『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
◆内閣府男女共同参画局がこのような意見募集をしております。是非良識派の声を届けて下さればと思います。

◆「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女子差別撤廃条約)実施状況第6回報告書」に盛り込むべき事項について(ご意見募集)

我が国は1985年6月に「女子差別撤廃条約」を批准し、7月25日に効力が生じました。この条約において、締約国は4年毎に条約の実施のためにとった立法上、司法上、行政上その他の措置及びこれらの措置によりもたらされた進歩に関する報告を女子差別撤廃委員会による検討のため、国連事務総長に提出することとされています。

我が国はこれまでに5回報告書を提出していますが、今回は第6回報告書を2006年に作成のうえ提出する予定です。

つきましては、本報告書に盛り込むべき事項等について、国民の皆様から広く意見募集することとしましたので、下記の要領に従ってご意見をお寄せください。

          記

1.募集する意見
(1)我が国の現状として盛り込むべき事項
(2)(1)に関連するNGO等の活動

なお、女子差別撤廃条約等に関する情報は内閣府男女共同参画局ホームページを参照下さい。

2.提出要領
(1) 提出方法
 所定の様式により、FAX、ホームページもしくは郵便にて、内閣府男女共同参画局総務課国際担当(意見募集係)宛送付してください。

(2) 募集期間
  平成17年11月22日(火)~平成18年1月6日(金)必着
(3) 送付先
     様式1;(我が国の現状として盛り込むべき事項に関する意見)
<意見先>http://www.gender.go.jp/info/051205boshuu.htm

  FAX:03-3581-9566
  郵便:〒100-8914  東京都千代田区永田町1-6-1
      内閣府男女共同参画局総務課 国際担当
(FAX、郵便の場合の様式はこちらから入手してください(PDF形式)。)
(問合先)電話:03-53525253ー2111(内線:83717)
       ※電話での意見受付はできません。


「女子差別撤廃条約」とは、簡単に言うと、アメリカのフェミニズム思想が国連を介して制度化したものです。
ところが、当のアメリカでは、フィリス・シュラフリーという女性を中心としたアンチ・フェミニズム派が10年間にわたる運動をした結果、フェミニズムが人間のモラルや家族を破壊する危険思想であることを多くの国民が知り、「女子差別撤廃条約」には批准しませんでした。

しかし、日本ではこのような経過でアメリカが批准していないのを知っていながら、国連の言うことだから正しいことだろうということで、中身を精査することもなく、1985年に批准してしまったのです。

これが元で、「男女共同参画社会基本法」なる悪法が出来たのです。

この条約を締結した国は、四年に一回、この条約のためにとった措置について、国連に報告することを義務付けられています。日本は条約を批准して以降、これまでに五回の報告を出しており、そこには日本で起こっているフェミニズムに関する動きが全て出てきます。例えば第五回報告で注目されるものとしては、「基本法の公布・施行」「従軍慰安婦問題」「民法改正の検討」「人権擁護法案」などがあります。

この報告に対して、国連は翌年コメントを出しているのですが、「男女共同参画社会基本法を作りました」という報告に対しては、「祝福する」と褒めています。その一方で、男女共同参画基本計画が全ての市町村で策定されていないことに「留意する」とも述べ、未策定の自治体への政府の圧力を促しているのです。

このことについて、中西輝政氏(京都大学教授)が論壇誌(「諸君!」05’7月号)にて、「国連、知られざる誕生の秘密」という論文のなかで触れておられるので、以下、その箇所をを引用します。

男女共同参画の教育や自治体などにおける狂騒も、国連が一九七九年に採択した「女子差別撤廃条約」を起爆剤にした流れであり、すべてが国連を「錦の御旗」にして国家・社会改造が図られているのである。
この条約のあおりを受けて九九年に成立した「男女共同参画社会基本法」によって、今日の日本の家庭、教育、社会など、あらゆる分野における原理主義イデオロギーに基づく「改造」が日本の社会に押し付けられてしまった。・・・先進国のなかでもアメリカなどは賢明にも国連のそうした多くの条約を批准しないし、また途上国も大半は「我が国の社会にそぐわない」と明確に主張することで、たとえ援助目的で批准したとしても、具体的には実行する気配もない。

ところがネオ・マルクス主義によりエリート官僚や政治家、マスコミがすっかり骨抜きにされてしまった日本だけは、愚かにも唯々諾々と受け入れ実行している。



本来なら日本は、このような条約など批准せず、むしろ「女子差別撤廃条約」を撤廃せよ!、ぐらいのことを国連に訴えても良いはずです。
にもかかわらず唯々諾々と従っているのですから、日本の「国連信仰」にはあきれるばかりです。

国連が信用できない組織であることは、中国やロシアが常任理事国として存在していることでも分かります。
中国に関しては記すまでもないと思いますが、ロシアはシベリア抑留で多くの日本人を不法に抑留し、極悪な条件下で重労働させ、多くの人を死に至らしめました。さらには終戦間際のドサクサに紛れて日本固有の領土である北方領土を奪い、六十年経った今も返す気はさらさらありません。
このような国が常任理事国として大きな顔をして存在している組織を、疑いもなく全面的に信頼するなどあり得ない話です。

この論文中で、ネオ・マルクス主義(ネオ・マルキシズム)と言う聞き慣れない言葉が出てきますが、同じく中西氏の論文より、ネオ・マルクス主義について書かれている箇所を引用します。

二十世紀以降、国民の多くを豊かな中産階級占める先進国においては、労働者と農民とを先頭としたプロレタリアート(労働者階級)による暴力革命を起こす、といった古典的マルクス主義ではなく、”市民”が個人の解放という共産主義の理想に向かって経済構造ではなく、社会や文化を変革していくという新しいマルクス主義、ネオ・マルキシズムが第一次世界大戦後のヨーロッパから勃興し、やがて先進国における知的空間を支配していった。その代表的なものが、一九二〇年代のワイマール次代のドイツ、フランクフルト大学で誕生したアドルノやホルクハイマーによる「フランクフルト学派」であり、時代はだいぶ下がった一九六〇年代の日本や世界を席巻した新左翼運動の理念的支柱であったマルクテーゼがよく知られた代表者である。

ネオ・マルキシズムというのは、表面上、一党独裁体制による疎外を訴えつつ、「掘り下げた」視点で人間の疎外の原因を既存の社会制度や伝統文化と捉え、そうした社会を成り立たせている核心、即ち人間の絆、人間関係を破砕し「純然たる個人」というものをつくり出し、「個人の解放」を金科玉条とすることにより、まったく新しい理想社会、理想的な人間が生まれていくという立場を繰り返しアピールする。

つまり、家族、伝統・文化、国家というあらゆる人間の共同体を崩してゆき、既存の社会に一大カオス(混乱・混沌)をつくり出し、それによって、古いマルキシズムでいう生産手段と生産関係に基づく「階級構造」を壊すことで国家、体制の変革を可能にし、その結果、「人類の解放」という理想が実現されるとして、その社会制度や既存の文化や常識の掘り崩しを狙うのである。要するにこれは「化粧直し」した共産主義イデオロギーなのである。このことを日本人は今こそ銘記(心に刻む)すべきなのである。



このネオ・マルクス主義に、何故日本の官僚や政治家、マスコミ(さらに付け加えれば教育界も)が汚染されてしまったのか、これにはGHQにより強要された日本国憲法が関係しているのです。同じく中西氏の論文より、そのことについて書かれている箇所を引用します。

フランクフルト学派の指導者であったフランツ・ノイマンを例に取ろう。・・・彼は第二次大戦中にアメリカに亡命し、「ファシズム研究の権威」として、戦後のドイツと日本占領政策の基本コンセプトを形づくる役割を果たした。CIA(アメリカ中央情報局)の前身であるOSS(戦略諜報局)の研究調査部の占領地変革計画責任者としてノイマンらがとくに構想したことは・・・日本においては天皇の権威と家族の紐帯(人と人とを結びつける役割を果たす大事なもの)を崩すことであった。占領政策の道具として天皇制を残してもいいが、天皇の権威をあえて汚し傷つけることで日本人全体の持つ「共同社会の一員である」という伝統的な帰属観念を喪失させることにより生み出される社会革命のダイナミズム(内に秘めたエネルギー、活力)に彼等は着目した。

