『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
今回は、メルマガ「 国際派日本人の情報ファイル」よりチベットについて書かれたものを引用します。このメルマガは上・下二回に分けて送信されたもので、少し長いですが、是非読んで下さればと思います。

■ JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■

チベット・ホロコースト50年(上)~アデの悲しみ~


伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1417 ■ H20.03.21 ■ 9,610 部 ■

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チベットで暴動が起こっています。その背景を知りたい方のために、JOG(国際派日本人養成講座)123号「チベット ・ホロコースト50年(上)~アデの悲しみ~」を再発信させ ていただきます。(下)は次週月曜日に発信いたします。
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■1.「花の土地」に生まれたアデ■

アデは1932年、チベット東部、中国との国境に近いカム地方メトク・ユル(花の土地)にタポンツァン家の末娘として生まれた。

いまでも目を閉じれば、子どもの頃の日々が鮮やかによみがえる。はてしなく広がる空の下、花でいっぱいの野原を笑いながら走ったり、転げ回ったりしていた日々。[1,p24]

遊び疲れた遅い午後には、父のひざの上に座るのが大好 きだった。父はよくカワロティ山脈の峰のほうを見つめて いた。この山々の姿を見ると、父はしばしば乾杯のために杯をささげ、歌うのだった。・・・父はカワロティ(万年雪)とは、ヒマラヤの神で山の中に住み、私達が立っているこの土地もカワロティの領土なのだと教えてくれた。[1,p26]

この幸福な少女が、後に父も兄も、将来の夫も子供も、侵略 者に命を奪われ、さらに27年も牢獄で暮らすことになるとは、この時、誰が予想し得たであろう。

私たち子どもがいうことを聞かないとき、大人たちはよく中国人を持ち出して子どもたちをおびえさせた。大人たちはこういった。「いうことをきかないと、劉文輝将軍が来て連れてかれちゃうよ」[1,p31]

劉文輝将軍とは、1920年代に四川省のほとんどを制圧した軍閥で、チベットの国境地域を侵略し、残虐な行いでチベット人から恐れられていた存在だった。

しかし、実際にやってきたのは、もっと恐ろしい毛沢東の共産党軍だった。彼等は、日本の6.5倍もの広さを持つチベット全土を蹂躙し、山林を乱伐し、核廃棄物の捨て場とした。600万人のチベット人のうち、120万人の生命を奪い、さらに産児制限や中絶・不妊手術の強制を行った。今日では750万人もの中国人が移住した結果、チベット人はチベット本土でも少数民族にされてしまった。[3]
■2.中国人は我々からすべてを奪い去るつもりだ■

1948年の晩春、16歳になっていたアデは、3歳年上のサンドゥ・パチェンと結婚した。やさしく思いやりのある夫とその母親にアデは暖かく迎えられた。

しかし、その幸せは長くは続かなかった。1950年春には、中国共産党軍がアデの住むカンゼ地区にやってきた。この地方だけで、3万人の中国兵であふれかえった。中共軍はこう発表した。

私たちは、みなさんが一般の人々の生活を向上し、過去の過ちを正して、真の人民による政府を築き上げるのを助けるために来ました。・・・私たちの義務を遂行したら、私たちは自分の国に帰ります。[1,p71]

やがて占領軍は、貧しい子どもたちのために小学校を作り、中国共産党の講師たちが教え始めた。チベット人は彼等の偉大なる母国中国の少数民族であり、はるかに卓越した中国文化を学ぶべきだと教えた。

アデの父親は、地域の有力者として選ばれ、派遣団の一員として、中国視察に送られた。彼はそこで国民党員の囚人をあふれるほど載せて処刑場に向かうトラックを見て、中国共産党の正体を知った。

戻った父は、信頼できる友人を訪ねては、中国人は我々からすべてを奪い去るつもりだ、と語った。中共軍は父に「再教育を受けるように」と命じた。帰国時から健康のすぐれなかった父は、その時すでに病床に伏しており、中国兵に病院に連れて行かれた。

