『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
今回は、家庭教育の再生(学事出版)という著書より、勝岡寛次氏(明星大学戦後教育史研究センター)の書かれた文章を引用します。少し長くなりますが、勝岡氏は大事なことを指摘されているので、全文引用します。

■日本人のアイデンティティと歴史教育

1「明治」世代の歴史観~歴史に対する自信~
「冬の夜」という、人口に膾炙(かいしゃ)した文部省唱歌がある。尋常小学唱歌(第三学年)として明治四十五年に発表されたものである。冬の夜、外では木枯らしが吹きすさび、吹雪が舞っているが、家の中では暖かい囲炉裏(いろり)を囲んで、両親が子供たちに話しかけている。そういうほのぼのとした日本の昔の家庭の情景が、そこには描かれている。

一、灯火(ともしび)ちかく衣(きぬ)縫ふ母は、春の遊の楽しさ語る
  居並ぶ子どもは指を折りつつ、日数(ひかず)かぞへて喜び勇む
    囲炉裏火はとろとろ、外は吹雪

二、囲炉裏のはたに縄なふ父は、過ぎしいくさの手柄を語る
  居並ぶ子どもはねむさ忘れて、耳を傾け、こぶしを握る
    囲炉裏はとろとろ、外は吹雪

母の話を楽しそうに聞いているのは、女の子だろうか。早く春になってお外で遊びたいと、指折り数えて春の到来を待ちわびている。勇ましい父の話を固唾(かたず)を呑んで聞いているのは、男の子に違いない。思わずこぶしを握りしめ、自分が戦闘の場面にでもいるようだ。

唱歌の発表された時期から見て、いくさとは日露戦争のことだろう。明治末期の日本では、自らの体験を通した歴史教育が、こうして貧しい田舎の家庭においても巧(たく)まずして行われていたことを、この唱歌は問わず語らずに教えてくれているように思う。そして当時の日本人は、自らの歴史に誇りと自信を持って、子供たちに語り継いでいたということも。
2「昭和ヒトケタ」世代の歴史観~歴史に対する自信の喪失~
それではこの後の世代の日本人は、どうだったのだろうか。

昭和五十年前後に、高校の日本史の先生が書いた『おやじの国史とむすこの日本史』という本の中に、次のような印象深いくだりがある。

「今の高校生の両親の多くは昭和のいわゆるヒトケタ世代で、わたし自身その一人だが、学校の歴史教育の中で百八〇度の転換を強いられた。転換どころか、歴史教育については崩壊しか経験しなかった世代である。一言でいえば、歴史に対して自信を喪失した年代層であり、白状すれば、わたしも中堅年代の教師の一員として毎日授業をしながら、ときとして心の中にある種の不安を感じ、日本史をこんな教え方をしてよいのだろうか、いつの日にか、わたしの歴史教育はすべてまちがっていたということになりはすまいかという恐怖に突如として襲われることがある」

高校の日本史の先生が、自分たち”昭和ヒトケタ”世代は「歴史に対して自信を喪失した年代層」で、子供たちに日々こうして歴史を教えながらも「いつの日にか、わたしの歴史教育はすべてまちがっていたということになりはすまいかという恐怖に突如として襲われることがある」と言っているのである。これは尋常のことではない。「学校の歴史教育の中で百八〇度の転換を強いられた」というのは、何を意味しているのだろうか。

言うまでもなく、敗戦による歴史教育の中断と、占領軍の支持によって新しい歴史教育が開始され、それまでの歴史教育は全部否定されてしまったことによる、歴史の断絶をそれは指しているのである。たとえば、「大東亜戦争」という言葉は占領軍によって禁止され、「太平洋戦争」という言葉にすべて置き換えられた(拙著『抹殺された大東亜戦争―米軍占領下の検閲が歪めたもの』を参照)。日本は”大東亜の解放”を大義名分に掲げてあの戦争を戦ったが、占領軍はそういう日本の立場で書かれた歴史を教室で教えることは禁止し、日本人は恥ずべき「侵略戦争」をしたのだと、父祖を辱めるようなことを教えなければならないことになってしまった。

