『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
今回は、いつもと少し違った話題です。社団法人実践倫理宏正会発行の『倫風』7月号より、内館牧子さんの書かれた論文を引用します。

■「保存すべきもの」と「改革すべきもの」

大相撲の土俵には、女性は上がれないという「女人禁制」の伝統があります。でも「男女共同参画社会基本法」ができると、それは女性差別だという声が高まりました。脚本家で横綱審議委員の内館牧子さんは、「やみくもな平等主義は、日本人が長い歴史の中で培ってきた伝統を踏みにじり、規範なき社会をつくる恐れがある」と、警鐘を鳴らします。

土俵の女人禁制

十年前の平成十一(一九九九)年に、「男女共同参画社会基本法(以下、男女基本法)」が制定された。私は、この法律に異議を唱えるつもりは毛頭ない。それどころか、長い間大企業に勤務し、多少なりとも男社会で働く悲哀を味わってきた私は、当然、男女が不平等に扱われることに反対である。男女差別があってはならない。

しかし、この法律ができた後の世の風潮には、どうしても同意できない部分がある。法律を錦の御旗と振りかざし、何事にも一律に男女平等を主張する風潮である。その象徴的な例が、「大相撲における女人禁制」への反対ではないだろうか。

角界(かくかい)は長い間、女性を土俵に上がらせないという「土俵の女人禁制」を貫いてきた。ところが、男女基本法制定の直後に就任した、大阪府の前女性知事は、「女性を土俵に上げないのは男女差別。大相撲大阪場所で府知事杯を授与するのは知事としての務めなので、私が土俵に上がり、優勝力士に知事杯を渡したい」と言い始めた。

確かに知事杯授与は公務であり、土俵上で公務を果したいということは間違ってはいない。だが、相撲の土俵の女人禁制もまた尊重されるべき大事な決まり事だ。

府知事はある新聞で、「二十一世紀は女性の時代、相撲協会は新しい形を目指すべきだ」という趣旨のコメントをした。この発言に、私は言いようのない違和感と哀しみを覚えた。

角界の「土俵の女人禁制」は、当事者が守ってきた儀礼であり伝統文化である。その伝統を、男女共同参画という現代の価値観で、踏みにじり軽視する響きを、彼女の言葉に感じたからである。

ある女性学の研究者は、「私は相撲には無知だが、女人禁制は間違っている」という文章を書いている。ここまで言い切るなら、相撲史とその文化を少しは学んでから発言すべきだろう。
大相撲の原点は五穀豊穣を祈る神事

神事や祭事、芸能や民間信仰などの伝統行事における女人禁制、あるいは男子禁制は、現代社会の男女差別とはまったく別次元のものだと私は考える。男女平等であらねばならぬ問題と、伝統を尊重して、それを寛容に受け入れていく問題とは分けて考えねばならない。

相撲の起源には、さまざまな説があるが、『古事記』や『日本書紀』に記載があるし、相撲は神様の力比べによる国盗りから始まったという説もある。また、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る「神事」を原点とする説は広く知られている。古代からさまざまな地方で、五穀豊穣への祈りを込めた祭事で「年占(としうら)」が行われていた。競技的性格を持った技芸を行い、その勝ち負けで豊作か凶作かを占う場合があった。その占いのひとつが相撲である。

その後、現在の興行大相撲に至るまでのおよそ千三百五十余年にわたって、角界は、相撲の核となる神事の部分を守り抜いてきた。

むろん長い年月の間には、「土俵」というものを考案したり、四本柱を取り払い、吊り屋根にして、四隅に房を下げて「結界(けっかい)」とするなど、競技性・興行色を濃く打ち出すといった改革も続けてきた。だが、神事という原点だけは今も崩さず、女人禁制もそこに由来するともいわれる。

このように時代を超えて守られてきた原点は、大相撲だけでなく、いかなる芸能であれ工芸であれ、現代の価値観や様式に合わせて、外部の者が安易に変えるべきではないというのが、私の基本的な考え方である。

民族が、何世代にもわたる長い歴史を通して培い、伝えてきたものが伝統である。当然、現代の価値観や考え方から見れば、不合理でおかしい部分、馴染まぬところもあるだろう。それを現代の価値観に合わせて強引に変えようという発想はあまりにも短絡的で、貧しい。

