『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
今回は、昭和史研究所会報(第120号)より、郡順史氏(時代小説家)の論文を引用します。


■大東亜戦争下の青春

一、
大東亜戦争下の青春は暗かった。まるで地獄の底のように憂鬱で、夢も希望もなかった、と主張する人が未だにいる。

そういう人に先般逢った。

今年(平成十九年)正月五日、ある団体の新年会が終り、席をあらためて日本茶やコーヒーを飲む席に於てであった。集う人々は三十代から二、三名の八十歳の二十五、六名。つまり殆どが戦争体験者でもなく、むろん大東亜戦争下に青春を送った人ではなかったわけである。

二十分ほどして、あちこち話がはずんでいる最中、突如一人の年輩の男が立ち上って、周囲を見廻し、いや睥睨(へいげい※にらみつけて威圧すること)してと表現したほうがよい表情で、大声で、

「あの時代の青春は暗かった。まるで真暗だった。諸君、我々は後輩に、二度とあんな青春時代を送らせてはならん。青春とは、何物にも拘束されず、自由で平和で夢と希望に満ちあふれたものでなければならないのだ。我々は先輩として二度と再びあのような暗い悲惨な青春を後輩に持たせぬよう、語り継ぎ反動勢力と戦わねばならぬ責任があるのだ」、

多少残りの酒の勢いもあるのだろうが、物凄いばかりのきめつけ方である。

聴いて、小生は少々違う。君が暗い青春と決めつけるのは君の勝手だが、明く充溢感を持ってあの時代に青春を送った者も大勢いるのだ。一方的に決めつけてはいかん。

と、反論を述べようとしたら、小生より先に立った人がいた。吠えた人物も、反論に立った人も、小生と同年配の八十代半ばの人であった。つまり大東亜戦争の末期に軍隊生活を送った人のようだ。
そもそも青春時代は、人生の中のどの年齢をさすのであろうか。いま仮に十五、六歳から二十二、三歳とすれば、年号に直して昭和十五、六年から二十年の敗戦の年にかけての年代である。

昭和十八年十月、学徒出陣によって陸海軍に入隊した者は満二十歳、大正十年十一年十二年の生まれの正に青春まっ盛りの年層の者たちであった。つまりこの時代に青春時代を持った者は、小生の大正十一年を中心にして、大正八、九年生まれから昭和四、五年生まれの者、ということになろうか。

ではこれらの年齢層のものは、彼が吐くような暗い青春を一様に持ったのであろうか。嘘だ、と小生の体験から断言出来る。つまり暗い暗いと歎いた者もいたが、大多数の者は、使命感と充溢感を持って緊張に満ちた青春時代を送っていたのだ。

それは我々の年齢層は、中学へ入学した当時より(昭和十二、三年)軍事教練が強化され、且つラヂオ、新聞など、大人の話から時局の緊迫感を感知し、ほとんど確実に軍隊に入り、国の為に戦うという観念を抱き、名誉と思っていたからである。別に武士道を教師から学んだわけではなく、日本古来からの戦さに征き国家や家族を護るのは男の責任、と肉体で思っていたからであろう。つまり青春の行き先、終着点は、それなりに覚悟のような形で肝の底に持っていたわけである。

従って「暗い」と感ずるより先に、自分なりの遊び、興味に浸っていたわけである。多くの友だちが同様であった。

ゆえに「暗い青春」を叫んだ男の言葉は、あながち間違いとばかりきめつけられないが、それは彼のみの体験思考であって、それを以てして全部の青春を律するのは真実に反する、と言いたいのだ。

この小生の反論を小生より先に立ち上がった男が、次のように述べてくれた。

君の言う真暗青春説は間違いだ。君にとって大東亜戦中の青春は真暗であったかもしれないが、大部分の若者は、ひたぶるに国を護るという使命感に燃え、生命を失うのは嫌だが、しかし国の為に死ぬことが、この日本に生まれ育って来た男の天命なのだと思い、緊張感で日々を送っていた若者が大多数だったのだ。皆、明るく勇気が有り、優しい心の持ち主だった。俺の戦友はぜんぶそうだった。でも半分も生き残らなかったが・・・」

