『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
今回は、「新しい歴史教科書をつくる会」の会報より、中西輝政氏の論文を引用します。

■第二次世界大戦の始まり

中西輝政(京都大学教授)

雑誌『正論』平成十七年八月号誌上での兵頭二十八(ひょうどうにそはち)氏と別宮暖朗(べつみやだんろう)氏の対談を読んで思い出したので、歴史家で元駐日大使のライシャワーが遺した著書『ライシャワーの日本史』を読み直してみた。ライシャワーは、第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻(一九三九年九月)によって始まったのではなく、昭和十二年(一九三七年)八月十三日の中国軍による上海における日本海軍(上海特別陸戦隊)への全面攻撃の開始によって始まったとしている。

そこには、すぐれた歴史家の二つの視点が明確に示されていて参考となる。一つは、日本とあの戦争との関わりとして、満州事変と日中戦争(当時の呼称としては支那事変)とは明確に別の戦争として把え、いわゆる「十五年戦争」論と一線を画している点である。もう一つは、盧溝橋事件など北支における一連の「小ぜり合い」は、いわば中国大陸において何十年とくり返されていきた日常的局地紛争であって、これらと日中全面戦争の開始に至った経緯との間には、より明確な一線が引かれるべきだ、という視点である。前者においては日中間で実質的な講和(一九三三年塘沽(タンクー)停戦協定)が成立しているし、後者については、そもそも全面戦争とは、少なくとも当事国のいずれか一方に明確な国家意思をもって大規模な近代戦を仕掛ける決定がなくてはならない。中国側には西安事件(一九三六年)以来、抗日全面戦争への意志が明確だった。他方、日本側が一貫して不拡大方針を堅持していたことはよく知られている。それゆえ、条約上の権利の下に駐留していた僅か二千五百人の上海の日本軍に十二万以上の兵力で中国軍の全面攻撃が開始された八月十三日が第二次世界大戦の始まりだった、とライシャワーは言うのである。けだし正鵠を射ている。

またそもそも盧溝橋などの「小ぜり合い」自体も、今では中国共産党の謀略によって始められたことが明白となっている。国際関係はそれ特有の論理と枠組みで語られるべきであり、また誤った贖罪(しょくざい)の感情や「○○主義」という抽象語で歴史を語るべきではないのだ。
(引用終わり)
最近では、1931年(昭和6年)の満州事変から支那事変(日中戦争)、大東亜戦争(太平洋戦争)までの約15年間にわたる戦争を総称して「15年戦争」と呼ばれています。(さらにこの呼称には、こうした日本の行動が「侵略」である、という意味も含まれているようです)

しかし、文中にあるように、実際は満州事変は1933年(昭和8年)5月31日に「塘沽停戦協定」が成立し、終結しました。そしてその後4年間は大きな軍事衝突は起こりませんでした。

東京裁判(極東国際軍事裁判)では、昭和3年を裁判対象期間の起点とし、満州事変は日本の侵略の第一段階であるとしました。しかし、これに対してインド代表のパール判事が、満州事変は塘沽停戦協定で終結して居り、その後日中関係は改善され、また満州国も国家として承認されるに至ったことなどを挙げ、満州事変は降伏調印よりも遥か以前に終結した戦争であるから、東京裁判の管轄権の範囲外に属すると論じています。

ですから、この「15年戦争」という呼称は適当ではないと思います。日中間の戦争が満州事変から継続していたかのようですし、また大東亜戦争が「満州事変」から始まったかのように誤った理解をされるからです。

盧溝橋事件の方は、中国を侵略するため日本が一方的に仕組んだことだとされています。中国側も盧溝橋事件は日本に責任があると宣伝しています。しかし、文中にあるように、今日では中国共産党の謀略によって始められたことが明白になっています。

当時、中国では中国共産党軍と蒋介石率いる国民政府軍が、絶えず争っていましたが、中国共産党が劣勢を強いられていました。そこで、中国共産党が思いついたのが、国民党軍と日本軍を衝突させることでした。これにより「漁夫の利」を得ようとしたのです。

