『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
今回は、モラロジー研究所発行の『れいろう』平成20年12月号より、中山理氏と森田健作氏の対談記事を引用します。

■対談 日本の歩む道

中山理(なかやまおさむ)【麗澤大学学長】
昭和27年(1952年)三重県生まれ。麗澤大学外国語学部イギリス語学科卒業後、上智大学大学院文学研究科英文学専攻博士後期課程修了。イギリス留学を経て文学博士。麗澤大学外国語学部教授を経て、現在に至る。



森田健作(もりたけんさく)【俳優・元文部政務次官】
昭和24年(1949年)生まれ。千葉県在住。44年松竹映画「夕月」でデビュー。46年NTV系の青春学園ドラマ「おれは男だ!」、その主題歌「さらば涙と言おう」が大ヒット。その後も映画「砂の器」、テレビ「大岡越前」をはじめ、数多くの映画、テレビに出演する。
平成4年、東京選挙区から立候補し、参議院議員に初当選。8年沖縄開発政務次官、9年文部政務次官、10年には衆議院に移り、15年まで活躍。その間、2度目の文部政務次官、15年から麗澤大学客員教授を務める。成田モラロジー事務所登録維持員。



■家族の形態の変化

中山 今日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。森田先生には、五年前より私どもの麗澤(れいたく)大学の客員教授としてお力添えをいただき、あらためてお礼を申し上げます。

森田 恐れ入ります。このようなご縁をいただき、中山学長をはじめ麗澤大学、またモラゾジー研究所の皆さんにはお世話になっています。私は文部政務次官の経験を通して教育をめぐる事象にはたいへん興味があり、チャンスをいただきまして感謝いたします。

今の日本を眺めると、昔はなかったような子供たちを巻き込んだ事件がたくさん起きていることに驚かされます。以前と比べると全体的に”教育力”が落ちてきているように感じます。特に家庭の教育力です。今と昔、比較をしたときにいったいどんな違いがあると思われますか。

中山 私が子どものころの日本の家庭というと、だいたい三世代が同居していましたね。おじいさん、おばあさん、夫婦にその子供です。核家族にはない同居による不自由さはあったかもしれませんが、三世代同居のよいところは、親がその親に対して孝行をしている姿を無言のままに子供に示すことができるシステムです。親がその親に仕えている姿を子が見て学ぶということができました。親の姿に子供が学ぶことができれば、子供も親がやるように、やはり親に仕えます。

現在は核家族が当たり前になり、両親が共に働きに出る場合が少なくありません。それで両親とも疲れていて、子供とゆっくり話をする時間がとれなくなっています。おじいさん、おばあさんが同居していますと、共稼ぎでも安心して働きに出ることができました。また、文化の伝承という役割をお年寄りは果していた面もあります。役割分担が今以上にはっきりしていたのではないでしょうか。

森田 そこは私もそのとおりだと思います。昔はお父さんが外で働き、お母さんが家庭を守るという形がありました。今は社会が多様化し、その枠組みは年を追うごとに変化しています。そういう中で、子供に対してもっとこうしてやりたい、ああしてやりたいと思うことがある。でも、朝から晩まで働いていると、家に帰っても、そのままパタリと寝入ってしまったりする。お恥ずかしい話ですが、私も教育の部分に関しておろそかになってしまうことがあります。そういうところを、昔はおじいちゃん、おばあちゃんが、とてもうまくケアしていたんですね。

中山 そういう家庭の力というのは侮れないものがありましたね。

それと、核家族化でもう一つ問題になっているのは、コミュニケーションの形態が変わってきたことです。私の子供たちも携帯電話を持っています。携帯電話を使ってどういう会話を誰と交わしているのか、親はあずかり知りません。メール、パソコンを使ってのコミュニケーションというのは一方的な情報を発信することが多い。受け手もメールから自分の好きな情報だけを抜き取りがちです。

普通の会話なら、こうして森田先生を前にして顔色を拝見しながら、”あ、こういうことを言っちゃまずかったかな”と思いつつ、会話を修正していくことができます。そういう実際のコミュニケーションのノウハウがあるわけです。ところが、好きな情報だけを発信し、好きな情報だけを取り出すと、本来のコミュニケーションは成り立ちません。 

森田 便利になった反面、失う物が多くなってきているということですね。昔の時代と今の時代、物質的な豊かさといったら比較しようもありません。豊かにはなったものの、私たちは、たえず時間に走らされているようになっている。それこそ子供たちを教育する余裕がなくなるがごとくに。
中山 森田先生が子供のころのご家庭は、いかがでしたか。

森田 心の豊かさは溢(あふ)れていたように思います。当時は親が子供をしっかり教育するんだ、という意識がありました。私の父は明治生まれ、母は大正生まれです。今と比べれば古いタイプの人だったと思いますけど、この両親から学んだことは多いですね。

中山 俳優の道を歩むと決められたときに、ご両親はどのような反応を?

