『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
※体調不良のため、ブログの更新が出来ずにおりました。すいません。

今回は、月刊誌「Voice」二月号(PHP研究所)より、徳川恒孝(とくがわつねなり)氏(徳川記念財団理事長)と、中村彰彦(なかむらあきひこ)氏(作家)との対談記事を引用します。徳川宗家第十八代当主である徳川恒孝氏が「武士道」について語っており、大変興味深い記事です。


将軍家が見た
ほんとうの武士道

”新渡戸稲造”だけではわからない日本精神の凄み

■「武人」の緊張感

中村 最近、書店で武士道について論じた本をよく見掛けますが、ブームだからというので急遽つくったような本も多いですね。

まず取り上げられることが多い新渡戸稲造の『武士道』ですが、たしかに武士道を解説した点では優れたものとはいえ、やはり外国人用の入門書です。ハンディな国語辞典程度のものとして使えても、『日本国語大辞典』のようなもっとも拠るべきテキストと思われるのはちょっと困る。新渡戸はクリスチャンで、国際的な教養も豊かでしたから、外国人には口当たりがよかったのでしょうが、武士道はキリスト教やシェークスピアの戯曲などとまったく関係なしに育ったものです。ちょっとバタくさい説明が多すぎる感じがします。

では、ほかに武士道をきちんと解説したものがあるかといえば、それもあまり見当たらない。たとえば山岡鉄斎の『武士道』はただの禅問答です。彼はどうしても剣の先生に勝てなかった。竹刀(しない)を突きつけられるとその竹刀が非常に大きく見え、すくんでしまって動けない。それを禅の不動心で克服するのですが、逆にいうと武士道ではなくて禅の極意の話になっている(笑)。

そういう意味では、武士道というのは、じつは多面的なものであって、自分の好みの一面を語った本はあっても、全体を語った人というのは、まずいないのではないかと思います。

それから、武士道というものは固定されたものではなく、時代とともに移り変わってきたものだということも考えておかねばなりません。源平合戦の時代のつわものの道。戦後時代の下克上的で覇道的な武士道。そして徳川期に完成していく武士道。それぞれの様相はまったく異なっていくわけですね。
徳川 いや、まったく同感です。僕が新渡戸さんの本を初めて読んだのは、二十歳ぐらいのときイギリスででした。初めて外国のなかに暮らして、なんとなく圧倒されているなかでしたから非常に感激したのですが、たしかにおっしゃるように、あとから考えてみるとスマートすぎるとか、いろいろな意味で少し違うのかなという感じを強くもつようになりました。

時代によって武士道が大きく違うというのも、まったくおっしゃるとおりだと思います。ただ、戦国時代は覇道一方ではなく、だんだん儒教的なものが武士に入ってきますね。覇道的な側面の一方で、民を富ませることが自分を強くすることであるということも意識されていく。大名の家訓などを見ても、孟子を読めなどと、だいぶ儒教が強く入ってきているものがあります。

中村 その儒教的な流れを大きく導入したのが徳川家康でした。土地を切り取り、敵の首を取るのが英雄だという世界から、平和を志向してきちんとした国家をつくるのが武士道であるという世界へと切り替えていきます。それをもっとも象徴的に表しているのは、「元和偃武(げんなえんぶ)」という言葉でしょう。「元和」は大阪の陣の直後に出された元号で、平和の始めの年であるという意味を持つ言葉ですね。さらに、これによって武の時代は終わるのだという決意の表明として「偃武」という言葉が付きます。平和な国家への非常に強い意志が表れた、とてもいい言葉だと思います。

まず家康、秀忠、家光の三代で、平和な国家づくりの骨格がつくられていきます。さらに家光没後には、家光の異母弟で初代会津藩主となった保科正之が四代将軍家綱の輔弼(ほひつ)役を務めてその体制を支え、非常にヒューマニスティックな政治を行う。これが二百七十年近く平和が続く大切な土台となります。

江戸時代の平和を支えた武士たちの武士道とは、まず国家に対して自分に何ができるかを考えるものでした。このような広い見地の武士道を積極的に評価する文脈で見ていかないと、非常に視野の狭い話になってしまう気がします。