盧溝橋事件の経過を見ると、1937年(昭和12年)7月7日の夜、盧溝橋に駐屯していた日本軍に向けて中国軍側より発砲がありました。事態は中隊から大隊・連隊へ報告され、日本軍は盧溝橋付近にいた国民政府軍に軍使を送ることにしました。
ところが、翌早朝、再び日本軍に向けた発砲がありました。さすがに日本軍は戦闘態勢に入りますが、しかしこれは砲撃には至りませんでした。
そこに、日本軍に向かって3回目の発砲があり、ついに日本軍は反撃に出ます。実に最初の砲撃から7時間後のことでした。この隠忍自重の姿勢を見れば、日本軍に開戦意図がなかったことが分かります。
           
そして、ポケット版人民革命軍総部政治部発行「初級事務戦士政治課本」の中には、以下の記述があります。

「七・七事変(盧溝橋事件)は劉少奇(りゅうしょうき)同志の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動を以って党中央の指令を実行したもので、これによってわが党を滅亡させようと第六次反共戦を準備していた蒋介石南京反動政府は、世界有数の精強を誇る日本陸軍と戦わざるを得なくなった。その結果、滅亡したのは中国共産党ではなく蒋介石反動政府と日本帝国主義であった。」
【出典:日本会議発行 「満州事変・支那事変・日米戦争を根本的に問い直す」】

これを読むと、盧溝橋事件は中国共産党の劉少奇とその部下が、日本軍と蒋介石を戦わせるために仕組んだ謀略だというのが分かります。

さらに盧溝橋事件が起きた翌日1937年(昭和12年)7月8日には、中国共産党中央委員会は、全国の各新聞社、各団体、各軍隊等に対日抗戦を呼び掛ける電文を打電します。文章は、以下のようなものです。

七月七日夜一〇時、日本は盧溝橋において中国の駐屯軍馮治安部隊に対し攻撃を開始し、馮部隊に長辛店への撤退を要求した。馮部隊では衝突の発生を許さなかったため、目下双方はまだにらみあいをつづけている。盧溝橋における日本侵略者のこの挑発的行為の結果、ただちに大規模な侵略戦争にまで拡大されるか、あるいは外交的圧迫という状況をつくりあげ、それによって将来における侵略戦争への導入とするのかのいずれかをとわず、北平・天津と華北に対する日本侵略者の武力侵略の危険性はきわめて重大なものとなった。

・・・全国の同胞諸君!北平・天津危うし、華北危うし、中華民族危うし。全国民族が抗戦を実施してのみ、われわれの活路がある。

・・・全国の同胞・政府・軍隊は団結して民族統一戦線の堅固な長城を築きあげ日本侵略者の侵略に抵抗しよう!

国共両党は親密に合作し、日本侵略者の新たな攻撃に抵抗し、日本侵略者を中国から追い出そう!


※(注)国共両党とは、蒋介石の国民党と毛沢東の共産党の両党のこと

【出典:日本国際問題研究所中国部会編 「中国共産党史資料集」第八巻】

盧溝橋事件自体は、中西氏の言われるように「小ぜり合い」というべきものでしたが、中国共産党は、これを全面戦争へと繋げようとしていたのです。

そして、中国共産党だけでなく、中国共産党結成に携わっていたソ連(現ロシア)も、盧溝橋事件を支那事変に拡大させようと企んでいました。

盧溝橋事件が始まる前、1935年(昭和10年)7月に開かれたコミンテルン(レーニン指導下のモスクワで設立された共産党の国際組織)の第7回大会では、日本、ドイツ、イタリアを最も危険な戦争煽動者として、反ファシスト人民統一戦線の形成が各国の共産党に指令されました。日本はファシストでも何でもありませんでしたが、ソ連から見れば共産主義の防波堤となる満州国をつくった日本は許せない、明らかな敵だったのです。

ソ連は日本国内に共産党工作員であるゾルゲや尾崎秀実(ほつみ)を送り込みました。
当時近衛首相の側近だった尾崎秀実は、盧溝橋事件勃発後、この小ぜり合いを全面戦争に拡大するため、朝日新聞、中央公論などに投稿し、日本人を戦争に煽りたてました。

結局、ソ連と中国共産党の謀略は成功し、日本は支那事変(日中戦争)に引きずり込まれ、蒋介石は中国大陸から台湾に追い落とされました。その後、中国大陸は中国共産党による一党独裁の体制が確立し、現在に至るのです。

現在、マスコミや多くの政治家が、「アジア外交の再建」を主張し、中国との関係を立て直すべきだと言います。しかし、この共産党が独裁している中国と友好関係など築けるのか、私は大変疑問に思います。