父ははじめは頑固に治療を拒否していたが、アデの兄たちのすすめに従って、薬を飲み始めた途端、見る間に体力が衰えて、亡くなってしまった。

■3.チベットから帝国主義侵略勢力を追放する■

1951年の始めに、ダライ・ラマ14世は、中国政府の要求により、チベット代表団を北京に送った。

この時、ダライ・ラマは弱冠16歳だったが、租税徴収の公正化を実現して国民を喜ばせるなど、意欲的な統治者ぶりを発揮し始めていた。しかし平和な宗教国家として、わずか8500人の国境警備隊しか持たないチベットは、中国の軍事圧力に屈するしかなかった。

チベット代表団は、17項目の協定案を最後通牒として提示され、従わない場合は、より以上の軍事行動を展開する、と脅迫された。ダライ・ラマの訓示を仰ぐことは禁ぜられ、中国側が偽造したチベット印璽で、調印することを強要された。

その第一条は、以下の文面であった。

チベット人民は団結して、チベットから帝国主義侵略勢力を追放すること。チベット人民は母国中華人民共和国の大家族に復帰すること。

これには、二重の虚偽が含まれている。第一に、この時、チベットにはいかなる外国勢力もなかったのであって、外国勢力といえば、チベットが1912年に最後に追い出した中国人兵力だけであった。[2,p100]

第二に、チベットが中国の一部であるという主張も、強引に史実をねじ曲げたものだった。チベットは、史実の伝わる1300年以上の歴史を通じて、かつて漢民族によって支配されたことはない。元と清の皇帝はラマ教(チベット仏教)に帰依し、チベットの宗主国の立場にあったが、前者はモンゴル民族であり、後者は満洲民族である。漢民族はそれらの帝国の植民地の一部であったにすぎない。[2,260]

協約の第2条は「チベットの地方政府は、人民解放軍がチベットに入って国防を強化するのを積極的に助けること」、第8条はチベット軍を中共軍に併合する事を規定し、第14条は、外交上のあらゆる権限をチベットから剥奪していた。

協定が調印されてからまもなく、聖都ラサにも、中共軍一万人規模の駐屯が始まった。

かれらは何一つ携帯しては来なかった。ことごとくわれらの貧弱な糧食源から供給をうけるつもりであった。穀物の価格が突如として約10倍にも高騰した。バターが9倍、一般穀物が2倍ないし3倍になった。ラサの民衆は飢餓の縁まで零落した。[2,p98-103]

■4.夫の急死■

1955年春、アデに長男チミ・ワンギャルが生まれた。しかし、この時には、夫サンドゥ・パチェンは、アデの兄たちや、姉の夫ペマ・ギャルツェンとともに、中共軍と戦う決意を固めていた。

翌56年の早春には、多くの地域で戦闘が始まっていた。サンドゥは、アデと幼いチミを、ラサにいる裕福な親戚のもとに避難させる事にした。

出発に先立ち、地域の人を集めて送別の宴を開いた。ところが、サンデュが出された肉を食べた途端、胃をかきむしり、叫びながら地面に倒れた。アデは彼のもとに駆け寄った。何人かの人々が村医者を呼びにいった。しかし、サンデュは医者が来る前に、あっけなく死んでしまった。彼の皿に毒が入れられる所を見た人はいなかったが、中国側のしわざと誰もが思った。

多くの友達や家族が、遺体の周りに立って泣いた。すべてが一瞬の出来事だったので、アデは呆然とするばかりだったが、目から涙がこぼれだした時には、気を失って倒れた。この時、息子のチミは1歳、アデは次の子どもを宿していた。

アデに実の母親のようにやさしくしてくれた姑のマ・サムプテンは絶望状態に陥り、息子の死の衝撃から立ち直れずに、半年後に亡くなった。アデは息子とともに、実家に戻った。
 
■5.「民主改革」始まる■

56年春にはカンゼ地区での「民主改革」が始まった。僧院の所有地が没収され、僧たちは農耕を強制された。耕作はミミズや虫などの小さな生き物の命を奪うために、僧たちには許されていなかった。このチベット仏教の教えを否定するために、僧たちは蠅や鳥などを殺すノルマを与えられた。

人民裁判がさかんに開かれ、子どもたちは両親を、使用人は雇い主を、僧院の農民は僧たちを告発するよう要求された。アデは、自分の家族と親しくしてきた僧が、四つん這いにさせられ、中国人の女性兵士から顔に小便をかけられるのを見た。群衆は、自分たちの僧が辱められるのを見て、泣いた。

