『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
【始めに】
※今回は前回の記事からの続きです。初めて読まれる方は、前回の記事からご覧下さい(↓のタイトルをクリックして下さい)。
■子供の幸福を無視した夫婦別姓導入に反対する(前編)

※拙ブログをずっと読んで下さっている方へ
今回の記事は、10月21日に掲載した『子供の幸福を無視した夫婦別姓導入に反対する(中編)』を、『子供の幸福を無視した夫婦別姓導入に反対する(後編)』と改題して、残りの箇所を追記したものです。引用文中のここから追記です】からがその箇所になります。



本文へ入る前に、夫婦別姓に関する産経のニュース記事を引用します。

■仙谷氏、夫婦別姓導入に意欲も答弁は勘違い
2010.10.21

 仙谷由人官房長官は21日の参院内閣委員会で、必ず両親の片方と子供の姓が異なることになる選択的夫婦別姓制度について、「民主党は夫婦別姓をマニフェスト(政権公約)に掲げ、党の方針にしてきた」と強調し、自身が議長を務める政府の男女共同参画会議が7月に出した答申に沿って制度を導入することに意欲を示した。

 ただ、民主党は昨年の衆院選でも今年の参院選でも、マニフェストには国論を二分する夫婦別姓制度については盛り込んでいない。答弁は「勘違い」か「勇み足」だったようだ。

 また、岡崎トミ子男女共同参画担当相も「答申に沿って(基本計画を)策定する」と夫婦別姓導入を推進する考えを表明した。政府は答申を受け、平成23年度から5年間実施する第3次男女共同参画基本計画の策定を進めている。

 いずれも自民党の山谷えり子氏の質問に答えた。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101021/plc1010211734016-n1.htm


記事にもあるように、民主党は夫婦別姓の導入に大変意欲的です。夫婦別姓の導入を盛り込んだ第三次男女共同参画基本計画は、仙谷官房長官のリーダーシップの元、年内の閣議決定を目指して動いています。
世論調査をみても、夫婦別姓には反対している国民が多いにもかかわらず、そうした声を無視して、民主党は導入を進めているのです。

このままでは、夫婦別姓という狂気の政策が実現してしまいます。拙ブログを読んで下さった方には、是非ともこのことをまわりの方々に広めて頂きたく、宜しくお願いします。

では、本文へ入ります。


■「夫婦別姓」の根底を貫く家族解体のイデオロギー

高橋 夫婦別姓の導入は、家族崩壊への第一歩に過ぎません。福島消費者・少子化担当相は、男女共同参画担当相でもあり、一度改善されつつあった男女共同参画社会の流れが再びジェンダーフリーの方向に向かっていく危険性が高い。平成十七年に男女共同参画の第二次基本計画が作成された際、当時内閣府大臣政務官だった山谷えり子さんの尽力もあり、「ジェンダーフリーという用語を使用して性差を否定したり、男らしさや女らしさや男女の区別を無くして人間の中性化を目指すこと、また家族や雛祭りなどの伝統文化を否定することは国民が求める男女共同参画社会とは異なる」との文言が盛り込まれました。この趣旨から、当時三分の一の大学でフェミニズムを正当化するイデオロギーを教えるような「女性学」が必修または選択必修とされていたものが、第二次基本計画から削除されたりしました。

この男女共同参画基本計画の第三次の見直しが今年の暮れにくる。その時に福島氏が男女共同参画担当相であれば、これをまた元に戻す可能性か高い。夫婦別姓にしろ、男女共同参画にしろ、その根本にある思想は、「男が女を支配しているのが日本の家制度だ」という考え方です。階級闘争史観を家庭に持ち込み、男女関係を支配・被支配の関係として捉え、そこから解放するのが、男女共同参画や夫婦別姓の目的であるというイデオロギーが根本にあるわけです

夫婦別姓を貫いている思想の中には、家制度や家族共同体を破壊して、個人の権利という名の下に、「自由」を獲得しようとする考え方がある。これが、先程触れた「絆」と関係してくるのですが、そもそも「絆」というのは、馬を繋ぎとめる道具のことで、自由を束縛することです。「絆のある社会」というのは、結婚や子育てによって自由を束縛される中に喜びや幸せを見出す社会なのです。