大東亜戦争だけではない。占領軍の干渉により、歴史の教科書から神話は追放され、完全に姿を消した。建国神話まで否定されてしまった結果、日本の古代史は何のロマンも理想もない、無味乾燥な考古学の記述に終始することになった。その上に、マルクス主義歴史学が当時の歴史学界を席巻し、階級闘争史観に基づいて「天皇制」は打倒すべき対象とされた。こうして戦前の価値観・歴史観が完全に否定された結果、ここに空前の歴史の断絶、歴史教育の大空白時代が生じたのであった。

これでは、先の先生ならずとも「歴史に対して自信を喪失」するのは当然で、当時まだ若かった日本人という日本人は皆、歴史の断絶に由来する故郷喪失感、一種のアイデンティティ・クライシスを深刻に味わった体験を持つと言っていい。そのことも最も端的に示すのが、敗戦直後の教科書の「墨塗り」であった。体験者の一人は、当時の思い出を次のように語っている。

「わたしたちは『教科書はたいせつにせねばいけません。開く前に、一度おじぎをしてから開くのです』と教えられていた教科書に、同じ教師の命でまっ黒になるまで墨をぬったのである。・・・新しい学年の新学期に新しい教科書の第一ページを開くときのあの緊張と感激。それなのに、わたしたちと同じ世代、すなわち一九三三(昭和八)年四月から一九三九(昭和十四)年三月までに生まれた人たちは、日本全国の学校でこの墨ぬり作業をさせられた。・・・教科書に墨をぬったために、あれほど学習前から何度も読み、慣れ親しでいたプリンス・オブ・ウェールズ号とレパレス号の沈む状況を、手に汗をにぎらせるように日本の攻撃側から叙述した『浮沈艦の最後』や、読んでいて自然に涙を誘われた『水兵の母』などを、授業のなかで学ぶことはとうていできなくなった。・・・教科書の墨ぬり以来、わたしは、ぴーんとひきしまった緊張感というものをしばらくもたなかった。教科書も、教師もいったいどう考えればいいのか、まるで見当がつかなくなってしまったからである。教科書も教師もたいしたもんではない、という考えをかなりはっきりもったことだけはたしかである」

こうして歴史教育の深刻な”崩壊”を経験したこの世代は、親になり、子供を持つようになっても、「過ぎしいくさの手柄を語る」どころではなくなってしまった。また、実際問題として、学校でも家庭でも「過ぎしいくさの手柄を語る」ことは禁止された。その象徴的な一例を、この文部省唱歌「冬の夜」がその後たどった運命は示している。「冬の夜」の歌自体は戦後も生き残り、音楽の授業でも教えられたが、「過ぎしいくさの手柄を語る」の部分は「過ぎし昔の思いで語る」と改められ、※換骨奪胎されてしまったのである。父親が「過ぎしいくさの手柄を語る」からこそ、子供たちは「ねむさ忘れて、耳を傾け、こぶしを握る」のであって、単なる「昔の思いで」を語られても、「こぶしを握る」どころか退屈になった子供たちは逆に眠くなってしまうだろう。このようにして戦争は日本人の記憶から忘れられ、あるいは意図的に忘れていったのが、戦後という時代だったのである。

※換骨奪胎(かんこつだったい)
先人の作った詩文の着想や表現をくみ取り、自分なりの工夫を加え、新しい作品を作り出すこと。

この”昭和ヒトケタ”世代が親になっていくのは、占領が終わる昭和二十年代後半以降のことであるが、そのころから日本の親は、戦争に対して固く口を閉ざして語らないようになってしまった。いや、語らないのではない、「歴史に対して自信を喪失した」この世代は、何が正しい歴史なのかがわからなくなり、次代に継承すべき歴史観を喪失してしまったのである。代わりに彼らは、ただ黙々と働いた。昭和三十年代後半からはじまった日本の高度経済成長は、ある意味では歴史を喪失したこの世代の日本人が、その代償のようにしてせっせと働いてくれた結果であるとも言える。

