『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
今回は、沖縄での集団自決の教科書記述を廻る問題で、実際に沖縄へ取材に行かれた多久善郎氏(日本協議会理事長)のレポートを引用します。沖縄の現状がよく分かるレポートです。


日本会議10周年大会の時にお話しました沖縄教科書問題の事で、9月中順に沖縄に行った報告(『祖国と青年』10月号原稿)と9月28日から10月2日まで沖縄に行き9・29集会の視察、渡嘉敷・座間味訪問の報告をお送りします。

  【連載】
「日本の誇り」復活
―その戦ひと精神(二十五)
日本協議会 理事長 多久善郎

■沖縄に荒れ狂ふ「全体主義」の亡霊
検定基準「沖縄条項」を目論む左翼勢力

沖縄では今、全体主義が吹き荒れてゐる。集団自決を廻る教科書検定に対し、県知事・県議会・市町村を挙げて「検定撤回」要求が行はれてゐるのだ。九月二十九日には、5万名を集めての県民集会を開催し、政府に検定撤回を迫るといふ。沖縄戦初めの渡嘉敷島・座間味島への米軍上陸時に、島の住民が集団自決するといふ悲劇が生じた。その自決は軍に強要されたものであるとして、「反軍反日」思想の根拠にこの事件は取り上げられて来た。だが、本誌八月号で紹介された様に、軍命令は存在せず、当事者による「沖縄集団自決冤罪訴訟」迄起こつて真実は明らかになりつつある。かくて、文部科学省の検定意見にも「軍命令」の文言の修正が反映された。ところが、沖縄県民「挙げての」検定撤回要求といふ摩訶不思議な政治圧力が意図的に形成されつつある。
私は、九月十四日から十六日にかけて日本会議全国縦断キャラバンで沖縄を訪問した際、その実態を知るべく様々な方とお会ひしてお話を伺つた。神社関係の方々は冷静に事態を見てをられ「論点がすりかへられてマスコミが連日騒いで正論が通らない、どうしやうもない」とお手上げの状況だつた。「慰安婦」問題と同じで、「軍命令」が立証できないので、「軍の関与がなかつたはずが無い」と論点をすり替へてゐるのだ。自民党の県議の方々ともお会ひしたが、本音では検定には異論なく集会への強制参加には疑問を持たれてゐた。しかし、参加せざるを得ない状況に追い込まれてゐる。当初は県知事も自民党もこの県民集会には中立を保つてゐたのが、連日マスコミが煽り、極左の連中から家族や後援会長等にまで圧力がかかり、「反対出来ない」状況が作られて行つたといふ。参議院選挙を控え「マスコミを敵に回せない」状況で、県議会も「撤回決議」を上げざるを得なかつたさうだ。更に参議院選挙敗北の後は、「安倍政権による歴史歪曲反対」の声が尚一層強くなり、その流れに乗つて、県知事が県庁職員に、教育長が校長に、市町村長が役場職員に、県及び市議会議長が議員に「集会参加」を呼びかけるといふ公権力による思想強要が生気してゐる。「バスに乗り遅れるな」で自治体・団体全てが集会参加を呼びかける状況だ。バス会社に対して迄、当日の集会場への運賃は無料にすべきだと要請してゐる。当に「翼賛体制」「ファシズム」状況が生れてゐる。明らかにこの状況を戦略的に作り上げて来てゐる左翼のプロ集団が存在する。公的機関を脅し上げて反対意見を封殺し、賛同させて動かざるを得ない状況を作り上げるのは左翼の常套手段である。集会事務局は県議会に置かれてゐるが、県議は寄り付かず、左翼活動家のなすがままだといふ。又、県知事には、普天間基地移設問題での政府との取り引きカードにしたいとの思惑もあるやうだ。