徳川 武士の道がガラッと変わって。目的がはっきり決まってきたのは、やはり徳川時代に入ってからでしょう。その基礎になった儒教は、もともとは中国のものですが、日本ではまったく異なった受容がなされたように思います。

中国では、科挙に通った秀才の「士大夫」たちが国を運営する道具として使ってきたところがある。ですから、礼儀作法など非常に技術的なものが重視されました。

しかし、日本では必要とされるのは儒教の忠とか孝といった「心」の部分だけ。はっきりいって日本は、仏教でも儒教でも、「これはいい」と思ったものだけ取ってきて、ややこしい話はいっさい取らない(笑)。

それから、もう一つ面白いのは、儒教を受容した侍が「武人」であったということです。つねに刀を差していることの意味は大きい。

たとえば、僕も中村さんも刀を差しているとします。初対面で中村さんをよく存じ上げないとすると、僕が挑発的な言動を弄したら、もしかしたら中村さんはカッと怒って斬りつけてくるかもしれない(笑)。刀を差していると、そういう緊張感があるんですね。いまではちょっと想像がつかないほど、自分を律する心が必要とされるものだと思うのです。

おそらく江戸時代の最初と最後を除けば、九九パーセントの侍は刀を抜いたことはないでしょう。しかし、抜かなくてもいいのです。自分が悪かったらその日のうちに切腹を命じられるかもしれないし、誰かと斬り合いになるかもしれない。つねにギリギリの立場にいる感覚が、すべての人にある。その感覚があることの意味は、きわめて大きいと思います。

中村 「士道不覚悟」という言葉があります。たとえば幕末に横井小楠という大学者がおりましたが、刺客がきたときに仲間は戦ったのに自分だけ逃げた。これが士道に悖(もと)るとされて蟄居謹慎(ちっきょきんしん)させられています。武士であるがゆえのリスクを背負い、緊張した状況で毅然とした判断をすることが求められた。この判断を間違うことも士道不覚悟とされるのです。

徳川 そうですね。ですから、同じ儒教の教えでも、秀才の文人たちが観念的に奉じていた儒教と、日本の侍が奉じていたものとでは大きく違うはずです。

侍の手に渡ると、厳しさと凄みがグッと加わります。日本の武士は、中国や朝鮮の士大夫たちより圧倒的に学力は低い。しかし、最後の最後には命懸けだとう世界に生きている。しかも、もともとみんな百姓だから、統治についての実践感覚がある(笑)。

そういう人たちが、儒教を信じ、その精神に鋭さを加えて実地に二百六十年にわたってビシッと使った国は、おそらく世界中で日本だけだと思うんです。ほかに例がない、非常にユニークな体制だと僕は思います。

中村 たいへん鋭いご指摘だと思います。いわゆる諸子百家には、自分の考えを国王に採用してもらうことによって生きるという高等遊民的なところがあります。日本の武士たちは思想を売り歩くという世界ではなく、つねに生きるか死ぬかの厳しい世界に生きている。そこに儒教が入ってくると、やはり考えを研ぎ上げることになります。

さらにいうと日本の場合は、神道と結びついていったことが非常に強いのではないかと思います。

もともと日本の武士の起源は朝廷に仕えた「侍」です。ですから原則的に、日本の侍には尊王の側面がある。天皇はいわば神道の総元締めのようなご存在ですから、尊王の気風をもつ武士は当然、神道とは昔から非常に近しいわけです。徳川家も日光東照宮をつくっています。朝敵というイメージで語られがちな会津藩も、じつは二代目藩主以外の全藩主が神道で祀られていることに象徴されるように、藩を挙げて神道を奉じていました。

その神道の感覚と儒学の教養が一体化し、神仏習合と同じような意味での神儒一致のあり方が生まれる。このことを背景として武士道が独自の色彩を放っていったのではないでしょうか。お城には必ず神社があり、心身を清浄にして必ずそこへお参りする。なおかつ天皇を戴く国家のイメージが必ず心のどこかにある。そういう環境のなかで、「わが身を修め、家をととのえ、国を治め、もって天下を平和なものとする(修身斉家治国平天下)」という感覚も、自然に理解されていったのだと思います。

