氏の言葉

◆小野田寛郎氏のスピーチ


最後に、靖国問題、そして先人の思いを知るための良書を紹介します。

新世紀の靖國神社―決定版 全論点
新世紀の靖國神社―決定版 全論点

靖国問題の決定版ともいうべき本です。この一冊で、ほぼ全ての事を網羅しています。

日本への遺書―生き残り特攻隊員が綴る慟哭の書
日本への遺書―生き残り特攻隊員が綴る慟哭の書

著者の田形竹尾氏は、陸軍戦闘機隊のパイロットとして、中国、ビルマ戦線等で十年間戦われ、その後特攻隊の教官となり、最後は特攻待機の訓示を受け、死を克服して特攻命令を待っていた昭和二十年八月十五日、敗戦を迎えられました。
この時、田形氏は、「私が、奇跡的に、九死に一生を得て、不死身と言われて生き残ったのは、『後を頼む』との言葉を残して、ニッコリ笑って出撃していった、あの特攻隊員の戦友が、日本人と人類に何を訴え、そして死んでいったのか、その歴史的意味と航空特別攻撃隊の真髄を正しく内外に伝えるためにいただいた、この生命である」と、生きる使命を自覚され、以後、今日まで活動されている方です。
特攻隊の真実が、この本に書かれています。

靖国のこえに耳を澄ませて―戦歿学徒十七人の肖像
靖国のこえに耳を澄ませて―戦歿学徒十七人の肖像

この本は、打越和子さんが、月刊誌「祖国と青年」に、「散華のこころ 戦歿学徒・生の断章」との題名で連載されていたものををまとめたものです。
打越さんはあとがきで、こう書かれています。

「靖国で会おう」と言って亡くなった方々の思いと共に、遺族の英霊の思いを深く受け止めながら、靖国神社では毎日の祈りが続けられている。大東亜戦争だけで二百万余の英霊が鎮まっているのである。その遺族・戦友の、靖国神社での祈りの数々は、語られぬ膨大な物語となって蓄積している。それに耳を澄ませることは、若い私たちの務めではないだろうか。(終)


新たな年を迎えるにあたり、これらの著書を読み、先人の思いに耳を澄ませ、今の日本が、私たちが進んでいる道が、先人の思いに答えているものなのか、問い直すのも良いのではないでしょうか。

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コメント
この記事へのコメント
>かついちさん
かついちさんのようにしっかり勉強されてる方がコメントして下さるお陰で、拙ブログも充実したものになっております。本当にありがとうございます。
今年も宜しくお願いいたします。
2006/01/01(日) 19:33 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
今年一年お世話様でした
年の瀬を迎え、あわただしくしておりました。皆様におかれましては体調など崩されていませんでしょうか。どうか体をお大事にされ、お互いに新しい平成18年を迎えましょう。今年一年(途中からですが)お世話様でした。来年もよりよい日本を目指し、頑張りましょう。来年もまた宜しくお願いいたします。
2005/12/31(土) 21:00 | URL | かついち #xtsQx3EI[ 編集]
>JKさん
どうも、お久しぶりです。
神道というのは、JKさんが精神的感覚と言われてますが、その通りで、正鵠な捉え方をしてると思います。
神道は所謂「宗教」とは違うものなんですが、こういうことは意外と知らない方が多いのではと思い、引用しました。

それから、私がMSNでブログを始めたばかりの頃からずっと見に来てくれて、本当にありがとうございます。
JKさんのような方がいてくれたから、
怠け者の私がここまでブログを続けることが出来ました。
来年も宜しくお願いします。
2005/12/29(木) 22:12 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
お久しぶりです!