民衆はすべての貴重品を提供するよう要求された。アデの指輪、腕輪、伝統的な装飾品、そして上等の服まで没収され、古いすり切れた洋服だけが残された。中国兵たちは、仏壇から仏像を持ち出し、「仏像を撃ったら、極楽に上がっていくかどうかを見てみよう」と言って、射撃の的にした。

貴重品を隠そうとする人々には、容赦ない拷問が加えられた。後ろ手に、両手の親指だけを縛られて、吊り下げられた。この方法では、あまりに多くの人が死んでしまうため、後には、竹串を指と爪の間に差し込む方法に変えられた。

■6.アデの逮捕■

カンゼ地区の男たちは、森に潜伏して、中共軍にゲリラ戦を挑んだ。アデは5~60人の女性とともに、密かに中国側の動きを伝え、食料を供給する役を果たした。抵抗組織のリーダーの一人は、義兄のペマ・ギャルツェンだった。

各地の抵抗組織は、中共軍の駐屯地を攻撃し、多大の損害を与えた。しかし中共軍は、飛行機による爆撃や、数万人規模の兵力を投入して反撃した。チベット亡命政府の発表では、戦闘による犠牲者は43万人に上るとされている。[3,p102]

ペマ・ギャルツェンも、カンゼ地方の中国人行政官を夜襲し、高級将校二人とともに、殺害した。この成功の知らせはチベット中の人々の望みを高まらせた。

しかし、この事件で、アデの兄オチョエを含む地区の行政委員が告発され、処刑されると発表された。ギャルツェンは、オチョエを救うべく、仲間とともに山を下り、投降した。

ギャルツェンの仲間の一人が、拷問の末、支援者としてアデの名を漏らし、早朝6人の中国兵がアデを逮捕しに来た。アデが子どもたちをおいてはいけないと抵抗すると、彼らはアデを殴ったり、蹴ったりして、ロープで縛った。泣き叫ぶ息子のチミがアデにまとわりつくと、中国兵は押し返して、ブーツで蹴り上げた。なおも抵抗するアデを家の外まで引きずり出した。

■7.我々は、お前を一生苦しめたいのだ■

アデに仲間の名前を白状させようと、中国兵たちは拷問を続けた。両手を頭の上にあげて、二つの鋭い三角形の木の上にひざまづくよう強要された。腕を下げると、ライフルの柄でひじをなぐられた。またある時は、極細の竹棒を人差し指の竹の間に、第一関節まで少しづつ突き刺していった。

獄中では、何ヶ月も手錠をかけられたままだったので、両手とも手のひらまで腫れ上がった。監獄の仲間たちは、そんなアデの食事や用足しを助けてくれた。それでもアデは仲間の名前を白状しなかった。

ある朝、アデは車で軍司令部の近くの平原に連れて行かれた。膨大な数の群衆が集まっていた。横20センチ、縦10センチほどの板が首にかけられた。

そこに義兄のペマ・ギャルツエンが、同じように首に板をかけられた姿で、連れてこられた。アデとペマは向かい合ってひざまづかされた。ペマは両手を後ろにきつく縛られ、のどにもロープを巻きつけられて、ろくに話すこともできない状態だった。それでも、殴られて赤く腫れあがった顔で、アデにほほえみかけた。拡声器から声が流れた。

本日、我々はペマ・ギャルツェンの処刑を行う。アデ・タポンツァンは、残りの人生を通して苦しませるという判決が下った。本日、彼女には16年の「労働による矯正」が宣告された。

二人は立ち上がるよう命ぜられた。アデは「さあ、早く三宝(仏法僧)に祈りを捧げるのよ」と言った。ペマはうなづいた。後ろから2発の銃声が聞こえ、ペマはアデの前に倒れた。脳の破片と血液がアデの服の上に飛び散った。