■不思議なバランスの社会

徳川 江戸時代には元禄のころから非常に洗練された経済社会がありました。「百姓は生かさぬように殺さぬように」という言葉が有名ですが、農民は搾取される一方だったと見るのも一面的理解で、全体としては農業資本がどんどん大きくなり、彼らが地方の文化や殖産を支えてきたのです。商人や職人の世界も、大変に生き生きとして力強い。

その洗練された経済社会の上に、貧乏極まりないのに道徳・規範をきちちんと実践しようと思っている武士がいる。(笑)

そのような武士がいればこそ、農民や町民の教育にも、かなり実学的ではあるが、やはり道徳のいちばん易しい部分は入ってきます。寺子屋で五歳や六歳のころから「山高きがゆえに貴からず、樹あるをもって貴しとなす」などという文句をずっと習っていくわけです。

社会に厳然と道徳・規範があり、しかもその社会規範を教科書として若者たちが育っていく。金儲けよりも大切な規範があるということが社会の共通理解となっていました。

いまの日本では、それは受け入れられないかもしれません。戦後は、典型的なアングロ・サクソンモデルを取った。アングロ・サクソン族というのは、イギリスの歴史を見ても、とても格好はいいけれど、金儲けに関してのえげつなさはそうとうなものです。

それからもう一つは、社会全体が若者を育てるシステム、江戸のように育てるシステムが完全に欠落してしまった。社会全体を包むようなモラル、そしてそれに身を挺した武士のような人たちもいなくなった。

いま武士道が盛んに取り上げられるのは、社会全体のモラルがこのままでいいのかという問題意識があるからなのでしょう。

中村 いままでの日本では、「型にはめるのはよくない、自由奔放でいい」という考え方のマイナスの側面が出てきてしまい、教育者たちが指導力を発揮できない教育制度になってるところがあります。江戸時代の社会規範形成の見事さというものを、いまこそ再認識すべきでしょう。

遅れた過去から進歩した未来へと社会は発展していくのだという単純な考えを捨て、過去にもいまより素晴らしいところが数多くあったことを謙虚に認めないと、伝統を受け継ぐことはできません。もうそろそろ拝金主義や幼稚な進歩史観のしがらみを捨て、日本のよさを評価する方向に行ってほしいと思います。

徳川 おっしゃるとおりだと思いますね。武士道というのは先ほど申し上げたように、儒教的教養と、武人としての命懸けの精神が重なって一つの非常にユニークなものになったものですが、基本になっているのは一種の道徳律です。だから、武士の教育というのは、技術や知識は教えない。いまの教育は知識を教えるものが中心で、モラル教育はほとんどないでしょう。しかし武士の教育では、基本的には人間はいかに生きるべきかということだけ学んできたといってよい。それが今、六、七歳から二十歳まで続いていく。モラルを叩き込まれて自分で反芻(はんすう)し、「これは違う。だけど、これは正しいと思う」というものをしっかりもっていることが武士道なのだろうと思います。

中村 武士たちの教育だけでなく、寺子屋教育の水準の高さも特筆するすべきものですね。道徳教育に加えて「読み書きそろばん」が二百六十年近くベーシックな教養として広範囲に学ばれつづけ、庶民たちも驚異的な識字率や計算力をもっていたのは大変なことです。

徳川 武士以外の九五パーセントの人々は、基礎教育を寺子屋で習ったとは実社会に出ていきましたが、寺子屋のシステムは、全部個別授業でした。一人ひとり使う教材が違う。教材が七〇〇〇種類あったといわれます。商家の子供には、商家で使うような挨拶や手紙の書き方を教える。職人の子供には、道具の名前や材木などを教える。漁師の子供には秋になると、この魚がやって来るなどということを教える。

そしてそれぞれに加えて、必ず道徳科目を教えるわけです。モラルが織り込まれた実地教育です。

教育者が何を教えるというよりも、それぞれの子供たちが何を学ぶかという視線で、二百六十年にわたって教育が行われていた時代でした。社会全体を通してモラルがきちんと存在し、そのモラルを腹のなかに叩き込まれた人が刀を差していつでも命を懸ける緊張感をもちつつ政治を運営している。これは、すごく不思議なバランスの社会だったろうと思います。

