『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
今回は、論壇誌「Voice」平成18年9月号より、長谷川三千子さんの論文を引用します。少し長い文章ですが、富田メモについて、戦争の見方について、東京裁判について本質的なことが書かれていますので、お読み下さればと思います。

■思考の練習帳
靖国問題をめぐつて

慰霊は個々人の業績の成績づけとは一切関係がない

長谷川三千子(はせがわみちこ)
【埼玉大学教授】

およそ一般に、思想と呼ばれる領域のことがらにおいては、難問の登場ほど喜ばしいものはありません。それまでの安易な答への出し方が、もう一度再考をせまられ、それまであやふやだつた考へを、もう一度明確にする必要が生じてくる――さうした難問の登場こそが、思想を鍛え、深めてくれる何よりの刺激であつて、これほど歓迎すべきものはないのです。

たとへば、つい先日、新聞紙上に発表された、元宮内庁長官のメモ――昭和天皇が靖国神社への、いはゆる「A級戦犯」の合祀に不快感を示され、それ以後のご親拝がとだへてゐるのもそれ故のことだとおつしやつたというふメモ――を、さうした「歓迎すべき難問」の一つとして、われわれの考へを深めるための練習台にすることは、十分に可能です。

もちろん、これ自体は、大袈裟に騒ぎたてるべき問題では全くありません。このやうなメモは、それを書き残すこと自体がよくないことである、と言つて片付けてしまへばすむことです。いつの御代であれ、天皇陛下はご自身の私的な好悪といふものを決して公になさらないのが決まりです。もしその枠をはづしてしまつたら、その時々の天皇ご自身のたまたまの好き嫌ひが国政を左右することにもなりかねない。それでは、西洋のいはゆる専制君主の在り方と少しもかはらないことになつてしまひます。日本の皇室の伝統的な政治道徳といふものは、その時々の天皇のご意志が絶対なのではなくて、どの時代の天皇も、つねに※皇祖皇宗の遺訓に照らしてご自身の行動を決定なさる――そこが大切なところなのです。現に昭和天皇も、公の場で、その枠をはづれたご自身の私的なご意見をおつしやることは、決してありませんでした。宮内庁の長官ともあらう人が、その大原則を知らないはずはない。いや、現に、「宮中のことは親にも申すまじく・・・」と記者たちにかたく口をとざす人だつたというのですから、ならば、メモや日記は自分の死後焼却のこと、としつかり遺言しておくべきでした。あるいは、不慮の事態にそなへて、自ら処分しておくべきでした。今回のメモ騒動は、ただ単純に、富田某なる元宮内庁長官の不用意、不見識を示す出来事であつて、それ以上でもそれ以下でもない、と心得るべきものでせう。

※皇祖皇宗
皇祖とは神話時代の神々のことを指し、皇宗とは初代神武天皇以来の我々の天皇を意味する。日本は官民一体の国柄であるから、天皇の祖先は私たち国民全体の祖先である。だから、皇祖皇宗とは日本民族の祖先のことである。
「教育勅語」のすすめ―教育荒廃を救う道【日新報道】より引用)
しかし、そのやうに心得たうへで、このメモを、一つの「歓迎すべき練習問題」として取り上げてみることは、決して無意味ではありません。それは、日本の皇室の伝統を大切なものと考へ、また、靖国神社を日本にとつて大切な存在だと考へてきた人間にとつて、自らの議論をもう一度しつかりと鍛え上げるべき、何よりの機会となるはずなのです。

たとへば、これまで、東京裁判により有罪とされて刑死、あるいは獄死した人々を靖国神社にまつることは当然の理である、と主張してきた人が、先帝陛下がそれにご不快を示されたからと言つて、すぐに前言をひるがへすやうなら、その人は、そんな程度にしか靖国問題を考へてゐなかつたのだ、といふことになりますし、また逆に、そんなことを先帝陛下がおつしやつた、と聞いて皇室への崇敬の念がゆらぐやうなら、その人の「尊皇思想」はその程度のものだつたのだ、といふことになる。いつたい自分はどのやうな考へで日本の皇室の伝統と靖国神社の存在とを、ともども大切なものと考へてゐるのか――それを反省、吟味してみる、よい機会が与へられた、と喜ぶべきなのです。