アデは中国兵に、自分も殺してくれ、と頼んだ。

だめだ。もしお前を殺しても、いま目の前にいるペマ・ギャルツェンと同じだ。一瞬で終わってしまう。我々は、お前を一生苦しめたいのだ。もう誰が勝ったかわかっているな。

拡声器は、「自分たちのいうことを聞けば、幸せな生活が待っている。さもなければ、ペマ・ギャルツェンと同じ運命が待っている」と群衆に叫び続けた。

1959年晩冬の日だった。この日からアデは各地の収容所を転々とし、強制労働に耐えつつ、持ち前の強い気力で餓死や病死をまぬがれた。釈放されたのは、26年後、1985年のチベット正月であった。

■リンク■
a. 109 中国の失われた20年(上)~2千万人餓死への「大躍進」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog109.html
b. 110 中国の失われた20年(下)~憎悪と破壊の「文化大革命」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog110.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. ★★★「チベットの女戦士 アデ」、アデ・タポンツァン、
  総合法令、H11.5
2. ★★「この悲劇の国 わがチベット」、ダライ・ラマ、
  創洋社、S54
3. ★「チベット入門」、チベット亡命政府情報・国際関係省、
  鳥影社、S11.5
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■人間の「闇の部分」を剥き出しにさせる共産主義思想
                   佐々木さん(富山)より

 共産党軍の非道ぶりの根本は、第一にはやはり共産主義思想に
あると思います。どんな人間にも「闇の部分」はありますが、共
産主義思想はこの「闇の部分」を剥き出しにさせる、という点か
らも、まさしく「悪魔の思想」といえるのではないかと思うので
す。JOG123号で印象に残った部分はたくさんありますが、中でも、

>  アデの父親は、地域の有力者として選ばれ、派遣団の一
> 員として、中国視察に送られた。彼はそこで国民党員の囚
> 人をあふれるほど載せて処刑場に向かうトラックを見て、
> 中国共産党の正体を知った。

 という部分が特に印象的でした。この光景を見た時の、アデさ
んのお父さんの戦慄は想像を絶するものがあると思います。同じ
漢民族に対してすら、考え方が違う、というだけの理由でこれほ
どの仕打ちをする共産党が、まして異民族に対しては、と考えた
時はまさしく「背筋が凍った」のではないでしょうか。

■ 編集長・伊勢雅臣より

 憎悪と嫉妬を階級闘争理論で正当化し、それを政治的エネルギ
ーとして噴出させる所に、共産主義が人間的良心をマヒさせるメ
カニズムがあるのでしょう。アデさんの獄中での次の言葉は印象
的です。

 私が共産主義思想への賞賛をずっと拒否し続ける姿は、彼
ら(JOG注:共産党の権力を笠に着る看守たち)自身の人間
としての弱さを何度も思い出させることになった。[1,p244]

 アデさんやダライ・ラマ法王の戦いは、まさに人間の尊厳をか
けたものです。


■ JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■

The Globe Now: チベット・ホロコースト50年(下)
~ダライ・ラマ法王の祈り~
アデは27年間、収容所に入れられ、
故郷の文化も自然も収奪された。
■転送歓迎■ No.1418 ■ H20.03.24 ■ 9,631 部 ■

■1.法王の脱出■

1959年3月10日、数万の群衆がダライ・ラマ法王のいるノルブリンカ宮殿を包囲した。その日、法王は中共軍司令部での演劇に招待されていた。しかも中共側は法王が護衛なしで来ることを要求していたのである。今まで東部チベットで、高僧が中共軍司令官からパーティに招待され、殺害、あるいは、投獄されるケースが4回もあった。群衆は、法王を中共軍の手に渡すまいと決意していた。

法王は中共軍司令部に大臣を派遣して、訪問に反対する「民衆の熱意があまりにも強固なので、断念せざるを得ない」と告げた。中共軍の将軍たちは激高して叫んだ。

いままではわが政府も我慢づよかった。しかし今度の事件は叛乱である。これが決裂点である。われわれは今こそ行動にでるであろう。だから覚悟しろ。

群衆は、何日経っても、宮殿のそばから離れなかった。3月17日、中共軍陣地から発砲された重臼砲の砲弾2発が宮殿の近くに落ちた。法王はこのまま宮殿にいれば、中共軍と群衆の対立がいや増すだけだと考え、国外脱出の決意を固めた。群衆の指導者の協力も得て、法王は一兵卒に変装し、その夜、ひそかに宮殿を脱出した。[2,p127-169]