・・・日本社会の安定の秘密を、家庭などでの親から子への「権威主義的、家父長制的教育」に由来するものと見たからこそ、ノイマンらの影響を受けたGHQの左派官僚(その中には※コミンテルン関係者が混じっていたことも今日わかってきた)はその毀損(きそん)を図り、自ずと共産主義へ向かわざるを得ない特殊な”理想主義”を戦後の日本に根づかせようとした。そして究極的には日本社会を徹底的に解体し、日本から”理想社会”を生み出すというネオ・マルクス主義のプログラムによる壮大な、そして恐るべき実験が戦後の日本で行われたのである。

※コミンテルン
一九一九年にレーニン指導下のモスクワで設立された共産党の国際組織



中でも「家父長的支配」こそがファシズムの根源であると断罪し、GHQに多くの女性将校を集め、その中から何人かをたとえば憲法の起草グループに起用し、憲法二十四条(「両性の平等」)や民法における家族制度の全廃を強く推進していったのである。



つまり、今の日本国憲法こそネオ・マルクス主義に基づいて作られたものであり、これによって官僚、政治家等がネオ・マルクス主義に染まってしまったのです。

この憲法を一字一句変えずに後生大事に持ち続けている限り、日本は真に復興を果たすことは出来ないでしょう。
今、憲法論議が盛り上がってきてますが、政治家の皆様には是非ともこの日本国憲法の本質というものを知って頂き、9条がどうこうではなく、抜本的な改正をして貰いたいです。

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コメント
この記事へのコメント
Re: タイトルなし
> では、女性は自分のやりたい道を選んではいけないのですか?
> 子育てだけを人生の道標にしなければならないんですか?
> 女性も男性と同じ人間であり、自由に生きる権利があるのではないでしょうか。

自由に生きるも結構。
ただし結婚も出産も子育てもしないでやりたいように自由に生きるというような女性ばかりになれば、そんな国家は滅びます。
やはり子を産み育て、次世代に命のバトンを繋げていく、これを第一義に考えるべきだと思います。
2014/07/25(金) 14:08 | URL | spiral(管理人) #l7AT0Hcg[ 編集]
では、女性は自分のやりたい道を選んではいけないのですか?
子育てだけを人生の道標にしなければならないんですか?
女性も男性と同じ人間であり、自由に生きる権利があるのではないでしょうか。
2014/07/24(木) 02:20 | URL | 匿名希望 #SFo5/nok[ 編集]
時代
私のような人間はよく
時代に合っていない、だとか
時代が求めていない、なんて言葉で
批判されることがあるけれど

少子化だって
「社会問題」とか言われてるけれど
実は女性たちが
「時代の要請」に
応えてないから起きてるだけの現象なんだ

「時代」という言葉は
時の権力者や時の多数派が
自分たちに都合のいいように使う言葉だ

時代が求めていることをせず
時に、「負け犬」とか
時に、「羊水が腐る」とか
潜在的に痛いところを指摘されるたびに
怒って見せるだけで
な~んにもやらない
2008/06/28(土) 09:04 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
当たり前の注釈
当たり前の注釈

家事・育児が嫌で女性たちは仕事に走っている。
家事・育児はつまらないものと女性たち自身が証明している。
それを男性が進んでするわけがない。
男性は女性からよほどのお人よしだと思われている。

仕事は女性でなくても男性だってできること。
女性にしかできないこととは子供を産むことに他ならない。
2008/06/28(土) 02:01 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
観念の暴走
実は保守系のサイトでこういうコメントを書くことは憚られることなのかもしれないのですが、一応書いておきます。

実は、坂東眞理子が、Yahoo!系のサイトでこんなことを言っているのです。それは、
「今は、企業の倒産も多いし、終身雇用制もなくなっている。夫がいつ家庭の大黒柱でなくなるかもわからない。だから、家計のリスクを分散するために、妻も働くのが当たり前」
という内容のものでした。

これを見て私は思いました。少子化でいち家庭に三人以上の子供が要求されているのに、女性が働いていてはその要求は達成するのが困難になる。なぜなら、子供を産むたびに育児休暇を取っていたのでは明らかに効率が悪いではないか。それより女性は家庭にいて子供を大勢産むために待機していたほうがよっぽどいい、と。

さらにこう思いました。フェミニズムは、市場原理主義さえも、その根拠にしてくる、と。

フェミニズムはどうやら、共産主義の生んだ代物ではなさそうです。なんでもかんでも、後ろ盾にできるものは、すべて取り上げて、理屈なり、根拠にしてくるのです。

それに、坂東眞理子は、もと官僚のはず。官僚なら官僚らしく、リスクの解決を家庭に求めないで、社会政策としてまず掲げるべきではないでしょうか。つまり、夫がいつまでも大黒柱でいられるように、日本の経済に国家としてメスを入れるべきなのです。

私はこれを機にこう考えるようになりました。フェミニズムとは、共産主義でも、市場原理主義でも、ひとの考え方が極端にはしったとき起こるものである。つまり、観念の暴走時に起きるのではないか、と。

私の考え方は、フェミニストに言わせれば、「本質主義」というものらしいのですが、フェミニストは、どうも「人権」というものを考える際、観念的にどこまでも際限なく広がるものと考えるらしい。しかし、私は、人権を考える際には、その享有主体は、生命体たる人間に他ならないわけであり、それは物理的、動物的に制限を受けるものであると考えます。ですから、人権とは観念的に無限大とは考えません。

観念を暴走させてはいけません。人権という概念の観念的暴走が今の少子化をもたらしていることは火を見るより明らかであります。

私たち人類は、高度な霊長類という枠組みから外して考察の対象とすることはできません。
それは、例えば、チンパンジーに見られるように、性別による役割分担を獲得してきたという進化の延長上に私たちはいるということもまた言えるわけです。

先程、私は、フェミニズムは観念の暴走時に起きる、と書きましたが、それはあくまで警鐘として起こるだけであって、それ自体が社会を支える理論にはならないと思います。

ただただ、旧来の男性が占めていた地位や価値観を女性も共にする、という結論ありきの考え方が、人間は生命体であるという全く否定しようのない事実としばしば矛盾しあうからです。

共産主義の申し子と考えていては、倒せないほど、フェミニズムは、しぶとく、恐ろしい、「悪魔の思想」なのではないかと思います。
2008/06/28(土) 00:54 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
少子化 その2
むかし哲学者の先生が
こんなことをいった
偉い人の話はどうせ、なんて言わないで
よく考えてみろ

人は「あれもこれも、ではなくて、あれかこれか」なんだと

まだ甥っ子がちびのころに
こんなことをいった
お医者さんにもなりたいけれど
コーラ屋さんにもなりたい

甥っ子はお母さんから
「両方なんてできないよ」
といわれ
「両方だってできるもん」
といいかえしていた

子供のようなことを
いつまでもいってるやつらがいる
もうそろそろ考え直せ

人はひとさまにできない
自分に備わった能力ひとつ生かして
社会に貢献しながら
周りとのつながりで生きてるってこと
2008/06/27(金) 22:55 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
少子化
みんなやりたいようにやってきた
世間はいつもそれのしりぬぐい
だけど今度はやりたいのにできないと
理屈をつけてきた