いま、あらためて議論のおさらひをしてみませう。靖国神社は、明治二年、戊辰(ぼしん)戦争の官軍の戦死者をまつる東京招魂社として始まり、以来、西南戦争日清戦争から、大東亜戦争(太平洋戦争)に至るすべての戦役の死者、二四六万六五三二柱の御霊をまつつて今日に至つてゐます。つまり、これは日本が近代国際社会といふ苛酷な「商売と戦争の世の中」に乗り出して以来、そこでわが国の存続と独立を守り抜くとふ困難なつおとめに殉じた人々の、慰霊と顕彰の施設なのであり、一口に言ふならば、この人々の命をかけた働きのおかげで現在の日本が存在しえてゐる、といふことなのです。

したがつて、だからこそ、国家は悪であるといつたイデオロギィを持つ人々は、靖国神社を目のかたきにするわけです。彼らは、国家の存続のために殉じた人々をそんな風にして顕彰すること自体がけしからん、と言ふのです。昨年話題になつた、高橋哲哉さんの『靖国問題』などは、その典型的な一例だと言へませう。

しかし、その高橋さん自身、実際には、中国、韓国も含めた全ての近代主権国家は、それぞれに自国の戦没者を慰霊、顕彰する施設をもつてゐて、次の世代の人々もまた、自国を防衛するためには命を投げ出す覚悟を持つできであると教へてゐる、といふことを認めてゐるのです。かつて福澤諭吉が「商売と戦争の世の中と名付くるも可なり」と評した国際社会の現実は、現在も少しも変つてゐないのですから、当然と言へば当然のことです。さうした諸外国が自国の好戦的かつナショナリスティックな戦没者慰霊施設のことは棚に上げて、日本の靖国神社にのみケチをつけてくるのは――これはまさに、それ自体が「別の手段をもつてする戦争」の一つなのだと心得ておくべきものでせう。

しかしさうは言つても、日本のなしたその戦争のうちに、よい戦争も悪い戦争もあつたのではないか。また、同じ一つの戦争のなかでも、「加害者」の立場にあつた者と「被害者」の立場にあつた者とがゐるのではないか。それらを全部つきまぜて「英霊」とするのはいかがなものか――そんなことを言ふ人々があります。そして、真面目で道徳的な方々ほど、かうした言葉に動揺し、疑問にさいなまれる、といふ傾向があるやうです。

けれども、さうした疑問は、まつたく意味のない疑問なのです。まづ第一に、戦争に関する話題のなかで、「加害者」とか「被害者」といつた言葉をなにか道徳的な意味をもつたもののごとくに使ふのは全くナンセンスである、と心得ておく必要があります。何故といつて、戦争といふものは、そもそも敵にダメーヂを与える――つまり「加害」する――行為でなり立つてゐるのだからです。戦争において「加害者」になれなかつたやうな国があるとすれば、それは、九十分のバスケットの試合で一点も得点できなかつたに等しい失態、といふことになります。逆に、全く「被害者」とならずに戦争をやってのける、といふことも、よほどの幸運と力の差がないかぎり不可能です。加害と被害とは、単なる戦争の内容そのものを指す言葉なのです。それなのに、第二次大戦から六十年もたつて、「被害者」が「加害者」を糾弾したりしてゐるのは、一つには、人々が戦争といふものはいかなるものであるのかを忘れてしまつてゐるからであり、もう一つには、近年、何であれ「被害者」だ、と叫ぶことが(国際的にも、国内的にも)よい商売(ビジネス)になるからにすぎません。本当に道徳的に戦争のことを考へようとする人は、ひとまづ綺麗に、この「加害者」「被害者」といふ言葉の誤用を排しておくべきでせう。

もちろん、その上でなほ、靖国神社の二四六万余柱の英霊のなかには、生前少しも人格が高潔でなく、ただ上官にとり入ることしか念頭になかつたやうな軍人もゐたでせうし、あるいはまた、自分がうつかり地形の判断を誤つたばかりに自らの率いる部隊を全滅させてしまひ、痛恨の思ひで死んでいつた部隊長などもゐるかも知れません。しかし、戦没者の慰霊といふものは、さうした個々人の業績の成績づけとは一切関係がないのです(その人間が日本を敵国に売り渡すために働いてゐたスパイだつたりしたらば別ですが)。どんなダメ兵士でも、失策続きの将校でも、わが国のために戦さにいて命を落とした、といふその一点において、すべて等しく英霊として慰霊され、顕彰されるのです。

