『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
今回は、『祖國と年』4月号より、鈴木由充氏の書かれた『「昭和の日」を迎えるにあたって』という論文を引用します。日本文化チャンネル桜「報道ワイド日本」(4月11日放送分)をご覧になられた方は分かるかと思いますが、番組中でキャスターの高森明勅氏が、「これ本当は時間があれば丁寧に紹介したいんですけど・・・」と言われ、タイトルの紹介のみで終わってしまったものです。


「昭和の日」を迎えるにあたって
昭和天皇と昭和の国民の矜持(きょうじ)


鈴木由充

■昭和二十年八月十五日の皇居前広場

今年の四月二十九日は「昭和の日」である。「みどりの日」は五月四日になった。平成十七年の祝日法改正を受けて本年より施行される運びとなり、その趣旨には「激動の日々を経て復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いを致す」とある。

昭和は遠くになりにけり――平成も十八年を経、今や「昭和」を知らない世代が成人を迎えようとする時代である。昭和天皇のお誕生日が、「みどりの日」などという無味乾燥な名称から、その本来の意味とぬくもりを取り戻したことの意義は大きい。「昭和の日」推進ネットワーク、「昭和の日」推進議員連盟をはじめ、「昭和の日」実現のために長年粘り強い運動を続けてこられた方々に、改めて敬意を表したい。
「昭和の時代を顧み・・・」と聞いて、直ちに昭和二十年八月十五日の皇居前広場の光景が脳裏に浮かぶ人は少なくないのではないだろうか。昭和四十六年生まれの私は、もちろん当時を直接体験した世代ではない。にも関わらず、なぜかこの光景が記憶の深いところに刻み込まれている。

「静かなやうでありながら、そこには嵐があつた。国民の激しい感情の嵐であつた。広場の柵をつかまへ泣き叫んでゐる少女があつた。日本人である。みんな日本人である――」

朝日新聞は当時の様子をこのように報じた。そしてこの日、二重橋前の様子を撮影に来て、ついにシャッターを押せなかったある報道カメラマンの話を、私はかつて書いたことがある。また、故・末次一郎先生が、毎年十二月八日と八月十五日には二重橋前に額づき、開戦の詔書、終戦の詔書を黙読して決意を新たにされていたというエピソードも、幾度か書いた。私の心の奥深くに留まり、決して色褪せぬ「記憶」である。

民族の記憶とでも言えばいいのだろうか。昭和という時代のかなしみと誇りと――その全てが昭和二十年八月十五日の皇居前広場に凝縮されているような気がするのである。

■少国民の矜持

昨年三月、作家の久世光彦(てるひこ)氏が亡くなった。「テレビドラマの演出家」と言った方が通りがいいだろうか。昭和十年生まれの久世氏は、昭和という時代を心から愛し、その音やにおい、空気の湿り気に至るまで蘇らせることのできる、稀有(けう)な才能を持った人だった。久世氏逝去の報に接し、「昭和を知る人がまた一人去ってしまった」と、一抹の寂寥感に襲われたことを覚えている。

その久世氏は晩年、昭和二十年八月十五日当時を振り返って次のように記している。

「私たち、ごく普通の国民は、あの戦争に勝ちたいと思っていた。毎日のラジオのニュースの、冒頭に流れるテーマ曲が、『軍艦マーチ』か『海ゆかば』かをドキドキしながら待っていた。私は十歳でしかなかったが、あの日の気持ちが、悪い人たちに踊らされて生まれたものだなどとは、一度だって考えたことがない。私たちは十歳の責任において、国を愛し、国を憂い、国の弥栄(いやさか)を祈った。いまは死語になってしまった《少国民》という言葉を私は思い出す。あのころの私たちはには、少国民の矜持があった。それが押しつけられたものだと言われれば悔しいが、冬の朝、青空を仰いだときのような、あの身の引き締まる思いは、十歳の《少国民》の、自発的で主体的な《真実》だったと、私は今も思っている。(中略)

実際あの日の私には、《堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ビ難キヲ忍ビ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス》という部分に悲劇の予感があっただけで、ほかはまるで何のことかわからなかった。しかし、気がつくと泣いていた。隣に正座していた母や姉に誘われて涙が出たのではなかった。一人の矜持ある少国民として、私は泣いた」

