『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
今回は、『祖国と青年』7月号より、狭山ヶ丘高等学校校長の小川義男氏の書かれた論文を引用します。

■子供に「皇室を敬う心」を

小川義男氏
小川義男(おがわ・よしお) 
昭和七年(一九三二年)北海道生まれ。昭和三十四年北海道教育大学札幌分校卒。北海道、東京で公立小学校教員、教頭、校長を歴任。その間、亜細亜大学大学院法学研究科修士課程、早稲田大学大学院商学研究科修士課程を修了。平成四年学校法人狭山ケ丘高等学校常任理事に就任。八年同校校長。著書に『学校崩壊なんかさせるか!』(致知出版社)、『「親ばか」「教師ばか」が「素直な子」を育てる』(小学館文庫)、『あらすじで読む日本(世界)の名著』シリーズ(中経出版)など。



天皇・国家を敵視する勢力が巣食う教育界

平成の御代も、御即位二十年を迎える。まことに有り難いことである。

だが学校教育の中で、皇室を敬う心がどのように育てられているかを思えば、不十分の一言に尽きる。まことに恐れ多い事である。

レーニンは「帝国主義戦争を内乱へ」と呼びかけた。国家間に戦争が勃発した場合には、母国の勝利のために戦うのではなく、これを内乱に導くよう暗躍せよと言うのである。かくして赤色ロシアを擁護することが、共産主義者の第一義的任務とされた。これに、「軍国主義」日本を、軍事的にだけでなく思想的にも武装解除しようとしたアメリカの意図が、微妙に調和、葛藤を重ねる中で、思想的野合とも言うべき精神状況が形成された。これを戦後イデオロギーと呼んで差し支えあるまい。「国家と天皇」は、戦後イデオロギーの最大の攻撃目標だったのである。

小・中・高等学校の儀式に国旗・国歌を正しく位置づけることへの抵抗は尋常のものではなかった。私自身、小学校の卒業式に関し、職員会議を九回行った経験がある。時には夜の九時過ぎに及ぶ事もあった。原案を維持、擁護しながらの戦いであるから、最後には心臓が痛くなって来たこともある。「敵将」の精神が疲弊したと気づけば、命を落とすところまで攻撃を続けるのが彼らである。だから弱さを見せてはならない。だから虚勢を張って戦った事もある。実際、そのために命を落とした同志たちも少なくない。

国旗・国歌を回(めぐ)る戦いは、左翼勢力の敗北に終わった。しかし今でも、国家と天皇を敵視する教育を推し進めようとする勢力は決して微弱ではない。例えばそれは、公文書を年号によってではなく西暦によって表記しようとする動きとなって現れる。「平成」という年号を用いたくないのである。うっかりしていると学級通信、卒業式に際しての「別れの言葉」などを作成する際、例えば「二〇〇九年」などと記載、表現させようとするのである。
歴代天皇の御慈悲を教えていた戦前の教育

小・中・高等学校における教育の中で、天皇については、ほとんど指導されていないと言って過言ではない。国語においても皇室に関する敬語はほとんど指導されてない。※行幸、行啓の区別さえ知らない教師も絶無ではない。先日ある会合で、陛下を深く尊敬している国会議員の話を聞いた。その内容はまことに感動的なものであった。しかし、その国会議員でさえ、皇室に関する敬語を適正に用いることはできなかった。皇室に関して、戦後教育が、どれほど荒廃しているかという表れであろう。

※行幸、行啓についてはこちらに掲載されています↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%B9%B8



学習指導要領を読み返しても、皇室に対する尊敬の念を育成したいとの熱意を感じ取る事ができない。天皇は、社会科や高等学校における「政経」において、憲法の指導の一環として、国民統合の象徴として扱われているが、それ以外の分野ではほとんど触られていない。

戦前は、仁徳天皇の※「かまどの煙」に関する御後慈悲について、これを知らぬ日本人は絶無であった。しかし、今の高校生で、この事実を知る者はほとんどいない。「民のかまどは賑(にぎ)わっているか」などと言う言葉も、今の中、高校生には、全く通じないのである。