森田 私が俳優になろうと思ったのは、昭和四十三年、今から四十年も前のことです。父には強く反対されました。でも、私がどうしてもやりたいと自分の意見を押し通すと、父は最後にこう言いました。「わかった。人様に迷惑をかけるようなことだけはやめろよ」と。

私たちの親の世代というのは、枕詞(まくらことば)に必ずそういうことを言いました。それが今は薄れてきているから、いろいろな問題が起こるのではないでしょうか。

■パブリックとプライベート

中山 今のお話を伺(うかが)って思い出すのは、「お天道様(てんとうさま)が見ている」「お天道様に申し訳ない」という言葉です。昔はよく聞いたものです。

森田 今はそういう言葉を使う人もあまりいなくなりましたね。

「お天道様」については、以前拙ブログで取り上げたのでお読み下さい。
(↓をクリックすればご覧になれます)
★お天道さま、ありがとう。



中山 ええ。かつては一般的に「公」の精神がありました。「公」に対して自分、つまり「私」がどういう責任を持つのかということが問われたのです。「公」の精神を持たないと、他人から笑われましたし、それは恥とされました。「恥ずかしい真似をするな」という言葉もありましたね。

ルーズ・ベネディクトという文化人類学者が、日本文化を説明した『菊と刀』という本を上梓(じょうし)し、その中で「日本は恥の文化である」と言いました。今は、その恥もないですね。公私の精神の区別がありません。

森田 今は、自分がこうしたいと思うと、周囲のことを気にかけずに、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に振舞う人が増えているように感じます。自分さえよければ、自分の権利さえ守られれば、そういう意識です。やはり、家庭から崩れてきているのでしょうね。

中山 親が子を注意しませんから。例えば、電車やバスの中で化粧をする若い女性がいます。うちの女子学生にはそういう場所で化粧をするなと言っています。そうすると、納得せずに「どうしてですか」と聞いてくる学生がいます。化粧というのはプライベートな場所ですることであって、パブリック、「公」の場所ですることではない。そういうことがわからない。いや、単に教えられていないだけなのかもしれませんが。

さきほど森田先生がおっしゃった、自分さえよければ、という意識が日本を覆っているように感じます。「他人に迷惑をかけない」という考え方は、パブリック・マインド、公の精神と言えるかもしれませんが、ある意味でこれは後ろ向きな発送なのです。本当は、そこから一歩進んで「社会のためになるようにしよう」という積極性がなければならない。そういうところが今ある問題の大なるところなのではと思います。

森田 公と私というこの問題を紐解(ひもと)いていくと、やはり戦後の教育について思い至ります。私は直接に戦前の教育を受けてはいませんし、戦前のすべての教育を肯定するわけでもありませんが、戦前の日本人は、「お天道様は」式に公の精神を無意識のうちにしつけられていました。そこから日本人の美しい心、例えば和を尊ぶ心、思いやりの心、わびさびという情緒的な心が生まれたと思います。

ところが戦後、教育がどのように変わったかというと、自由だ、民主主義だといって、まず自分が大切なんだと教えるようになりました。もちろん誰しも自分は大切でしょう。しかし、自分”だけ”が大切で、何よりも自分の権利が大事なんだという考え方は、やはり間違いです。

教育というのは気をつけなければならない。橋や建物を作るというのは途中経過が見えますが、人を形作る教育は途中がみえません。いきなり結果が現れる。最近は、若い人がとんでもない事件を起します。いつの世も「今の若いやつらは・・・・・」と言われますが、教育にも問題があると感じます。

■教えられること、教えられないこと

中山 敗戦後、戦前の教育を全部否定してしまったところに、大きな問題があります。

私が高校生のときに、「教師は労働者だ」と言った先生がいました。私はそうじゃないと思いました。私も教師ですけど、教師というのは一種特殊な”天職””召命”であり、単なる職業ではないんですね。戦前は、当然のごとくそう考えられていました。教師には、日本の文化のよいところを受け継ぎ、次世代に伝えていく使命がある。教師のそういう神聖性を「労働者」という発想で捉えてしまっているところに、教育の欠点があります。私も含めて、教師は本当に責任が大きいことを自覚しないといけません。

森田 そのせいか、教育の内容もかなり変化しました。例えば「修身」は、今は「道徳」になりましたし、歴史は、昔は教えられていた人物が、今は授業中に名前すら挙がらない。