いいかっこしてるんじゃねぇ
おまえたちには情熱しかないと
生きたいように生きてるんだと
みんな知ってる
もうだまされねぇ

やりたいのならやればいい
やればしりぬぐいも援助も
世間は決して惜しまないのに
やり始めないのはなぜなんだ
いやだからだろ

いやならいやとはっきり言っちまえ
いつまでもいいかっこしてるんじゃねぇ
おまえたちの理屈は屁理屈
みんないいわけ

したくないから屁理屈こねてる
そんなことみんなわかってる
だけど文句を言わないでいるのは
法律があるからさ
2008/06/27(金) 22:22 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
ワーク・ライフ・バランスのカリスマ
勝間 和代という女は、19歳で公認会計士に合格した人間だ。世間の人々は頭のよい人だと評価するかもしれないが、少なくとも私は評価しない。彼女はもともとそういう分野が得意だったというただそれだけのことなのだ。最近ワーク・ライフ・バランスのカリスマのように扱われているが、要するに彼女は自分の得意分野を生かして自分の好きなことをやっていただけの人間であり、進んで不得意な分野に挑戦したり、組織で働いている人間のようにおよそ適性に合わない仕事を任されて苦労をしたなんていう経験はしていないはずだ。進んで苦労をかって出なかった人間に果たしてまともな育児ができていたかどうかは疑わしい。育児の質をもし数値化して指標にすることができたなら、彼女は大きな減点をくらうであろう。今のようには、社会的にも、国際的にも評価されなかった人間であると思われる。そんな彼女が、ワーク・ライフ・バランスのカリスマになるなんて笑止千万である。仕事の質だけは数字で評価することができるから、彼女はそっちの方面だけで評価されたのだという印象をぬぐいきれない。それでいて、ワーク・ライフ・バランスのカリスマだなんて言ってほしくない。
ワーク・ライフ・バランスというのはそもそも男性にいかにに家事・育児を負担させるかという結論ありきのフェミニズムの主張だ。危険思想を排除してゆく社会を私たちは作らなければならない。
2008/02/20(水) 01:53 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
「ワーク・ライフ・バランス」バカ
ワーク・ライフ・バランス?それはあんたが能力のある人だからできたんであって、能力のない人はどう工夫してみてもできないんだから、それを社会全体に広めようなんてやめなさい。いくらノウハウを伝授してみたって能力のない人には真似さえもできないんだから。
2008/02/19(火) 00:35 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
当事者感覚とか時代の価値観なんて
子供を産まない女性たちの当事者感覚というものはすべて間違っている。時代の価値観などという言い方もファッショを連想させる。必要なのは、岡目八目といって、傍で見ている人たちの中立的で客観的な判断である。やはり現代女性の意識は腐っている。早急に意識改革が必要である。
かつての「援助交際」だって、当事者感覚を重視しているだけなら、規制にはいたらなかった。
それはちがう、実は少女たちは好きでからだを売っていたわけではない。そうみせかけていただけで内心は嫌がっていたんだ、というひともいるかもしれない。しかし事情は女性と男性が働く現場にも同じことが言える。男性には、ミソジニー(女性嫌悪)という感情がある。しかし、男女雇用機会均等法がある建前、優秀な人材が居てくれて嬉しいよ、と心の中とは裏腹なことを言うしかない。一方で女性は、自己実現の場が持てて手放しにうれしいと思っている。ちょうど男女の立場を逆にしただけで、援助交際の実態となんら、かわりがないのだ。

ここで注意しておかなければならないのは、ミソジニーは価値観であって、病気ではない。自分たちの社会進出に邪魔だからといってこれを病気にしてしまう身勝手なやからのほうがずっと重篤な病気である。

2008/02/19(火) 00:25 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
アナウンサーは誰だ
仕事でそんなに素晴らしい成果を上げることができるのなら、そのエネルギーを育児に専念させたらどんなに素晴らしい育児ができただろう。仕事で素晴らしい成果を上げることはできても、育児の才能がないのならそれはどんなに愚かしいことだろう。

「私はワーク・ライフ・バランスの考え方で、質の高い育児を実現しました。」もしそういうなら、私はこう切り返すだろう。
「育児に専念してたら、もっともっと質の高い育児が実現できたのに。」

育児を美徳とせず、仕事を美徳とする、それも自由だ。しかし何か独裁者や特定の思想に操られているかのように、多くの女性が同じ傾向を示すのは、やはり、大政翼賛的として批判されなければならない。また、批判されるような社会にならなければならない。

少子化の原因を女性以外に求めるのは卑怯なやり方である。あるいは屁理屈である。なぜなら子供を産むのは常に女性であるからだ。、しかも人間という生き物ははすぐに大人と同じ生活をすることのできないきわめて未熟な状態で生まれてくる。乳を与え、はじめに子供たちに愛情を注ぐのはまず女性であろう。

特に屁理屈と思うのは、男性の家事や育児の時間が増えれば少子化が解消される、という理屈である。男性はどんなにがんばっても本当の母乳を授乳させることはできない。
統計上の数字を使って人々をあやかし、騙し、自分たちの負担を男性にかづけることで楽ができない限り子供を産まないぞ、という一つの脅し、生物テロであるといっていいだろう。

仕事以上に育児が大変であることを知っているからそのような理屈やそのような社会的傾向が現れるに違いない。そんな女性たちは、労働力としてみた場合、仕事をする段になってもきっと自分の不得意なことや自分の負担が大きいことからは逃げ出すような都合のいい人材となることは火を見るより明らかである。

仕事とは決して楽しいものではないし、苦労の連続であるということを私たちの社会はもっとアナウンスする必要がある。
2008/02/19(火) 00:12 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
四六時中
育児には四六時中いなければできないことがある。仕事にはそれがない。
2008/02/18(月) 06:04 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
大統領選とフェミニスト
バラク・オバマ氏が優勢となった時点で、彼の勢いに水をさすような発言をした女性がいた。今年のノーベル文学賞を受賞した白人女性である。彼女は報道からフェミニスト的な思想を持っていることを私は知っている。彼女によれば、「黒人であるオバマ氏が大統領となったらきっと暗殺されるだろう。それより女性大統領が誕生するほうがずっと望ましい。」のだそうである。

このタイミングでこの発言をしたことには大いに問題があると私は考える。

私は予言する。「ヒラリーが大統領になったら、彼女とお前が、反フェミニストによって暗殺されるであろう。」と。

アメリカはいつまで黒人(アフリカン・アメリカン)を差別するつもりなのか。差別解消の第一歩を今まさにオバマ氏が実現しようとしているのだ。かつて奴隷だった人々が政治を司るようにならなければアメリカに未来はない。
2008/02/18(月) 03:55 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
育児の質を考えた場合
育児の質を考えた場合、指標がなくても、専業主婦のほうがワーキングマザーよりも高いことは明白である。
2008/02/18(月) 03:17 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
育児の質を評価する指標
仕事の質を評価する基準はあっても、育児の質を評価する指標はない。ゆえに、育児にしわ寄せが来ても社会は減点の対象としない。そのことによって、ワーキングマザーは仕事の数字を上げるだけで、育児の数字を上げなくとも社会的な評価を勝ち取り、世界的にも評価され、ひいては、ワーク・ライフ・バランスなどというフェミニズム思想の裏づけとなっている。これは間違いであることに私たちは早く気付かなければならない。
2008/02/17(日) 23:12 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
上野千鶴子のメルアド
ueno@l.u-tokyo.ac.jp

上記のアドレスが上野千鶴子の個人研究室につながっています。みなさん、どんどん論戦を挑んでみましょう
2008/02/10(日) 09:26 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
上野千鶴子はこんな女
http://202.90.10.24/janeye/shiminkisha/0703181915/01/070318_asano_to_kato01ok.html