 
※かまどの煙について

「高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 民のかまどは にぎはひにけり」

 【通釈】
 仁徳天皇が、高殿に登って国のありさまを見わたすと、民家のかまどから煙がたちのぼっている。民の生活が成り立っていることをうれしく思う。

 【解説】
 (由来)新古今集巻七賀歌巻頭。延喜六年(906)の「日本紀竟宴和歌」の「たかどのにのぼりてみれば天の下四方に煙りて今ぞ富みぬる」が誤伝され、仁徳天皇御製として伝わった歌という。例えば『和漢朗詠集』には作者不明として見え、『水鏡』『古来風躰抄』などには仁徳天皇御製として載っている。

 どの家でもその日に食べる食料すらなくなり、人々は飢えに苦しんでいた。仁徳天皇はカマドに煙すら上がらない民の生活を見ていたく嘆き、いそぎ税を向う3年間は取り立てないことにした。そして宮殿の改修などに人力をさくことを中止し、食料の生産高をあげるべくさまざまな事業に専念した。その結果3年後にはどの家々からもカマドの煙が立ち昇ったとの故事にちなむ歌。

 仁徳天皇は、「天皇が天に立つのは民のためである。過去の聖王達は一人でも民が飢えたら自分の身を責めたものである。民が貧しいのは私が貧しいことであり、民が豊かなのは私が豊かなことなのだ」といい、まず民のことを第一に考えた。民は天皇を中心としたクニ造りに賛同し、その持てる力を出し合って難波の地に強くそして平和なクニを築き上げた。仁徳天皇没後に世界最大の墳墓が築かれたのも、「仁」と「徳」の聖王として称えられ、長く続く五穀豊穣と太平の世が残ったからとされている。

【引用元】
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kotoba_waka.htm



明治陛下のご生活が、どれほど質素にわたらせられたかは、小学校時代の修身で教わった。「お机は紫檀(したん)にも黒檀(こくたん)にもあらずして、ただ黒き塗り机なり」との記述は、今も私の記憶に鮮明である。修学旅行でロンドン塔やウインザー城を訪れた際、英王室の絢爛(けんらん)たる宝石その他の宝物に触れたが、我が国皇室が、これとは全く異なる異質な質素を貫いてこられた事実を知る私と、これを知らぬ生徒たちの間には、目に見えぬ懸隔(けんかく)が存在するように思われるのである。

昭和陛下が、戦後の混乱の中で全国をご巡幸(じゅんこう)遊ばされ、挫折感に陥っていた国民をどのようにお励ましになられたか。敗戦時の軍事的、社会的混乱を収拾するため、どれほど、その御心を悩ませたもうたか、今の生徒たちは、それも全く教えられていない。

今上陛下、皇后陛下が、未だ皇太子殿下と妃殿下であらせられた当時、お二人は、なお母国に対する違和感を忘れられずにいる沖縄の民を慰めるため、彼の地を訪れられた。その際は、心なき人間から、直接の加害さえ企図(きと)されたことがある。沖縄は日本でありながら、ルソン島ガダルカナルに等しい「本土決戦」に直面した。彼らは実に誠実果敢にアメリカ軍と戦った。我々は永久にこの恩を忘れてはなるまい。しかし、沖縄の民に本土決戦を「強要」しながら、いわゆる「内地」は本土決戦を回避した。当時少年であった私なども、そのおかげを以て、今日生きながらえているのであるが、考えてみれば、これは随分と「義理を欠いた」話である。沖縄の民に本土決戦を実行させたのであれば、我々も本土において、その命を賭けて戦うべきではなかったか。それが義理と言うものであろう。

両陛下、当時の皇太子殿下と妃殿下は、そのあたりを深くお考え遊ばされのであろう。世情必ずしも落ち着いているとは言えぬ沖縄の地を訪れ、御霊を慰められると共に、沖縄の民の傷ついた心を慰謝遊ばされた。まことに有り難く、恐れ多い事である。今日の学校教育では、この点も全く指導されていない。

君が代は千代に八千代に

万世一系の天皇を戴くことが、世界に例を見ない、有り難く稀有(けう)の事実であることを、学校教育は見つめ直さなくてはなるまい。その観点から、学習指導要領も見直さなくてはならない。そのような見直しの上に立って、皇室の我が憲法上の位置がしっかりと教えられなくてはならない。また歴代の天皇が果たしてこられたご業績、政治に関わらず、精神的に国民を統合遊ばされた歴代天皇の「特別」な御位置も深く理解させなくてはならない。従って外国のキング、皇帝などとは全く異質な御存在であらせられる事なども、教科書や日常の教育で、しっかりと指導して行かねばならないと思うのである。