■2.中共軍「反乱を鎮圧」■

法王の脱出に気がつかなかった中共軍は、3月19日午後2時から、宮殿に向け、一斉に砲撃を開始した。集中砲火は41時間続けられ、宮殿はハチの巣のようになった。3日間で、1万から1万5千人のチベット人が殺された。宮殿の内外は死体で埋め尽くされ、中共軍は法王の死体を探し回った。

中共軍は、さらに「反乱を鎮圧」するために、チベット全土に戒厳令を敷き、23日までにラサだけで4000人を逮捕した。[4,p136] 中共軍の内部資料によると、10月までに、ラサおよびその周辺地域で8万7千人のチベット人を殺害したという。[3,p89]

3月28日には、中国国務院が周恩来首相の名で、チベット政府の解散と、その職権を「チベット自治区準備委員会」に移すことを発表した。そしてダライ・ラマ法王が「拉致」されている間、パンチョン・ラマを準備委員会主任代行に任命した。[4,p136]

パンチョン・ラマは、ダライ・ラマ法王を助けるために、チベットに現れたと信ぜられ、法王に次ぐ宗教的権威を認められてきたが、世俗的権力はなかった。このパンチョン・ラマも、中国の傀儡にはならず、89年には「チベットは中国から得たものよりも、失ったものの方が大きい」という歴史的な声明を発表し、そのわずか4日後、謎めいた不慮の死を遂げた。[4,p161],[3,p214]

■3.ヒマラヤ超え■

世界中の新聞が、ダライ・ラマ法王のラサ脱出を一面で報じ、その安否を気遣っている間、法王の一行約100人は、200名の兵士、ゲリラ兵に守られて、徒歩でラサから道もない広大な山岳地帯を南南東に進み、ヒマラヤの主幹をなす連峰を横断して、インドへ向かっていた。

国境に近づけば近づくほど、旅は、よりいっそう難渋をきわめた。そうして、つづく二,三日というもの、大吹雪、雪に反射するぎらぎらする光、それから滝のようにおちる激しい雨などの異常な連続によって、わたくしたちは悩まされた。・・・

非常に寒かった。指や手は感覚を失った。そして眉毛が凍りついた。・・・こうした旅のあいだに、口ひげの伸びた人々もかなりあったが、その人々の口ひげには、氷がいっぱいついた。

それでもわたくしたちは、別に着替えを持っていなかったから、暖を保つ唯一の方法としては、ただ歩くことだけであった。[2,p193]

途中の村で、中国側がチベット政府を解散させたというニュースを聞き、法王は同行していた人々で臨時政府を作り、その宣言のコピーをチベット全土に送った。

法王の一行が、正式な許可を得て、インドに入国すると、町や村では、心からの親切な歓迎をした。ネール首相も、電報で歓迎と、無事の到着を喜ぶメッセージを送ってきた。さらに全世界からの百人を超す新聞記者やカメラマンが待ちかまえていた。[2,p200]

法王の亡命後、数ヶ月のうちに、およそ8万人のチベット人が、同様に困難な国境越えをして、逃れてきた。途中で行き倒れになった人数は数知れない。[3,p88]

■4.アデの悲しみ■

アデは16年の刑期が終わっても、釈放されなかった。常に囚人の先頭にたって、中国人看守たちに反抗したからである。厳しい生活環境、過酷な強制労働、そして看守達の懲罰を、アデは耐え抜いた。1960年にゴタン・ギャルドの収容所に一緒に移った百人の女囚のうち、3年後に生き残っていたのはアデを含め、わずか4人であった。

21年目の1979年、アデは生まれ故郷への15日間の旅を許された。バスが故郷のカンゼ停留所に着くと、通りにたくさんの中国人がいることに驚かされた。標識はすべて中国語で書かれていた。実家の家も、土地も家財道具も、すべてが没収されていた。

森や丘を眺めるだけでも、丘が文字通り不毛の地になるまで、薬草や花がやみくもに採取されていることがわかった。私はその荒廃ぶりに圧倒された。生命あるものに対して、これほど完璧に敬意の念が欠けているということは、いったいどういうことなのか理解できなかった。[1,p276]