戦後は「外的束縛から解放される」ことをもって「自由」と言ってきましたが、自由にはリバティー(liberty)、フリーダム(freedom)、サルベーション(salvation)、ニルバーナ(nirvana)の四つの意味があります。

リバティーというのはシビル・リバティー(市民的自由権)などと言いますが、これは外的束縛から解放される自由のことで、夫婦別姓推進論者などが「結婚は女性の自由を奪う」などという時の自由はまさにこの意味です。

もう一つの自由はフリーダムで、スピリチュアル・フリーダム(道徳的自由)などの言い方をしますが、この場合の自由の意味は、内的束縛から解放されることです。自分自身の中に自分を縛っているものがり、そこから解放されることが「自由になる」ということで、元々「自由」というのは「自らに由る」という仏教の言葉ですが、これはこの意味に近い。

また、サルベーションという英語がありますが、これは、「溺れてる者を救い出す」という意味です。溺れている者とは、一人では生きていけない絶対的弱者である乳幼児や高齢者などですが、乳幼児のお世話をすることによって自由になるのです。多くの人達は結婚は個人の自由を奪うと考え、世論調査では若年層の女性の七五%は子育てはイライラすると答えていますが、それは、子育ては自由を妨げると捉えているからです。しかし、子育てによって自由を奪われる中に喜びや幸せを発見するというのが「絆のある社会」であり、現在の風潮は、自由の意味をはき違えているのです。夫婦別姓や男女共同参画における「自由」とは、女性の人権や大人の権利など全て大人の立場からしか見ておらず、実に表層的で「心の自由」や幸福の本質を無視した「自由」に過ぎません。

■不正は「義愛」、母性は「慈愛」

高橋 男女共同参画の名の下に行き過ぎたジェンダーフリーが広がり、「男らしさ女らしさ」「父性母性」という言葉すらも差別に繋がるとされる。実際に文部科学省が調査したところ、鯉のぼりや雛祭りは「男女平等に反する」として中止した公立幼稚園が四十六園あり、また、男女混合で騎馬戦をやっている中学校が百五十一校ありました。また、高校家庭科の教科書には、未だに「桃から生まれた桃子ちゃん」というのがプロローグに載っていたりするわけです。このようなジェンダーフリーを推進する人々は、日本の男女差別の原点は日本の国生み神話にあると言います。

※男女混合騎馬戦の画像がこちらのブログに掲載されています。
■なめ猫♪ここまでいった男女混合教育



しかし、哲学者の森信三氏は、「ジェンダーフリーというのは大宇宙の神秘に対する重大な冒涜(ぼうとく)だ。ジェンダーフリーというのは戦慄(せんりつ)を禁じ得ない現象だ。男女の役割までも同一であるかのような錯覚が、洪水のように氾濫(はんらん)して止まるところを知らない。母性喪失者の群れが巷(ちまた)に充満している。民族精神の見えない深層部まで腐食している。男女の両性の本質が損なわれつつある。民族の運命を考えるとき、非常な弱体化と言ってよく、まことに深慮にたえない」と強く批判しています。

私は今、親学という国民運動を興していますが、「親心」の特性である父性は「義愛」、母性は「慈愛」と説明しています。昔から子供が成長するためには、「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせる」と言いますが、子供が歩くためには、「しっかり抱く」という慈愛の母性と、「下に降ろす」という義愛の父性の両方の働きが必要です。

白虎隊で有名な会津藩の藩校の日新館の「什(じゅう)の掟」で、「ならぬことはならぬものです」とあるように、弱い者を苛(いじ)めてははならい、卑怯な振る舞いをしてはならない、嘘をついてはならないということは具体的に教えなければならず、これは人間としての正しさやルール、マナーを教える愛情の「義愛」である父性の役割です。一方、太陽のような暖かさでまるごと受容する、無条件で受けとめるのが「慈愛」である母性の役割です。この父性と母性が父親らしさや母親らしさに繋がるわけですが、これを差別だといって否定することは、この国の精神文化の根幹に関わります。