上記のホームページで、東京都知事選の浅野氏を応援する、憎きフェミニスト上野千鶴子の小演説が聞けます。たいしたことのない今年の7月で60歳になるおばさんです。ちっとも怖くないからどんどん彼女に批判のメールを送ってやりましょう。
2008/02/10(日) 04:25 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
育児の長さ
育児の期間の長さを決めるのは親の都合ではない。子供が独り立ちできるかどうかにかかっている。つまり子供の都合しだいだ。
2008/02/08(金) 13:24 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
ワーク・ライフ・バランスなんて
ワーク・ライフ・バランスなんてばかげている。第一子を産んだ女性の再就業率が低下するのは当たり前のこと。低下どころか子供を産んだらもう仕事はあきらめさせなければならない。女性は今後どんなに社会が変革されても哺乳類の雌であることには違いない。そのくくりから外へ出ることはできない。だから授乳を含めた育児に専念することではじめて生物としての破滅を逃れることができるのだ。お前たちは人類を滅亡させる気か。そうでないなら、これ以上女性に仕事をさせるな。育児に一生をささげさせろ。育児の期間をできるだけ短くさせて仕事に復帰させようなんてばかげた話だ。子供を犠牲にしてまで仕事をするな。女性の自己実現の第一順位が仕事なんてばかげている。女性の自己実現の第一順位が育児になるように政府が呼びかけなければ私たち人間は生物であることを失う。そうしたら仕事はおろか生きていくことさえできなくなるのだぞ。
2008/02/08(金) 12:52 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
羊水が腐る 2
女性の自己実現の優先順位として、結婚して子供を産むことのほうが、仕事をすることよりも勝れば、少子化は解決するだろう。何をおいてでも子供が産みたい、というくらいに女性たちの意識が改革されなければならない。

そしてもちろん、育児に専念すれば仕事などできるはずがない。両立など、もともと不可能なものなのだ。仕事を捨てなさい。仕事に自己実現の価値を見出すなどもうやめなさい。

仕事に戻るなんてやめなさい。たぶんあなたは、育児の間に「事なかれ主義」の人材に変貌を遂げていますよ。そんなの、企業は必要としません。
2008/02/08(金) 09:16 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
羊水が腐る
「35歳を回るとお母さんの羊水が腐る」と言われて、こんなに色をなして怒る女性たちが果たして70年代にはどれほどいただろうかということを考えてみた。

今の女性たちは晩婚だ。もちろん、結婚するかしないか、いつ結婚するか、そして子供をもうけるかどうかを含めて個人の判断は自由である。しかしそれがまるで独裁者に操られているがごとく一つの大きな傾向を示すとき、私たちは議論の対象としなければならないだろう。

なぜ今の女性たちは晩婚なのかそして子供を作らないのか。答えは実ははっきりしている。それは、結婚することや子供を産むことより、仕事をすることに自己実現の優先順位を持っているからである。

男性でエッチなことの嫌いなものはほとんどいない。生物としての生殖機能に対して肯定的である。しかし女性の場合はそれが逆になる。それがそもそもの問題なのだと思う。

今後どんなに社会が改革されても私たちが動物であり哺乳類であり大自然の一部であることは動かしがたい事実として残るだろう。それなのに人間の女性たちだけが本来備わっている生殖と授乳の機能を果たさぬように進化(あるいは退化)してしまったことが問題なのだ。

女性たちはもうそろそろ目覚めなければならない。自己実現の方法論として一体何が大切なのか。それが、仕事だというような思想はすべて独裁的として大政翼賛的として批判の矢面に立つことを余儀なくされるような社会に変わらないといけない。

少数派の意見が否定される民主主義は民主主義ではない。私たちはかつてのワイマール体制の轍を踏むことは許されない。

こうした論考を基礎に、私は「フェミナチ」という言葉を使っている。
2008/02/07(木) 23:17 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
ホッキョクグマと人間
先日のテレビ朝日「報道ステーション」で、フランスでは少子化を解消するのに「婚外子」を容認する政策を進め、その結果、新生児の約20%が事実婚(籍を入れない結婚)による子供となり、少子化の改善に貢献した、という旨の報道があった。そこでの解説として、「結婚はしたくないが子供は欲しい」という女性が日本でも増えている、という指摘があった。

「女性に経済力をつけさせることでそれが可能になる」というニュアンスの解説もあったと思う。

しかし、私が思うに、母親が働いている間、子供を誰が育てるのか、という問題は依然として残るだろう。保育所に預ける、それも一つの方法だろう。

だが、動物としての女性というものを考えた場合、「産む」というだけでなく、「授乳させる」ということもまた女性としての大切な役割である。「授乳させる」以上、育児に関してもある程度の役割を負っている、とするのが自然な考え方ではないだろうか。

子供の頃から保育所に預けられた子供は、あまり母親の愛情を感じなくても育つ、ある意味、「強い」子供になるかもしれない。しかし、授乳された経験もなく、母親の愛情の薄い子供と、育児に力を注がなかった母親。私はそこからあまりいい未来予想をすることはできない。

最近、育児放棄をしたホッキョクグマの話題が取りざたされている。私はそのクマの姿と未来の母子関係をダブらせてしまう。

つまり、ホッキョクグマも人間も、本来あるべき動物の姿から遠ざかっている。

これは、どちらも立派な「自然環境破壊」であると考えられないだろうか。

私たち人間は、どうこの先、社会が変革されても、動物であり、哺乳類であり、大自然の一部であることは、動かしがたい事実として残ると思う。そのくくりから外れることは破滅につながるのではないか、と考えたことはないだろうか。

「結婚はしたくないが子供だけは欲しい」ということが一体何を意味するのか、世の女性たちにもっと真剣になって考えてもらいたい。
2008/01/20(日) 15:41 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
女性に兵役を
正直言って、あまりこのブログは見られていないようだから、センセーショナルなことを書くことをどうか許してもらいたい。

今の働く女性の意識は腐っている。少子化を解消しようといったって、女性が子供を産むことに価値を置かないままでは、どんな施策を施しても解決できないだろう。
家田荘子にいたっては、なぜ女性は子供を産むことを強制されるのかと泣いてみせるほど狂っている。
第一、人間の女性ほど本来ある器官を本来の用途に使うことに拒絶感をもつ生命体はいない。「セクハラ」などの非生物学的な概念がその拒絶感を助長している。
このまま意識改革が進まないなら、少子化は加速する一方である。

そこで、私は提案する。

30歳までに子供を産まなかった女性すべてに兵役を課してはどうだろうか。

そもそも、リクルートという言葉自体、新兵の募集という意味だったと記憶している。そんなに仕事がしたければ、オフィスでなく戦場へ行け。君の気の強さは会社員より兵隊にふさわしい。

どうせ子供を産まないのなら死んでもいいだろうし、子供を産みたがらない遺伝子は後世に残さないほうがいい。

今年を、反フェミニズム元年にしようではないか。
2008/01/13(日) 03:22 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
付け足し
誤解があるといけないので書いておきますが、女を男の下に置けといっているのではありません。男女では異なった役割分担があり、また、年長者は長く生きてきたというだけで、年少者より尊い、という、かつて日本にあった、きちんとした秩序を守れといっているのです。

新しいものを追い求めるだけで、基盤となる秩序がしっかりしていなければ、土台のない家屋のごとく、不安定極まりないといっているわけであります。
2007/12/18(火) 13:56 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
長幼の序
実力社会と呼ばれるようになってから、縦社会の規律とか、長幼の序というものが軽視される傾向にあります。このことは、「平等」という概念を考える際にも、関連してくると思いますので、このページには多少ふさわしくない論考とも思われますが、あえて書いておきます。

石原慎太郎氏が言ったように、「男女は同等であるが、同質ではない。」これは当然のことです。それと同じに、職場でも、実力のある者は高く評価され、地位も高いかもしれないけど、先輩とか年上の人に対してはそれなりに払うべき敬意というものがあって然りと、私は思うのです。

いたずらに、平等意識ばかりがはびこって、お友達感覚になり、年上に対してもタメ口になり、あまっさえ、年上を馬鹿にする傾向があるのはなんとも嘆かわしいことです。

実力社会にも長幼の序は必要で、両者は矛盾するものではないと思います。

先日、テレビで「椿三十郎」のPR番組中、松山ケンイチという22歳の俳優が、「昔はよかった、なんて感じの大人ではなくて」というようなフレーズを使いました。まったく大人を馬鹿にしています。あえて解説はいらないでしょう。