少し過激かもしれませんが、政治家の方には、中国は「敵国」であるというぐらいの認識を持って、ハニートラップやマネートラップに引っかかったりすることのないよう、日本の領土と、そこに生活する国民の生命を守るべく、外交に臨んで頂きたいです。

以上、いわゆる「15年戦争」論は誤りであること、支那事変は日本の侵略行為などではなく、中共の謀略によって日本が全面戦争に引きずり込まれたものだということを、私たち日本人は理解しておくべきだと思います。

※満州事変や盧溝橋事件など、詳細を知りたい方は、中村粲氏(獨協大学教授)の書かれた「大東亜戦争への道」をご覧下さい。
大東亜戦争への道
展転社
中村 粲(著)
発売日:1990-12
おすすめ度:5.0


この「大東亜戦争への道」は、かなりのボリュームがある本なので、もう少し読みやすい著書として、「日本人として最低限知っておきたいQ&A近現代史の必須知識」があります。



資料協力
【MIKAWA'Sほらの部屋】管理人 みかさん

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コメント
この記事へのコメント
>ふむーさん
素敵なコメントありがとうございます。
文中にも書きましたが、私が言いたかったことは、日本を日中戦争に引きずり込んだのは中国であるということです。
戦争というのは、敵にダメージを与える、つまり「加害」する行為で成り立っているものです。ですから、日本を戦争に引きずり込んでおいて、「軍国主義日本に多大な被害を受けた」などと、被害者ヅラして日本を恫喝し、外交を有利に進めようとしてる中国という国は、おかしいのではないかということです。
そもそも、こうした話は友好条約を結んだ時点で解決済みの問題ですしね。

そして、私は中国と戦争をしたいなどと一度も思ったことはありません。
歴史を見ると、中国と関わるとろくなことがないので、出来る限りお付き合いはしない方がいいと考えています。隣国ですから、完全に断交するのは無理なので、冠婚葬祭など最低限のお付き合いだけはしなければいけませんが、戦争しようなんてとんでもないです。
戦争のない、平和な状況の方がいいに決まっています。

それから、軍属ではない、私たち一民間人が戦闘行為を行えば、これは「テロ行為」になります。ですから、戦争に参加して戦闘行為を行うことは出来ません。あしからず。
2006/09/13(水) 22:25 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
中国には陰謀かあるかどうか知らないけど、他人の家でその家の者を殺すということは犯罪者ではなけれ、あれはいったいなんの行為でしょうか。
その家の者に攻撃されたりすることは単なる正当防衛じゃないですか。
このような国と友好関係など築けるはずがないというなら、もう一回戦争でもする気ですよね、ならば、貴方と貴方の家族が前線に行って、大嫌いな中国をやっつければいんじゃん。平和好きな他人に迷惑をかけないでね、戦争知らずサン。
2006/09/13(水) 17:08 | URL | ふむー #-[ 編集]
>cyber_birdさん
milestaさんのブログから来て下さったのですね。ありがとうございます。
cyber_birdさんも中村氏の著書を読まれていたのですね。この著書は、多くの方に読んで貰いたい名著ですよね。
ブログのタイトル通りのへっぽこな私ですが、これからも、こうした誤った歴史認識を正せるような記事を書いていこうと思ってます。宜しくお願いします。
2006/09/06(水) 12:09 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
はじめまして
milestaさんのブログから訪問させていただきました。まったくspiralさんのおっしゃる通りだと思います。
わたしもいわゆる「日中戦争」は中国による“侵略”戦争だったと思っています。中村粲氏の著書はわたしも読みましたが、ムードでなく事実から歴史を積み上げていこうとする人間にとっては必読の書だと思います。
これからもご活躍を期待しております。
2006/09/05(火) 23:16 | URL | cyber_bird #4fjoNmXI[ 編集]
>かついちさん
国が違えば歴史観も違うものですよね。例えば伊藤博文を暗殺した安重根だって、日本で見ればあの伊藤博文を殺した悪人というということになりますが、韓国では英雄ですからね。こうした違いについては、お互い口を出すべきではないですよね。

日本の歴史教科書については、日本には「近隣諸国条項」なるものがあり、中韓に「配慮」した内容にしなければなりませんし、東京裁判史観に侵された自虐的な歴史観で書かれた偏向的な教科書が殆どで、酷いものです。子供たちが日本人に生まれたことを誇りに思える内容に早急に改善しないとダメですよね。

