『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
今回は、前回の記事にハハサウルスさんとさくらこさんから「お天道さま」についてのコメントを頂いたので、お天道さまについて、東城百合子(とうじょうゆりこ)さんの著書、
お天道さま、ありがとう。 お天道さま、ありがとう。
東城 百合子 (2000/05)
サンマーク出版

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より、関連する部分を引用します。


■まえがきより

日本人は、よく信仰心がないといわれます。たしかに、アラーやエホバといったような特定の人格神を崇(あが)めることには、あまりなじみがないかもしれません。また、○○教、○○宗の信者という人も、他の国に比べると少ないことでしょう。しかし日本人は、昔から「お天道(てんとう)さま」という見えなくてもたしかにある、いのちの根源の大いなる力を知っていました。

「食べ物を捨てたら、お天道さまに申しわけない。目がつぶれるよ」

毎日の生活のなかでそういいながら、感謝する心を大切に養い、温かく育ててきたのです。その目とは、顔にある目のことではなく、心の目をいいます。心の目を失ったときに、「ありがとう」という感謝を忘れると伝えつづけてきたのです。

お天道さまとは、太陽のことではありません。太陽も地球も壮大な宇宙に浮かぶ星の一つですが、その太陽や地球を育てた、もっと偉大なる陰の力が「お天道さま」なのです。日本人には、その力を心で見ることが自然と培われていました。だからこそ、たとえ字を読むことができないお母さんでも、生活を通じていのちの根源である「お天道さま」を体で学び、ありがとうの心で立派に子育てをしてきたのです。母の「手」をもって、家族のいのちを支えつづけてきました。

日本は敗戦によって打ちひしがれ、家も物も何もかも失いましたが、みんなが一丸となって力を合わせて、奇跡的に瓦礫(がれき)の山から立ち上がってきました。しかし、それは何の根拠もなく、突然にしてできたことではありません。連綿とつづいてきた先祖たちが培った、この日本の心あってのことなのです。

戦後、日本の家庭教育である「お天道さま」が消えてしまったことは、とても残念なことです。しかし、いまは消えてしまっても、けっして失われたわけではありません。

私は、長い伝統の歴史をくぐり抜けてきた日本の心が、たった五十年で消えることはない、そんな薄っぺらなものではないと信じています。そして、日本という血の中に組み込まれた遺伝子は、必ずほんとうの心路(すじ)に回帰しようと動き出すはずだと思っています。たとえ、人が捨ててしまっても、天は見ている、知っているのです。この遺伝子は、必ず日本の心を取り戻してくれるでしょう。人々の心のなかに忘れられてしまった「お天道さま」が帰るとき、暗かった夜にも、再び明るい朝がやってくる。私はそのような思いで大いなる希望を持って、この「お天道さま」を伝えつづけようと思うのです。
■「食べ物を捨てたら、お天道さまに申しわけない」

このことで叱られた、忘れられない思い出があります。あるとき、おなかがいっぱいになったので、私は何気なくご飯を少し捨ててしまいました。それを見た母が涙を流して叱ったのです。

「一粒の米だって、お天道さまが照ってくれて雨が降って、お百姓さんが汗してやっと育つのだよ!一粒の米だってお天道さまのおかげ。それなのにご飯を捨てるとは畜生にもおとる。犬だって三日ご飯をあげたら、その恩を忘れない。あんたは犬畜生にも劣るのか!そんな人間にはなってほしくない!」

私はこのときの母の涙を、昨日のことのように忘れません。

食事に出されたものに文句をいっても叱られました。「それじゃあ食べなくていい。おなかがすいたら何でも食べられる。おやつも今日はなし!」とさっさとお膳(ぜん)を片づけられたのです。それだけではすみません。次の食事のときに温かいご飯があっても、「まず文句をいって残したあの冷やご飯から食べなさい。それから温かいご飯を食べなさい」といいつけられました。