「修身」についいても、以前拙ブログで取り上げたのでご覧下さい。
(↓をクリックすればご覧になれます)
★「修身」とは何だったのか



中山 以前、金美齢(きんびれい)さんと対談したことがありました。金さんは、戦前の日本には「リップンチェンシン」(日本精神)があったと言います。これは何かというと、正直、勤勉、信義、すなわち先ほど言いました公の精神に通じるものです。そして、台湾に貢献した日本人という話になりました。金さんに、その中のどなたかお一人を挙げてくださいと申し上げますと、八田與一(はったよいち)さんの名を挙げられました。

この八田與一さんという方は、水利技術者で台湾に鳥山頭(うざんとう)ダムを建設し、また二万四千キロに及ぶ用水路の建設をして、台湾では非常に尊敬されている人物です。

昔は自分を犠牲にしてでも社会のために尽くすという考え方がありました。八田さんは己の人生を台湾のために尽くし、終戦の三年前に乗っていた太平洋丸が米潜水艦に撃沈され、亡くなりました。また、奥様は日本がミズーリ艦上で降伏文書に調印する前日、八田さんが建設したダムの放水路に身を投げました。ご主人と運命を共にする、台湾の水利のために人柱になって尽くすという発想だったのでしょう。自殺そのものは評価されないかもしれませんが、その精神自体には一本筋が通っていると、私は思います。昔は、「一(いつ)をもってこれを貫く」(『論語』)というものが確かにありました。

1945年9月2日、日本はポツダム宣言を受け入れ、戦艦ミズーリ甲板にて降伏文書にサインしました。



森田 そういう人物がいたことを、なぜかあまり学校では教えられません。敗戦後の自虐的教育が今日まで後を引いています。「君たちの先人は悪い人だった」「日本は、戦争をして、多くの国に迷惑をかけた」―――――私もすべてを否定しません。しかし、そういう教え方をされた子供たちがいったいどういう人間になるのか。私も学生時代に、一部の教師からそう教えられました。おかしいなと思うようなことがたくさんありました。素直な子供ほど、疑いもなく吸収してしまう。ですから、戦後の自虐的教育というのは、たいへんな罪だと思いますね。

■歴史教育に必要とされるもの

中山 自虐的教育、自虐史観については森田先生とまったく同感です。

今、日本で「歴史観」というと近代史しか取り上げられません。近代史のみで、戦争も大東亜戦争だけを取り上げて、それを基に「日本が悪い」という教え方をします。

しかし、だから日本が好戦的な国なのかというと、決してそんなことはありません。日本の長い歴史、例えば聖徳太子の時代、七世紀ごろから日清戦争までの間、日本が対外的にどれくらい戦争をしたかというと、たった二回、「白村江(はくすきのえ)の戦い」「朝鮮征伐」だけです。世界でも稀(まれ)な平和国家といえるでしょう。そういう長い歴史を見ずに、近代史の一部分だけを切り取って、「日本は悪い」と主張することは、非常に公平性を欠きます。

森田 本当にそうですね。「日本は、朝鮮を侵略しました。中国を侵略しました。中国に勝手に満洲国(まんしゅうこく)を建てました。そして戦争をして負けました。アジアの国々に謝りましょう」式に教わりますから。

中山 『紫禁城(しきんじょう)の黄昏』(祥伝社)という本があります。私が翻訳を担当し、渡部昇一(わたなべしょういち)先生(上智大学名誉教授)が監修した本です。これは重要な本で、東京裁判で却下されたくらい、連合国側にとって都合の悪い本だったのです。以前、岩波書店から出たものは、肝心なところが訳されていません。そのカットされた部分が最も面白い。

『紫禁城の黄昏』

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森田 その部分はどんな内容なのですか。どうしてカットされたのでしょうか。

中山 イデオロギー的な何かが働いたのだと思います。ともかく、現在の近代史では、満洲国というと日本の傀儡(かいらい)という捉え方をしていますし、中国は偽満洲などといって決してその存在を認めません。しかし、この『紫禁城の黄昏』を読むと、清朝のラストエンペラー溥儀(ふぎ)は、「満洲国を建てたかった」と言っていたことがわかります。溥儀は満洲民族です。漢民族とは違います。日本の援助で自分の民族の国を創(つく)りたい。溥儀が日本を頼りにしていたことは、クーデターで紫禁城から追放されたとき、日本公使の芳沢謙吉(よしざわけんきち)のところへ逃げ込んだことからも明らかです。

ですから、日本の共同謀議でも一方的な侵略でもなんでもないんですね。そういうことが、今の歴史観からはスパーンと抜けているんです。

歴史には、必ず光と影がある。ホリスティック(全体、つながり)に歴史を見る必要があるのに、一方的にイデオロギー的な教育をしてきた。それが非常に問題です。

森田 なるほど。今度、ぜひ読ませていただきます。
私は専門家でもありませんから、全体からもう少し引いた、第三者的に広く見た感じの考え方をするんです。

東京裁判史観的な見方、自虐的教育も含めて、よく日本が悪いと言われますね。そこで私は思うのですが、日本が戦争に勝っていたらどうなったのだろうと。戦犯と言われる人たちの扱いだって、負けたからこそ戦犯と言われるわけで、違ったものになったでしょう。