沖縄では、新聞の「沖縄タイムズ」と「琉球新報」がそれぞれ20万部を発行してをり、本土紙は沖縄で印刷されず直送の為、部数的には圧倒的に少ない。新聞二社は、連日「新証言」などと言つて集団自決や沖縄戦の悲惨さを扇情的に訴え、その最後に「この事実が検定によつて抹殺されやうとしてゐる」と結び、集会参加を訴えてゐる。「集団自決軍命令説」の発端は昭和二十四年に沖縄タイムズが出版した『鉄の暴風』にある。米占領下に出されたこの書物は、わづか四ケ月の取材で、日本軍の悪を暴く事を目的として書かれた。その虚構性は曽野綾子氏の著書や当時の体験者の証言で明らかになつてゐるにも拘らず、今回沖縄タイムズが火付け役となつて問題が再燃した。地元の人によると、沖縄タイムズ幹部のの極左が、今回の煽動の中心で、それに琉球新報の幹部も同調してゐると言ふ。沖縄タイムズにとつては、負ければマスコミとしての権威失墜となる為、社運を賭けてキャンペーンを張つてゐるやうだ。内地は昭和27年に主権を回復したが、沖縄は昭和47年までアメリカの治世下にあつた訳だから、江藤淳氏の指摘した「閉ざされた言語空間」は実に27年間も沖縄を支配した。米占領検閲下に生み出された反日イデオロギーを「沖縄の心」として、内地に対する「特殊性」を主張してゐる所に沖縄の悲劇を感じる。

九月十六日の沖縄タイムズには、県の代表が文部科学省に撤回署名を持つて行つた記事が掲載されてゐたが、その中で、同伴した民主党代議士が文部科学省の検定基準の中に「沖縄条項」を入れさせねばならない、と主張してゐた。左翼が火を着けて中国や韓国の圧力で設けられた「近隣諸国条項」の「沖縄版」を再現しやうとしてゐるのだ。その為に「沖縄県民全てが怒つてゐる」といふ形を示すために県議会・全市町村議会で撤回要求の意見書を採択し、この県民集会を官民上げて盛大に成功させやうと仕掛けてゐる。戦略的に生み出されてゐる「沖縄県民の総意」の欺瞞を明らかにせねばならない。「沖縄条項」が出来たら沖縄は日本では無く、中国韓国と同じようになつてしまふ。内地から追い出された左翼勢力が、沖縄を「反戦平和」の最後の砦として「聖域」化して、内地に対して反転攻勢に出やうとしてゐる。既に、長崎で行はれた九州県議会議長会で、沖縄県議会議長が「撤回決議」を提案して却下されてゐる。都道府県議会や市町村議会への働きかけも始まり、議決した議会も既に出てゐる。

沖縄の街中には、九月二十九日の集会のポスターもステッカーも無く、町は平穏そのものだつた。ところが、新聞だけは毎日毎日大々的に集会キャンペーンを繰り広げていた。十六日の琉球新報には、内地の識者として野中広務のインタヴューが大きく掲載され、更には沖縄の政党代表(8党)の座談会が掲載されて、全党一致して集会の成功を誓ふと書かれてゐた。米兵による少女暴行殺害事件の時には普天間に八万名が集まつて抗議集会を行つたといふ。現実に起こつた事件なら理解できるが、歴史問題、しかも歴史的虚報に基づく問題で果たしてどれ位集まるのか疑問だ。私は、再度沖縄に身を運んで真実を見極めたいと思つてゐる。
                                          

                            
■沖縄訪問報告(平成19年9月28日~10月2日)

日本協議会 理事長 多久善郎

1、県民集会(9月29日)
①会場の広さと参加者数
開会2時間前に会場に行き、集会場の大体の広さを足で実測した。横が179歩、縦が通路を挟んで後ろが60歩・前が62歩だった。私の一歩は大体60cmなので、横が107.4m、縦が36mと37.2m。総面積は7861.68㎡。集会は座って聞いていたので、1㎡に2人がせいぜい。私の周りでは左側と前にスペースがあった。会場内では日傘を射している人が居て、それが視覚を遮るために空きスペースが出来た。大会の途中で20人くらいの実行委員がカンパ袋を持って会場内をくまなく歩いてカンパを集めて回っていた(678万9736円集まったとアナウンスしていた)ので、彼らが歩き回れる位の空きスペースがあった。そこで、この区域の参加者数は1万5千人位である。但し、私が実測したのは集会で座るために割り当てられた区域、その周辺にも人は居たので、少しは増える。せいぜい2万名ではないのか。
会場舞台裏側の体育館のバルコニーから警察らしき人二人が会場を展望していたので、警察は人数を把握しているはず。数日後、県警関係者に話しを聞いたが、警察発表は左翼が「根拠を示せ」と抗議してくるので出していないとの事。会場の広さや空きスペースから考えて2万から3万の間だろうと言っていた。
幸い(?)「琉球新報」が翌日の朝刊に会場全景を2面に亙る大きな写真で掲載していたので、それを20部注文した。大学生にお願いして実際の数を数えてもらおうと考えている。尚、この証拠写真が欲しい人は、(0120)395069に電話して9月30日の朝刊を送って欲しいといえば、振替用紙同封で送ってくれる(1部100円)。
虚構の数字を元に「沖縄県民の総意」と称して文部科学省に政治圧力をかけているので、数字の実態を明らかにすることが極めて重要。