そういわれても、私には文句のいいようがありませんでした。親が怖いからではなく、子ども心に「親のいってることは心路(すじ)が通っている」と感じていたからです。そこには、見えないがたしかにある「お天道さま」という一本の心路(すじ)がありました。ずしりと心に響く愛があったのです。

・・・私の親も、同じように祖父母から体で伝えられてきたはずです。体験を通じて心で受け止めたものは、理屈抜きで伝わります。教えるのは口や頭でもできますが、「伝える」ということは心があってできるもの。そうやって昔の子どもたちは、食事の仕方から生活全般にいたるまでを、親から子へ、体験を通じて心で学んでいきました。

■お天道さまって太陽ですか

ある講演会でお話をさせていただいたとき、会場のみなさんに「お天道さまって太陽ですか?」と聞いたことがあります。老若の女性たちのなかには、「はい、そう思います」といって手をあげた方が多数いました。「それでは、太陽じゃないと思う人は?」と聞くと、手をあげたのはわずかに二人だけです。そのなかの一人に「どうして太陽じゃないのですか?」とうかがうと、こんなお答えでした。

「私の父はお魚を食べるとき、きれいに身を食べてから骨までお茶で洗い、そのお茶も飲んでいました。母も骨を唐揚げにして、その骨せんべいをパリパリと食べていました。どうしてそんなにていねいに食べるのか聞いてみると、『ぜんぶお天道さまのおかげだよ。粗末にしちゃ申しわけない』というのです。お天道さまという字も”太陽”とは書きません。両親の生活ぶりから学んだ印象だと、お天道さまとは、もっと深い”いのちの親”だと思います」

私はお話を聞いて、そのとおりだと思いました。太陽を育てたいのちの親を、お天道さま(別名、天や自然の力)といいます。太陽も地球も、宇宙のなかの星の一つです。その星を育てたのが、見えないがたしかにある自然の力、お天道さまなのです。人間だけに限らず、動物も植物もいのちあるものすべて、お天道さまの力で育てられています。人間がどんなに偉くても、科学がどんなに進んでも、いのちはつくれません。

昔の人たちは、このいのちを大切に、困ったらいのちの源流であるお天道さまに帰ることを知っていました。この方のお父さん、お母さんも、天からのいただきものを心にしっかり受けとめて生活しておられた。そして、日常の生活を通して、「お天道さまのおかげだよ。太陽が照ってくれて、雨が降り、土を肥やして食べものができるんだよ。海にはお魚、海藻が育つ。これも、お天道さまのおかげ。だから食べものを捨てたらお天道さまに申しわけない。目がつぶれる」と子どもに教えました。この顔についている目でなく、心の目を失うときに感謝を忘れる。そこから、不幸、災難、病がジワジワと寄ってくるといっていたのです。

しかし、現実には、心の目を失い、感謝を忘れて、さまざまな不幸や災難や病気が蔓延(まんえん)しています。多くの人が生活することや見えないいのちには関心なく、自分のわがまま気ままに生きています。お天道さまを忘れ、心の根を育てる大切さをすっかり忘れてしまっている。私は、それが現代の日本の姿ではないかと思えてならないです。

■お天道さまはいのちの源流

私は自分が生まれ育ったふるさとである日本の大地を、かけがえなく大切なものと思っています。連綿と続いている壮大な歴史を築いてきた、数多くのご先祖たちへの感謝の思いも絶えません。

日本には、春夏秋冬の四つの季節が、折り目正しくめぐってきます。一年は三百六十五日。季節も、およそ九十日ごとが節目となっています。今ではそういった四季をあまり意識することもありません。しかし、熱帯地と寒帯地では、夏と冬の気温差が四十度前後もあるように、四つの季節では気温も天候も違います。そして食べものも季節ごとに変化し、私たちの生活も変わっていきます。