久世さんは「少国民」という言葉が死語になってしまったと書いているが、「矜持(きょうじ)」も最近ではほとんど耳にすることがなくなった言葉である。しかし、その「矜持」という言葉に改めて接して、昭和の時代には確かにあって、平成の私たちが失いつつあるものが何なのか、はっきり見えた気がした。

■昭和天皇が祈られた「やすらけき世」

先に紹介した朝日新聞の記事には、最後に次のように記している。

「土下座の群集は立ち去らうともしんなかつた。歌つては泣き泣いてはまた歌つた。通勤時間に、この群集は二重橋前を埋め尽くしてゐた。けふもあすもこの国民の声は続くであらう。あすもあさつても『海ゆかば・・・』は歌ひつゞけられるであらう。民族の声である。大御心を奉戴し、苦難の生活に突進せんとする民草の声である。日本民族は敗れはしなかつた」

この人たちは「愚かな戦争」を悔いて泣いたのでも、戦争から解放された喜びで泣いていたのでもなかった。久世さんに倣(なら)って言えば、「一人の矜持ある国民として」泣いていたのである。そして、戦後の出発はまさにこの「矜持」から始まり、戦後の驚異的な復興はこの「矜持」によって成し遂げられたことを、後生の私たちは忘れてはなるまい。

そして、未曾有の敗戦の苦難の中で、日本人の矜持を身を以て国民に示し続けてこられたのが、他ならぬ昭和天皇であった。


マッカーサーとのご会見で「自分はどうなっても構わないから国民を助けて欲しい」とおっしゃったこと。新日本建設の詔で五箇条のご誓文を掲げられ、日本には日本の民主主義があることをお示しになったこと。全国ご巡幸で敗戦に打ちひしがれた国民を直接励ましてまわられたこと――。

昭和六十三年八月十五日、武道館における全国戦没者追悼式。昭和天皇は既に病篤(あつ)くあられたが、ヘリコプターを使ってまで、敢えてご出席の意志を曲げられなかった。お顔には憔悴の色を隠せず、足取りはいかにも覚束ないものであった。しかし、天皇は、一歩一歩踏みしめるようにして祭壇に向かわれた。

昭和二十年八月十五日、「国民の激しい感情の嵐」が渦巻く宮城(きゅうじょう)で昭和天皇は一人何を思われていたのか、そのご心中を窺い知ることは誰にもできない。しかし、昭和天皇はその日、国民と(既に亡き人々も含めて)ある約束をされたに違いない。その大切な約束を果たすために、八月十五日は何があっても行かねばならぬと。

崩御はそのわずか五ヵ月後。最後まで矜持を貫き通されたご生涯であった。

そしてその日、昭和天皇は次のようにお詠みになった。

全国戦没者追悼式 八月十五日
やすらけき世を祈りしもいまだならず
くやしくもあるかきざしみゆれど


肺腑を抉(えぐ)られるようなお歌である。昭和天皇が何を思われて「くやしくもあるか」とお詠みになったのか、そのご心中も今となっては知る由もない。

それから二十年近くが経った現在、昭和天皇が祈られた「やすらけき世」は現実のものとして実を結んだであろうか。未曾有の困難の中で、それでも貫き通された昭和の民の矜持は、今も変わらず人々の心を支え続けているだろうか。

昭和の日を迎えるに際し、心静かに振り返ってみたい。(終)


昭和の日本人を支えた「矜持」というものを、平成の世を生きる私たち日本人は持っているのでしょうか。あるいは忘れ去ろうとしているのではないでしょうか。
日本国民としての「矜持」を持って生きることが、今の私たちに一番必要なのではないかと思いました。