②動員の実態
  連日、琉球新報と沖縄タイムズが1面を始め特集を組んで煽って参加を呼びかけていた。27日には無料バス券(片道)まで印刷されていた。団体や役場など貸し切りバスが3箇所の駐車場を埋めていた(バスの数を数えなかった事が悔やまれる)。
  会場の後ろ半分は労組の動員、後ろの真ん中当りには公明党の旗が多数立てられていた。普天間地区では自治会も動員を呼びかけているらしく、歩いて帰っている人も多数居た。野球部の高校生がスクールバスで来ていた。県外からも日教組などが動員していた。青森の日教組が一人で参加していた。

③集まった雑多な団体
  会場では、「琉球独立」を訴える大きな旗を持って歩き回る人や、革マル派なども公然とビラを配り革命を訴えていた。琉球大自治会が4人で情宣をしていた。参加者に配られるチラシは極左のものが殆どで、集会を左翼が如何に利用せんとしているかが伺われた。警察情報によると、革マル派が十数名、中核派も来ており翌日の中核派機関紙「前進」に大会の様子が掲載されたとの事。

④発表者および反応について
  仲井間知事の挨拶は原稿の棒読みでいやいやながら登壇させられている感じを受けた。実際、発表後は退席していた。それ以外は、完全なアジ演説であり、情念に訴えかけるものだった。だが、演説の途中で合いの手が入り、拍手が何度も巻き起こるという事は殆ど無かった。発表者は感情に訴えかけて演説を終えるので、演説終了後は全体から拍手が起こりはしたが、政治集会独特の熱気は余り感じられなかった。前に居たおばさんは終始横を向いて眠そうにしていたし、その横では、演説途中にもかかわらず携帯電話で人探しをしている親子連れも居た。婦人会の代表が「軍は住民を決して守らない」と絶叫していたのが印象的だった。高校生二人が交代しながら文章を読み訴えていたのは、何か作為を感じた。おじいさんやおばあさんを信じる純朴な態度は良しとしたいが、「真実」に対する考え方が固定的であり、「真実探求」の意味が良く解っていないのは可哀そうな気がした。警察の方によると、この様な大会で発表した高校生にはその後、左翼セクトから必ず声がかかって「活動家」にさせられて行くそうである。
  集会全体のトーンが、これまで沖縄の教育現場で教えられて来た事を変えるべきでは無いという事で、日教組の反戦反軍平和教育を守れ、と叫んでいるに過ぎない。
  双眼鏡で舞台上の人を見たが、私が知っている県議は居なかった。全ての県議が参加した訳ではないようだ。

⑤渡嘉敷からの参加者
  集会前日に、地元の方とお会いして色々とお話をお伺いしたが、渡嘉敷では赤松大尉の悪口を言う人は殆どおらず、明日の集会にも村長や議員は義理で参加せざるを得ないが住民の参加は殆ど無い(沖教組は別)との事だった。渡嘉敷で反軍を主張するのは、赤松部隊にスパイ容疑で処刑された人の親族一人と吉川教育委員長だけ。実際、集会で吉川教育委員長が登壇したが、会場からの拍手は2・3人だけだった。渡嘉敷からは殆ど参加していない証拠である。集団自決の犯人探しをすれば、住民同士が責任をなすりあう事になってしまうので、渡嘉敷の人々はそっとしておいて欲しいというのが本音だと語られていた。

⑥真実を訴えるチラシ配布
恵忠久氏のグループ27名が「軍命令は存在しない」事を主張するチラシを2万枚配布された。手伝っているメンバーには若い人も多かった(沖縄では小林よしのり氏の講演会に1500名の若者が集まったそうで、その中から協力者が出てきているとの事)。文句を言う人は2・3人は居たが、揉め事は起こらなかった様だ。バス駐車場から会場に向かう道路で配られていたので、歩きながら読んでいる人が結構居た。

⑦マスコミの煽動
前日から入って町の様子を見たが、道路の所々に横断幕があったり、店(薬屋)にポスターが貼ってあった位で、町中が反対し集会への参加を呼びかけているような感じは殆ど見受けられなかった。だが、新聞2紙は異常で朝刊・夕刊共にこの問題ばかり特集して集会参加を煽っていた。その上で、虚構の「11万参加」を大々的に報じているのだから、マスコミが煽って生み出した集会に他ならない。