3”高度成長期”世代のエゴイズム
現在、親になっている世代は、この”昭和ヒトケタ”世代からさらに一世代くだった、昭和三十年代以降に生まれた世代である。

いわゆる”高度成長期”に成長したこの世代には、もう「歴史に対して自信を喪失した」という自覚もない。歴史に対して沈黙を守る親からは歴史観とおぼしきものは、何一つ受け継いでいない。”歴史の空白”世代である。もちろん彼らとて、歴史を何も知らないのではない。学校では歴史を学び、歴史の試験に受かるためには、嫌々ながらも歴史の教科書も読まないというわけにはいかぬから、ひとかどの歴史知識はそれなりにある。しかし、歴史が自らの血となり、肉となるような体験は、ついぞしたことがないのである。そういう歴史教育を、彼らは受けて来なかった。歴史上の人物が、自分の人生行路に決定的な影響を与え、あるいは人生の深刻な問題につまづいたとき、歴史上の人物が行く手を照らしてくれるような、そんな人物像をこの世代はほとんど持ち合わせていない。

歴史に理想像を持たないこの世代の価値観とは、つまるところ”エゴイズム”である。さまざまなデータは、そのことをはっきりと示している。たとえば、二〇〇〇年に調査された「世界価値観調査」によると、「子供を持てば、親は子の犠牲になるのもやむを得ない」と答えた親は、日本では三八・五%、三人に一人強しかいなかったが、これは調査した七三ヵ国中七二位、つまりどん尻から二番目である。一般に個人主義の国であると言われるアメリカはどうかというと、八四・九%、五人に四人以上が「やむを得ない」と答えている。”個人主義”が徹底しているはずのアメリカでさえ、親は子のために自己犠牲を厭わないのに、日本の親の大半(三人に二人)は明らかに子供より自分の人生の方が大事だと思っている。しかも、調査した七三ヵ国中七〇ヵ国は皆五〇%以上の親が「やむを得ない」と答えており、三八・五%という日本の数字は以上に低い。世界的に見ても、日本の親がどれほど”エゴイスト”かということだ。

もう一つデータを挙げておく。アメリカとトルコと日本の中高生に、「両親を尊敬する」かどうか、それから「両親は私に期待している」かどうかと尋ねた調査がある。結果は、アメリカの中高生も、トルコの中高生も例外なく十人に九人がイエスと答えた。ところが、日本の中高生はそうではなかった。「両親を尊敬する」と答えたのは、男子も女子も十人に四人(男子四三%・女子三九%)しかいなかった。「両親は私に期待している」と答えた日本の中高生はもっと少なかった。男子は四人に一人(二七%)、女子は三人に一人(三六%)しかいなかったのである。日本の家庭の三分の二は、子供が両親を尊敬せず、両親も子供に期待していない。この調査結果は、日本の親の三分の二は子供より自分の人生の方を優先しているという先の調査結果と、よく符号していると言える。この結果分析した心理学者たちは、結論として次のように述べている。「日本の親は子どもに、行き方や価値観を教えていない」「特に目立っているのは、親が自分の子どもを『叱る』ことに対しての自信の喪失である」「日本の親子関係のおかしさは、親の自信の喪失よりも、親のエゴイズムが原因になっている」と。

このように、”高度成長期”世代の親は、”エゴイズム”以外にさしたる価値観を持っていない。”昭和ヒトケタ”世代は、歴史に対する”自信喪失”の世代だったが、それでもまだ、子供たちのためとあらば、あらゆる犠牲を厭わない自己献身があった。貧しかった日本が、世界有数の富んだ国になったのは、ただ黙々と働いてくれたその世代の親たちのおかげである。しかし、その世代から生まれた現代の親の世代は、子供の頃からの何不自由ない生活の中で、残念ながら世界有数の”エゴイスト”に堕ちてしまっているのである。

そういう現代の親の世代の”エゴイスト”ぶりを示す典型的な事例が、児童虐待である。日本では昔から”子は神様からの授かりもの”と言われ、また”子宝”として子供は大事に大事に育てられたきた。明治初期に来日したイギリス人旅行家イザベラ・バードは、「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない」と驚愕し、アメリカ人考古学者のモースも、「世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない」と断言しているほどである。

それなのにどうだろうか。平成十四年度に全国一八二ヵ所の児童相談所に寄せられた児童虐待相談件数は、二万三七三八件にも上った。これは相当深刻になった段階での相談件数なので、実際にはこの何倍もの児童虐待が全国で起きているだろうことは想像に難くない。そのことは、毎日のように新聞で報道される児童虐待の痛ましい事件によっても容易に推測できるし、また相談件数が平成二年(一一〇一件)の二十倍以上と、信じられない勢いで増えていることによっても容易に類推し得る。