語尾はやや震えていた。きっと亡き戦友に念いが走ったからであろう。

二、
そもそもこの「暗い青春」という言葉が流行したのは、昭和三十四年十月に光文社で刊行された「きけわだつみのこえ」からではなかろうか。

この本の副題に、「日本戦没学生の手記」と有る如く、昭和十八年の学徒出陣組の人々の出撃への感を綴り集めたものである。小生と同期である。

ここに書かれている事に一片の嘘は無いものと思う。むろん創作でもない。まじめに青春をおくっている学生の、悩みや苦しみが赤裸々に綴られている。だが、これが反戦派の左翼的な人や思考を持った人々の絶賛をあびた。

だが、特別攻撃隊員の悲惨さのみが強調され、その使命の崇高さや雄心がなおざりにされた面が有り、その点を左翼派につけ込まれ、「暗い青春を持った男たち」と喧伝され、その認識と言葉が風靡(ふうび)してしまった。

この風潮をみて、「特攻隊の真姿はあんな泣き虫ばかりがいたわけではない」と、怒り反発したのが、同じ海軍飛行予備学生第十四期会の人々であった。

彼等は結束して昭和四十一年の九月、毎日新聞社から「ああ同期の桜・かえらざる青春の手記」を発刊した。

これも書かれていることに一片の嘘もないし、創作もない。しかしこの本には、先の「わだつみのこえ」と大きく相違して、同じ青春の血肉を、国難に殉じようとする「ひたむき」さが満ち溢れていた。むろん肉体を爆弾に代えて一〇〇%死に向う淵にのぞんで、若者らしい悩みや恐怖が綴られていないわけではない。しかしそれも彼等の、「俺の死によって祖国が、父母肉親が救われるなら」という覚悟と祈りに代えて敵撃滅へと突っ込んで征った純な心が、大多数の国民の同感と感動を呼び多く読まれた。

さりながら、この二つの本を読み比べて、どちらが正しい青春の姿だ、と何人も言えないと思う。なぜなら両者とも、結果として祖国の難に「青春」を捧げた「英霊」だからだ。

この十四期会の本の出版によって、日本人としての誇りや自信を失いかけていた国民に、あらたに自信や誇りを取り戻し、そして更に戦後復興に追い風を与えたのが「戦中派の会」の結成だった。

昭和四十年夏初夏、戦後二十年を経てようやく経済的にも又精神的にも安定を持つようになったかつての軍隊経験者の何名かが集り、全国の戦友、戦争経験者に、

「戦中派集まれ!我等もう一度国の為に働き、亡き戦友の祖国よ栄えあれの付託にこたえようではないか」

と呼びかけた。なんとその声に応えた者十万と言われている。その中に左翼的な者は一人もおらず、日本国を念う純粋無垢な人々のみであったという。そして口々に大東亜戦争の正当性を叫び、それぞれの仕事、職場において働いた。よってアメリカ化され、危うくなりかけた日本及び日本人を、精神的にも生活的にも立直らせたのだった。

だがその戦中派の会も高齢化によって次第に衰退し、平成十九年の現在、無い。だが東京の会は解散したが、大阪の「関西戦中派の会」は、津村忠臣さんの頑張と活躍によって厳然として存続している。心あらば応援の為の接触をこころみていただきたい。

さて、話を「暗黒青春」の男とそれに反対の男の問答に戻すと、暗い青春男が、「国の為に死ぬのが青春の花だ、と教え込んだのは軍国主義教育のせいだ。軍国主義こそ青春の敵だ」と言い放つと、即座に花の青春男が反論した。

「軍国主義教育よりもっと日本人を不幸にし、無籍国人の如くしたのは、戦後の日教組ならびに貴男たち左翼主義者の反社会的、反日本的な教育ではないか。見よ、その結果現代を生きる青年たちの無気力、自己中心主義、倫理感の喪失、他人への思い遣りのなさ、どれ一つとっても人間失格ではないか。もし暗い青春というものが存在するとするなら、正に現代青年の姿ではないのか。もう一度言う、こういう青年をつくりあげたのは間違いなく君たちなのだ。反省したまえ!」