2、渡嘉敷訪問(9月30日)
①レンタカーを借りて回ったが、地元の方が詳しい地図を用意して同行案内して戴いた。その方は、戦闘の記録を「沖縄戦記」「渡嘉敷島の戦闘概要」「陣中日誌(海上挺身第三戦隊)」から引用してデータベース化されたり、慰霊塔の戦歿者名の検証作業を行われたり、冷静・客観的に真実に迫ろうとされており、学問的態度は立派であった。先ず、渡嘉志久ビーチ(米軍上陸)に残る「特攻船艇待避壕」、赤松部隊が建立し曽野綾子氏の文章が彫られた「戦跡碑」、阿波連ビーチ(米軍上陸)、「アリランの碑」(碑文は酷い内容、建立時以来韓国人の参拝客は皆無との事)を回り、その後、「白玉の碑」に参拝し香を手向ける。「大東亜戦々没者御芳名」として軍人軍属・防衛隊・一般住民共に名を刻まれ祀ってあった。新垣氏が管理責任者で綺麗に清掃してあった。その後、北山(赤間山)の自決記念碑とその裏の自決現場(谷間)にお参りし、30メートルばかり離れた軍本部壕の近くに行く。

②軍民共に祀ってある「白玉の碑」、赤松部隊が建立した「戦跡碑」などを新垣氏は補修し清掃し美しく管理されていた。地元の住民の赤松部隊への気持ちがこの管理状況の中に示されていた。

③午後は、吾々だけで渡嘉敷・阿波連の住民が自決現場まで通った道を辿り恩納川のダム貯水池に行き往時に思いを馳せた。

④渡嘉敷に行く船で、前日の集会に参加していた社民党国会議員の保坂氏が同乗していた。私は、渡嘉敷の全景を把握したいと思って、船のテラス部分に立ったまま景色を眺めていたが、保坂氏は船室に入ったきり上がっては来なかった。取り巻き二人の内の一人が写真を撮りに上がって来たが、何も知らないらしく、私に「どれが渡嘉敷ですか」など聞いてきた。私が「地形を見れば米軍が西海岸から上陸してきた事が良く解りますね」と鎌をかけたら「米軍が」と言ったまま絶句して何も言わなくなった。歴史に関して全く無知なのだろう。保坂氏はマスコミを引き連れて来ていた。マスコミも馬鹿で、渡嘉敷の前にある島を勘違いして撮影して、その後は船室に戻って行った。

⑤渡嘉敷では、白玉の碑や自決現場で線香を焚いて戦歿者の冥福を祈り、日本を、沖縄をお守りくださいと祈りを捧げた、だが、吾々以外に線香などを手向けた痕跡は全く無かった。保坂氏は「犠牲者」の霊に手を合わせたのだろうか?何をしに渡嘉敷に行ったのか知らないが、慰霊の心無き者に事件を語る資格は無い。

3、座間味訪問(10月1日)
①座間味では適当な案内者が事前にみつからなかったので、行くかどうか迷ったが、とにかく現地を見て、戦歿者に香を手向けてこようと思い、フェリーで向かった。タクシーで「自決碑」「平和の塔」「忠魂碑」を回った。渡嘉敷では、住民はかなり山奥に逃げて集団自決していたが、ここでは、港の集落の直ぐ近くの丘の麓で亡くなられていた。「平和の塔」に行く山道は滑りやすく、殆ど人々の訪問の形跡は無かった。清掃もあまりなされていない感じがした。碑文には県別の戦歿者の名前が記されていた。吾々は線香を焚いてお参りした。ただ、タクシーの運転手によると、三重県や神奈川県から十一月頃に慰霊に来られるとの事であった。

②米軍上陸時に村長が住民に集合をかけた「忠魂碑」は村落から裏山に行く途中にあった。皇紀2650年に建立され、陸軍大将井上幾太郎書の忠魂碑は今尚厳然と立っていた。狭い島に米軍が上陸せんとした時、村長を始めとする村の指導者達はこの忠魂碑を最後の場と定め、英霊と共に死して祖国を守らんと思ったのではなかったのか。その思いが伝わる様であった。実際は、空襲が始まり、この場には集合できず、追い詰められた幾つかの場所で自決が行われたのだった。