4子供たちの現状と、アイデンティティ回復の方途
そして、こういう”エゴイスト”世代の親から生まれてきた子供たちに、今、さまざまな”異変”が生じつつある。

平成九年、今から八年ほど前に神戸で起きた、一四歳の少年による連続児童殺害事件は、日本中を震撼させた。この少年は、「人の命はアリやゴキブリと同じじゃないか。しかし僕の命は大事」とうそぶき、周囲を唖然(あぜん)とさせた。しかし同時に犯行直前、「俺はだれからも相手にされん、いてもいなくてもどうでもいい透明な存在や」とも友人に語っている。さらには、犯行声明の中では「悲しいことに僕には国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない」と言っている。

「透明な存在」という言葉は、当時流行語にもなったが、「国籍がない」「透明な存在」という言葉は、歴史教育を否定され、歴史に自信を喪失した”昭和ヒトケタ”世代(この少年の祖父母の世代)のアイデンティティ・クライシスを、この少年も濃厚に受け継いでいることを感じさせる。また、「人の命はアリやゴキブリと同じ」「しかし僕の命は大事」という言葉には、そうした”昭和ヒトケタ世代”の親に育てられた”高度成長期”世代(この少年の両親の世代)のエゴイズムが、見事に凝縮されているように思えるのである。そういう意味でもこの事件は、二世代にわたる日本人の歴史喪失がもたらした象徴的な事件だったと言えるのではないか。

それでなくとも、自国の歴史を顧みない国民がどうなるかは、かの勝海舟が既に百年以上も前に喝破している。彼は、「学問の基礎」という文章の中で、日本の歴史をすべての学問の基礎にせず、単なる一学科に貶めているのが教育の現状だが、そんなことでは「私利利益をのみ目的として、国家の隆盛はおいて顧みざる如き者も生ずるなり」と警告している。自国の歴史を第一に重んじない国民は、日本全体の国益を無視して、各自がエゴイズムに走るようになる、と強く戒めているのである。また、アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したインドの詩人タゴールも、大正時代に来日した際にこう語っている「もし日本の子供たちが、過去を忘れてしまって、その古い歴史の高嶺から来る流れをふさぐこととなるならば、その子供たちの未来は、今まで日本の文化をかくも肥沃(ひよく)ならしめ、豊穣な美と力を生み出してきた、あの瑞々(みずみず)しい生命の源泉を失うことになるでありましょう」。

日本の親と、子供たちの現状はどうだろうか。日本の親は、「私利利益をのみ目的として、国家の隆盛はおいて顧みざる如き者」ばかりに、現実になっているのではないか。子供たちもまた、神戸の少年のような凶悪犯はひとまずおくとしても、学級崩壊・校内暴力・不登校・いじめ等、ありとあらゆるおかしな症状を呈しており、「日本の文化をかくも肥沃ならしめ、豊穣な美と力を生み出してきた、あの瑞々しい生命の源泉を失う」ことに、なってしまっているのではないか。それらはみな、海舟やタゴールの言うとおり、元を質(ただ)せば歴史を喪失し、自らのアイデンティティを喪失したゆえの、現代人特有の病なのである。

それでは、我々はこれからどうしたらいいのだろうか。歴史の回復、日本人のアイデンティティの回復は可能なのだろうか。ここでは、”昭和ヒトケタ”世代でありながら、歴史に対する自信を失うことのなかった、一つの稀有な事例に学んでみたい。それは美智子皇后の御体験である。皇族では一般国民の参考にはならぬという人がいるかもしれないが、ご結婚前の、純粋に一民間人であったときの体験であるから、そういう理屈はここでは通用しない。一九九八年(平成十年)の第二十六回国際児童図書評議会ニューデリー大会の基調講演の中で、「子供の本を通しての平和~子供時代の読書の思い出」と題して、こういう話をされている。疎開中の少女時代の話である。