伝統というものは、時代に応じて変化するものだ。しかし、伝統のどこを改革し、どこを保存し続けるかは最重要なことである。無知で無恥な人たちがいくら世間を煽(あお)ろうと、改革と保存へのクールな視座を、当事者は頑固なまでに持たなければならない。そうでなければ、伝統は根こそぎ壊される。女性知事は、「土俵の女人禁制を解くことが、グローバルスタンダードだ」とコメントした。グローバルスタンダードとは、いわば「世界標準」である。考えてもみよ。世界中のどこの国が、自国の伝統文化を「世界標準」に合わせるというのか。こういうことを行政の長が平気で言うのだから、日本は哀れな国である。

グローバルスタンダードも、適用すべきジャンルとそうでないジャンルがあり、すべてに当てはめることはできない。土俵の女人開放を迫るのは、ラマダーン(断食月)の断食を守るイスラム教徒に、「健康によくないからやめろ」と強要するようなものだ。修験道(しゅげんどう)などの山岳宗教によっては、これまで守ってきた女性の入山を禁じる「女人禁制」を自ら解き、女性を受け入れているところもある。諏訪(すわ)の御柱祭(おんばしらさい)にも女性が参加し、京都の祇園(ぎおん)祭でも山鉾(鉾山車)に女性が上がれるようになった。

これらは当事者が解禁を妥当と判断して決めたものである。だが、相撲協会は現時点では、女性が土俵に上がることを禁じている。そうである以上、当事者の出した結論を尊重するというのが、部外者の見識というものであろう。

結界の意識に見る豊かな知性と品性

相撲には日本人の豊かな精神性が色濃く遺されている。例えば、「結界」を守ろうとする意識もそうだ。「結界」とは、大まかに言えば、一つの空間を二つに区切り、一方を聖域とし、もう一方を俗域とすることである。

垂水稔(たるみみのる)著『結界の構造』によれば、結界は「建築的結界」と「装置的結界」に大別することができるという。建築的結界は、構造物によって聖域内に邪悪を侵入させないようにしたもので、万里の長城や西欧の城壁、秀吉の造った、京の都を囲む御土居(おどい)などがこれに当たる。一方、装置的結界は注連縄(しめなわ)や結界石などで侵入禁止を示した「小道具」である。

日本には、建築的結界は非常に少ないが、装置的結界となると百花繚乱(ひゃっかりょうらん)である。

大峰山など山岳宗教の登山口にある結界門、禅寺の山門脇の石に刻まれた「不許葷酒入山門(葷酒山門【くんしゅさんもん】に入るを許さず)」の「葷酒敵結界(臭気の強い野菜や酒気を帯びた人は入れない)」、「牛馬結界石や注連縄、盛塩(もりじお)、幔幕(まんまく)など、枚挙に暇(いとま)がないほどである。相撲の土俵も、俵(たわら)と四色の房で結界されている装置的結界だ、と私は論文に書いた。

装置的結界は、土俵にせよ、結界門にせよ、入ろうと思えば、簡単に入ることができる。あえて入らないのは、それらの小道具を「侵してはならないタブー(禁忌)」として人々が認識し、自律しているからだ。守ろうという意思によって成り立つ約束事なのだ。

かくも無防備な小道具によって、日本人はこれまで長い歴史の中で、結界を守り、侵すことを恥じ、侵すことをしなかった。注連縄であれ、結界石であれ、また俵や房であっても、それが「侵してはならない」というタブーを示すシンボルであることを、日本人はよく理解していたからである。また、聖なるものを畏怖(いふ)する感情を抱いていたからだろう。

万里の長城などと違い、小さなシンボルによる無防備な結界が当たり前のようにそこかしこに存在しているということは、かつての日本人はそれを理解する高い知性と品性を備えていた証拠だろう。結界門の先に広がる空間が、実は俗界とは無限の距離を隔てた聖なる空間であるということを理解するには知性が必要だし、それに従うには品性が必要だからです。結界を理解して尊重することを、建築史家の伊藤ていじは、「こころのけじめ=規範」と定義しているが、私はそれこそが、日本人のメンタリティー(心的傾向)だと考える。

「聖なるもの」への畏怖

大相撲では初日の前日、朝十時から「土俵祭り」と呼ばれる神迎え神事を執り行う。それによって、神様は七本の御幣(ごへい)に降り、土俵上に祭られる。こうして、「土の上に俵で描かれた単なる円」に過ぎなかったものが、「土俵」という聖なる空間に変わるのだ。そして、千秋楽の全取組みと表彰式が終わったあとに、十五日間の教義を守ってくれた神に感謝をささげ、お帰りいただく神事が行われると、再び元の「土」と「俵」に還る。

世にプロスポーツは多いが、会期前後に神事を行うのは大相撲くらいではないだろうか。

土俵祭りは平成二(一九九〇)年三月場所までは非公開で行われてうたことからも、その厳粛な雰囲気は想像できると思うが、現在は誰でも見られる。ぜひ、多くの人に見ていただきたい。いかに土俵が神聖な場であるかを、きっと実感するに違いない。