中村 武士は、判断が間違うことも士道不覚悟とされたと、先ほど述べました。もし自分が指導した政治が大間違いで、藩が赤字になった場合は、責任をとって死んで詫びるのです。いまの政治家、行政家では、ちょっと考えられないことですが。(笑)

もちろん、町人には町人道、商人には商人道がありました。それぞれの商家には、一般的には許されるけれども、われわれはけっしてしないという、独特のモラルが家訓などのかたちで存在しました。

全体のモラルと、各家筋のモラルが多様に存在し、それが面白い日本人の陰影をつくったと思います、いまは、みんなのっぺらぼうな世の中になっている感じです。

■スパンの長い歴史意識

中村 社会全体のモラルをどのようにして育てるかとうことに関していえば、武士たちがどのようにして育てられたのかというのも興味深い点です。

私はこの秋に、『日新館童子訓』を現代語訳しました。(『武士道の教科書』PHP研究所刊)。これは会津藩の藩校・日新館に入学したばかりの武士の子弟に道徳を教える教科書ですが、十歳の子供が読むものだからか、具体的な孝行語りが繰り返し頭に刷り込まれるように紹介されています。しかも、歴史所上の人物の話だけでなく、会津藩で実際にあった孝行息子の話などもきわめて具体的に紹介されます。これを読み進めれば自然と「孝」の大切さがわかり、さらに「孝がなければ忠はない」ということもよくわかります。

親に対して孝を尽くすということを子供のうちに身に付けていなければ、藩庁に役人として採用されてから、主君に忠義が尽くせない。だから子供には、まず孝から教えないといけない。忠を先に教えると、頭でっかちになって混乱してします。そういうことまでよく考えてつくられている教科書です。

会津藩には有名な「什(じゅう)の誓い」がありました。会津藩士は六歳になると「什」という地域ごとの藩士子弟の組織に入り、

一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ。

二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。

三、虚言(うそ)を言うてはなりませぬ。

四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ。

五、弱い者をいじめてはなりませぬ。

六、戸外で物を食べてはなりませぬ。

七、戸外で婦人と言葉を交わしてはなりませぬ。


それから最後に「ならぬことはならぬものです」と、皆で毎日唱和していました。そして十歳になると。日新館で『童子訓』を教わるのです。

仲間同士の唱和で基本的なしつけを徹底したうえで、具体的な事例が満載の教科書で道徳を教えていく。幼児教育と小学校低学年の道徳教育が、二段階のステップで非常によくできあがっています。

徳川 仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌などたくさんの徳目があるなかで「孝」がいちばん大事だと、孔子様も孟子様もいっていますね。

やはり「お父さんとお母さんがいなければ、あなたはこの世に存在していなかった。それと同じように、お父さんお母さんは、おじいさんとおばあさんがいなければ存在していなかった」という、脈々と続く縦の流れがわかるということが、僕はとても大事だと思うのです。

戦後と戦前で、何がいちばん変わったのかというと、そういう縦の家の概念が全部消えてしまったことでしょう。アメリカ的な個人主義になりましたから。ところが、日本という国はもともとが農耕民族でしたから、営々と水田をつくったり木々を植えたりするのは、自分のためになることもあるけれど、ほとんどは子孫の代で豊かになることを考えてやっていったわけです。子供たちもそれがよくわかる。おじいさまがこの木を植えた、ひいおじいさまがこの水路を引いた、という実感がありました。そのような縦の家族観を教え込むのが「孝」だと思うんです。

中村 江戸時代のことをよく見ていくと、戦国時代に滅ぼされたと思われている武家の子孫が、一万石くらいの小大名として存続していることに気づきます。血筋を残していくことが尊重されていました。徳川体制の素晴らしいところだと思います。また家康は、家臣や同盟者など自分のために尽くしてくれた人の未亡人の面倒を最後まで見ていた。縦の流れを重んじる精神的な深みを感じます。

徳川 そういう縦の家の感覚が、いまオフィシャルに残っているのは天皇家だけではないでしょうか。みんなもっと心配しなければいけないのです。自分の家に子供がいなかったらどうなるのかと。僕は、徳川宗家の第十八代になりますが、僕の代でこの家を潰したら大変だと、自然と思うわけです。僕の子供にも同じように感じてもらいたい。ところが、そのような感覚をもっている家がいま、日本にどれだけあるかというと、とても少なくなったと思います。

