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今回は、「日本文化チャンネル桜」の報道番組にて、キャスターの高森明勅氏が、東京裁判(極東国際軍事裁判)について4つのチェックポイントを挙げて簡潔に解説されていたので、それを紹介します。

■東京裁判は「文明の裁き」か?

4つのチェックポイント
①判決内容
②裁判所の構成
③裁判の手続き
④法的根拠

①判決内容は妥当なものだったか?

答 NO!

判決は被告人らを「侵略戦争遂行の共同謀議」に加わったものとして裁いた(松井石根大将と重光葵元外相を除く)。

しかし、満州事変・支那(シナ)事変(日中戦争)・大東亜戦争(太平洋戦争)を日本の一方的な侵略戦争と決めつけることはできない。満州事変についてはリットン調査報告書が「一国の国境が隣接国の軍隊に依り侵略せられたるが如き簡単なる事件にもあらず」と断定している。支那事変については、①その発端となった盧溝橋事件がシナ側からの発砲によるものであり、②その後日本側の停戦努力を踏みにじるシナ側の挑発が続けられ、③戦線拡大の決定的転機となった第二次上海事変の背後に中国共産党のスパイの暗躍があったことが明らかになっている。

※【解説】
満州事変自体は(1931年 - )は塘沽協定(1933年)で終了しており、支那事変(1937年 -) とは連続していません。満州事変は出先の軍隊が独断で行ったことで、この点に関しては弁解の余地はありません。しかし、その背景には、シナ(中国)では排日・侮日運動が激化し、日本人居留民が日々危険にさらされていたことと、ソ連の軍事的脅威があったのです。

支那事変の発端となった盧溝橋事件を起こしたのは、中国共産党です。当時、シナでは中国共産党軍と国民政府軍が絶えず争っていましたが、中国共産党が劣勢を強いられていました。
そこで、中国共産党が思いついたのが、国民政府軍と日本軍を衝突させることでした。これにより「漁夫の利」を得ようとしたのです。
(終)

大東亜戦争における日本の「動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」のは、マッカーサー自身が認めている(1951年5月3日アメリカ合衆国議会上院の軍事・外交合同委員会での証言)。
さらに「共同謀議」については、インド代表のパール判事(東京裁判のインド代表判事)がそれを「証明する証拠は一つもない」と断定された通りだ。
なお松井石根大将はいわゆる「南京大虐殺」の責任なるものをデッチ上げられて死刑判決が下った。
重光葵元外相は解決済みの張鼓峰事件当時の駐ソ大使だった事を根にもったソ連の横車でムリヤリA級戦犯とされた(禁固7年)。これに対しては首席検事のキーナン自身が「深き遺憾」と「不本意」「無罪になることを期待する十分な理由を持っていた」と明言している(1952年2月9日付 ジョージ・ファーネス重光担当弁護人宛書簡)。

以上で判決内容が如何にデタラメなものであったかは既に明らかだろう。


②裁判所の構成は公平かつ適正なものだったのか?

答 NO!

11人の判事が全て戦勝国側の人間であった。

昭和20年9月2日にミズーリ号艦上で停戦協定に署名した9カ国(アメリカ・イギリス・ソ連・オーストラリア・カナダ・中華民国・フランス・オランダ・ニュージーランド)プラス アメリカの保護国だったフィリピン及び英連邦国の1つだったインドの軽11カ国の代表判事が裁判に当たった。
しかも裁判長のウェッブ(オーストラリア)は、オーストラリア政府の命令でニューギニアでの日本の戦争犯罪について調査を行い、報告書を提出しているという前歴があった。東京裁判で被告の責任とされる事項の検事調査を行った同じ人物が裁判官(しかも裁判長)の席に就いたのである。アメリカ・フィリピンの代表判事も似たような事情があった。
さらに裁判所により公用語とされた日本語も英語も通じない判事すら2人(ソ連・フランスの代表判事)いた。

以上のような構成で公正な裁判が行われるはずがない。


③裁判の手続きは不備のないものであったのか?

答 NO!

弁護側(日本側)の提出資料は「関連性がない」とか「証明力がない」として一方的に大部分が却下された(それが『東京裁判却下未提出弁護側資料』全8巻5500ページに収められている)。
一方で検察側は伝聞資料も採用された上に、証人への反対尋問もゆるされず、証人が偽証罪に問われることもなかった。

一般の裁判でこの様な手続きが採られたらNHKや『朝日新聞』などはどう評価するだろうか?「文明の裁き」どころか暗黒裁判以外の何ものでもないとして糾弾するに違いないし、誰もこれを「裁判」とは認めないだろう。


④東京裁判の法的根拠は確固たるものだったのか?

答 NO!