論争はこの男の獅子吼で終わった。「暗い青春」男が、ふんと鼻を鳴らして退席してしまったからである。

別に小生は審判官ではないが、しかし客観的にみてこの論争はあきらかに獅子吼男の勝ち、と判定したい。

それとは別箇に、大東亜戦争下の青年と、平成十九年に生きる青年たちと比べると、個性は別にして、なべて戦時下の青年たちのほうが、少なくともシャンとしていたと思う。

戦時下の青年達には、小生の狭い範囲での接触、見聞ではあるが、眼光に輝きがあった。顔も真すぐ前に向け、姿勢もしゃんとしていた。礼儀作法も心得ていた。

それに比べ現代青年は、うつつに見える。眼にも顔にも落着きがない。また姿勢、服装も汚く自堕落だ。美意識が有るのか、と疑ってしまう。清潔さが欠かせない社会礼儀の第一歩との心構えがないのであろう。その上極端なまでの自己主義で、まったく他人の事を忖度しないようだ。

そして、こんな青春群像を造りあげたのは誰なのか!

ともあれ青年よ、明日の日本を背負う為にも、一日も早く自意識をもって日本人らしい日本人になって貰いたい。そう願うばかりである。
―おわり―


戦前の日本は暗黒で、軍国主義が支配し、まるで北朝鮮のような国だったかのように言う方は今もいます。そして、学校で使う教科書も、そのような視点で自虐的に書かれています。しかし、果たして戦前の日本は本当にそんな酷い国だったのか。そして、その時代に青春時代を過ごした人々は「暗い青春」だったのか。

郡順史氏は、むしろ現代青年の姿に暗い青春像を見出していますが、私もその通りではないかと思います。現代が正常で、戦前は暗く、狂った時代だったというのは誤りではないのでしょうか。

子供が親を殺す事件が珍しくない現在と、そうした子供と変わらない年齢の若者が必死で、中には特攻隊に志願してまでも親を護ろうとしていた戦前と、果たしてどちらが狂った時代なのか。むしろ現在の方が狂ってしまっているのではないかと私は感じます。

次世代を担う青年のみならず、全ての世代の日本人が真っ当な歴史を学び、真の父祖の思いを知り、日本人らしい日本人になること、このことが、日本が凛とした独立国として復興するために一番肝要なことではないかと思います。


※拙ブログの記事内容を支持して下さる方は
↓のリンクバナーをクリックして下さい。励みになります。

人気ブログランキング

関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
どうも^^ありがとうございます。
リンク追加させていただいたので、ご報告です。
これからもいい記事お願いしますね
^△^では
2007/04/23(月) 17:21 | URL | sowjun #-[ 編集]
>sowjunさん
コメントありがとうございます。沖縄は、私の知る限りでも、左翼勢力が非常に強い地域のようですね。その中で、左翼思想に染まっていないsowjunさんは立派だと思います。

ブログのリンクの件ですが、了解です。
2007/04/22(日) 15:40 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
こんにちは。
寝ようとしてたのですが、イライラして眠れず、フラフラッとこのブログにたどり着きました^^;
突然ですがこのブログを私のブログに追加したいのですが、いいでしょうか?記事をそこそこ読ませていただきましたが、イイです。私は沖縄ですが、徹底的な左翼反戦教育の結果が沖縄です。頭がおかしい大人が多くて、中国の脅威も理解できず、狭い島において必要なはずの広い視野も持てずに経済さえも自立できません。アメリカ軍を批判し、自衛隊を批判し、しかし、本当に基地が返還されたら沖縄の経済は狂ってしまうという事実。これが戦後教育の結果なのでしょう。是非私のブログのリンクに追加したいと思いました。あと、このブログのバナーで初めて南京事件の映画が製作される事を知りました。ありがとうございます。返事お願いします。
2007/04/22(日) 12:31 | URL | sowjun #-[ 編集]
>ごん太の遠吠えさん
私もこの獅子吼男さんの正論は痛快でした。