「家名を汚す」という言葉もありますね。脈々と続く縦の家の感覚があるだけで、ある意味で道徳上の規制がかかります。たとえば僕が飲み屋で踏み倒したら、週刊誌に「将軍ご乱行、銀座で踏み倒し」などと出るかもしれない。これはやはりどうしてもブレーキがかかります。(笑)

いま、家名を汚すから悪いことをしない人は少ないと思いますが、昔はほぼ全員にそれがあったわけです。有名な三井家でも何家でも、武家でなくても商家でもそのようなことはあった。家名を汚しそうな人は若隠居してもらい、もっとよい人を連れてきて店を継がせるなどということも行われました。

武士道の非常に大きなポイントとして、そのような縦の系列を守らなければならぬという意識があります。自分はここで華々しく討ち死にしてもやむをえない。しかし、自分の武名が上がれば、それは自分の子々孫々にとっては輝かしい財産になる。その意識があるわけです。

先祖代々に対しての自分の責任もあるし、自分の子孫に対する自分の責任もある。こういう感覚が日本人は非常に強かった。それを喪失したことが、いまの社会の混乱につながっている気がします。

中村 困難な戦(いくさ)で死ぬかもしれない。けれども、そのあとにも歴史は続き、家も国も続くのだから、そのためになるようなプラスの死に方ができれば男として本望であるという美学が、武士にはあったと思います。

死を厭わずというところだけにスポットを当てて宣伝してしまうと、戦前の一種の特攻史観になってしまうからよくないかもしれません。しかし、自分が生まれる以前から死してのちまで歴史は綿々と続くのだというスパンの長い歴史意識が武士道を支えてきたことは、やはり疑いようのない事実です。

さらにいえば、過去から未来への時間の流れの只中に自分がいると把握できる力が、武士のみならず日本全体にありました。日本人は、武士道、商人道など、「道」という言葉が好きですが、これも、この大きな流れを把握するなかから生まれてくる言葉でしょう。大根(おおね)のところで日本人のモラルに共通性があるのは、そのような背景があってのことだと思います。

■モラルこそが日本の繁栄の基礎

中村 そのスパンで武士道を考えたとき、国家に対していかに献身していくか、社稷(しゃしょく)をいかに支えるのかというところまで届かなければ、それは大した武士道ではないと思うのです。「徳川の平和(パックス・トクガワーナ)」をいかに持続していくかと考えた人たち、さらに徳川家の親藩として天下を懸命に支えようとした会津人たちの武士道を振り返るとき、われわれが一種の感動を覚えるのは、国家のためにいかに身を捧げられるかという彼らの無私の精神ゆえのことでしょう。

明治になって幕藩体制が打倒され、武士の時代が終わったといっても、武士道に代わるモラルを日本人はつくれませんでした。むしろ全体としては儒学的な人間の素養を重んじることは変わらなかった。

それをもっともよく表しているのは※「教育勅語」です。明治天皇が「父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ 夫婦相和シ 朋友相信シ・・・是ノ如キハ独リ朕(ちん)カ忠良ノ臣民タルノミナラス 又以て爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン」と勅語で打ち出したとき、たとえば秋月悌次郎など会津の遺臣たちはホッとしたと伝えられます。明治という時代にアンビバレントな思いを抱いていた人びとも、明治天皇がこの精神で統治しようとなさっていることがわかったときに、初めて明治人になっていったわけです。

※教育勅語については、以前拙ブログで記事にしたのでご覧下さればと思います。
「今こそ教育勅語に学ぶとき」

その後、日本人は太平洋戦争で負けます。では、次に戦後の新しい倫理をどこに求めるのかという問題が起こったとき、ここでも何もつくれなかった。そればかりか今度は、儒学的な考え自体をあたかも古臭いもののように捨て去ってしまった。

親が子を殺し、小学生が同級生に斬りつけるなど、精神的にアモラル(無道徳)な世相がここまで来てしまったのは、戦後日本が聖徳太子以来の儒学の伝統を評価せず、しかも何のアンチテーゼも出せなかったからではないかと、私には思えてなりません。