その変化する季節のなかで健康に生きるためには、生活を通して培われてきた知恵を充分に生かし、変化をそのまま受け入れることが大切です。「暑さ寒さも彼岸まで」と、古人は季節の”節”の大切さを重んじてきました。季節が変化することは、山や海、川などの自然の色が変わり、大気の温度も変わることから、人間の体や健康にも影響を与えます。ですから、先祖たちはその変化のリズムに合わせ、身も心も整えて生活していたのです。

・・・稲作を中心に農耕で育てられてきた日本人は、”節”という季節の折り目から、見えない自然の力で作物ができることを体で感じとっていました。ですから、日々の生活の中では見えない自然の力に合掌し、感謝の気持ちを忘れませんでした。

現代は節目を大切に、「旬(しゅん)」を生きたご先祖からの伝承が失われようとしています。いのちの源流が見えなくなっているのです。

「食べものを粗末にするとお天道さまに申しわけない。目がつぶれるよ」

私も幼いこからそういわれたものです。日常生活の中にお天道さまがともにあり、心に生きていました。見えないがたしかにあるいのちの力を見る、心の目がつぶれると感謝を忘れる。それが日常生活のなかの核となって、体の奥深くまで染み込んでいたのです。

この「お天道さまは見ている」という、日本の家庭教育の根源だった言葉も、いまは消えました。とくに新しい時代を担う役割のある子どもたちの生き方を見ていると、失ったものの大きさを感じずにはいられません。根のごとく枝葉は出ると自然は教えます。心の根は枯れてしまっているようです。

花は実を育て、その種は根を下ろして芽を出し、新たないのちが吹き出す。植物も動物も自然界はこのようにめぐりめぐって永遠にいのちを養いつづけます。

私は、この永遠に変わらないものを筋に探し求めてまいりました。その変わらないものとは、この「生み出す力」なのです。それは、人からの受け売りや頭で理屈を覚えることではありません。毎日の生活のなかで実践し、体で学び、温めながら深めるものなのだと思っています。

■祈りとは生活そのもの

私がよくお話することに「祈りとは生活そのもの」という言葉があります。毎日の生活をどう受けとめ、どう生きるのか。その心なくして祈りはわかりません。気分に合わせて、神様に願いごとを訴えるのが祈りと思っている人も多いでしょう。自分では行動もせず、何もしないでたくさんのお願いをします。

しかし、生活とは、字のごとく活気のある生き方、足元の「衣・食・住」を日々のなかでどういただくのかということです。自分の都合、わがまま主体では祈りとはいいません。人の間の縁があって、それに助けられながら、生かされている自分がある。今日がある。その大切さに気づけば、日々の生活によって養われた心がお天道さまとつながり、心の目が開きます。目に見えない自然の力、いのちの力にふれることで根は育ちはじめます。もし母親なら、その根は夫婦へ、子どもたちへと広がっていくでしょう。生活そのものが変わっていくはずです。

■日本人の心をいかに取り戻すか

現代の日本では、科学の味で育ち、舌の感覚がマヒして自然の味を忘れた子どもがたくさん育っています。このままいくと、これから二世代、三世代後にはどうなるのでしょうか。その結果は歴史の流れをくぐり抜けなければわかりませんが、兆候は見えています。日本人全体がいのちのない食べものによって神経が詰まり、生体としての本来の機能をどんどん失っている。その一つの兆候が、男性の精子の数を減らすといわれている環境ホルモンの問題でしょう。自然分娩(ぶんべん)が出来る女性も、年々、少なくなっています。これから三世代後、日本人には子どもが生まれなくなっているかもしれません。

また、子どもたちの精神的な問題も気がかりです。突然にキレて、まったく見知らぬ人を殺害するといった信じられないような事件が次々に起こっています。こうした、荒れた子どもたちの心の背景にも、食べものの問題が隠れていることはすでに指摘しました。肉体的にも、精神的にも、私たちの次の世代は大変な問題を抱えて苦悩しているのです。

幸いなことに、食べものの大切さを説く人々が最近は増えてきて、無農薬栽培のお米や野菜を選ぶ消費者も増えてきたと聞いています。これはこれで、とても喜ばしい傾向です。食べものに対する関心が変わることで、未来に少しは明るさが見えてきたなという思いもあります。