その国際法上の根拠は、ポツダム宣言第10項の「吾等(連合国)の捕虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えらるべし」との文言だ。
しかし、ここに言う「一切の戦争犯罪人」とは当時、国際法上において認められていた通常の戦争犯罪に該当する行為(①戦争法規違反、②非交戦者の戦争行為、③略奪、④間諜及び戦時反逆)をなした者であって、それ以外の者は含まない。
ところが、東京裁判では国際法上の戦争犯罪には含まれない「平和に対する罪」なるものを事後的に持ち出して裁いた(「人道に対する罪」も事後法だが適用できなかった)。

よって東京裁判は国際法上の根拠は持っていないと言う他ない。


以上、①判決内容、②裁判所の構成、③裁判の手続き、④法的根拠のうち、一つでも適格性に欠けていれば、とても正当な裁判とは認められない。

しかるに東京裁判の場合、全てについて適格性を欠くと判定せざるを得ない。これでも東京裁判を「文明の裁き」などと評す事ができるだろうか?
そのような旧連合国側のイデオロギーを無批判に受け入れることは、「文明」と「裁判」に対するこの上ない冒涜(ぼうとく)だろう。

なおサンフランシスコ講和条約第11条における「裁判を受諾し」とあるのは、日本が独立を回復後も刑の執行について判決の効力を認めるとの主旨だ(昭和27年10月17日の衆議院平和条約及び日米安保条約特別委員会での西村熊雄条約局長の答弁ほか)。

従って、これによって東京裁判及びその判決の実体的内容をまるごと日本人が受け入れなければならないという事ではない。

それよりも講和条約で重視すべきは、そこでは専ら日本と連合国側との「共通の福祉」「対等」「友好的な連携」「協力」が強調されており、東京裁判に見られる日本への一方的な断罪のトーンが全く姿を消している事実である。

独立日本のスタートラインは、勝者の復讐劇に過ぎなかった東京裁判ではなく、「和解と信頼」を基調とした講和条約にあった事実を見落としてはならない。
(終わり)


高森氏のご指摘されているように、東京裁判は正当な裁判とは認められず、連合国側の復讐劇という意味合いのものでした。「日独ファシズム」なる実体のない概念を振りかざし、「南京大虐殺」なる事件をでっち上げたりして判決を下しました。

そして、この裁判のメインテーマであった「侵略戦争の共同謀議」は証明されませんでした。そうした事実がないのですから当然ですが、にもかかわらず判決では25人がA級戦犯とされ、うち東條英機元首相など7人が死刑になりました。

ですから、東京裁判及びその判決の実体的内容をまるごと日本人が受け入れる必要はありませんし、独立日本のスタートラインが、「和解と信頼」を基調とした講和条約にあった事実を見落としてはならないと思います。

東京裁判については、拙ブログの以前の記事に書いておりますので、そちらもお読み下さればと思います。
■今こそ東京裁判史観からの脱却を!

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コメント
この記事へのコメント
>かっぱやろうさん
東京裁判というのは、知れば知るほど理不尽な裁判だというのが分かります。かっぱやろうさんの言われるように、「リンチ以外のなんだってんだ」って感じですよね。
2006/09/01(金) 12:01 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
むう
1~4まで。
あちしも全てNOだと思まス。
どれもこれもでっち上げ。
リンチ以外のなんだってんだ、ってな感じでス。
アタマくるったらもう・・・

>独立日本のスタートラインが、「和解と信頼」を基調とした講和条約にあった事実を見落としてはならないと思います。

おっさる通りでスね。
日本人は水に流してここまで来た、ってな感じでスよね。
一部水に流したくない人たちもいるようでスけど・・・
2006/08/31(木) 22:53 | URL | かっぱやろう #-[ 編集]
>かついちさん
よく満州事変から大東亜戦争までを一括りにして「十五年戦争」などと言われますが、実際は満州事変の後、塘沽(タンクー)協定を結んで停戦しているのです。
このような戦後流布された歴史の誤りを正していき、真っ当な歴史認識を広めないといけませんね。

>kousotsudrさん
マツケン氏の発言は、本当に酷かったですよね。東京裁判を”文明の裁き”などと、よくも言えたものだと思います。
そして、kousotsudrさんの言われるように、彼らは「狡猾な理論武装」をしているので、よくよく注意しなければなりませんよね。

>tono さん
満州事変からシナ事変への流れについては、かついちさんも触れておられたので、次回の記事では、中西輝政氏がこれについて論文を書かれているので、それを取り上げようと思います。
2006/08/31(木) 14:09 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
そうだったのか
>満州事変・支那(シナ)事変(日中戦争)・大東亜戦争(太平洋戦争)を日本の一方的な侵略戦争と決めつけることはできない。
・大東亜戦争の開戦経緯については情報が多く私なりに少し勉強しましたが、満州事変・シナ事変はなかなか流れが見えませんでした。
また、一つジグソーパズルのチップが埋まった感じです。
2006/08/31(木) 08:45 | URL | tono #vFsRzAws[ 編集]
これはマツケン(松本健一)氏への明確なリジョインダーですね。
彼が東京裁判を”文明の裁き”などと形容したときには思わずぶん殴りたくなりました。最近は妙な媚米派というか東京裁判史観ばりばりの学者が台頭してきましたね。
彼らは中韓に阿る間抜けと違って可成り狡猾な理論武装をしてますから,注意が必要です。
2006/08/30(水) 19:06 | URL | kousotsudr #-[ 編集]
興味深い!
東京裁判について興味深い事実を初めて知ることができました。ありがとうございました。まず満州事変と支那事変との関係ですが、その境目は私はなく、満州事変が拡大して支那事変につながったものと思っていました。実際は塘沽協定なるものがあって、そこで終了しているんですね。そして、廬溝橋事件は中国共産党が起こした事件なんですね。何だか狐につままれたような、今までだまされていたような(実際だまされてますよね、ほんと)感じで驚きです。いかに戦後日本史がいい加減でボロボロだったか、証明された感じがあります。
2006/08/30(水) 18:36 | URL | かついち #JalddpaA[ 編集]
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2006/09/03(日) 00:44:17 | 田舎の神主の学び舎