>milestaさん
中国は、自分たち共産党が日本を戦争に引きずり込んでおきながら、「日本軍国主義が中国に侵略戦争を仕掛け、多大な被害を受けた」などと言ってるのですから、よくも言えたものだと感心します。

しかし、中国がこうしたことを言い続けるのは、日本の政治家が、歴史事実を踏まえて、きちんと反論してこなったことが大きいと思います。
反論どころか、いわゆる「村山談話」とか小泉首相の「戦後60年談話」などの談話を発表し、日本は侵略戦争をした悪い国だと言って謝っているのですから、こうした中国に阿った無知な行為には憤りを覚えます。

>tonoさん
戦後六十年が過ぎ、こうした中国共産党の謀略なども明らかになっているのですから、中韓に阿ったり、東京裁判史観にもとづく自虐的な歴史観を払拭しなければなりませんよね。

>かっぱやろうさん
拙ブログの記事がお役に立てたのなら幸いです。読んで下さってありがとうございます。
戦後の日本には間違った歴史事実が多く流布されているので、またこうした記事が書ければと考えております。
2006/09/05(火) 12:39 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
通り一辺倒の歴史観は通用せず
片方の歴史観だけでは正しい歴史など見ることはできないということをいちばんよく表している記事だと思います。日中韓共同の歴史教科書を作るなどという暴挙が行われようとしていますが、そもそも国によって価値観は違うし、その国の成り立ちがそもそも違うのだから、何も他国と歩調を合わせる必要はないんです。中国や韓国から見た日本の歴史観は奇妙で許されるものではないのでしょうが、日本から見た中韓の歴史も奇妙なものです。だいたい本当のことを語っているのかどうかも怪しい。反日で凝り固まっていて、おおらかさなどありません。かといって日本の歴史教科書だって擁護ばかりできません。偏った歴史観で作った教科書で勉強した子供たちにどうやって日本に誇りを持てというのか。戦後の教育を受けた私ですら、あの教科書では陰気くさくてとてもじゃないけど日本に誇りは持てないと思いました。(歴史の授業は好きでしたが)
2006/09/05(火) 08:03 | URL | かついち #JalddpaA[ 編集]
なるほどー
満州事変と大戦。
くっつけたがる人多いでスよね。
あちしもなんとなく知ってるだけだったんでスが、
spiralさんのおかげではっきり認識でけまスた。
ありがとうございまス。
<(_ _)>
2006/09/04(月) 18:08 | URL | かっぱやろう #-[ 編集]
毎度ながら
ありがとうございます。
ここもまた、断片的な史実チップが埋まりました。
読売が「昭和戦争」だとか意味不明の事を書いていましたが、どうしてこう史実から目を背けて中韓に阿たり、いたずらに我が父祖の血を卑しめたがるのか理解に苦しみます。
やはり、ここでの「とんでもへっぽこ講義」はとても役に立ちます。
2006/09/04(月) 13:36 | URL | tono #vFsRzAws[ 編集]
>誤った贖罪(しょくざい)の感情や「○○主義」という抽象語で歴史を語るべきではないのだ。

本当です。「○○主義」で片付けようとする人は、本当は何もわかっていないのかもしれないと最近思います。

>満州事変は1933年(昭和8年)5月31日に「塘沽停戦協定」が成立し、終結しました。

というような事実の方が説得力があるのに、「○○主義」を主張する人達は、事実を提示することなく、雰囲気とかこれまでの定説とかに基づいていることが多いですよね。

私もこんなに詳しく知ったのは初めてです。盧溝橋事件について、現場にいらしたという日本人の方の証言は見たことがあるのですが、中国側の文書に書かれているのは知りませんでした。こんな証拠があるのに、中国は何を言っているんでしょうね。
2006/09/04(月) 12:03 | URL | milesta #S4B2tY/g[ 編集]
ふむー
なるほどねー。大変よくわかりました。すばらしい解説です。やはり私も戦後歴史教育に毒されていたことがよく分かりました。事実は中国共産党の謀略に日本が乗せられたということですね。ホントに中国という国は信用なりません。このような国と友好関係など築けるはずがないと私も思います。
2006/09/04(月) 11:47 | URL | かついち #JalddpaA[ 編集]
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