私の若いころにはとても活気に満ちていた、カルナン僧院、カンゼ・デイツァル僧院、デ・ゴンボ僧院は完全に破壊され、略奪されていた。カンゼ・デイツァル僧院が以前建っていたところには、野生の灌木が生い茂っていた。[1,p273]

アデの母と兄の一人は、飢饉で餓死していた。二人の兄は人民裁判で暴行され殺された。最愛の姉ブモは、ゲリラのリーダーだった夫ペマ・ギャルツェンの処刑後、発狂して死んだ。

息子のチミはアデが連行されてから、狂ったようになり、母親の名前を呼びながら、泣き叫ぶばかりで、そうしているうちに、川に落ちて死んでしまったという。

アデが逮捕された時、生まれたばかりだった娘タシ・カンドは、アデの幼なじみのツォラが育ててくれていた。アデは22歳になっていた娘を初めて見た。娘は近く結婚する事になっており、アデは幸せな生活を送って欲しいと、自分の悲惨な過去についてはあまり話さなかった。

私は悲しみでいっぱいになりながら、ワ・ダ・ドゥイ(収容所)に戻る準備を始めた。またバスに乗り、カンゼを通り過ぎるとき私が考えていたのは、「もう何も残っていない」ということだけだった。苦痛、別離、そして失ってしまった21年間がすべて心の中にこみあげてくるような気がした。それは本当に耐え難いものだった。そして、いまの私には何も残されていなかった。[1,p281]

アデが釈放されたのは、逮捕から27年目の1985年だった。アデはその後、インドに脱出し、ダライ・ラマ法王がチベット亡命政府を組織しているダラムサラに住むようになった。

■5.収奪された国土■

第二次大戦後、アジアやアフリカの民族が次々と独立していく中で、チベット民族はこうして、唯一、植民地に転落した。

チベットは、ヨーロッパ共同体に匹敵する広大な領土を持っていたが、その東部は分割されて、四川省、雲南省、甘粛省などに編入された。北部のアムド地区は青海省とされた。たとえば、アデの生まれ育ったカンゼ地区は、四川省甘孜(カンゼ)チベット族自治州とされている。細かく分割して、周囲の省の少数民族とされたのである。残るチベット自治区の面積は、約半分にすぎない。[3,p83]

1949年当時のチベットの森林面積は22万平方kmであったが、中共軍による乱伐で、1985年には13.4万平方kmとほぼ半減した。中共軍は旧国民党系の囚人や、チベット人を使って、原始林へのアクセス道路を切り開き、伐採した木材を中国本土に送っている。

チベットは、インドや東南アジアを望む戦略的地域である。中国はここに90基の核弾頭を配備している。アムド地区の中国西北核兵器研究所は、その核廃棄物をきわめてずさんな方法でチベット高原に廃棄したと伝えられている。[3,p170-179]

■6.生活と文化の破壊■

チベット亡命政府は、1949年から79年の30年間に死亡したチベット人は、120万人をくだらないと発表している。その内訳は、拷問17万3千人、死刑15万7千人、戦闘43万3千人、飢餓34万3千人、自殺9千人、傷害致死9万3千人である。侵略以前のチベット人口が600万人なので、5人に一人が殺された事になる。チベット人の家庭で、家族が一人も投獄、殺害されていない家を見つけるのは難しい。[3,p99-10]

仏教国家チベットには、6,259もの僧院、尼僧院があったのが、1976年に残っていたのは、わずか8つに過ぎない。仏像や装飾品などは、ことごとく中国本土に持ち去られた。59万人いた僧、尼僧などのうち、11万人強が拷問死し、25万人以上が還俗を強制された。[3,p146-149]

僧院に付随して学校があったのだが、それらも一緒に破壊された。チベットの12歳以上の文盲率は、中国側の発表でも、74.8%であり、中国本土の31.9%の2倍以上となっている。[3,p132]

中国政府は、産児制限や、中絶・不妊手術により、チベット人の人口抑制を図っている。その一方で、中国人の移住を数々の優遇策によって奨励した。その結果、チベット人口600万人に対して、チベット全土に住む中国人は750万人と見積もられている。[3,p166]