しかし、これまで繰り返しお話してきましたように、食べものを「物」として、ただ口に入れているだけなら、大切なことは見えません。根のごとく枝葉は出てきます。問題の本質をしっかりと見つめるためには、食べものの向こうにあるもの、つまりは心である根をしっかり見つめなければならないのです。

ただ、問題は日本人全体に及んでいるのですから、ここでいう「心」とは、一人ひとりの心というより、「日本人の心」ということになります。国旗も国歌も大切にせず、愛国心もない。日本人の心をいかに取り戻すか。これを言葉を換えていえば、第一章でもふれました「いかにお天道さまを取り戻すのか」ということになるでしょう。

いつの時代でも、年配者は「昔はこんなではなかった」とか「今までこんなことはなかった。どうしてこんな世の中になってしまったのか」と嘆くのが通例です。しかし、こと現代においては、必ずしも年配者だけが嘆いているようには思えません。老いも若きも「どうしてこんな世の中になってしまったのか」と、同じ嘆きを抱いているように私には見えます。「お天道さま」とともに生きてきた、伝統ある日本人の歴史を失ってしまったツケを、今や世代を超えて痛感せざるをえなくなっているのです。

「お天道さま」を太陽と思う人も多いようですが、太陽ではありません。太陽も地球も含めて万物を生み出し、育てた、見えないがたしかにある力を、日本人は「お天道さま」という親しみのある名前で呼んできたのです。それは、いのちの源流でもある「自然の力」そのものです。ですから、「お天道さま」とともに生きるということは、自然の力に対する信仰心をもつということにもつながります。

「日本人には信仰心がない」とよくいわれますが、私は日本人ほど深い信仰心をもった民族は世界にもまれだと思っています。たしかに「私は仏教徒だ」とか「私は切るスト教徒です」と明言する日本人は少ないでしょうが、信仰をもつということは「○○教の信者になる」ということではありません。心の目でいのちを見ながら、生活のなかで感謝を忘れない。むしろ、宗教・宗派という枠をつくらず、お天道さまとともにそのような生活を営んできた日本人のほうが、ほんとうの意味の信仰心をもっていると私は思うのです。そこには、遠い何万年前からの歴史を通して身に染み込んできた、そして伝えつづけられてきた日本人の血が、遺伝子となってあるのです。

■切れてしまった歴史

・・・私は日本の将来について深い憂いを抱かざるをえません。

明治維新を成し遂げた人たちのような、武士道精神の力強さ。そして、日本を海外の列強から守り通した、多くの先祖たちの愛国心。これは、右か左かといった思想ではなく、偏った歴史観でもありません。私たちの心が失ったものは何か。その答えのヒントを秘めている、重要な手がかりなのです。

・・・「和」を尊んできた日本の長い歴史も、戦後とともにぷつりと切れてしまい、現代の日本人の心のなかからは消えてしまったように見えます。歴史を失った民族がそのまま滅びの道を転がり落ちていくことは、洋の東西を問わず、まぎれもない歴史が語る真実です。

・・・、日本古来の神道の話に戻りましょう。

神道では「祈りとは生活そのもの」であり、生活のなかでは「和」が重んじられました。これは世界に類例がない、すばらしい思想です。

ほかの宗教を見るなら、キリスト教ならイエス・キリストを神の子として崇(あが)め、ほかの神様は祀(まつ)りません。それに比べて、神道が息づいている神社では、今でも多くの神々が祀られています。そして、多くの神々が祀られていてもけっして乱れることなく、神社としての統一感を保ち続けています。西洋的な考えからすると、ほんとうなら勢力争いになりそうなものですが、神道同士が争ったという歴史はないのです。それだけにとどまらず、たとえ仏教、儒教、キリスト教が入ってきても、自分を守るために枠をつくって争うようなこともせず、すべてを包み込んでしまう。