③忠魂碑に向かう途中で、29日の集会で発表した宮里芳和氏と偶然お会いした。「世界日報」によれば、宮里氏は1年くらい前は「島には梅沢氏を恨む人は居ない」などと証言していたのだが、今や「日本軍」糾弾の最先鋒で、マスコミにも登場し大きく取り上げられ、29日の集会でも登壇したのだった。吾々にも「集会での私の話は聞きましたか」と述べて、その後「軍人訓を強要したり、軍が民間の家にの中に入っていた事がおかしいのです」などと反軍思想を盛んに述べていた。宮里氏は琉球新報の座間味特派員もしており、かなり左翼学者のオルグで洗脳されているようだった。渡嘉敷の方と比べて、人柄といい、人間的に信頼がおけない感じがした。

4、摩文仁の丘(9月30日)

   同伴した人が沖縄は初めてだというので、時間を見つけて中部戦跡や海軍壕、南部戦跡を案内した。ひめゆりの塔前では、「語り部」が若い人を相手に、ひめゆり部隊が「日本軍に死を強要された」と感情的に話していた。もはや沖縄の戦跡では日本軍とそれに献身的に協力した沖縄県民の姿は語られず、沖縄県民に死を強要した鬼の如き日本軍の事ばかりが語られている。かつては南部戦跡と言えば摩文仁の丘にある平和祈念公園を訪れたものだが、今やその手前に平和祈念塔が建てられ、沖縄県民を始めとし全国から沖縄戦でなくなった戦歿者の名前が記された石版が多数建てられておりそこが慰霊の中心地の如くなっていた。敷地が広大なため、その更に奥にある平和祈念公園の存在さえ解らなくなってしまう。私は何度も訪れた事があるのだが、今回は迷って摩文仁の丘の場所が解らずに警備員さんに教えてもらった。夕暮れ時に行った為か、各県の慰霊塔の区域が寂しく感じられた。「黎明の塔」の横に牛島中将と長参謀長の自決壕があるが、その場所の表示は無くなっていた。その下には健児の塔があるはずだが、道はロープでふさがれ立ち入り禁止になっていた。台風か何かで道が通れないのだったらその旨記しておくべきだと思うが、その標識さえなかった。日本軍と沖縄県民を切り離す悪意が沖縄県民の中に浸透していった時、この摩文仁の丘はどうなっていくのか空恐ろしい感じがした。

5、その他
①恵忠久氏のお話
   「戦陣訓」は軍隊教育の中だけで言われていたのであり、当時の学校教育・皇民化教育では全く教えられていない。戦陣訓の思想を流布したのは朝日新聞を始めとするマスコミだった。

②末安沖縄県神社庁長のお話
   戦争体験者から次のお話を聞いた。「那覇に米軍が迫って来た時に、住民は北部へ避難するように指示したが、誰も聞かず、不安がって軍隊についていけば何とかなると南部へと避難して行った。大衆心理はおそろしい。」

6、今後の課題
①「11万人」の虚構を如何に明らかにしていくのか。衛藤晟一議員にお願いして警察庁から実数を引き出したいと思っている。
   
②「琉球新報」の証拠写真から実数を把握できたなら、証拠写真と数を記して、政府や文部科学省・自民党そしてマスコミ(読売)に広く訴えて行く。
   
③「琉球新報」の証拠写真を元に「沖縄県」の軽率な行動を追及する行動に出る。
   
④自民党内の歴史教育部会の国会議員の方々に沖縄県を訪問して戴き、当方の証言者の聞き取り調査を行っていただく。又、梅沢氏などの関係者の聞き取りも行っていただく。
   
⑤全国の日本会議県本部に資料を提供し、県議会に働きかけ左翼の議決阻止、更には「不当な政治圧力に屈せず教科書検定制度の政治的中立を守る様文部科学省に求める」意見書を地方議会で議決して戴く。


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コメント
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ただいま人気ブログを応援しています。
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2007/10/13(土) 03:04 | URL | 団長 #-[ 編集]
>練馬のんべさん
仰るとおりだと思います。沖縄がこのまま暴走をつけるのは良くないですよね。
2007/10/12(金) 20:47 | URL | spiral(管理人) #l7AT0Hcg[ 編集]
TB有り難うございます。
うーん、沖縄にはびこる全体主義は世界の迷惑ですね。迷惑サヨクは自由と繁栄の弧にとってガン細胞みたいなもの、沖縄をこいつらから救わないと非常にまずい。
2007/10/11(木) 20:46 | URL | 練馬のんべ #.GslOXVU[ 編集]
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2007/10/11(木) 20:48:53 | 家族がいちばん