チベットは、中国の過剰な人口の捌け口とされ、チベット人は自らの国土においても、少数・劣等民族とされてしまったのである。

■7.ダライ・ラマ法王の祈り■

ダライ・ラマ法王の働きかけで、国連総会は1959年、61年、65年の三度、「チベット人民の基本的人権と、その独特の文化的ならびに宗教的生活を、尊敬することを要求する」と決議している。

近年、多くの国の議会がチベットの人権を尊重するよう中国政府に求める決議を行ってきた。たとえば欧州議会(1987-90,4回)、旧西ドイツ(1987)、イタリア(1989)、オーストラリア(1990,1991)など。アメリカの上下院は10回以上の決議を行っている。[3,p114]

1989年には、ノーベル平和賞が法王に授与された。ノルウェーのオスロ大学での受賞記念講演では、法王は「平和は私達一人一人の内から始まります。内的な平和があれば、周囲の人々とも平和を分かち合うことができます。」との信念を披瀝し、「非暴力による平和の追求」が世界の一大潮流になっていることを指摘した。

89年6月の第2次天安門事件において、「中国で同じような変化をもたらそうとした勇気ある人々の努力は、・・・暴力でうち砕かれてしまいました。」しかし中国の若者達が「権力は銃口から生まれる」と教えられ続けて来たにも拘わらず、非暴力を選んだことを、法王は高く評価した。

チベット高原全体を、人間と自然が調和して、自由に平和に暮らして行ける保護区にしようというのが、私の夢です。世界中の人々が、世界各地の緊張や圧力から逃れ、自分自身の内にある平和の真の意味を探し求める地区としたいのです。

として、チベットの非武装、非核化、自然保護、そして国際人権保護機関の設置を提案した。法王は演説を次の祈りで締めくくった。

世界に苦しみがあり、
生き物が残っている限りは、
私も、残ります。
世界の苦難を消すために

ダライ・ラマ14世の肉体は滅びても、その魂は15世として、この世に戻ってくる。世界の苦難を消すために。チベット仏教の輪廻転生信仰は、世代を越えて受け継がれる人類の「内なる平和への意志」の象徴とも言えよう。

■リンク■
a. JOG(009) 米中の人権論争
 中国が抱える火種は南のチベットだけではない。西のウイグル、
北のモンゴル、そして東の北朝鮮との国境沿いの朝鮮族と、全方
位で異民族の土地を占拠している。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog009.htm

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

■どうして世界各国はチベット問題に積極的ではないのか?
                      ちかりんさんより

 チベットの記事よみました。中国人のあまりの傍若無人振りに
ただただびっくりしました。チベットのことはもっと世界でも映
像などをつかってアピールしていくべきだと思います。もともと
独立国なのに、武力で制圧するなんて許せません。

 ずっと昔に日本人の僧侶がチベットへいったときの本を読んだ
記憶かあり、なぜか昔から興味がありました。どうしてヨーロッ
パやアメリカはもっとチベット問題に積極的に出ないんでしょう
か?日本も然りです、、とくに日本にはもっと厳しい姿勢で発言
してほしいと思います。日本は中国に弱すぎると思います。

■ダライ・ラマの平和への祈りに感動
           高橋さん(群馬県在住、28歳、男)より

 124号を読み終えて、私は涙があふれてしまいました。何より、
ダライ・ラマの平和への祈りに感動したのですが、アデさんに象
徴されるチベット人民の悲惨な過去、中共思想の裏にある、人間
の弱さ。そして、自分は、何とものを知らなかったのだろうとい
う反省。

 日本で平和に暮らしていることの有難さ・危うさを痛感しまし
た。とにかく何か勉強せねば、行動せねば、と焦ってしまうので
すが、まずはJOGバックナンバーを読ませていただきたいと思
います。

■編集長・伊勢雅臣より

 中国のチベット侵略には、3つの特徴があります。20世紀後
半で唯一、かつ現在進行形の侵略であること。国連常任理事国自
体が侵略行為をしているので、国連は手も足もでない事。そして
ダライ・ラマの崇高な姿勢です。我が国が日本国憲法に明記して
いるように本当に平和と人権を追求するなら、まずダライ・ラマ
法王を支援すべきでしょう。現在の中国に黙って経済支援を続け
ることは、平和と人権を蹂躙する侵略行為を黙認している事にな
ります。