サムソン夫人は、「日本の男女の間には不思議な調和が見られます。妻であり母である女性がその家族の代弁者。陽気な女性にとっては主人や家庭を管理することは何でもありません。女性が母のように優しく献身的であることは、日本社会にとって計り知れない貴重な財産である」と述べています。

また、文化人類学者のレヴィー・ストロースは、日本の農漁村、伝統産業において男女の役割分担や夫婦の共同作業が多いことに注目し、また、エドワード・シルベスタ・モースは、「祭日中、特に男子のための祭日が設けられており、かつそれがかくまでも一般的に行われていることに心を打たれた」と述べています。これは端午の節句のことを述べているのですが、端午の節句や桃の節句など年中行事を通して、男らしさ女らしさを育てていくことが大事なのです。

これは脳科学者が述べているのですが、男らしさ女らしさというのは生まれつき脳の性差で決まっている。男の子がどんな玩具を好むとか、どんな色を好むかは、後から作られたジェンダー(社会的文化的性差)ではなくて、生まれつきの脳の性差によって決まっているということです。ですから、それを否定するような教育は、子供のアイデンティティの確立を阻害することになるのです。

子供の心の成長、脳の発達を保障するためには、脳の性差である男らしさや女らしさを育てていかねばならず、男らしさ女らしさの確立は、アイデンティティの確立に繋がります。イデオロギーでものを考えるのではなく、何が子供の心の成長や脳の発達を促すのかという視点で考えなければなりません。夫婦別姓の問題は、大人の権利や女性の権利のみの視点から論じられるべきではなく、何が子供の最善の利益になるのかという視点も忘れてはなりません。

■親との一体感が「生きる力」を育てる

高橋 家庭は教育の原点ですが、特に大事なのは人間力を育てることで、それを今、教育界では、「生きる力」を育てると言っています。生きる力とは、総合的な人間力のことであり、その人間力とは、社会・対人関係能力と自制心が柱です。その社会・対人関係能力は何によって育つかといえば、親との愛着です。親の愛着を通して共感性が育ち、相手の痛みが分かるなら社会・対人関係能力が育つのです。

ところが、少年問題の専門家は、少年非行が質的に変化したと言い、『脳内汚染』を書いた岡田尊司氏は、自制心と共感力の欠如が相次ぐ凶悪事件の共通点だと言います。その共感性が欠如している原因は、家庭における一体感、愛着の不足です。親との一体感の中で初めて感性が育ち、これが対人関係能力とか社会適応能力のベースになるのです。夫婦別姓が導入されて親との一体感が損なわれれば、子供に共感性が失われます。佐世保市で同級生を殺害した小学生がいましたが、あの子は命は大事だと作文には書いていましたが、遺族の悲しみに全く共感できませんでした。その背景には、彼女は小さい頃は一人で遊んでいて、親との一体感が無かったために感性が育たなかった、という問題があるわけです。

今、なぜ生きる力が育っていないかというと、家庭教育に問題があるからです。親との一体感が欠落していて、例えば文部科学省が徳育の懇談会を一年間やりましたが、有識者のヒアリングで問題になったのは、ノンフィクション作家の柳田邦男氏が提起した、授乳中に携帯電話をする母親が急増しているという問題でした。

発達心理学の最新の科学的知見によれば、共感性や恥、罪悪感が育つのは二歳の終わりであり、善悪を獲得するのは三歳の始めだと言います。つまり、脳の発達にはタイミング――これを「臨界期」と言います――があり、その時期にどう関わったかということが大事になってくる。

また、今、発達障害の子供が増えていますが、発達障害というのは、先天的要因と環境的要因が絡み合って発症するのですが、沢口俊之という脳生理学者は、「環境要因が整っていればいくら線的要因があっても発症しないか、あるいは正常の範囲内で留まる」と言っています。或いは、さいたま市教育センター所長の金子保氏は、「二歳までに対応すれば治る可能性は高い。三歳までなら五分五分だ。四歳以上になると治る可能性は低くなる」と言ってますが、予防に全力をあげれば発達障害は大幅に減るのです。