「教科書以外にほとんど読む本のなかったこの時代に、たまに父が東京から持ってきてくれる本は、どんなに嬉しかったか。・・・そのような中の一冊に・・・子供のために書かれた日本の神話伝説の本がありました。・・・これは、今考えると、本当によい贈り物であったと思います。なぜなら、それから間もなく戦争が終わり、米軍の占領下に置かれた日本では、教育の方針が大巾に変わり、その後は歴史教育の中から、神話や伝説は全く削除されてしまったからです。・・・父がくれた神話伝説の本は、私に、個々の家族以外にも、民族の共通の祖先があることを教えたという意味で、私に一つの根っこのようなものを与えてくれました」

一国の神話や伝説は、民族の「根っこ」であるとは言い得て妙ではあるまいか。占領が解けてもう半世紀になるというのに、おかしなことにこの国の歴史教科書はいまだに神話をタブー視して、まともに教えていない。先生自体が神話を知らないし、それは今の親も同様である。しかし、親が神話を知っている必要は必ずしもない。子供にはただ、神話の本を与えるだけでもよい。というのは、右の例はそれだけで「根っこ」を失わずにすんだという話なのだから。だが、子供と一緒になって、親も神話を学ぶならもっといいだろう。子供に読み聞かせするだけでもいい。「過ぎしいくさの手柄を語る」ことはできない今の親でも、そういう形で家庭の中に民族の「根っこ」を蘇らせることはできるのである。

日本の歴史は長い。その長さに比べれば、戦後の六十年、たかだか二世代程度の歴史の断絶、歴史教育の空白など、取るには足らない。賢明な日本人なら、そのことを早晩目覚めて、アイデンティティの回復に乗り出すに違いないと、筆者は固く信じているのである。
(引用終わり)


私がブログを始めたのは、歴史が断絶してしまっているのを知り、このことを伝えたいと思ったことです。この歴史の断絶を回復し、日本人としてのアイデンティティを回復することが急務だと思います。

最後に親子で読める神話の本を紹介します。

※神話の絵本と言うべき内容なので、深い知識を学びたい方には向きませんが、神話の入門書として、子供に読み聞かせるには最適だと思います。美智子皇后が言われているように、民族の「根っこ」である神話を、子供たちに伝えて下さればと思います。


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コメント
この記事へのコメント
>かついちさん
教科書選定に一般市民や保護者の意見を反映させるというのは、大事な指摘だと思います。
しかし、現状を見ると教科書が偏向した記述になっていること自体知らない方が多いですし、そもそも教科書に目を通す保護者の方もそんなに多くないと思います。
ですから、まず伝えなければならないのは自虐史観やジェンダーフリーに汚染された教科書の酷い内容と、教師の偏向ぶりです。
こうしたことを伝え、教育の惨状を理解して貰い、その上で教科書選定について考える方向へ持っていかなければなりませんね。
2006/10/30(月) 10:40 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
歴史教科書にかぎらず
少々きつい言い方をするかもしれませんが、もはやあまりに偏りすぎた教科書ならいらない、私たちがこの教科書で是非子供達に学ばせたいと思う教科書を選んで逆に学校に指し示す、という提案をしたいと考えたことがあります。教育を受けさせる権利が私たちにはあるわけですから、そういうことも当然やってもいいはずです。教科書選定について一般市民や保護者の意見が一切入っていないという現状は今までとても疑問に思っていました。
2006/10/29(日) 22:13 | URL | かついち #JalddpaA[ 編集]
歴史が断絶してしまっているのを知り、このことを伝えたいって素晴らしいですね♪♪

尊敬です(^^)

応援p
2006/10/28(土) 09:39 | URL | タミ #-[ 編集]
>milestaさん
戦後六十年で培われた日本人の意識を変えるのは大変なことですが、コツコツ訴えていくしかないですね。
そして、milestaさんのような立派なお母さんが増えるといいなと思ってます。(^o^)

>かついちさん
歴史教科書の偏向した酷い内容は、そのまま教育界の偏向を表していると思います。教科書会社も商売ですから、教科書が売れないといけません。ですから、教師の要望に応える内容にせざるをえず、そうすると偏向した自虐的な歴史観で書かざるをえなくなるのです。
私は独身ですが、兄弟には子供がいて、その子たちがこうした偏向教科書で、偏向教師に学ぶことになるかと思うと、背筋が寒くなる感じがします。ですから、自分に何か出来ることはないかと思い、つくる会の末端会員になりました。
偏向教師を現場から排除し、教科書の内容を真っ当なものにして、子供たちが自国の歴史に誇りを持てるようにしないよいけませんね。

>かっぱやろうさん
「スゲイ」なんて言われると恥ずかしいです。(*^o^*)
安倍総理には、是非とも教育改革を頑張ってもらいたいです。
そして、私たちも頑張ってブログで訴えていきましょうね!