人間として拠って立つ基本的な倫理観を身に付けるという文脈で武士道を解釈すれば、それは現代社会に生かせるはずです。時代は遷り変わるけれども、何か迷ったとき帰るべきメルクマール(指標)として、武士道を位置づけたらよいと思いますね。

徳川 しかし忘れてはいけないのは、やはり日本人には、いまでも諸外国と比べればはるかに高いモラルがあるということです。

なぜ日本のものが売れているかといえば、納期を必ず守るとか品質で嘘をいわないなどの信用が歴然とあるからです。そのことを忘れてはいけない。モラルこそが日本の繁栄の基礎なのです。万が一、日本人がモラルを喪失したら、日本の経済もとても心配なことになるでしょう。

中村 一九八二年のフォークランド紛争のときに、私は『週刊文春』の戦争特派員としてアルゼンチン取材を行ったのですが、アルゼンチンではクリーニング店で成功してる日系人が多いのです。なぜクリーニング店で成功したのかと聞いたら、ラテン系の人間がやると仕事が大雑把なのだという。ワイシャツにアイロンをかけ、ボタンが吹っ飛んでしまっても、そのまま「できました」ともってくる。日系人はきちんとボタンを縫い付けてもってくる。服のポケットにお金をうっかり入れたまま出しても、日系人のクリーニング屋は、「このお金が入っていました」と必ず持ってくる。なんときちんとした人たちだと信頼されて成功したのだそうです。そういう民族のよさを、もう少し上手に表現できていくといいと思いますね。

徳川 三年、四年ほど前に、サンフランシスコの空港に僕だけ乗り継ぎで早く到着し、日本に帰るまで数時間エアポートのなかで時間を過ごしたことがありました。そのときある売店で、一人の女性がもう一人の女性に引継ぎをしている。聞くともなく話に耳を傾けると、「一つの商品を見せて、ほかにも見たいといわれたら、必ず最初のものはしまって鍵を掛けてから別の商品を出しなさい。そうしないとお客が殺到してあとで気づいたときには三つくらいなくなっている。でも、日本の飛行機会社のチケットをもったお客のときには大丈夫だから心配するな」といっているのです。

日本の社会のモラルは、まだまだずっと上のところにあるのです。それにみんな気がつかないのか無視しているのか、「日本はダメだ、ダメだ」といいますが、いま世界中を歩いてみて、日本ほどきちんとした国はまずありません。日本は、もうほとんど世界最高の水準にあるわけです。そのことを日本人はもっと大事にするべきではないでしょうか。日本に来る外国人は「日本に来ると安心だ。休まる」といいますね。日本が好きだという人もたくさんいる。日本人は、もっともっと日本のいいところを探すべきでしょう。

中村 たしかに、先ほどの「什の誓い」にも、「人の物を盗ってはなりませぬ」とは書いてありませんね。それがいけないことだというのは、日本人にとってはあまりにも当たり前ですから(笑)。

そのような日本人のモラルの高さを若い世代に伝えていくためにも、武士道を正しく見直していきたいものです。(終)


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コメント
この記事へのコメント
>milesta さん
私も、江戸や明治の頃も良い時代だったと思います。日本人が長い歴史の中で培ってきた倫理・道徳観が伝えられてきていましたから。
ところが、戦後はそれが伝えられなくなり、それが現在の日本人の心の荒廃に繋がっていると思います。
いまこそ、こうした時代を振り返り、対談で述べられている武士道精神など、現在の私たちが失ったものを取り戻すべきではないかと思います。
2007/03/22(木) 00:12 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
早く教えて欲しかった。
最近、江戸時代や明治時代のことが書かれた本を続けて何冊か読むことになり、あの時代は国民全体が何だかシャキッとしていたなぁと思っていたところです。ですから今回の記事はタイムリーでとても興味深く読ませていただきました。私は個人で本を読み、江戸時代や明治時代も意外と良い時代だったのではないだろうか?と感じたわけですが、こんな年になってからでは遅いです。あの時代から学べることがたくさんありそうなので、学校で教えて欲しかったな・・・。

武士道の歴史的変遷というのは今まで考えたことがなく、なるほどと思いました。
2007/03/20(火) 21:21 | URL | milesta #S4B2tY/g[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/03/20(火) 21:12 | | #[ 編集]
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