音楽の世界では、浜崎あゆみのような反体制的歌詞の歌を歌う者がヒットを飛ばしています。

私たちの社会はもっと若者に厳しい社会になっていいと思います。それが、間違った「男女平等」概念をこの世から払拭することにつながると思うのです。

長幼の序は、これからどんな社会がおとづれることになっても、普遍的に必要なものだと思います。

2007/12/18(火) 08:00 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
>?さん
ご忠告ありがとうございます。しかし、私自身は自分が特別偏った思考様式ではないと思っています。私は「保守」の立場から記事を書いています。
2007/11/11(日) 02:14 | URL | spiral(管理人) #l7AT0Hcg[ 編集]
この世には、あなた方と共産主義者しかいないのか?思考様式の基盤からおかしい事にはよう気づきなはれ。
2007/11/10(土) 10:00 | URL | #-[ 編集]
言わせて欲しい
「能力のない男ほど性差別をする」。これは当たり前のこと。「能力の無い者が差別する」、あるいは、「いじめをする」という事象は、男女間に限ったことではない。
本来家事のプロであるべき女性が、同じ土俵に乗ることでそれがいっそう激しくなるのも当然のこと。本来補い合うべき存在が、プラスとプラスでぶつかりあうのだから、当たり前だ。私も何度も腹が立った覚えがある。男に対してだって腹が立つのだから、本来いるべきでない女性に対して腹を立てるのも当然。しかし、能力のない人間にだって向上心はある。向上心の邪魔になるものはすべて悪であると思う。そもそも、将来がある男に「無能な」などと冠詞をつけて決め付けること自体、差別ではないか。
これらのことに対し、「男性の意識改革」などといって、男性側にばかり対策を押し付けるのは理不尽なことだと思う。
一般に、女権拡張主義・フェミニズムは、自分たちの責任を回避しようとする。権利だけ主張して、まわりに都合よく変われ変われというだけ。
「ストーカー」という概念だって女性の自己決定権には寄与しているかもしれないが、男性の幸福追求権をないがしろにしていると考える。
「自己決定とはセックスをしないことなのか、それとも年下ばかり選ぶことなのか」と疑問に思ってしまう。
それなら男性にもそれなりの権利を認めるべきである。現代の男性には幸福追求権も無ければ自己決定権もない。そのうえ向上心まで否定されている。
それで元気になれ、といわれても元気になれるはずなどないだろう。
男性の権利について、女性並みに考えて欲しい。「ストーカー」だの「セクハラ」だの現代は女性にばかり都合のいい概念と権利で満たされている。それがそもそも出会いの機会を少なくしていると思う。
そろそろおかしいと思い始めて欲しい。兄や弟にもお菓子を分けてあげなさい。ただし、兄や弟は、あなたと「同質」の人間ではないと思いなさい。
2007/10/30(火) 10:15 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
書き損じたこと・補足
坂東眞理子はこう言っていた。「等身大の自信をもて」。要するに、東大は東大、その他大勢はその他大勢として振舞えということ。向上心や努力して自分を変えることが否定されている。この、カースト制度にも似たエリート意識には、まったく辟易させられる。
国連や国際関係で仕事する者は概してエリートが多い。民意を反映しない官僚が多い。そして自分の判断や経験がすべて優れていると思い込み、人に押し付ける。いち個人の経験に過ぎないという謙虚さが無く、歴史に学ばず、大衆にできないことをしてきた、というエリート意識から、自分は神かと思い込み、また、自分は当然、人を導く使命があると思い込んでいる。大きな誤解である。「女子差別撤廃条約」もこうした環境のなかで、批准されてしまったのだ。世界には、フェミニズムに納得していない人もいるということをさらさら考えない。想像力がない。納得しない人の良心の自由はどうなる。人権はどうなる。少数意見の尊重はどうなる。少数意見を現実に実践する環境づくりはどうなる。

「日々の鍛錬を怠るな」という趣旨のことを書いたのは、家事でも仕事でもプロにならなければ、いざというとき使い物にならないから、専業化・分担化せよ、と言いたかった。
そしてそれは、「産む」ほうの性が、家事をプロにするのが最適だと言いたい。固定的性別役割分担は、産業の発展に伴い、もっとも効率的なあり方として、自然に誰もが選択していったわけであり、決してそこに差別があったわけではないのだ。