昔は「旗日(はたび)」と言うのがあった。旗日には、どの家も玄関に日の丸を掲げたのである。だが今、祝日には日の丸を掲揚している家はほとんど見受けられない。マンションのベランダに、小さな日の丸が掲げられている光景は、私の夢であるが、このままでは、それも生涯見果てぬ夢に終わってしまう危険がある。

翻って私の学校で、天皇に関してどのような指導を行っているかを考えたとき、それは決して十分とは言えない。十一月三日は、今日「文化の日」とされているが、これは実は、明治節として、明治陛下の御威徳を偲ぶ日であった。この日は小学校で、紅白のまんじゅうを頂いて帰ったものである。これからは、単なる文化の日としてではなく、明治節がそのオリジンであったのだと言うことを指導するように心がけたい。

私は、各種儀式の祈りには、皇室のご功績、御慈悲に触れるよう心がけている。卒業式、入学式等においては、国歌の趣旨を私自身から分かり易く説明し、「君が代は千代に八千代に」とは、万世一系の天皇に象徴される、民主国家日本の、永遠の平和と繁栄を祈る歌であると指導している。その意義を深く認識させると、国歌を歌う生徒の声が一段と大きくなるから面白い。

来る衆院選は民主党=日教組との戦い

この文が読まれる頃、あるいは衆議院は解散しているかも知れない。私はこの度の選挙は、「麻生と鳩山の戦い」などという皮相な次元の戦いではなく、我が国民主主義と日教組の戦いだと考えている。民主党を実質的に支配しているものは、日教組を初めとする労働組合出身の政治家たちである。万一彼らが政権を獲得することがあれば、我が国民主主義は五十年、後退するであろう。

これら日教組周辺の政治家たちは、先ず第一に、学校における国旗、国歌の位置づけを「自由化する」事から始め、戦後デモクラシーを根本的に破壊するに至るであろう。皇室を敬う心を育てることなど、夢のまた夢となろう。

天皇と国家を敵視することは、我が国左翼共通のスローガンであった。対馬の自衛隊基地の周辺は、韓国の金持ちたちによって買い占められていると聞く。その一方で与党の一部からは、永住外国人に参政権を付与することが叫ばれている。離島の過疎化と相まって、外国人が多数派になり、外国人首長が選出される危険性さえある。鳩山氏は、この永住外国人に参政権を与え、「従軍慰安婦」に対する「損害賠償」さえ行う気配である。周辺外国に対し、改めて「謝罪」するとも言っている。日教組並びにその周辺の労働組合は、これを強く推進する事であろう。まさに国を売るものだと言わなくてはならない。

巷(ちまた)に、「もうこのあたりで一度政権を交代させた方が良い」との見解がある。しかし、ひとたび政権を獲得した民主党、それを実質的に支配する労働組合出身の政治家たちは、必ず旧社会党左派的イデオロギーで、「日本再編成」を目指す事であろう。その中で皇室を尊敬する心も根本的に破壊されてしまう危険がある。

皇室を守る戦いは日本を守る戦いである。
その意味で今は、政治決戦を徹底的に戦うことなしに教育を守ることもできない時代だと思うのである。【終】


拙ブログでも、民主党政権になれば、日教組が教育行政を支配することになり、それは大変危険なんだということを訴えてきました。小川氏も今回の衆院選を「我が国民主主義と日教組の戦い」と言われてます。

さらには、民主党は天皇を尊敬する心も根本的に破壊してしまう危険がある、との指摘もその通りだと思います。そうなれば、今日まで我々の父祖が、時には命懸けで守り、伝えてきた天皇を中心とした日本の歴史・文化も、やがては消滅することになるでしょう。まさに日本の国体(国柄)の喪失です。そうなれば、もう日本は日本でなくなってしまいます。

安易な考えで民主党に投票しようとする方々、日本が日本でなくなってしまってもいいのですか。そうなった場合、父祖に対して、そして次世代を担う若者や子供たちに対してどう責任をとるのですか。

投票まではまだ期間があるので、今一度熟慮して頂ければと思います。


※自民党HPにも日教組のことが載せてあるのでご覧下さい。
https://youth.jimin.or.jp/iken2/index.html

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