その予防法は何かというと、何も特別なことではなく、日本人が昔から当たり前にやっていた子育てを取り戻すことなのです。日本人が元々やってきたのは、「可愛くば二つ叱りて三つ誉め五つ教えてよき人にせよ」ということです。私は講演会でお母さん方に、「この通りにやっている人は?」とこれまで何十年と講演して聞いてきましたが、一人も手を上げた人はいません。皆さん一番やってるのは叱ることです。しかし、もっと誉めることが大事。そして、それ以上にもっと教えて下さいと言っています。なぜそれをやってないかというと、価値観を押しつけてはいけない、強制はいけない、子供に対して上から押し付けるのは封建的で子供の自由や人権を侵害するからいけないという考え方があるからです。

子供と大人の関係は人権としては平等ですが、親は大人として時代とともに変わらない価値については子供に教えなければならず、これは昔は当たり前にやってきたことです。しかし、戦後は、子供の権利、権利と言い過ぎて誤った子供中心主義になり、その結果、教育が荒廃し学級崩壊が増えてきました。その背景には、躾(しつけ)の崩壊があり、親の関わり不足による発達障害の増加という問題がある。

約百五十年前は世界一幸せだった子供が今は世界一絆を失い、世界一礼儀正しかった子供が世界一礼儀が悪くなった最大の原因は、親の問題、家庭教育の問題です。家庭教育がこれ以上荒廃すると、この国が危ない。まさに日本の再生は、家庭教育の再生にかかっています。

そのためには、先ず親が手本を示すことからしか始まりません。江戸時代は「江戸仕草」といって、親が手本を見せて教えてきました。親は子供の鑑(かがみ)であり、その鑑である親が、夫婦別姓で別々になっていくことによって一体感が損なわれれば、それが子供に与える心理的影響は図りしれません。

ここから追記です】
また、日本の家意識や家制度に関連して、日本の家は男が女を抑圧しているという否定的な考え方がありますが、決して男尊女卑が日本の文化ではなく、男と女は天と地、左と右というように、補完し合うという関係として捉えてきました。私はよく歩行で例えて言いますが、歩くときには左右の腕足どちらかが必ず前に出て一方は下がるように、時には、男が厳しく言ってお母さんが支える、時にはお母さんが厳しく言ってお父さんが支える。要するに子供の発達のためには、優しさと厳しさの関わりを使い分けて、バランスをとっていく。このバランスというのが男女すなわち陰陽の原理の補完ということです。それは差別ではなく区別であって、天と地があって宇宙が成り立つように、上下の優劣関係ではなく、秩序の補完関係です。天と地があって成り立つのは補完的原理であり、父性母性は補完的原理なのです。

日本では男と女の特性を大事にし、男らしさ女らしさを補完関係と捉えてきた素晴らしい文化を持っている。その文化を崩壊させかねないのが、夫婦別姓の本質的な問題だと思います。

■民主党政権の教育政策について

―――日教組の影響が強い民主党政権となり、これまで積み上げてきた新教育基本法に基づく教育改革が後退していくことが懸念されますが、今後の民主党政権下における教育改革の課題についてお話下さい。

高橋 民巣等政権は、事業仕分けの際、「費用対効果」といって支出した費用に対して得られる効果が薄いと見なしたものを切り捨てていきましたが、その中に全ての学校に道徳の副教材として配布されている『心のノート』の批判がありました。経済の物差しで教育を判断しているわけですが、「無用の用」という言葉があるように、教育は役に立たないように見えても、役に立つのです。

例えば、私が今やっている「親学」にしても師範塾にしても、これは国家百年の大計です。それをコツコツと積み上げ、一見すぐには役に立たないようなことが、十年二十年と積み重なっていくうちに効果が出てくるわけです。教育というのは非経済的なものであり、経済の物差しで教育予算を削るというのはもってのほかであり、そこが民主党政権の「子供の命を守る、絆を大事にする」と言いながら、一番本質のところで間違っている点だと思います。

また、国が責任を負うべきは、まず小中の義務教育なのですから、高校の授業料を無償化する前に、義務教育の国庫負担金を三分の一から二分の一に戻すのが先であって、全く順序が違うということです。

また、高校の学習指導要領の解説書の中で「竹島」について明記しませんでした。北海道教職員組合の配った資料には、「韓国の主張が事実に則っている」と書いてあるそうですが、安倍内閣時代以降、教育基本法、学校教育法、その他の法律によって戦後教育を大きく転換して見直すという画期的な教育改革をやったわけですから、特に教育についてコロコロと変わるような朝令暮改の改革をしては困るという一番本質的な問題があります。