このことの背後には、そもそも戦争といふ出来事が、個々人の意志や「個人プレー」の領域をこえた、いはば歴史そのもと言ふべきことがらである、といつた理解があると言へませう。だからこそ、そこでは、Aランクの英霊Bランクの英霊、などといつた発想でなしに、二四六万六五三二柱の英霊が、すべてひとしく英霊としてまつられてゐるのです。

これと同様、同じ考へにもとづいて、戦没者の慰霊においては、「よい戦争」「悪い戦争」といつた観念は意味をもちません。そもそも戦争といふもの自体が、国と国(あるいは宗派と宗派)が、それ自身の存亡をかけて戦ふものであり、そこで目指されるのは、唯一、自国の勝利――自国の存在と利益と主張が守られること――なのです。或る国にとつての「よい戦争」はそのまま敵国にとつての「悪い戦争」なのであり、そのなかで何とかルールらしきものを拵(こしら)え上げたのが、近代のいはゆる戦時国際法であります。しかし、これは言ふならば、ゲームのなかでの個々のルールをさだめたものであつて、本来、戦争そのものを全体として善悪どちらかにふり分けるやうな性格のものではありません。そして、それに照らしてふり返つてみれば、大東亜戦争なども、その規模からしては、むしろ驚くほどルール違反の少ない戦争だつたと言ふべきなのです。(いはゆる「南京大虐殺」だの「バターン死の軍行」だのが、虚飾にみちた言ひがかりや誇張であつたことは、現在ではかなりはつきりと解明されてゐます)

ところが、さうした近代国際法の常識を破って、或る一つの戦争そのものに「悪い戦争」といふレッテルを貼るやうな暴挙が行はれた――それが、第二次大戦後に行はれた二つの国際軍事法廷、※ニュンベルク裁判と東京裁判なのです。前者については、ここでは敢えて論評しませんが、しかし少なくとも、現在のドイツにおいて、ヒットラーやナチスの行動を肯定するやうな言論が法律で禁じられてゐるといふのは、どう見ても健全なこととは思はれません。それは、高い道徳性を目指すものというより、むしろ単なる思考停止を示してゐるやうにしか見えないのです。

※ニュンベルク裁判
第二次大戦の1945年11月から10ヶ月間、ニュンベルクで連合国が行ったナチス・ドイツの重要戦争犯罪人に対する国際軍事裁判。(解説終)

いづれにせよ、東京裁判においては、「平和に対する罪」といふ、前代未聞の罪状がとび出して、これによつて、東条英機元首相をはじめとする二十八名の人々が裁かれました。ここで重要な事は、それが単にこの二十八名の人間の生死と名誉にかかはることであつたといふだけではない。元首相をはじめとする日本の指導者たちが、この罪状によつて有罪とされることは、日本の行つた戦争――「大東亜戦争」――そのものが「悪い戦争」のレッテルを貼られることを意味する――それが重大なことなのです。
実はいま「前代未聞の罪状」と言つたのですが、この罪状はすでに一度、世界史上にちらりと顔を出したことがあります。すなはち、第一次大戦後のヴェルサイユ会議(パリ講和会議)において、連合国はいはゆる「カイザー追訴」条項なるものを定めるのですが、そこには、敗戦国の前皇帝ヴィルヘム二世を「国際道徳及び条約の尊厳に対する重大な犯罪の故をもって追訴する」とさだめられてゐました。これは、ドイツ国民に巨額の「全額賠償」を義務づけた「戦争責任(ウォー・ギルド)」条項とセットになつて、ドイツ皇帝及びドイツ国民に、第一次大戦の責任をすべて押しつけたものなのですが、これが、第二次大戦後の「平和に対する罪」の前史をなしてゐる、と言はれます。つまり、「平和に対する罪」はすでに実質的に存在してゐた。東京裁判の被告を「平和に対する罪」の名で裁くのは、刑罰遡及の原則(その当時には存在してゐなかつた罪によつてさかのぼつて人を裁いてはならぬといふ原則)の違反ではない、などと言はれるのです。

しかし、このやうな「前史」は、かへつて逆に、東京裁判なるものの本質をはつきりとあばき出して見せてくれる、と言ふべきでせう。第一次世界大戦は、今では誰もが知つてゐるとほり、どこか一国が他国を侵略して始まつた、といふやうな戦争ではありません。ヨーロッパ全体が、不可解な熱にうかされたやうになつて始まつたのが第一次世界大戦です。それを、敗けた国にすべての非があつたごとくに言ひたてて、巨額の賠償をとりたてる――このヴェルサイユ条約なるものは、それ自体が、一つの「国際道徳に対する重大な犯罪」と言ふべきものでありませう(因みに、日本はこの会議において、かうした苛酷で欺瞞(ぎまん)的な条項に不賛成の意を示した数少ない連合国の一つでした)。言ふならば、その非道徳的な欺瞞が、もつと明らさまな形で繰り返されたのが、東京裁判だつたのです。