いのちの源は一つですから、いうなら、どこから富士山に登っても、道を迷わずに方向さえ定めて登りつめるなら、やがては必ず同じ頂上で御来光を仰ぐという考え方です。どの神様がいちばん上かという思想ではなく、すべての神は一つ、いのちの源は一つなのだという考えなのです。じつに素直な天まかせの明るさを、日本の神道はもっているのです。

この精神は、日本の歴史を通じても貫かれています。

たとえば、応仁(おうにん)の乱から戦国時代が始まり、百年の戦国時代となって京都は焼け野原になりました。しかし、そのときも京都御所だけはけっして誰も攻めず、焼きもしませんでした。京都御所には櫓(やぐら)も砦(とりで)もなく、何の守りもありません。それでも守られてきたのです。どうしてでしょうか。それは自然に調和して生き、他のために祈り、平和と安らぎを願う尊い場に矢は向けられないという日本人の心が、自然と誰もの心のなかにあったからです。

そしてもう一つ。戦乱のなかで武将たちは国取り合戦に血を流しましたが、信長も信玄も秀吉も、たった一代で滅んでしまいます。ところが、そのなかでも日本の皇室は百二十五代つづいてきました。これも世界に類例のない、偉大な歴史です。日本の神殿、仏閣がただの遺跡ではなく、人々の心によって伝統が受け継がれていることは先にも書きましたが、皇室がこれほどに長い歴史にもとづいているのも、日本人の生活と祈りがあってのこと。包み込む思想があってのことです。

「お天道さま」とともに生きてきた農耕民族の日本人は、植物を育てながら、自然の力を見せられ、人間の力の及ばないいのちの実りを感激していただいてきました。「神様が働いておられるから、私たちはお手伝いさせていただく」と感謝して働き、労働とは苦労ではなく喜びとしてありました。だからこそ、「はたらく」は「はた(周囲)を楽にする」ということであり、周囲の人に喜んでもらうために働いてきたのです。この心が自然とも調和しながら、直感力の鋭い民族の根となっていきました。そうやって皇室も、日本の伝統や人々の心とともに生きつづけてきたのです。

しかし、戦後は、この伝えつづけてきた生活の大切さ、つまり「お天道さまの心」を日本人は捨ててしまいました。国の歴史とは先祖の歴史です。それは、自分の歴史でもあるのです。その連綿と続いた歴史が、突然切れてしまったのです。

伝えつづけられた根が切れて五十余年。

「何がほんとうかが見えない世の中になってしまった・・・・・」

これが私の思いです。

しかし、お天道さまを取り戻すことは、けっして難しいことではありません。もう一度きちんと自分を見つめ直し、いのちの大切さや生活することの大切さに気づいたなら、必ず取り戻すことができます。病気や人間関係など出てきた枝葉をただ見るのではなく、その根がどこにあるのかを見つめることから、そして、日本や世界の歴史にきちんと目を向けることから、先祖たちが歩いてきた道のりや伝統の重みを知ることができるのです。

そして、あなたがもしも母親なら子供たちへ、さらにそのまた子どもたちへと、その伝統を語り継いでいけばいいのです。(引用終)

※著者紹介
東城百合子(とうじょうゆりこ)
大正14年岩手県に生れる。昭和17年、当時日本の栄養学の草分けだった佐伯矩博士に師事、栄養士となる。昭和24年重症の肺結核となり、玄米自然食によって白らの病気を克服する。以来自然食を主とした健康運動に力をそそぎ終戦後の混乱のさめやらぬ 沖縄にわたり、沖縄全島に健康改革の灯をともし、沖縄の健康運動に力をそそぐ。世界的な大豆博士といわれ、当時国際栄養研究所所長、国連保健機構理事、W・H・ミラー博士に師事。いよいよ健康改革運動に情熱をもつ。昭和39年沖縄より帰京、東京に居をすえて、出版活動、自然食料理教室、栄養教室、講演活動と自分を育てるために啓蒙運動に力をそそぐ。昭和48年5月、月刊誌「あなたと健康」を出版し、以来出版活動を中心に運動を進め今日に至る。