それと同時に、国家の指導的立場にあった人ではなく、その当時の国民たち、兵士たちは、みんな日本を潰(つぶ)そうとして戦ったわけではなく、日本の将来を案じて命をかけたのです。そして、負けました。

連合国側の人は勝った側ですから、いろいろと言うでしょう。しかし、身内である私たち日本人が、当時戦った人たちに対して「ありがとう」と言わずに、誰が彼らに「ありがとう」というのだろうか。身内が感謝、顕彰しないで誰がするのか。

こういうことを言うと、反論される方がいるかもしれませんが、どうか戦没された先人先輩には手を合わせていただきたい。これが私の率直な思いなのです。

中山 先ほど申し上げたとおり、歴史には必ず光と影があります。学校教育でどちらを先に見せたらよいかというと、まず光の部分です。人を教育するときに、「こういう悪い人がいました」という教え方はしません。ロールモデルといって、特定の「役割(ロール)」において手本とされる人を出して教育するのが本来の教育です。

日本がどれだけ世界に貢献し、世界から尊敬されているのか。よいところを教えて、そして大人になって判断力がついてから、反省すべき点を学べばよい。歴史教育はそのように段階的に行うべきです。

森田 悪いことばかりを教わって、自国に誇りを持て、と言ってもそれは無理です。センスのよい歴史教育が、今求められていると思います。


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■日本の歩む道 後編

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コメント
この記事へのコメント
>milestaさん
対談の続きも良いお話が続くので、楽しみにしていて下さい。

>諦観さん
お久しぶりです。森田健作さんは素晴らしい方ですよね。報道によると千葉県知事選に出馬される事が決まったようなので、是非とも当選してもらいたいです。
私の体調は今も優れないのですが、何とか頑張ってブログを続けていきたいと思っています。これからも宜しくお願いします。

>ハハサウルスさん
お気遣いありがとうございます。私の体調の方ですが、なかなか上向いてくれません。現在は薬の調整などをしているので、それがうまくいってくれればと思っています。
ハハサウルスさんの言われるように、道徳教育の復活は急務だと思います。しかし、日教組を支持母体に持つ民主党が政権を取れば、そうしたことが蔑ろにされるのは目に見えています。それだけはあってはならないと思います。
2009/02/05(木) 15:36 | URL | spiral(管理人) #l7AT0Hcg[ 編集]
当たり前のこと
ご無沙汰しております。その後お身体の具合は如何でしょうか?

以前、仕事先で担当していたお客さんがモラロジーの月刊の小冊子を下さったり、講演会のチケットを下さったりと、モラロジーの考え方に触れたことがあります。至極当たり前のことをわかり易く説いておられますよね。でも、その「当たり前」のことが忘れ去られ、価値観が(多様なのは当然のことですが)おかしな方向へ向かっている中、道徳教育を復活させる必要性があると感じています。それは家庭でも、学校でも同時に進めていくべきものなのでしょう。それを阻害しているもの、阻害しようとしているものの排除から始めなければなりませんが、民主党政権になったら、後退しそうで不安です。
2009/02/04(水) 16:43 | URL | ハハサウルス #-[ 編集]
お久しぶりです
 私の不勉強のせいで、森田健作さんがこのような素晴らしい愛国者であるとはつゆ知らなかったもんで、驚きでしたし、嬉しく思いました。
 今度、千葉県知事に立候補されると聞いていましたが、是非左寄りの現職を破って、大阪府の橋下知事のように大いに活躍してもらいたいものです。
 それにしても、お二人が話されているような当たり前の考え方がなぜ世の中の主流の考え方にならないのか、残念ではあります。
 日教組の自虐的な戦後教育と朝日新聞などの反日マスコミを何とかしないといけませんね。
 既存マスコミの自虐的反日偏向を正すべくネットから真実の声を届けてくれるspiralさんの益々のご活躍に期待いたします。
 お体のほう大切にしてください。 ご自愛のほどを。
2009/02/03(火) 15:13 | URL | 諦観 #S1ns27B6[ 編集]
お二人とも、わかりやすくあたりまえのことを仰っていますが、今の世の中ではこれがあたりまえでなくなっているというのがおかしいですね。
麗澤大学の付属中学は最近人気が高まっているようですが、もしかしたら道徳教育を重視する親御さんが増えたからかも?そうだといいですね。
対談の続き、楽しみにしています。
2009/02/02(月) 21:20 | URL | milesta #S4B2tY/g[ 編集]
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