石原慎太郎も言っているように、男女は同等であるが、同質ではないということを、私たちは噛み締める必要がある。
2007/10/30(火) 09:14 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
坂東眞理子とジョディー・フォスター
不勉強でノーマークだった。「女性の品格」の坂東眞理子は、フェミニストだ。2007年10月29日のNHK「英語でしゃべらナイト」。普段からコスモポリタンだのボーダーレスだの、しもじもの民意を反映しない、国際ファッショのような言葉に辟易していたが、ついに彼女を招いた。
彼女の言葉を聞いているだけで、本性の分かった人もさぞかし多かろう。
一方で、インタビューを受けていた、ジョディー・フォスターは利口だった。彼女は、フェミニストと思われたくも、反フェミニストと思われたくもなかったに違いない。そして、フェミニズムがいかにデリケートな政治的内容のものか、知っている感じがした。
坂東にはそれを察する知性がない。さかんにフェミニスト言説をまくしたてていた。東大出だというエリート意識もいやみだった。ジョディーは、進学したイェールのほかに、ハーバードもプリンストンも受かっていたというひとだ。東大くらいで、そっくりかえって上からものをいう坂東とは、はるかに知的レベルに差があった。
NHKのこの手の番組は、今後気をつけたほうがよさそうだ。
それから、坂東の言っていた、日本とオーストラリアの経済の伸びと労働時間の話は当てにしないほうがいい。日本は長く働いているのに、経済の伸びが悪いようなことを言っていたが、国によって経済発展のどの段階にいるかも違うし、どんな産業を主要産業としているかによっても事情は違ってくる。すべては男性にいかに家事・育児をさせるかという結論ありきの話だ。決して乗ってはならない。大人の仕事にまで「ゆとり教育」はいらない。
2007/10/30(火) 01:36 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
ラスト・サムライとフェミニズム
映画「ラスト・サムライ」には、日本人としての、いや、人としての、あるべき姿が描き出されていた。武士は、日々、武術の鍛錬に励み、農民は、日々、農作業に明け暮れていた。普段から自分の専門分野の鍛錬を怠ると、いざというとき役に立たないからである。
いまは、身分制度も無くなり、職業選択の自由がある。しかし、法律家が法律以外の仕事をメインにやったり、銀行家が銀行業務以外のことをメインにはやらないだろう。いざというとき役に立たないからである。
男女の違いは、どんなに身分制度を無くしたときの発想の延長で考えようとしても、その差異はなくならない。
しかし、現代はその差異をなくそうとしている。だから、現代社会はおかしいといっているのだ。
産む性、産まない性は、自然界の法則によって物理的に決まっている。それを捻じ曲げようとしても無理だ。これだけは天然のあり方に従うしかない。フェミニズムの問題は、地球環境問題でもあるのだ。
産む性には、産まない性が行わないような、「普段の鍛錬」があっていいはずであり、それをしないで、産まない性の真似事をしているようでは、一人前の女性とはいえない。
かつて、慶大の小此木啓吾教授のいった「モラトリアム」のなかに、現代女性は埋没している。そして、男の真似をして、いまだに「普段の鍛錬」をはじめない子供のままでいるということだ。
2007/10/25(木) 00:57 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
厚生労働省にだまされるな
2007年10月24日の、日本テレビ「ニュースZERO」。「ワークライフバランス」は、驚くべきことに厚生労働省で推奨しているそうだ。番組では、よい面ばかりを広告していたが、物事にはメリットもあれば、デメリットもある。そういう視点が欠けていた。家事に費やす時間が増えれば仕事もうまくいくというのはあくまで個人の感想でしかなく、企業の経済効率など具体的な数字は、何も出ていないか、あくまで個人の感想をアンケートしたものに過ぎなかった。
厚生労働省は、「女性の社会進出」という国連(国連関係者は、決して民意を反映していない。国連大使や国連親善大使を選ぶのに我々はいちどでも投票所に行ったことがあるか。そんな機関が国家の上位に位置するのは矛盾しているとは思わないか。)が勝手に決めた錦の御旗に基づいてこの政策を推進しているに過ぎない。つまり、フェミニズムに資する政策であることは明らかだ。ワークライフバランスを実行に移して大々的にやっている国に経済大国はない。仕事も家事も中途半端になるのは目に見えている。これが、ワークライフバランスのデメリットだ。性別による(産む性・産まない性による)専業化・分業化がどうしても必要なのだ。
仕事が楽になれば、女性の体は、低体重児を産むような不健康なものではなくなるだろう。しかし、仕事が中途半端になることは否めない。
たくさんの資料を読み、たくさんの議論を重ねて、はじめて「ゾーン」に達するビジネスは少なくないはずだ。家事の片手間で、仕事をする国民が、今後、経済大国を担うとは考えにくい。これはいわば、大人の仕事の、「ゆとり教育」に過ぎないだろう。きっと弊害が出るに違いない。
2007/10/24(水) 23:57 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
低体重児
NHKの「クローズアップ現代」は、偏向報道ばかり流しているわけではない。何ヶ月か前のことだが、「女性の社会進出に伴い、低体重児の出生が増加している」という話題を取り上げていた。働いてぼろぼろになった体では、健康な子供が産めないというわけである。この話をうまく使って、アファーマティブアクション(ポジティブアクション)を逆手に取るような政策に持っていけないものだろうか、と思案している。
しかし、おそらく、フェミニストは、「ワーク・ライフ・バランス」を主張して、反撃に出るだろう。だが、仕事と家事の両立なんて、聞こえはいいが、どちらも不徹底にしろ、といっているも同じである。実際、ワークシェアリングの盛んな国は、オランダなど、とても経済大国とは言えないような国々が多くて、経済によって先進国の仲間入りをし、今も経済の力で、国際的発言力を維持している日本という国には、とても受け入れられない。
2007/10/13(土) 00:31 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
気のせいでしょうか
気のせいでしょうか。フェミニズムに関して不穏な動きがあります。まずその1。2007年10月12日の毎日新聞。ノーベル文学賞受賞の女性作家の紹介記事中、フェミニズムを「男女同権主義」と訳していること。その2。山田昌弘が同日、テレビ朝日「報道ステーション」にコメンテーターとして出演。その3。NHK出版の10月の新刊案内に、来年の大河ドラマ「篤姫」に関するものともう一つ、「<性>と日本語」というもの、計2冊のフェミニスト的な著作が紹介されていること。
来年の大河ドラマが「篤姫」であることからも、今後来年にわたり、フェミニズム言説が世間に跋扈する兆しがあります。私たちは、理論武装いや、アファーマティブアクションに似た強制的手法をもってでも、おかしなトレンドが起こることを阻止しなければなりません。以上
2007/10/12(金) 22:50 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
新しい「バックラッシュ」
いつもいつも管理人さんにはご迷惑のかけ通しで申し訳ありません。今度からちゃんとパスワードを設定したいと思います。どうも機械には疎くて、そのうえものをすぐ忘れるので、パスワードというものを敬遠しておりました。

 さて、きょうは、ふと思いついたことを書きます。だから、あとで取り消しもあり、であります。それは、もっとバックラッシュ言説は新しくなるべきではないか、ということです。

 それというのも、先日、ご紹介した、「バックラッシュ なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?」(双風舎)をチラチラ読んでいても、「バックラッシュ」と呼ばれているひとたちの本、とりわけ、西尾幹二先生と八木秀次先生のものが多いのですが、それを批判したり否定したりして一体何が始まるのか、ということを素朴に思ったからなんですね。

 私たちが、ジェンダーフリーを危惧するのは、そんなことだからじゃないんだよ、ということが、まったく伝わっていない。上に述べた先生方は、ジェンダーフリーを否定するために、限られた論理の素材を使って反駁しているだけで(なぜなら、ジェンダーフリーなんて突拍子もないものがでてくるなんて想定もしていなかったから)、それを相手にして勝ったような気持ちになっていられたんじゃ困る、と思うんです。

 私が、ジェンダーフリー論者に問いたいのは、あなたがたの主張の積極的必要性は何?ということなんです。

 私は1964年、昭和39年生まれ、只今42歳。7月の誕生日がくると43歳になりますが、私の育った時代は、いわゆる高度経済成長期。男性と女性の役割分担は比較的今よりはっきりとしていました。それでもひとは文句を言わなかった(中ピ連など一時的に起こったウーマン・リブという運動は別にして)。

 つまり、結婚した女性がほとんど専業主婦でも、「男女平等でない」なんて言わなかった。私なんかこの役割分担社会こそ「男女平等」なんだと思っていたし、テレビの家族ドラマもたとえば、ケンちゃん(今のひと知ってるかなぁ)のおかあさんはシリーズを通して確か専業主婦だったし、学校の講義も「今はまだ男女平等じゃない」とは言ってなかったと思います。

 つまりそこには、一定の基準があり、一定の秩序があって安定していたのです。

 そこに突然、「女性の社会進出」という概念が生まれた。いきさつは、管理人さんの女子差別撤廃条約について書かれた通りであります。私は、NHKを観ていて初めて、小宮山洋子氏から「男女共同参画社会」なる国の計画について知らされ、その後、以前からフェミニズムの世界で使われていた「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」という概念が引っ張り出されてくるようになった。

 明らかに、目的を持って「ジェンダーフリー」という概念が持ち出されてきたということは、言うまでもありません。「女性の社会進出」のためなのです。ということは、それまでの社会は男性のものだった、といっているのと意味は同じ、表裏一体というわけです。

 では、なぜ「社会進出」することが、「男女平等」のための積極的理由となるのでしょう。

 この問いについて、明確に答えられるジェンダーフリー論者を見たことがあるでしょうか?「平等」ということは、単に「同じことをする」という意味なのでしょうか?

 「家庭」だって、立派な「社会」の一部だとは思いませんか?

 なぜ、我々は、「生物学的差異」とか「社会的差異」なんかを論ずるのにこんなにも時間を割かなければならないのでしょう。すべては、「女性も男性と同質の生き物でありまったく同じことをすることではじめて平等になれる」という根拠のない思い込みからきているように思えて仕方がありません。私は今後、この「思い込み」の根拠について考えてみたいという気がしています。

 つまり、高度経済成長期の新しい秩序を知ったものが、古い「男女平等」という概念を根底からひっくり返して、私たちに合った新しい「男女平等」という概念を再構築する、ということです。以上
2007/05/18(金) 00:27 | URL | バックラッシュ #2S8kLp66[ 編集]
>バックラッシュさん
バックラッシュさんが言われた箇所を削除しました。参考までに、コメントの編集は、投稿の確認画面にある「編集用パスワード」欄にパスワードを記入しておけば、コメント投稿後も、ご自身でコメントの編集が出来ます。次回拙ブログにコメント下さる時は、是非試してみて下さい。
2007/05/15(火) 02:47 | URL | spiral(管理人) #l7AT0Hcg[ 編集]
管理人さんへ
 管理人さんは岡山にお住まいとのことですが、私は「中山競馬場」があることで有名な千葉県船橋市という東京に比較的近い地方都市に住んでいます。

 田舎扱いするようで、失礼な言い方になることを恐れずに言えば、ジェンダーフリーの危険性については、その感じ方に、地方により温度差があるように思います。事実、広島県で大学時代の同級生が、県立高校の日本史の教師をしておりますが、ジェンダーフリー教育についてはほとんど伝えてきません。