東京裁判では、苛酷な賠償請求といふ側面こそ引きつがれませんでしたが、大東亜戦争は「悪い戦争だつた、といふ連合国の主張は、かへつてその分強調されることになりました。足かけ七年に及ぶGHQの占領下で、〈日本有罪説〉が「ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム」によつて日本人の心に徹底的にすり込まれたことは、すでに皆さんよくご存知の通りです。

ですから、それをう呑みにして、東京裁判における、「平和に対する罪」で裁かれた、いはゆる「A級戦犯」を極悪人のごとくに思ひ込むのは、少しも道徳的なことではありません。むしろそれは、この二十世紀の前半に行はれた、大きな国際的欺瞞に荷担することであり、それ自体、非道徳的なことであるとすら言へるのです。

昨今話題となつてゐる、靖国神社への「A級戦犯」合祀問題なるものも、かうしたことがらの延長線上に置いて考へてみなければなりません。すなはち、それを「問題視」すること自体が、ヴェルサイユ条約以来の欺瞞と思考停止を引きついだ態度なのです。このやうな問題が浮上してくるたびに、われわれはつねに問題の根幹にさかのぼり、そもそもこのやうな罪状によつてわが国を裁かうとした連合国の暴挙を、告発、糾弾しなければなりません。そして、それは決して単なる「ナショナリスティック」な自尊心だけによることではなくて、まさに「国際道徳」を正しいあり方に戻し、真の平和への道を築くためなのです。(だって、考へてもみて下さい。戦争に勝てば、すべての悪を敗戦国に押しつけてオッケー、などといふことになつたら、どんな国でも、道徳的にふるまはうなどと考へるかはりに、「勝ちゃァいいんだろ、勝ちゃァ」と思ふに決まつてゐますもの!)


さて、かうやつて考へてくると、あらためて先ほどのメモの内容が気になります。かうした事実を、昭和天皇がご存じなかつたはずはなからうに、いつたいどうして・・・・・といふ疑問は誰の胸にも涌いてくることでせう。

ただ、一つあらかじめ考へておかなければならないのは、「日本をほろぼしてはならぬ」といふ固い決意においては、陛下も国民も、ぴたりと一致してゐるけれども、両者にとつて、それは二つの対照的な立場からの一致なのだ、といふことです。すなはち、端的に言へば、国民にとつては、自分たちの命を投げ出して国を守ることがその決意の愛用であるのに対して、天皇陛下には、国民の命を守ることが日本をほろぼさぬことである――さういふ立場の違ひがあるのです。あのポツダム宣言を昭和天皇が決意なさつたときも、これ以上国民の命が奪われてはならぬ。わが身、わが命にかへてでも、国民の命を守り、日本を存続させなければならぬ――これが陛下のお心だつたのです。そして、これはまさしく皇祖皇宗の教へから素直に出てきたお心に他ならないので、言ふならば、これこそが「国体思想」のあらはれだつたのです。

したがつて、そのお立場からすれば、靖国神社に対するお考へも、またいはゆる「A級戦犯」に対するお考へも、国民の立場から考へるのとは、自づと異つたものとなるでせう。「A級戦犯」とされた人々は、すべて多かれ少なかれ、日本の舵取りをまかせられてゐた人々であり、自らの命を投げ出して国を守るといふだけでなく、国民の命を守つて日本を存続させる責任を負つてゐた人々です。なぜ汝らは、もつと国民の命を守ることができなかつたのか、という痛憤は、当然陛下のうちにおありだつたに違ひなく、それは決して「私憤」などではなくて、天皇陛下といふお立場から湧き出てくる当然のお怒りだつたと考えられるのです。