> sesiriaさん
私の祖母は大正生まれで、戦前の教育を受けているのですが、今も「教育勅語」を覚えていて、暗誦できます。戦後教育では、教育勅語は廃止されてしまいましたが、こうした徳目教育を廃止してしまったのは誤りだと思います。
「戦前=真っ暗」という概念は捨て、改めて戦前を見直せば、現在の私たちが学ぶところは多いように思います。

>milestaさん
日本人も落ちたとはいえ、例えば電車に乗る時はキチンと整列乗車することや、街の道路にタバコの吸殻とかペットの糞などが落ちていなくて清潔なことなど、諸外国と比べれば民度の高い部分はあります。そうした部分を自慢して下さいね。
2007/04/20(金) 15:25 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
以前妹尾河童さんが『少年H』を出されたときに、戦時中がそんなに明るかったわけがないと非難する人が多くいましたが、感じ方は人それぞれのはずですよね。
今回紹介されたようなお気持ちの方も、たぶん何人もいらしたのでしょうけれど、そういうことを言ってはいけないというような雰囲気があって、なかなか表には出てこなかったのでしょうね。

>それに比べ現代青年は、

以下の文章は悲しいけれど納得してしまいますね。
今日も、友人に日本の自慢話をしていて(笑)、度々「私が子供だった頃はね。」とか「昔はね。」と付け加えなければならなくて、「今の日本は自慢できないのかなぁ。」と自問自答してしまいました。
2007/04/19(木) 20:53 | URL | milesta #S4B2tY/g[ 編集]
戦前が全て悪かったなんて有り得ないですね。映画にしろ文学にしろ
戦前の方が優れたものが多いです。
優れた創作者が多かったからでそれは戦前の教育が間違っていない証ではないですか。
現代の若者の青春の方が暗いというのは私もそうだと思いますね。
戦後も戦前の教育を受けた方々が多くおられた時期は日本もまだましだったように思います。
とても良いお話を書いて頂き
ありがとうございました。
2007/04/19(木) 17:02 | URL | sesiria #flPMGraQ[ 編集]
正論
獅子吼男に賛成、痛快な論破。
2007/04/19(木) 06:49 | URL | ごん太の遠吠え #-[ 編集]
>山本大成さん
コメントありがとうございます。マスコミや学校教育が伝える、「戦前=真っ暗」というステレオタイプの話とは違うこうした話は、なかなか聞く機会がないので、今回取り上げてみました。
2007/04/19(木) 00:48 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
貴重な記事の紹介、ありがとうございました!
 私は40代前半ですがこの種の話として良く聞くのは、同世代の人間の「昔は正義感のあるガキ大将が居た!」との言葉。
 私の記憶にはそんな場面はついぞ記憶が無く、具体的な人名はだれか?を尋ねても、誰も名前をあげられません。

 半年ほど前、兼松學,加賀谷貢樹 共著の「戦前・戦後の本当のことを教えていただけますか」を読んで、伝え聞く戦前・戦後とはずいぶん違うのだと言うことを感じました。

 貴重な記事、ありがとうございました!
 
2007/04/18(水) 13:25 | URL | 山本大成 #E6psF8zg[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://hepoko.blog23.fc2.com/tb.php/298-d51b99a5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
「戦争論」発売以来、私なりに自分の感覚をチェックしながら、 いろいろと大東亜戦争について考えてきました。 そして、最近やっと答えらしきものが見えてきたので、 それにつ...
2012/08/16(木) 18:00:20 | 中川昭一氏のような保守を支持します&♡ ときめく人達♡
大東亜戦争直前、昭和十六年頃の世界情勢の渦中に生きた日本人が、どのようなことを考え、どのような意見を持っていたのかを、その頃に発行された書籍を紐解くことによって、その時代の日本人と同化し、なぜ大戦へと進んでいったのかを探って見たいと思います。
2007/04/23(月) 09:19:10 | 反日ワクチン