神道と変換しようとしたら
変換候補の中に神道という単語が
含まれていないことにビックリしました、JKですどうも。

宗教、という捉え方をすると
どうも神道はしっくりきませんでした
が、精神的感覚だと捉えると
何だか納得出来ました。

私も小さいときからずっと日本人と
して生きてきて、

モノを大切にしないとバチが当たる
と言った感覚はずっと持っています。
それが神道の感覚じゃないだろうか
と思っています。

何せ学がない私ですから、こんな
中途半端な感覚でしか捉えられて
いませんが、
これが日本人の感覚だと思ってます。


少し早いですが、
本年中はお世話になりました。
来年度もどうぞ宜しくお願い致します。

常に幸せと平和がspiralさんの
そばにありますように。

2005/12/29(木) 19:17 | URL | JK #PSnYe7JY[ 編集]
>Milestaさん
中條高徳さんは素晴らしい方で、私も何冊か著書を持っています。
日本人の宗教観は、平和的で良いですよね。私は日本の宗教観を世界の人々が学べば、およそ殆どの紛争はなくなるのでないかと思っています。(その紛争は原因は、宗教に起因していることが多いからです)

私の好きな識者の方で日下公人氏(東京財団会長)という方がいるのですが、日下氏は、世界が日本化すれば幸せになる、と言われてました。
最初は、ちょっとそれは自国をひいきし過ぎでは、と思っていたのですが、日本のことを学んでいくうちに、なるほどそうかもしれないと、最近では思うようになっています。

私もまだまだ学びが足りないのですが、幸いにもMilestaさんを始め、私よりも遥かに学のある皆さんがコメントして下さるので有り難いです。
これからも宜しくお願い致します。
2005/12/29(木) 02:28 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
神道は平和で寛容なものですね。
中條高徳さんの著書に、やはり「神道は教典がなく教祖がいないので、宗教と言うより日本精神そのものである。」(うろ覚えです。)とあるのを読んだ時に、非常に納得したのを覚えています。

もともと八百万も神様がいるのですから、Mergeさんの書かれているように、いろいろな宗教の神様や仏様もそのうちの一つとして認識してしまうのが、日本人の普通の感覚なのかもしれませんよね。
そして、その感覚は、なんと平和的なのかと思います。

現在、私は一神教の人たちとのつき合いが多い生活をしています。個人的にはとても親切で良い人たちなのですが、一つの神しか信じず、他人にもそれを望む頑なさをみると、時に宗教戦争を生み出すことを容易に想像できます。

それに比べて、神道は特に布教をするわけでもなく、実に自然な『宗教心』であることを実感します。

明治時代に外国の宗教(キリスト教)を真似て、神道を排他的な物にしたことが、神道本来の寛容さを失わせ、国内外からの神道批判を招くことになったというのも聞いたことがあります。本来の神道とは何か?日本人の宗教心とは?ということを捉え直すのも大切なことかもしれないですね。

そして、できれば学校でも宗教教育を行って欲しいです。「宗教」という言葉がまずければ「日本精神」というような科目でも構わないので、日本人の心の核となることを教えて欲しいと思います。

とりあえずは、spiralさんを始め、ここにコメントを寄せられている方々のブログやコメントで私自身が勉強しなくては・・・と思っていますので、皆様今後もよろしくお願いいたします。
2005/12/28(水) 16:18 | URL | milesta #4On3Ze.o[ 編集]
>Mergeさん
仏教は本場であるはずのインドでは殆ど信仰されなくなってますし、お釈迦様が日本人のように扱われるのも無理ないかもしれませんね。

現在、学校では宗教教育はされませんし、この国の国柄についても、国旗・国歌についても、全然教えていません。ですから、私自身も含めてですが、もっと自分の生まれた国の歴史・伝統・文化といったものを識る必要があります。
その上で「和魂洋才」という言葉が示すように、日本人としての心を堅持しつつ、西洋の良い部分を取り入れ、より良い日本にしていきたいですね。
2005/12/27(火) 19:11 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
>本来の仏教(インドの原始仏教)には葬法はあっても、亡くなった方を祭るという習慣はないからである。