>tonoさん
「新しい歴史教科書」については、私もtonoさんと同じ意見です。
これについては、拙ブログの記事ににて私見を書いていますので、カテゴリ欄の「扶桑社歴史教科書の特徴」をクリックして読んで下さればと思います。

>最近「軍歌・戦時歌謡大全集」なるCD8枚組のアルバムを購入しました。

実は私も軍歌や戦時歌のCDが欲しいなと思って探していたんです。CD8枚組ですから、高価なものかもしれませんが、チェックしてみます。
東郷元帥の言葉は私も聞いたことがありますが、これこそ学校の授業で子供たちに聞かせて欲しいですよね。
2006/10/27(金) 00:50 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
いつも素敵な記事ありがとうございます。
私には子供が居ませんので、例の大騒ぎしていた「新しい歴史教科書」を買って読んでみました。
はて、何を騒いでいるのか?
強いて言えば、寧ろ日本の良きことや正当性の記述が少ないことか?と感じた次第です。

最近「軍歌・戦時歌謡大全集」なるCD8枚組のアルバムを購入しました。
これを聞いたり、歌詞を読んだり、また吹き込まれている乃木将軍や東郷元帥の言葉を聞いていると、なんと言いますか、当時の日本立ち位置や日本人の心のような物を感じてしまいます。
2006/10/26(木) 15:42 | URL | tono #vFsRzAws[ 編集]
んだんだ
>私がブログを始めたのは、歴史が断絶してしまっているのを知り、このことを伝えたいと思ったことです

スゲイ。
カコイイ。
感動しただ。
あちしもがんばろっと。
昭和の歴史、伝えていきたいでス。
そのためにもまず教育でスよね。
教育改革、日教組に負けないで頑張ってほしいでス。
2006/10/26(木) 15:38 | URL | かっぱやろう #-[ 編集]
私も
歴史教科書の悲惨な現実を目の当たりにして、将来こういう教科書で自分の子供達が学ぶことに非常に危機感を感じます。それは非常に悲しいことです。日本人である自分たちの歴史なのにそれを愛せないようにし向けている現在の教科書は即刻排除しなければなりません。現在の若者の中でも現在の日本の精神の荒廃を憂う声をよく聞きます。それだけでも救いではありますが、全体としてはまだまだ少数なのではないかと思います。私も、このことに関してはどんな妨害があろうとも言い続けなくてはいけないと思っています。そのためのブログではないかと思います。
2006/10/26(木) 11:42 | URL | かついち #JalddpaA[ 編集]
spiralさんらしい記事ですね。
記事を読み、皇后殿下のお話や唱歌のように歴史の連続性が保たれているものには感動を、meism(私が大事主義)がはびこっている現状を思うと焦燥感を持ちました。

私は丁度、ここに書かれている「親が教科書黒塗り世代で今は自分が親」という世代。身近な同世代が

>日本の親の大半(三人に二人)は明らかに子供より自分の人生の方が大事だと思っている。

ということを日頃、ひしひしと感じて悲しくなっています。そうした考えが多数派なので、「子供のことを考えた方がいい。」などと言っても、「古い」とか「堅い」とか思われてしまうだけなんですよね。
私の母も「家庭のことが第一」と、自分の楽しみなど何もせずに過ごしてきたのに、「ストイックすぎる」とか「自分の趣味もないなんて」と思う人もいるようで、かわいそうです。
こうした社会の風潮は、もう個人の力ではどうしようもできないと、何度もうちひしがれた気持ちを味わっています。
だけど何もしないよりは、こうしたことを訴えていきたいので、私もブログで書き続けていきます。(このテーマばかりじゃないけど)
それから、とにかく早く教育を何とかしなくてはなりませんよね。
2006/10/26(木) 09:04 | URL | milesta #S4B2tY/g[ 編集]
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