 そもそも船橋市は、セクハラという概念を一般に広めた事件(JR西船橋駅のホームで酔った都立高校の男性教師が女性にからんで、からまれた女性がその教師を線路に突き落とし、入ってきた電車に轢かれて死んだ事件で、女性側の正当防衛が認められ、無罪となったもの。たしか平成元年のこと。)が起こったところで、行政もやたら男女共同参画やジェンダーフリーにはうるさいところなのです。しかも東京に近いため、メディアからの情報も東京発信のものを受け取ることがほとんどです。

 ジェンダーフリー、いや、フェミニズム一般については、並々ならぬ恐怖を感じながら暮らしています。

 フィリス・シュラフリーさんというひとがいるという情報は、管理人さんのこのホームページで知ったのが初めてで、誠にありがたく思っています。ちなみにもうご存知のことと思いますが、産経新聞社の「正論」の、(もうバックナンバーになってしまいましたが、)2006年11月号・創刊33年記念号に彼女についての記事が2つ、1つは彼女の写真入りで載っています。

 拙稿にご評価をくださり誠にありがとうございました。以上
2007/05/15(火) 02:42 | URL | バックラッシュ #l7AT0Hcg[ 編集]
>バックラッシュさん
ジェンダーフリーの危険性については、知らない方がまだまだ多いと思います。その中で、バックラッシュさんのように真摯に学ばれて、発言して下さる方がいるのは心強いです。
2007/05/13(日) 17:30 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
「危険な手土産」
 最近、「男女共同参画」とか「ジェンダーフリー」とかいう言葉を使って、女性や性的マイノリティーの社会参加を促す運動が、国家や行政まで丸め込んで展開されているけれども、素直に「参加させてください。」といえばいい問題なのに、どうして、彼ら彼女らは、これまでの社会の秩序を転覆させかねない、危険な思想や考え方を手土産にもってくるのか、合点が行かない。

 秩序がなければ、そもそも反対勢力だって存在し得ないのに、これは何たることだろう。自由っていったって、秩序のないところに自由だけある社会が成り立つとでも本気で思っているのだろうか。

 秩序は、古いものから順番に使っていくのが本筋だ。先日、読んだ、「バックラッシュ なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?」の斎藤環氏の文章にもこうある。「一般にジェンダーの選択は、自由であって自由ではない。それというのもセクシャリティは、主体に対して、つねにすでに構成されたものとして立ちあらわれるほかはないからだ。そこに自由意志の働く余地はほとんどない。それゆえジェンダー選択の自由とは、未来に向けた潜在的自由ではなく、事後的にみずからのジェンダーを主張する自由、ということになる。」
そしてまたこうもある。「ジェンダー選択の自由ないし流動性は、事実上は存在しないが、権利上は確保されるべきもの、ということになるだろう。」

これらの文章を読んで分かることは、「ジェンダー選択の自由は事後的なもの」ということである。このことは、ジェンダーフリー派の語る、いわゆる「危険な手土産」とは意味を異にする。つまり、ジェンダー選択をするにも「前へならえ」ということではあるまいか。

「生物学的性差に違和感を感ずる自由は、性差にしたがって生きる自由と同程度に尊重されるべきなのである。」と書いているように、斎藤氏は穏健派かあるいは中間派だ。他のジェンダーフリー派と違って、世の中をまるごと変えてしまおう、などとはおそらく考えていない。

だから、「危険な手土産」は必要ないのだ。

まだ、古い価値観を持つひとが残っているのに、すべてを変えてしまおうなどという試みは、おおげさにたとえてみれば、サダム・フセインのやった「クルド人虐殺」のようなものだ。馬鹿なことをしてはならない。
2007/05/12(土) 02:55 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
上野千鶴子についてー2
 書き忘れました。さきほど「上野千鶴子について」を投稿した者です。さっき紹介した書籍の中で、あるいは他の場面で、上野氏はよく、女性の「自己肯定」とか「自己完結」という言葉を用いるけど、いったいどういう意味で使っているのか。私には、男性を求めない、したがって、子を産まない、という意味にしか取れないんだけれども。

 それから、「ロボットに乗った女の子」の件で、論破されやすい箇所を見つけましたが、そのままにしておきます。どのような欲求に応えたかということと、それが他人に対してどう影響を与えたかは、別個の問題でした。もっと勉強します。以上
2007/05/11(金) 19:34 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
上野千鶴子について
先日、「バックラッシュ なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?」という本をチラチラと読んでおりましたところ、上野千鶴子氏のインタビューの中で、「関係というのは、めんどうくさいもんなのです(笑)。」という件があったので、その批判に応えて、前回の横山ノックさんのご逝去に関して書いた投書の一部をこんなふうに訂正したいと思います。

「効率的でない」という理由で、男女のすみわけを提唱するのは、ジェンダーフリー派に論破されやすいので、理由は別に考えることとして、女性などセクハラの被害を受けやすい立場の人は、もっと積極的に、恥ずかしいことも含めて、自己の価値観を常に発信し、開示し続けていかなければ、被害にあうこともなくならない、としましょう。
 
 最近思うに、上野千鶴子という人間は、フェミニズムの象徴のように祭り上げるほど、大した人物ではない、と思います。たしか、「上野千鶴子なんかこわくない」という本があったと思いますが、私だったら、小冊子か巻末付録で同じことができるでしょう。

 上野氏は、いわゆる「先生病」にかかっていて、自分より目下の存在、つまり学生としか向き合った経験がない。社会経験が乏しい。さらに、女のセクシャリティーというOSしかインストールされていないのに、男女について、そして社会全体について、まるで百科全書家のごとく批評を試みる。そして、考え方に進歩がない。代わり映えがしない。上野氏は思春期の学生の目から見ると、神様のように見えるかもしれないけれど、歳をとるごとに、克服できる、つまり、乗り越えられる存在です。また、男性をこきおろす表現が多い。男性を意識した言葉が多い。これは、自分では否定しているけれど、歪んだ男性への憧れ。男性に理想ばかり求めるうぶな乙女の変型例ではないかと思います。

 彼女はこんなことを書いています。「社会学者は、敵を知らないと分析ができないために、自分がもっとも不愉快だと思うものを研究対象に選んでしまう、という不幸な職業です(笑)。」

 以前から私はこんなことを主張していました。つまりそれは、フェミニズム、あるいは、最近は言葉の定義が交錯していて、誤解を与えるというなら、ジェンダーフリー派、は、敵がいなければ戦えない、戦えなければ自らの存在意義を失う。したがって、ジェンダーフリー派は、いもしない敵を無理やり作り上げるというファンタジーをもっている。私たちは、このファンタジーに気をつけなくてはならない、と。

 くしくも、似たようなことを自ら暴露しているのです。上野氏は、つねにどうでもいいような「不愉快なこと」を無理やり探し出しては、大げさに扱い、相手を怒らせることで、戦い、戦うことで世間の秩序を破壊しようとしているのでしょう。これは、立派なテロ行為だと思います。オウム真理教もびっくりです。

 さらに、こんな言葉もありました、「私は、あのときの全共闘男に生涯消えない不信感を持っているからね。絶対に許さん(笑)。」

 つまり彼女は、現代を観察しているのではなく、「あのときの全共闘男」をイメージしながらものを語っているのです。ちなみに、何年も前、新聞紙上で彼女は、女性が強くなったのは、女の子がロボットに乗って戦うアニメにも影響されているのではないか、といった趣旨の、頓珍漢なことを言っていたことがあります。あれは、どう考えても、男の子がアニメの中で、かっこいいメカと同時に可愛い女の子も見たいという下衆な欲求に応えただけじゃないのかなぁ。ちっとも現代が分かっていないという印象を受けたことがあります。