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コメント
この記事へのコメント
>sesiriaさん
今はあまり聞かれませんが、「矜持」という言葉は、本当に良いですよね。私も日本人としての矜持を持って生きなければと思いました。
そして、希薄になってしまった天皇陛下と国民との心の絆も、取り戻すことができれば良いですよね。
2007/04/20(金) 15:34 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
読ませて頂き、感動しました。
涙が溢れて仕方がありませんでした。こんなにも美しかった日本。
日本人。「矜持」
素晴らしい言葉ですね。日本人にぴったりだと思います。
天皇陛下と国民との心の絆。
今の時代と比較すれば更に
胸に迫るものがあります。
2007/04/19(木) 17:13 | URL | sesiria #flPMGraQ[ 編集]
>tonoさん
「NIPPONのうた」のCDは私も持っています。改めて歌詞を見直してみて、私も彼らが言う「矜持」の概念は間違ってないと思いました。このCDを持っていない方のために、彼らのメッセージの一部を引用します。

「矜持」という言葉は本来「誇り」という意味ですが、「責任・節度」といった意味も含まれるように思います。
他国の国旗を燃やして騒ぐような誇りではなく、責任と節度を伴った「日本人・本来の誇りの継承」こそ、僕らの世代の責任だと思うのです。


>かついちさん
私も、かついちさんが取り上げた二つの御製は、胸を打つものがあります。昭和天皇の願われた「やすらけき世」が実現するよう、頑張らなければなりませんね。
2007/04/15(日) 12:55 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
亡き父も
「やすらけき世を祈りしもいまだならず
くやしくもあるかきざしみゆれど」
私はこの御製と

「思わざる病となりし沖縄を
たづねて果たさむつとめありしを」

という御製が、誠に失礼ながらとても好きで、拝読する度じーんと胸を打ちます。同時に陛下のご無念さが伝わり、涙を誘うのです。
これぞ天皇の2600年以上もの長い歴史に培われてきた伝統なのだと思いました。
昭和天皇崩御の時、私の亡き父は私たちの見ていないところで、天皇崩御を悲しみ涙していました。父は昭和12年生まれ、まさに久世さんやmilesta様のお父様と同世代であり、まったく同じ心境だったのではないかと思います。
2007/04/14(土) 23:39 | URL | かついち #JalddpaA[ 編集]
素敵な言葉です
>やすらけき世を祈りしもいまだならず
 くやしくもあるかきざしみゆれど

・私はこの御歌は、思う世を見届け得ぬか という無念さと、そうではあっても一条の光を何かに感じ取っておられたのだろうと、浅くも単純に解釈しました。
 
 たまたま「NIPPONのうた」というCDに「矜持」という曲(なんとラップです)が有りました。
 ちょっと、考えましたが、歌っているメンバーのメッセージの「矜持」の概念は大きく違っていないと思い記事にしました。
 TBさせて頂きます。

 
2007/04/14(土) 11:09 | URL | tono #vFsRzAws[ 編集]
>milestaさん
milestaさんのお父さんや、久世さんや高坂さんたちの世代が抱いていた、天皇陛下への温かい感情というのは、すごく良いものですよね。
高坂さんの本の記事、楽しみにしています。
2007/04/14(土) 10:38 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
昭和天皇のお姿が脳裏に浮かぶような論文ですね。崩御される前の日本の雰囲気などもいろいろと思い出しました。

私の父もそうなのですが、昭和10年前後生まれの方々は久世さんのように仰る方が多いですね。裏切られたとか、強いられたとか思ったことはないと。父はよく「われわれの世代は、天皇ファンが多いんだ。」とも言っていました。神でもなく、強い権力者でもなく、お姿を拝見するだけでジーンとしてしまう対象なのだそうです。今、高坂正堯さん(昭和9年生まれ)の本を読んでいるのですが、京都出身ということもあって昭和天皇のことを「天皇さん」と仰っています。その呼び方のように温かい感情を抱かれていたのではないかと思います。(いつか記事にしますね。)
2007/04/13(金) 14:23 | URL | milesta #S4B2tY/g[ 編集]
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 矜持♪受け継いだもの忘れないでいつも心に思い描いてそして繋げる次の世代へ共に歩んで行く末来日指してあの原子爆弾 2個もってして焼き尽くせなかったもんですぜダンナあんな惨禍超えてきたんだやっぱ日本てスゲー少ない鉱
2007/04/14(土) 10:50:37 | 切捨御免!トノゴジラの放言・暴言