『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
今回は、前回からの続きで、「戦後の日本が失ったもの」と題された高橋史朗氏(明星大学教授)の講義の3回目(最終回)です。初めてお読みになる方は、これまでの回も合わせてお読み下さればと思います。

※戦後の日本が失ったもの①へ
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■日本文化の創造的再発見

さて、※第一の教育改革、第二の教育改革、これに対して、今、私たちに求められている21世紀の教育改革は、第三の教育改革です。

第一:近代化を理念とした明治の教育改革
第二:民主化を理念とした戦後の教育改革

第三というのはどういう意味かと言いますと、第一は明治の教育改革で、これは近代化というものを理念としました。このモデルは西洋の近代文明にあります。第二は戦後の民主化というものを理念とした教育改革で、モデルはアメリカの民主主義に求めたわけであります。この第一の近代化と、第二の民主化、これに変わる理念を、21世紀の第三の教育改革をどこに求めるかということが問われるわけですが、私はその第三の教育改革の理念は、日本の文化というものを、創造的に再発見して、そして歴史と未来を結んでいく、日本と欧米を結んでいく、そういう視点が求められているのではないかというふうに考えております。
第一と第二の教育改革は、言わば否定による進歩を目指したものでありました。近代化は江戸以前の文化を否定して、そして過去との断絶をもたらしました。戦後の民主化は戦前の教育を全面否定して、過去の否定による進歩を目指そうとしました。そのことが、三島由紀夫さんの言う「豊かな音色が溢れないのは、どこかで断弦(だんげん)の時があった」という、つまり歴史と文化の断絶を招いたのは、この近代化と民主化という過去に否定による進歩を目指した改革の問題点でありました。

そこで、第三の教育改革、21世紀が求めている教育は、日本の文化というものを土台としながら、何故日本の文化かといいますと、日本の文化は縄文の文化を紐解いてみても「和」の思想であり、そして結びの精神、そういう考え方が深く根ざしています。私はよく学生たちに尾形光琳(おがたこうりん)紅白梅図を示すのですが、これは紅梅と白梅の間に広い川が流れているものでありまして、紅梅と白梅という一見対立するものを見事に調和、統合しています。私は日本人の日本の文化の感性は、このバランス感覚だと思っております。言わば日本の文化感覚、それは「私」と「公」、「全体」と「個」、「ナショナル」と「インターナショナル」、そういうものを見事にバランスをとっていく、その知恵を持っていたのがこの日本の文化であるというふうに思っております。

ところが、その日本の文化というものを占領軍は誤解をしました。例えばマッカーサーは昭和26年5月にアメリカの議会で次のような証言をしました。

「現代文明の基準で計った場合には、彼ら(日本人)は、われわれが四十五歳であるのに対して、十二歳の少年のようなものでしょう」

何故日本の文化は12歳だと考えたかといいますと、このマッカーサーに影響を与えたといわれているパーシヴァル・ローウェルという方が、『極東の魂』という本を書いておりまして、そのパーシヴァル・ローウェルによりますと、日本語は幼児が何とか努力して表現しようとしている不明瞭な概念だ。そこには個性というものがない。彼らの発達段階はまだ幼児期にあると、こう言っているんです。何故日本語をそういうふうに幼稚なものと考えたかといいますと、主語が欠けていると。「私が」とか「あなたが」とか、そういう主語がない。しかしそれは、彼らの科学的な合理信仰で考えた間違った考え方でありまして、日本人は以心伝心という言葉があるように、あるいは察する文化と言われますように、「私が」とか「あなたが」と言わなくても、お互いにコミュニケーションがとれる、そういう精緻な優れた言語、これが日本語なのであります。

つまり、アメリカ人は日本の文化を誤解して日本で占領政策を行ったわけですけれども、大変興味深いことに、アメリカのメリーランド州立大学のメイヨーという先生が、百人以上の占領軍の幹部にインタビューをした結果、多くの幹部が、「占領を終えてアメリカに帰国する頃には、日本文化の名状(めいじょう)しがたい深さに打たれるようになった」と口を揃えて言ってるのです。彼らは日本の文化を誤解して日本にやってまいりました。しかし、日本で様々な祭りに招待されて、例えば神社でお祭りに参加して、決して日本の神道というものが軍国主義とか戦争に繋がるものではないんだということを、肌で感じたわけであります。

例えば、アメリカの国務省は神道というものを3つに分けておりまして、神社、神道というものを、第一は、本来の神社、神道は平和的なものであって、純粋なものであり、これを原始神道と言ってますが、これを第一のカテゴリーにおきました。第二は、それに軍国主義的な国家神道が癒着したもの、これを「異質な接木」と言っておりますが、異質な接木が加えられた、これが第二の神社で、これが伊勢神宮だと。これは私は間違っていると思いますが、そういうふうに分析をしております。第三は、軍国主義一辺倒の、国家神道一辺倒の神社だと。これは、英雄を祀っている神社、乃木神社、東郷神社、そういう神社があたるというんですね。アメリカ国務省によれば、第三の英雄を祀っている神社は占領政策に違反するから、廃止すべきだと。第二番目の神社は、よく検討して考えなさいと。第一の神社は全然無害だから問題がないと。こういうふうに是々非々で考えていたわけであります。

しかし、神道指令を作ったバンス宗教課長に私がインタビューをしましたら、バンスは軍国主義と神道を混同しました。私がインタビューの開口一番、「あなたは神道指令において、軍国主義と神道を混同しましたね」とこう言いましたら、彼は「YES」と言いました。しかし、そのことを説得力のある言葉で説明してくれた日本人は一人もいなかったと、彼は言ったわけであります。