 上野氏が死んだあと、「上野千鶴子とは何だったのか」という回顧録が、出版されたとしましょう。きっと肯定的な評論は少ないことと思います。

 最後に、「反フェミ言説もパターン化されつつあり、ここ数年くらいで基本フォーマットは出そろった感があります。」との、インタビュアーの問いかけに、「それが事実なら、情報価値が急速に低減して、飽きられるという現象が起きる。それでバックラッシュ言説が淘汰されればよいのですが…。」と、上野氏は言っています。ひとの悪口が多いのも、彼女の特徴ですが、淘汰は進化を伴うことを忘れてはいけませんよ。以上
2007/05/11(金) 18:41 | URL | バックラッシュ #-[ 編集]
セクハラ
先日、横山ノックさんがご逝去されたことをきっかけに、「セクハラ」について載せたWikipediaのページを開いてみました。
それによれば、セクハラとは、「相手の意思に反して不快や不安な状態に追い込む性的なことばや行為」を指すそうで、
「職場に限らず一定の集団内で、性的価値観により、快不快の評価が分かれ得るような言動を行ったり、そのような環境を作り出すことを広く指して用いる」そうであります。
横山ノックさんは、いわばセクハラによって殺されたようなものです。いま、女性たちは「女性の人権はひとの命より重い」という幻想に酔いしれています。
横山さんの場合は、ひどかったにせよ、今日では、酔って女性の手に触っただけで、公務員が処分されたりしています。女性のからだというものは全てが性感帯のようです。少なくとも接触を伴うセクハラは、もとをたどれば「女性のからだはすべてが性感帯」というところから発しているといってもいいと思います。もし違うというのなら、科学的に反証をあげてみてほしい。

Wikipediaで、「相手の意思に反して」とありますが、すべて主観を優先するなら、何だってセクハラにできます。
Wikipediaで、「性的価値観により、快不快の評価が分かれ得るような」とありますが、価値観というものは、ひとりにひとつずつ。それもみんな違うはずです。そんな状況でセクハラを論ずるには、すべてのひとが他人の価値観についていつも学習して、しかも気にしていなければならないし、女性など被害を受けやすい側は、常に自分の価値観をまわりに発信していなければならない。

そんなことをしているより、例えば、男は仕事・女は家庭、というふうに、価値観の違う同士が、すみわけを最初からしていたほうがずっと効率的ではないかと思います。

バックラッシュなどと呼ばれて久しい私ですが、名前をもらった以上、理論武装をする勉強をしていきたいと思っております。以上

※このコメントを下さった方へ
NameとMailの表示を消して下さいとのことでしたので、一旦コメントを削除して、本文のみを新たに掲載させて貰いました。余談ですが、コメントを書く際に、「編集用パスワード」を記入しておけば、コメント投稿後の編集が可能になります。

spiral(管理人)
2007/05/05(土) 11:23 | URL | #-[ 編集]
>百式さん
コメントありがとうございます。
百式さんの言われるとおりだと私も思います。
今、日本は、まさに内部から滅ぼされようとしており、大変な危機的状況にあります。
先日の内閣改造で、男女共同参画担当相が新設されましたが、これなどまさに内部から革命を仕掛けようとして、権力を握った典型例だと思います。
これらを阻止すべく、国民がこの状況を認知し、声をあげていかないといけませんね。
2005/12/15(木) 15:50 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
共産党・革マル派等の、表に見える左翼よりも危険なのは、60年代の学生闘争時代の革命崩れが、暴力革命を断念し、内部からの革命を仕掛けようとして、省庁やNHK等のメディアに潜り込んで、権力を握っていることだと思います。
2005/12/14(水) 22:54 | URL | 百式 #-[ 編集]
>bearさん
北海道でそのような恐ろしい計画が立てられていたとは知りませんでした。
情報ありがとうございます。

>milestaさん
実体験に基づく貴重なお話を書いて下さり、ありがとうございます。
共産主義イデオロギーの怖いところは、一見すると良さそうなことを言ってるように聞こえるところですよね。

普段無自覚に過ごしてる方だと知らない間に洗脳されてしまうでしょうし、ましてやmilestaさんような方までがそのような経験をなさるとは、改めて共産主義イデオロギーの怖さを感じました。


2005/12/13(火) 12:20 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
新日本婦人の会
アジアの真実さんのブログで「新日本婦人の会」というのが紹介されていました。
http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/2005-12.html#20051212

これは共産党と関係の深い婦人団体で、女子差別撤廃条約にもたいへん積極的です。
http://www.shinfujin.gr.jp/b_category/2_danjo/index_3.html

私は生まれてから一度も左翼思想に共感を覚えたことがないにもかかわらず、実はこの団体に属していたことがあります。何も知らない善良な女性(私も?)が、構成員になる仕組みは実に巧妙です。

この団体は母親を手助けしようという活動をしていて、乳幼児を遊ばせながら母親同士の交流の場も提供するというサークル「親子リズム小組」を全国展開しています。私はそこに入会しました。(後にこれが母親“同士”ではなく母親“同志”であると悟ることになります。)

会費を払うと、その中には新聞代も含まれていると言われ、「新婦人しんぶん」を定期購読することになります。内容は赤旗の女性版という感じです。そして子供を遊ばせている間に、平和問題のレクチャーあり、妙な署名あり、のイデオロギー色いっぱいの時を過ごすのです。政治に関心のない真っ白な母親は、あっとしいう間に真っ赤に染まる可能性があります。そこまでいかなくても関心がないのに署名してしまう人が大多数です。あの場で署名しない私はかなり浮いていました。

確信犯も悪いけど、無知・無関心もまた罪だと強く感じました。私がこういうところにコメントを書いたりしているのも、そんな経験があるからかも知れません。騙されている人に早く目覚めて欲しい!

特に母親が子供と一緒に、そういうサークルに参加しているというのは、その子供にとっては「早期洗脳」になるのではないかと、とても心配です。

spiralさんの記事とは少しずれてしまいましたが、経験者として皆さんに「共産主義は静かに着々と裾野を広げようとしている」ということを伝えておきたいと思って、コメントいたしました。
2005/12/12(月) 21:12 | URL | milesta #4On3Ze.o[ 編集]
北海道が乗っ取られる?
 
北海道開発局が北海道シナ売却計画を画策
http://nikaidou.com/column05.html
 
2005/12/12(月) 16:20 | URL | bear #-[ 編集]
>Mergeさん
日本の多くの人は、東西冷戦が終わり、イデオロギー闘争も終わったように思われていると思うのですが、まだ日本を含む東アジアでは終わってないんですよね。
ジェンダーフリー、皇室典範改悪、人権擁護法案etc.
全て共産主義イデオロギーから出てきたものだというのを、私たちは知っておかなければかりませんよね。
Mergeさんも同内容のことを書かれたそうで、危惧するところは私と同じなのですね。
Mergeさんの言われるように、この共産主義イデオロギーの危険性を理解し排除するのが急務だと思います。
2005/12/12(月) 12:17 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
>要するにこれは「化粧直し」した共産主義イデオロギーなのである。このことを日本人は今こそ銘記(心に刻む)すべきなのである。

これです! 

このイデオロギーを過小評価するのは、とても危険です。

「悪魔は細部に宿る」といわれます。これはまさに悪魔の思想です。しかもとらえどころが難しいので、ぼんやりしていると簡単に汚染されてしまいます。

これからの保守は、このイデオロギーのなんたるかをしっかり理解しておかなければなりません。

どんな小さな事でも、伝統の破壊につながる思考は、間違いなく、このイデオロギーの影響下にあると思います。

細部に宿る悪魔をどう炙り出し、駆除してゆくかを、保守は一致団結して考えねばならないでしょう。

偶然ですが、私もこのイデオロギーについて昨日、記事を書きました。ぜひ読んでみてください。

皇室がねらわれている今こそ、多くの保守がこのイデオロギーを研究されることを切に望みます。
2005/12/12(月) 00:17 | URL | Merge #-[ 編集]
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