仏教は渡来物なのだという認識がもう少し日本人にあったなら、日本人はもっと神道に目を向けているかもしれませんね。

お釈迦様はインド人なんですよね。それが今では日本人のように扱われてしまっているので面白いです。

それもこれも、神道に包容力があるからかもしれません。もしかしたら、日本人は、キリストやお釈迦様を記紀に登場する神々の末端に付け加えているのかもしれません。節操がないといえばそうなのでしょうが、日本的ですね。

先人は良い物をドンドン取り入れても日本らしさをなくさなかったのですから、我々も節操なく取り入れて、より充実した日本にしていったらよいのではないかと思います。それにはまず伝統とは何かを識らねばならないなと思います。
2005/12/27(火) 11:25 | URL | Merge #-[ 編集]
>びーちぇさん

TB&コメントありがとうございます。
>日本の祖先の素晴らしい方々、尊い心を敬い、畏れ、祀ることこそ、今の私たちを守り保ち続ける原動力と感じております。

私も、びーちぇさんのおっしゃるとおりだと思います。
私は、この先祖信仰と自然崇拝の二つが、日本人の宗教観の根源だと考えています。今の日本人の心の荒廃は、これを忘れてしまったことが大きいと思います。
びーちぇさんのブログでは、オシテ文献を研究され、この日本人が忘れてしまった心を教えて下さるので、すごく勉強になります。これからも、色々教えて下さいね。
2005/12/27(火) 03:04 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
よいお話をありがとうございました
古いエントリー「日本のカミさま」をTBさせて頂きました。
縄文時代の記録、ヲシテ文献でも真意は同じです。
日本の祖先の素晴らしい方々、尊い心を敬い、畏れ、祀ることこそ、今の私たちを守り保ち続ける原動力と感じております。
2005/12/26(月) 19:11 | URL | びーちぇ #VTZEej7w[ 編集]
>田舎の神主さん
大変お忙しくされている中、TB、コメント下さりありがとうございます。
私は宗教については素人ですから、田舎の神主さんに詳しいコメントをしていただくと助かります。
それから、こちらこそお世話になり、ありがとうございました。田舎の神主さんも、お仕事がお忙しくて大変だと思いますが、お体に気をつけて乗り切って下さい。また来年も宜しくお願いいたします。

>かついちさん
私が本文に書ききれなかった部分を補足して下さり、ありがとうございます。
今上陛下のお言葉は、私も歪んだ歴史観を憂慮されてのものだと思いました。もう一つ、皇室典範改正について触れなかったのは、恐らく陛下のご意思とは違う答申を有識者会議が出したからでしょう。もし、陛下のご意思にそうものであったら、なにがしかそれを肯定するご発言をされたと思います。