私はアメリカでスタンフォード大学に2年、ワシントンで1年、学びました。私の指導にあたって下さった先生の一人はメリーランド州立大学のマクネリー先生、もう一人はスタンフォード大学のウォード先生ですが、お二人とも日本国憲法の成立過程研究の権威者でございました。この二人が私に同じことを言いました。「日本国憲法がアメリカに押し付けられたことは明白な歴史的事実で、疑う余地はありません。しかし、あれから何年経ったというんだ。いつまでも日本人は憲法を押し付けられてけしからんと言ってるそうだけれども、もうあなた方の問題ではないか。いつまでもアメリカに責任を転嫁して、アメリカけしからんと言ってないで、日本人自身がもし押し付けられて問題だと思うなら、自分達で変えればいいんじゃないか。もうあなた方の問題ではないか」と、こう言ったのをよく覚えているわけでございます。

つまり、日本の文化を誤解したアメリカよりも、日本の文化というものに対する自信を失っている日本人の問題、これこそが本質的な問題であります。日米問題というよりも、日日問題という言葉が適切かどうか分かりませんけれど、日本人自身が日本文化の価値というものを見失い、そして私たちの生活の中でも既に失ってしまっており、文化を受け継ぐという教育が家庭でも学校でも行われていません。

教育には、人間教育という目的と、国民教育、すなわち日本人を育てるという二つの目的があります。しかし戦後教育には国民教育、つまり、日本人を育成するという視点が欠落しておりました。その根本はこの講義で申し上げてきた国民教育というもの、つまり愛国心を育てる教育が戦争に繋がるという占領政策、精神的武装解除というその占領政策によって国民教育そのものが否定された、その影響がまだ今日に残っているのです。そしてそのことが、今日個性尊重ということを言いますけれども、国民的な視点、日本人を育てるという視点が欠けている背景にある問題であります。

教育基本法の中には、「国民」という言葉が出てきます。学習指導要領には「日本人としての自覚」とか、「国を愛する心」というのが出てきます。しかし今、道徳の時間に最も教えられていないのは愛国心と伝統文化の尊重です。これは文部科学省が行っている道徳教育推進状況調査報告書の中で明らかになっております。

つまり、それをどう教えていいか分からないというのが、教師の本音でございましょう。戦後、この占領政策が国民教育というものを否定してきた、その問題点を乗り越えようとして様々な試みが行われてまいりました。例えば吉田茂は「教育綱領」というものを作ろうと致しました。しかし、これに和辻哲郎(わつじ てつろう)を始めとして当時の知識人たちが反対を致しました。何故反対したかと言いますと、どんなに美しい教育理念を謳っても、それを誰がどのように伝えるのか、つまり人が問題だと。これはその通りでございまして、法の中にどんな理念を盛り込んでも、それを誰がどのように伝えるかという人づくり、それが大事なポイントになってくることは当然でございます。さらに天野 貞祐(あまの ていゆう)文部大臣が、国民実践要領というものをつくりまして、ここで繰り返し使ったのが、「道義」という言葉であります。この言葉を国民実践要領で何度も繰り返し強調致しました。さらに、中央教育審議会の「期待される人間像」というのが出たんですけれども、その中では「風格」という言葉が何度も出ております。日本の美しい伝統として、自然と人間に対する細やかな愛情や、寛容の精神をあげることが出来る。あるいはたくましく美しくおおらかな風格のある日本人、ということを謳っております。しかし、この「国民実践要領」も、「期待される人間像」も成功しませんでした。そして今日、教育界において「道義」とか「風格」といった言葉はほとんど使われることはありません。何故、この「道義」と「風格」というものを、日本の教育界は失ってしまったのか。その根っこにある占領政策というものを乗り越えていく根本的な取り組みが必要でございましょう。(終)


現在、安倍総理が教育再生会議をつくり、教育改革に尽力されています。先日その教育再生会議からゆとり教育の見直しなどの提言がなされました。それ自体は良い提言だと思いますが、私は日本の教育を根本から立て直すには、高橋史朗氏が言われるような、GHQが行った占領政策により、日本の教育の何が破砕され、捻じ曲げられたのか、それを知る必要があると思います。
そして、これまでの教育改革のように西洋やアメリカにモデルを求めるのではなく、高橋氏の言われる「日本の文化の創造的再発見」を行い、日本の文化に根ざした改革をしなければならないと思います。

安倍総理は日本の文化や歴史にも造詣が深い方だと思いますので、是非そういう方向での教育改革を進めて欲しいです。

※高橋史朗氏の著書に、今回の講義で話されていることがより詳しく書かれています。宜しければこちらもお読み下さい。
歴史の喪失―日本人は自らの歴史教育を取り戻せるのか 歴史の喪失―日本人は自らの歴史教育を取り戻せるのか
高橋 史朗 (1997/07)
総合法令出版

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コメント
この記事へのコメント
>milesta さん
milesta さんような立派な親御さんが増えると良いんですけどね。
高橋氏は「親学」の必要性も言われてますが、子を持つ親御さん、大人こそが学びを深め、次世代へ日本の文化や伝統、歴史を伝えていかねばなりませんね。
2007/02/04(日) 00:23 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
>「日本の文化の創造的再発見」

大賛成です。過去の否定が良いものをどんなに失わせているか、皆が気づき、日本文化を誇れる社会になるといいです。
そして記事にもあるように、それを伝承していかなければなりませんよね。それなのに私も含めて今の子供達の親世代が、教えるべきことを自分が知っていなかったり、出来なかったりするのは、まずいですね。これから、自らも勉強しつつ、どれだけのことを伝えられるかに挑戦です。(笑)

以前TBした記事ですが、関連する内容なのでこちらにもさせていただきました。
2007/02/03(土) 21:00 | URL | milesta #S4B2tY/g[ 編集]
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