とすれば、さういふお怒りの対象と、尊い犠牲者となつた兵士たちとを、共に英霊として慰霊することに多大の抵抗感がおありになる――これも当然至極のことです。

もし仮りに、このメモが正確に昭和天皇のお言葉を記録したものだとして、われわれ国民に一抹の割り切れなさが残るとすれば、さうしたお怒り、ことに、松岡、白鳥といつた特定の人間たちへのお怒りによつて、残りの二四六万六五三〇柱の英霊への慰霊を為していただけないといふこと――これはもはや、皇祖皇宗のご遺訓のままのご行動とは言へないのではないか、といふことでせう。そして、そんな疑問を持つことは、それ自体が「不敬」にあたるのではないか、と悩む人もあるでせう。しかし、そのやうな疑問を、心にうかぶままに率直に提出してみることは、少しも尊皇思想矛盾することではありません。そもそも、日本の神々にせよ、代々の天皇にせよ、無謬(むびゅう)不過誤の神や天皇などといふものは一人も登場しないのです(あの仁徳天皇でさへ、お后さまとは別の女性を手厚くもてなして、お后さまに大憤慨されてゐます)。しかし、だからと言つて、日本の神々や代々の天皇の有難さが、少しでも減るかと言へば、そんなことはないのです。それぞれの神や天皇は、それぞれの個性ゆたかに、泣いたり笑つたり、怒つたり悲しんだりしながら、この日本といふ国を守り、いつくしんできてくれたのです。

今の世の中は、何だか変に「道徳的」なつてしまつて、すぐれた人々の内に、ほんの一寸した瑕瑾(かきん※欠点・短所)を見出すと、すぐに全面否定しなければならないかのごとくに思つてしまふ。結局のところそれは、一人一人が自らの考へでもつて、ものごとの本質をつかむといふ力の衰へによること、とも言へませう。

これから、われわれはまだまだ日本といふ国についての、本質的な議論を重ねてゆかなければなりません。そのためにも、この小さな一つのメモを、よい練習台として、自由に、大らかに、しかも鋭く現実を見きはめた議論ができるやうに、自らの思考力を鍛へてゆかうではありませんか。
(引用終わり)


産経新聞の産経抄(平成18年8月16日)でも引用されていましたが、『諸外国が自国の好戦的かつナショナリスティックな戦没者慰霊施設のことは棚に上げて、日本の靖国神社にのみケチをつけてくるのは――これはまさに、それ自体が「別の手段をもつてする戦争」の一つなのだ』との指摘は、その通りだと思います。

そして、いわゆるA級戦犯の分祀論が起こったのは、日本国内でそうした世論が高まったということではなく、まさに諸外国(中国・韓国)からケチをつけられて、それに応えたのが始まりです。

ですから、こうした中韓の内政干渉に従う必要はありませんし、『いはゆるA級戦犯を極悪人のごとくに思ひ込むのは、少しも道徳的なことではありません。むしろそれは、この二十世紀の前半に行はれた、大きな国際的欺瞞に荷担することであり、それ自体、非道徳的なことであるとすら言へるのです』ということも、理解しておかなければなりません。

そして、富田朝彦元宮内庁長官のメモを「歓迎すべき練習題」として、皇室や靖国神社についてなど、日本という国についての本質的な論議を深める機会にすべきだと思います。


※拙ブログの記事内容を支持して下さる方は
↓のリンクバナーをクリックして下さい。励みになります。

人気ブログランキング


関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
戦争責任を問うのは
私は先の戦争で責任を問われるのは国内の旧軍関係者だけではないと思います。戦争をしなければ日本という国が持ちこたえられないと判断させられるに十分な理由をもつ英米にも責任があると思います。「日本が起こした戦争=悪」という前提で議論が進むからA級戦犯に責任があるという片一方の議論しかできないのだと思います。そういう議論ばかりしていればいずれ行き詰まります。だってそうやって責任を問われた人たちはすでにこの世におられないんですから。やはり日本人の手で戦争責任を明らかにし、戦争を総括して認識を改めていかなければいけないと思います。そのためには狭い視野ではなく、もっと広い視野でみていかなければいけないと思います。
2006/08/24(木) 12:55 | URL | かついち #JalddpaA[ 編集]
>ゆうさん
このメモについてですが、富田朝彦元宮内庁長官の方が書かれたものには違いないのですが、このメモを昭和天皇のご発言とするには疑問点が多いのです。
私個人は昭和天皇のご発言ではないのではと考えています。
2006/08/24(木) 00:03 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
改めて質問(確認)しますが
いわゆる「昭和天皇のメモ」は事実ではなかったのですよね?なのに何故今も「事実」として新聞で取り上げられているのでしょうか?
先日の読売新聞衛星版ではまた読者の投稿の一番始めに年配の男性からの「日本政府は戦争責任者を明らかにしろ」という投稿を載せていました。「罪もない多くの日本人が犠牲になったのはA級戦犯を始め、多くの戦争犯罪者の責任だ」と言うものでした。私すぐに「罪もない多くの日本人が亡くなったのはアメリカが世界で始めて原子爆弾を投下したからでしょう?だから責任を問うとすれば、アメリカ軍(政府)に対してじゃない!」と思いました。原爆を投下した人は全く罪に問われないのに開戦を避けられなかった人だけ戦後60年以上経ってまだ責められるのは同じ日本人としても納得いかないです!