それから、私は、歴史と言うのは「羅針盤」のようなものだと思っています。
自虐史観に洗脳され、過去を否定している今の日本人は、羅針盤も持たず、迷走を続けているような状態だと思います。
正しい歴史学び、私たち日本人が何処から来たのかを知らないと、次に何処へ進めば良いのか、分かるはずもありません。
私たち日本人は、戦後の自虐史観を払拭し、「脱戦後」を果たすことが肝要だと思います。
2005/12/26(月) 19:04 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
天皇陛下のお言葉
昨日、天皇誕生日に際して行われた会見で陛下は「 戦後60年にあたって、過去のさまざまな事実が取り上げられ、人々に知られるようになりました。今後とも多くの人々の努力により過去の事実についての知識が正しく継承され、将来に生かされることを願っています。」
と仰せになっておられたのを拝聴し、陛下も現在のゆがんだ歴史観を憂慮されておられるのだな、と思いました。
事実を知り、それを教訓として後世にきちんと伝えていくことが、現在に生きる我々日本人のつとめであるはずなのに、ゆがんだままの歴史観で伝わってしまうのはどうしても止めなくてはなりません。日本人の歴史を評価するのは当事者ではなく、後世に生きる我々の子孫であると思います。大東亜戦争(太平洋戦争)の歴史的評価をするのは私たち若い世代を含め子孫が正しく評価しなければ、戦争で尊い命を散らした兵士や一般市民に対して申し訳ないのではないか、と強く思います。
2005/12/26(月) 08:20 | URL | かついち #SFo5/nok[ 編集]
日本人の魂の祀り方
「愛国心の教科書」という本を読んでいて、改めてここまで寛容な民族は日本人の他にいないのではないか、と涙が出る思いがいたしました。どんなに憎んで戦っても、亡くなった方への慰霊は敵も味方もなく祀ってきた日本人。私はその国に生まれたことを誇りに思いました。捕虜とされればその行く先は死あるのみ、というのが世界の常識とすれば、日本はそれを否定し、それどころか地元住民と普通の人間同士の交流があったり、敵大将をあっぱれと称賛したり。大東亜戦争(太平洋戦争)のさなか、ユダヤ人の迫害を指揮したナチスドイツの抗議を否定し、6千余のユダヤ人にビザを発給し、命を救ったという話。話せばきりがないほど、日本人は寛容でした。そもそも太平洋戦争の発端となったのは昭和天皇もおっしゃるとおり、日本側が出した人種平等案が欧米に認められず、それどころか黄色人種の移民制限法を可決したアメリカによって日本人の財産は剥奪され、追放されるまでに至った経緯が、日本国民の怒りを買ったことが原因といいます。
話を元に戻しますが、日本人は昔から敵味方の区別なく、戦乱で命を落とした兵士の霊を慰めるため、慰霊塔を建立したり墓地を作ったりして、手厚く葬っています。そのもっとも大きい施設と言えるのが靖国神社だと思います。本殿には幕末から太平洋戦争に至るまで、戦乱によって亡くなった兵士や一般市民が祀られますが、本殿脇にある「鎮霊社」というところには諸外国人の霊もお祀りしているそうです。外からはよく見えないので、その存在があまり知られないのですが、靖国を絶対悪と見なすような現在の風潮を根本から見直し、今こそ、日本人の真の心に問いかけてみる必要があるのではないでしょうか。
2005/12/26(月) 08:12 | URL | かついち #xtsQx3EI[ 編集]
こんばんは。
TB有難うございました。
古いものも含めて幾つかこちらからもTBさせて頂きました。
私が学生時分に教授と「神道は宗教として成立し得るか」ということについて議論をしたことがあります。結論としては「限りなくイエスに近いノー」でした。
それは教授の「神道とは『シャーマニズム』や『アミニズム』と呼ばれる類の所謂『精霊信仰』が元になっておりそこから生れた日本固有の民俗信仰である」という理論を採用したからです。つまり、「神」というものは倫理上、且つ便宜上「物質」や「故人」をそう捉えるのであって他の「一神教」などの神の概念とは「一線を画す」というわけです。
ですから日本独自の宗教は理論上、「日本仏教」のみということになります。しかし、「仏教」がこの国に普及したのは「本地垂迹説」を説いたからに他なりません。それ以前は「神の国」という概念以外は存在しないのですから・・・。
「宗教心」というよりは「信仰心」として靖国神社に役割、存在意義があると考えています。
spiralさんが御指摘の通り「宗教と宗教心(個人的には『信仰心』の方が当てはまるように思います)」の違いを考えていくと首相の靖国参拝というものが政教分離の原則に反するものであるはずがありません。
私は戦争を美化するつもりも肯定するつもりもありません。ただ、先達の方々の思いに対して、何より「事実」として、先の大戦が自衛の為のものであったと信じています。
こういった「日本人として」我々の祖先の思い、行いを正しく理解し、後世に正しく語り継いでいかねばなら無いと思います。
そして、それをする為に我々は正しい歴史認識と様々な事物の成り立ち、本質をしっかりと理解していくことが重要なのではないでしょうか。
spiralさん、少し早いかも知れませんが、本年は色々とお世話になりまして有難うございました。どうかお体のほう御自愛戴きまして益々の御多幸を切にお祈りしております。
また来年もどうぞ宜しくお願いいたします。
長文乱筆にて失礼致しました。
2005/12/26(月) 00:17 | URL | 田舎の神主 #-[ 編集]
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