最近の日本人は、「聖なるもの」を認め、畏怖する意識を失いかけているように思えてならない。それはオカルトだの神がかりだのとは全く違う。人智を超えた聖なる存在のあることを学ぶだけでも、ものの見方が深くなる。

男女共同参画にしても、すべての事に平等を当てはめるのではなく、日本人として保存すべきものと、変革すべきものとをしっかり見極めたい。それこそが知性と品性というものである。(終)


内館牧子さんの仰るように、「男女共同参画社会基本法」なる法律が制定されて以降、これを錦の御旗にして、全ての事を男女平等にしようとする風潮が起こっています。

例えば、学校教育でも、男女を区別することが差別に繋がるとして、男女混合名簿の導入や、男の子は「~くん」、女の子は「~さん」と呼んでいたのを、どちらも同じ呼び方をするよう指導されたりしています。「区別」と「差別」は別物ですが、「男女共同参画」を推進する方々は、区別すら許さないというのです。

今回の大相撲の話にしても、自分たちはたかだか数十年しか生きていないくせに、その薄っぺらい「男女共同参画」という現代の価値観で、長い歴史を通じて培ってきた伝統文化を変えようなどとは、愚行としかいいようがありません。

文中では名前は伏せられていましたが、「女性を土俵に上げないのは男女差別」、「土俵の女人禁制を解くことがグローバルスタンダードだ」と発言された太田房江前大阪府知事などは、愚者の典型ともいえる人物でしょう。

「男女共同参画」は、言葉の感じから良いことのように思われている方もいると思いますが、その裏には大きな危険性が潜んでいます。これについては、以前拙ブログで取り上げたので、是非ともお読み頂き、その危険性を理解して下さればと思います。

■「男女共同参画」はお国を壊す第一歩



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コメント
この記事へのコメント
>びーちぇさん
お久しぶりです。コメントありがとうございました。 びーちぇさんは、ブログを更新されていない間もずっと研究をされていたのですね。ブログの方、読ませて貰います。
2009/08/31(月) 00:41 | URL | spiral(管理人) #l7AT0Hcg[ 編集]
>spiralさま

御無沙汰しております。
最近、研究が進んだ分、
前の記事が不適当になって参りましたので、書き直しております。

最新の「伝統 その2 古代における女性の尊さ・皇位継承」
を、こちらの皆さまにもお読み頂ければと思います。
要は、どうして男子男系であるべきなのかの検証を古代の歴史から述べました。
他にも「男女共同参画」などが、いかに伝統に逆らい、不自然なものであるかなどの検証記事もございますので、
お立ち寄り下されば幸いです。


2009/08/30(日) 08:44 | URL | びーちぇ #VTZEej7w[ 編集]
>milestaさん
現在は、長い歴史の中で培われてきた伝統文化の重みや、深い意味を理解していない方が多いように思います。(私も勉強不足ですが・・・)

太田前府知事のような、行政の長を務められた方ですら、この有様ですからね。

こうしたことは、戦後教育が「戦前は全て悪」だとして、伝統文化を蔑ろにしてきたことが大きいと思います。

内館さんは、このように言われています。

「伝統や文化、品格を声高に唱えると、保守反動、右寄りといったレッテルを貼りたがる人たちもいる。それは戦後教育が、日本の伝統・文化を短絡的に戦前からの「負の遺産」として捉え、まずは打ち壊そうとしたせいもあろう。しかし、すべてを「負の遺産」としてくくることは、決して正しくはあるまい」

私もその通りだと思います。
2009/07/27(月) 14:50 | URL | spiral(管理人) #l7AT0Hcg[ 編集]
内舘さんの仰るとおりだと思います。

結界や聖なるものとは関係がないかもしれませんが、歌舞伎も女人禁制の伝統文化ですよね。
歌舞伎の役者さんが仰っていましたが、歌舞伎は女人禁制で男性が女性を演じていたおかげで、重~い豪華絢爛な衣装やかつらをつけていてもしなやかな動きができ、見応えのある舞踊や演技が形成されてきたのだそうです。
そういう文化なのに、何でも差別だと言っていたら、すばらしい伝統文化も消えていってしまいますよね。

長い歴史や伝統をもつものを、その長さからしたら「一瞬」とも言える今の価値観で、よく考えもせずに大きく変えてしまったり、消滅させていいとは思えません。
2009/07/26(日) 23:39 | URL | milesta #S4B2tY/g[ 編集]
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