日本では、GHQの占領政策や学校での自虐的な歴史教育により、「戦前=暗黒時代」という認識が植えつけられ、戦後の歩みとは切り離して歴史をみるようになってしまい、歴史が断絶してしまいました。

そのせいで、「お天道さま」をはじめとする、長く受け継がれてきた「日本人の心」が、戦後は伝えられなくなってしまいました。

その結果、現在の日本人の心が荒廃してしまったのだと思います。私たちは、今こそ、目には見えないけれど確かにある、「お天道さま」を感じる心を、取り戻さねばならないと思います。


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コメント
この記事へのコメント
>さくらこさん
東城さんの本は、万人にお薦めできる良書なので、是非読んでみて下さい。
給食の時手を合わせていただきますごちそうさまを言わせない親がいるというのは、私も聞いたことがあります。のみならず、手を合わせていただきますという行為が宗教行為にあたるとして、これをさせない学校もあるようです。
本当に信じられない話ですが、こうした親御さんや学校の先生には、お天道様のことを理解して頂き、「いただきます」というように指導してもらいたいです。
それから、「経済感覚だけで日本の心を売り渡してはいけません」というのは、私もその通りだと思います。
2007/06/10(日) 12:27 | URL | spiral(管理人) #l7AT0Hcg[ 編集]
お天道様について詳しい記事にしていただいてありがとうございます。
私は両親からも祖父母からもお天道様(おてんとさん)が云々の話をよく聞いていたので当たり前に思っていましたがこのように深い意味があったことよく分かりぜひこの本を読んでしっかり伝えていこうと思いました。

新聞、テレビなどで給食の時手を合わせていただきますごちそうさまを言わせないなどという親がいると聞きますが、このお天道様の話をしっかり理解してもらえばいいと思います。

日本製品を買おうと思ったらまず中国製品より高いです。でもこれとて損得勘定だけではいけないと思います。経済感覚だけで日本の心を売り渡してはいけません。庶民も、企業も、政府も、日本人すべてが何にお金を使うのかとくと考えなければ。

ハハサウルスさんご紹介の本もジェンダーフリーよしの教師や子供の親にぜひ読んでもらいたいですね。
2007/06/09(土) 10:34 | URL | さくらこ #-[ 編集]
>tonoさん
>お天道様は、日本人の、良心・誇り・矜持、みたいなものでしょうか?

私は、お天道様はそうしたものに繋がる心だと思います。こうしたことを知るにつけ、我々のご先祖は偉かったんだなと思います。

> ハハサウルスさん
ハハサウルスさんがお天道様についてのコメントを下ったので、今回の記事に繋がりました。こちらこそありがとうございます。
それから、本の紹介もありがとうございます。ジェンダーフリーの危険性についてはまだ知らない方も多いと思いますので、こうした本を紹介して下さるのは有難いです。
コメントが長くなるのは全然構いませんので、また良い本があれば紹介して下さいね。