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チベットの悲劇は、他人事ではありません。日本も中国と国境を接しており、中国の毒牙は日本へも向けられています。事実日本固有の領土である尖閣諸島の領有を主張し、ガス田の開発を始めています。また、首相の靖国参拝に反対するなど、内政干渉も行っています。さらには所謂「南京大虐殺」など、ありもしない事をでっち上げて日本を貶めようとしています。
毒ギョーザ事件においても、自国の非を認めるどころか、日本側に責任があるかのようなことを主張しています。何より核ミサイルを所有し、その照準は日本にも向けられていることも忘れてはなりません。日本のマスコミは、北朝鮮の核のことは報道しても、何故か中国の核については触れませんが、チベットを力ずくで侵略し、植民地支配をし、さらに日本へもその毒牙を向けている国、中国が核を持っていることの危険性こそ、取り上げるべきだと思います。

最後に、宮崎正弘氏のメルマガでも関連のことが取り上げられていたので、引用して終わります。

■「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成20年(2008年)  3月31日(月曜日) 
弐通巻第2138号    

■やはりチベット仏教僧侶が暴動を起こしたのではなかった   
人民軍兵士が自作自演、弾圧の根拠として武力行使の正当性に使った

中国のラマ僧「暴動」工作 チベット僧になりすまそうとする中国警官の写真がイギリスのメディアに暴露された。
http://buddhism.kalachakranet.org/chinese-orchestrating-riots-tibet.htm  

■ミア・ファローら「ダルフールの夢」グループが世界一斉に北京五輪ボイコット運動へ  北京五輪は「虐殺競技会」とコカコーラ、GMなど広告主企業への大規模な圧力

日産はCMにリチャード・ギアをつかった新車広告の取りやめをはかった。 ギアはダライラマ法王を尊敬し、青蔵鉄道を「侵略鉄道」を非難したハリウッドの俳優。 世界の流れとは逆で日産は、チベット独立を支持する世界的俳優を広告につかって中国からしかられるのが怖い由。なんとも、度し難いほど臆病な企業である。  一方、米国のコカコーラ、マイクロソフト、GM、ドイツのボルクスワーゲンなどは北京五輪のスポンサーを維持するか、おりるかを真剣に検討し始めている。北京五輪=虐殺競技会に手を貸した悪企業として、消費者のボイコット運動を逆に恐れているからでもある。 「またミア・ファローらは虐殺が凄まじいスーダンのダルフール現地へでかけて「ダルフールの夢」という新しい運動体を組織し、世界世論に訴え、新しい形式を近く行動に移すとしている」(ヘラルド・トリビューン、3月30日付け)。  

△「北京五輪にNOを!」 緊急国民集会 4月10日豊島公会堂(午後六時)詳しくは下記へ
http://miyazaki.xii.jp/sina/index.html


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この記事へのコメント
今日のチベットが明日の日本です
中共はすでに1950年からチベットに対して侵略を続けていたんですね。
侵略国家は中華人民共和国 侵略者は中国共産党
この記事を読み、今まで日本にしてきたことを考え合わせると、中共は悪の枢軸どころか
悪の権化です。そしてチベットのことを自分のことでないと看過すればこのチベットの惨状がじきに
日本のことになるでしょう。
背筋が凍り付くほどの危機感を覚えます。
大企業は今儲けるだけでいいんですか? 日本国民はバカではないんですよ。
何より自分の家族親戚がかわいくないのですか?中共をこれ以上肥え太らせて我々を呑み込んで食いちぎってくれと言うのでしょうか?
こんな恐ろしい国にオリンピックをする資格はない。国民は、チベットを救え中共は各地方における侵略を直ちにやめよと抗議しない者達のことを、冷静に見ていますよ。マスコミ、識者、企業、政治家、スポーツ選手それぞれを。
そして一人一人の国民が心底共産主義の恐ろしさに目覚め、中共の暴走を牽制する毅然たる行動をとらなければ明日は我が身です。
2008/04/01(火) 00:09 | URL | さくらこ #-[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008/03/31(月) 16:31 | | #[ 編集]
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