またブログの内容と違うコメントですみません。
2006/08/23(水) 13:02 | URL | ゆう #-[ 編集]
>kousotsudr さん

>最近は先帝がメモに書いてあることを仰ろうはずがないという結論に達してはおりますが。

私もそう思います。このメモの内容を昭和天皇のご発言とするのは無理がありますよね。

>milestaさん
本当に嘆かわしいですよね。特に日本にはそういう方が多過ぎるように思います。

>tonoさん
拙ブログの記事が、tonoさんのお役に立てているそうで、大変嬉しいです。励みになります。
これからも、良い記事が書けるよう頑張ります!

>かっぱやろうさん

>やっぱり負けたら賊軍てことなんでしょうか・・・

歴史は勝者によって書かれますから、どうしてもそうなりますよね。

しかし、『本来、戦争そのものを全体として善悪どちらかにふり分けるやうな性格のものではありません』から、日本が悪い戦争をしたと卑屈になる必要はないと思います。以前の記事に書きましたが、時の運が勝敗を左右することもありますしね。

マスコミで報道される戦争関連の話は、「日本が行った戦争=悪」という前提で話が進むことが殆どですから、上記した戦争に対する真っ当な認識が広まればと思います。
2006/08/23(水) 00:50 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
立場が違えば
>或る一つの戦争そのものに「悪い戦争」といふレッテルを貼るやうな暴挙が行はれた

戦争って相手があるものなんだし、
どっちかが悪い!
なんてことはないと思うんですよね。
やっぱり負けたら賊軍てことなんでしょうか・・・

>戦没者の慰霊といふものは、さうした個々人の業績の成績づけとは一切関係がない

自分もそう思います。
2006/08/22(火) 13:48 | URL | かっぱやろう #-[ 編集]
いつもありがとうございます。
>しかし、戦没者の慰霊といふものは、さうした個々人の業績の成績づけとは一切関係がないのです。
・常々私が思っていることですが、こうして話せば分かりやすいのかと納得した次第です。
・他の部分も、全てに頷きながら読ませて頂きました。
・貴ブログでは何時も私の考え方の補強・是正を率直に行える記事に出会えます。感謝!
・今後ともよろしくお願いします。
2006/08/22(火) 13:16 | URL | tono #vFsRzAws[ 編集]
すべて頷くことばかりです。

先日拙ブログで採り上げた中條高徳さんも「二つの国の利益が相反したとき、一方にとっては正義でも、その正義は相手国にとっては正義ではない。」と書いていらっしゃいました。長谷川三千子さんの「よい戦争」「悪い戦争」と同じ意味ですね。
だから、どの国の政府も国民も普通は国益を考えた行動、発言をするはずなのに、日本だけはどこの国の正義や利益を第一に考えているのかわからない人が大勢いますね。嘆かわしいことです。
2006/08/21(月) 22:33 | URL | milesta #S4B2tY/g[ 編集]
>そして、富田朝彦元宮内庁長官のメモを「歓迎すべき練習題」として、皇室や靖国神社についてなど、日本という国の本質的な論議を重ねる機会にすべきだと思います。

そういう意味では小生も改めてこの問題を考えましたね。
ただ,最近は先帝がメモに書いてあることを仰ろうはずがないという結論に達してはおりますが。

長谷川先生は相変わらず良いこと述べられますね。
2006/08/21(月) 19:31 | URL | kousotsudr #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://hepoko.blog23.fc2.com/tb.php/225-564f0772
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
●重要な縦書き部分と4月28日の調査  最後に、重要な富田メモの検討点を一つ述べたい。『文藝春秋』の鼎談でも不明のままとなっている部分である。昭和63年4月28日のメモの4枚目には、欄外に縦で「・余り閣僚も知らず ・そうですがが多い」と書かれている。半藤
2006/08/25(金) 12:35:00 | ほそかわ・かずひこの BLOG
前々回のエントリの続きです。 今回もまだ会報に掲載していない為、仮称です。 次回
2006/08/22(火) 18:46:03 | 田舎の神主の学び舎