>sesiriaさん
誰が見てなくとも、お天道様は見ている、という感覚は大事ですよね。こうした感覚があれば、短絡的に犯罪に走ったりすることもないだろうし、何か苦しいことがあった時でも頑張れると思います。
それから、日本製のもが探さないと見つからないという状況は、何とかならないものかと思いますね。私も出来るだけ日本製のものを買うようにします。
2007/06/08(金) 20:16 | URL | spiral(管理人) #l7AT0Hcg[ 編集]
大変に良いお話でした。
確かに私も親から、食べ物を粗末にしたら目がつぶれる、とかお天道様が見てなさる、とか言われましたね。だから少なくとも食べ物に関しては一粒も残せない人間になりました。「天知る地知る己知る」というような、なにかに見られている、という感覚は大事ですね。罪悪感も
教えていかなくてはならないのでしょうね。
私もできるだけ日本製のものを購入するようにはしています。
苦労してやっと「メイドインジャパン」と書かれた製品を手にした時は
感動すらしました。ですが、これって変ですねえ。日本製がなかなか
見つからないとは・・・!
国民がもっと日本製を買ってくれれば、仰るように増えていくだろうと
思いますが。
2007/06/08(金) 10:13 | URL | sesiria #flPMGraQ[ 編集]
いのちの親
よいお話を有難うございます。ここまで深く「お天道様」のことをきちんと考えておられる方のおられる限り日本人の心は大丈夫だと思います。「いのちの親」とはよい言葉ですね。
日本人には神道の他に、仏教の影響も大きく、例えば「山川草木悉有仏性」という思想も溶け込んでいて、何ら神道の教えとぶつかり合うことなく、生活の中に生きていると思います。これほど懐の大きい思想は他に類を見ないのかもしれません。ただあまりにその世界観の大きさゆえに、気づかれにくいのかも…。もっと見直されていい考えですよね。学校でも家庭でも伝えていかなければならないと思います。

すみません、話は変わりますが、一冊の本を紹介させて下さい。もし、既にご存知でしたら僭越ですが…。『男の子の脳、女の子の脳』(草思社)という本で、レナード・サックスという内科医、心理学者が、自身の医師としての経験から、男の子と女の子の脳の構造、発達の仕方の違い等を“科学的に”説いた本で、子供の性差を無視することの影響の大きさを書いておられます。行き過ぎたジェンダーフリー運動に一石を投じる本であり、子供の教育上知っていてよい本だと思います。性差は政治的、思想的にゆがめられるべきものではないと、改めて感じました。もし宜しければ読んでみて下さい。(長くなって申し訳ありません)
2007/06/07(木) 22:07 | URL | ハハサウルス #-[ 編集]
 こら!
 隠れたってお天道様は、お見通しだぞ!
 って、怒られましたなぁ。
 
 お天道様は、日本人の、良心・誇り・矜持、みたいなものでしょうか?
2007/06/07(木) 17:51 | URL | tono #vFsRzAws[ 編集]
>milestaさん
私も、東城さんのお話はコメント欄だけに留めておくのは惜しいと思ったので、今回加筆して記事にしました。
現在は物質的に豊かな社会になったので、「お天道さまに感謝する」という心は伝えにくい状況ですよね。
中国などで作られた企画大量生産品が溢れており、壊れたら安いからまた買えばいい、という感覚では、お天道さまの出番もなくなりますよね。
私もmilestaさんの言われるように、日本製のしっかりした品物を、長く大事に使うのが理想だと思います。
しかし、私の周りを見ても、中国製の品物ばかりです。出来れば日本製をと思うのですが、ないので仕方なく中国製と知りつつ買っているのが現状です。
でも、最近では企業の方も中国の危険性を認識し、マザー工場を日本に置く企業が増えてきているので、日本製品も徐々に増えてくるのではないかと思います。
2007/06/07(木) 10:50 | URL | spiral(管理人) #l7AT0Hcg[ 編集]
経済的な豊かさ
前回コメント欄でspiralさんがこのことを書かれているのを見て、コメントでは勿体ない、記事にして欲しいと思っていました。

「お天道様に感謝する」。今の日本でこれが消えてしまったのは、政治的なこともあるでしょうが、経済的に豊かになったこともあるのでしょうね。物がない時代なら、自然とどこの家庭でも物を大事にしたり感謝する気持ちが育まれていたのでしょうが、使い捨てや大量生産が当たり前の現在は意識しなければ感謝の気持ちなど生まれてこないのかもしれません。

最近では、中国製品の品質管理が問題になっていますが、これを機に安くて長持ちしない中国製品を使うのをやめて、日本製のしっかりした作りの物を大事に使うようにするといいのではないかと思います。しかし日本製の物を捜すことの方が難しいかもしれないですね。
2007/06/06(水) 12:41 | URL | milesta #S4B2tY/g[ 編集]
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