さらに関連して、教育基本法の改正に基づいて今後十年どうしていくかという教育振興基本計画を国が作ったわけですが、今、各県や各自治体においても実施レベルに入っています。振興計画ができている自治体もあるし今作っているところもありますが、いま全国で一斉に始まっています。戦後六十年の戦後教育の見直しの実践化というものが大きく始まっているわけで、それを、どう定着させるかという努力を我々はやらなければなりません。戦後教育の大きな見直しの成果をこれから具体化し実践化していくことに全力投球していくべきです。

また、同時に日教組が不当な影響力を持たないように排除していくことも必要です。民主党政権の下で日教組の政治団体「日本民主教育政治連盟」会長を務める輿石東氏のように、個人の影響力によって、例えば、マニフェストに書いていなかった全国学力テストの見直しを輿石東氏の記者会見で突然に政策に出してきたということもある。そのような個人の考え方が前面に出てきて政策に影響していくということは極力排除しなければなりません。皆で議論して決めた法律なのですから、政権が変わったからと言ってそれを一気に変えていくようなことになると教育は混乱することになる。

定着させるべきものは定着させ、実践化させながら、それに対する不当な否定に対しては断固戦っていくという姿勢が必要だと思います。

■「美しい国・日本」は人づくりから

高橋 政界再編が遠くない時期に来ると思います。その時に問われているのは、教育は国家百年の大計で論じなければなりませんから、私はその鍵を握るのは「人づくり」だと思います。

明治維新が成功したのは、江戸時代の寺子屋や藩校、私塾など、人づくりのシステムが確立していたからです。その人づくりをどう再構築していくかということが鍵です。私はその為に教師のための師範塾と親として必要なこと、大切なことについて学ぶ「親学」を推進していますが、「一人からの教育改革」からしか日本の再生は実現しないと確信しています。

例えば、この五年間で日本青年会議所は大きく変わったのですが、私が五年ほど前に日本人としての誇りを持った子供をどう育てるかという講演を青年会議所の全国の集まりの場で行いました。その時に、「皆さん、毎朝おはようと子供に声をかけていますか?」と聞いたら、手をあげたのは全体の五%ぐらいでした。それが、去年の六月の全国の集まりで同じ質問をしたら九割以上が手をあげた。つまり、青年会議所の意識が大きく変わったのです。それは青年会議所のトップの意識が変わったからで、去年の会頭は沖縄の安里という青年ですが、彼は「自分づくりから社会づくりを」と言い、「世の中を変える、社会を変えるということは、まず家庭から、まず自分の日常からだ」と繰り返し説いていったのです。身近なところから絆というものを築いていくしか、大きな絆は築きようがない。安倍元首相は「美しい国・日本」と言いましたが、「美しい国・日本」は確かにありました。しかし、それがいま崩壊してしまっている。その美しい国というのは、どこからスタートするかというと、一人からの生き方として再生していかなければなりません。それに青年会議所は気づいて、「真の日本男児育成委員会」をつくり、「一人からの武士道再生」によって日本人の美しい生き方を取り戻し、子供にその大人の後ろ姿を見せようという「大人の背中運動」を始めました。

まずは自分が変わるという主体変容の意識改革を家庭・地域などの身近なところから地道にやっていくことが今、求められていることだと思います。

(二月十五日インタビュー)



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☆みんな辞めてしまえ・・・ 柳田が法相を辞任するのはいいとしても、だ。 なんで後任が(当分の間とはいえ)言論封殺 野郎の仙谷なんだ?仙谷こそ、柳田以上に 辞任すべきクズ野郎だろうに。
2010/11/24(水) 10:06:42 | 母さんによる徒然・・・
★知人男性30チョイ過ぎで独身・・・ 同居する母親に「もう子育ては終わった。 弁当造りも卒業ぢゃ!」と言われてしまったw はよ、良き伴侶見つけろ!って周囲からはっ ぱを掛けられるこの頃とか・・・;^_^)
2010/10/26(火) 09:41:29 | 母さんによる徒然・・・