『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
8月15日が近づいてくると、テレビ等でも大東亜戦争(太平洋戦争)を取り上げた番組を見ることが増えてきます。
そこで今回は、國神社の広報誌『國』(平成18年4月号)より、西川淳氏の論文を引用します。先の戦争をどう考えるのか、その参考にして下さればと思います。

■あの戦争は本当に「誤り」だったのか
~真の感謝を英霊に捧げよう

西川淳(にしかわじゅん)
【甲子園学院中学・高校教頭】

私達の毎日は小さな判断の連続であり、その集積が人生である。そして人の一生には、進学、結婚、就職など比較的大きな判断を迫られる場面がある。

なぜ冒頭にこんな当たり前の事を書くかというと、あの大東亜戦争について、曰く三国同盟は最悪の選択だった、曰く米国との戦争に踏み切ったのは間違いだった、更には真珠湾攻撃は拙かった、ミッドウェイ作戦も失敗だった等、指導者の判断の判断の誤りを並べ立てる論評をよく目にするからである。私はそんな記事を読む度に「果たしてそうなのか?」という疑念が湧いてくる。私たちの人生を考えても判断を誤ったと臍(ほぞ)を噛む場面が何と多いことか。また今は正しい判断だと思うことでも何年か先には間違っていたと後悔する場面もあるだろう。「いや個人と国家は違う、国家判断は絶対誤ってはならない」と反論する人もいる。だが、人はそれ程完璧な存在なのか。当時の指導者にだけ完璧な判断を求めることは酷に過ぎないか。左翼の如く彼らを戦争犯罪人として追及し続けるのは論外としても、保守層にも彼らを論難する人々が存在する現実を私は非常に残念に思う。勿論過去から学ぶという姿勢は大切だし、敗戦により自虐史観に染まったわが国の現状を憂え、「あの時勝っておれば・・・」と歯ぎしりするような苛立ちを覚える気持ちも理解出来る。私もその一人だ。しかし、敗戦の責任を当時の指導者に負わせる気にはなれない。確かに東條首相は「我に責任あり」と言っている。また國神社の参拝者の中にも「自分は日本を敗戦に導き国民に塗炭の苦しみを与えた指導者達に対してではなく、馬鹿な命令に服従させられて命を落とした一般の将兵に対してお参りするのだ」と公言する人があることも承知している。だが東條首相が自らの反省の気持ちを披瀝するのと、自分は暖衣飽食の中にあって、当時の国策や戦い方は間違いだったと、評論家宜しく酷評するのとは訳が違う。結論を言おう。
私はあの当時の指導者の判断が間違いだったとは決して思わない。私は國神社に祀られる東條首相を始めとする指導者の方々に(勿論幾多の将兵の英霊に対しても)心から「良く戦って下さいました。本当に有り難うございました」と感謝を込めて参拝したい。敗戦はあくまで結果である。指導者が結果責任を問われるのは当然であり、だからこそ彼らはあらゆる状況を踏まえて判断を下すのだ。当時の指導者も、ことが国家国民の存亡に関わる問題であることは充分承知の上、渾身で国家戦略や戦術を考え抜いたのであろう。その結果、負けたのは仕方ないではないか。

日本の敗戦は指導者の責任ではない。物量の差が原因である。戦争は物量の多い側が絶対有利であるのは子供でも解る常識だ。国力で遥かに優る米国と戦えば如何に巧緻な戦略戦術を用いても勝てない。かの名軍師諸葛孔明ですら物量に優る魏を倒し得なかったではないか。日本はその上、中国とも戦っていたのだ。これでは日本の国力を大きく超えた戦いになるのは明らかである。「そんな無謀な戦争を始めた指導者が無能だった」と批判するのは易しいが、歴史には大きな流れがあり、米中両国と戦わざるを得なかった当時の状況を無視した論評は避けるべきである。

では、巷間言われる「誤り」は本当に「誤り」だったのか。代表的な事例を検証する。

■三国同盟
外交の失敗として真っ先に槍玉に挙げられるのが日独伊三国同盟の締結である。

ドイツとの提携が戦後のわが国に負の遺産を残してしまったのは事実である。ユダヤ人虐殺を行った国と手を組んだことで、日本もナチスドイツと同様の残虐ファシズム国家と見なされ、戦前の日本の印象は決定的に悪くなり、未だにその呪縛から抜け出せない。

ドイツは欧州の中央に蟠踞(ばんきょ)することから外交では非常に狡猾(こうかつ)な策を弄する国であり、イタリアもマキャベリを生んだ国だけに裏切りをものともしない。このような国々と同盟を結んだことは日本史上最大の痛恨事であったかも知れないが、当時の指導者も独伊がどんな国かは当然分かっていた。天皇も心配され、鈴木貞一企画院総裁もその点を危惧しながらも「独伊との提携は歴史の必然である」と言った。では独伊との関係を切れば米国は日本に歩み寄ったか。答は否である。米国は何れは日本を叩きのめすつもりだった。独伊との同盟を解消すれば日本は平和を守れたかというとそんな単純な構図ではなかったのである。松岡洋右外相が三国同盟にソ連をバックにした力の外交で米国との交渉に臨もうとしたのは有名な話だが、米国は煙たい松岡を更迭させる為、「軍国主義者とは交渉出来ない」と申し入れた。貴族育ちの近衛首相は日米交渉を成立させたい一心から外相を穏健な豊田貞次郎に代えたが米国の態度は更に強硬になっていった。日本は米国の策略に翻弄されただけである。

真珠湾攻撃
「なぜ第二次攻撃をしなかったのだ。もし石油タンクや施設を破壊しておれば米軍の反攻を遅らせることが出来たのに」と識者の中に山本長官南雲提督の指揮を淡白だと批判する人がいるが、見当外れの論である。

まず真珠湾に空母(航空母艦:飛行機が発着艦させ、格納および補給整備などができるように建造された軍艦)はいなかった。空母がいない以上第二次攻撃はあまり意味がない上、今度は相手も迎撃体制を整える為、こちらも相当の損害を覚悟しなくてはならない。またハワイ近海の敵空母から艦載機の攻撃を受ける危険も大きい。このようなリスクを犯してまで第二次攻撃を行う必要なしとした司令部判断は決して間違っていない。また山本長官の「日本の国力を考え、艦艇は大切にして欲しい」との言葉を「消極的」と批判する向きもあるが、物量に劣るわが国が戦力の消耗を出来る限り避けようと慎重になるのも至極当然で、何ら批判される筋合いではない。今、戦いは始まったばかりなのだ。慎重になるのは当たり前である。

■ミッドウェイ海戦
この海戦の最大の失敗は※「雷装から爆装、また電装」と指示の二転三転にあると言われる。

※【注釈】
雷装とは艦船攻撃用爆弾や魚雷の装備のこと。電装とは陸上攻撃用爆弾のこと。(終)

確かにその時間のロスが致命傷になり日本は虎の子の正規空母四隻と航空機三〇〇機、多くの熟練搭乗員を一挙に失い、以後は防戦一方に追いやられた。だがあの時点を想起して欲しい。ミッドウェイ島への攻撃効果不充分と考え、また付近に敵空母はいないとの索敵報告を受けて雷装から爆装に転換した判断そのものは誤りではない。その直後索敵機から空母発見の報が入る。ここで再び爆装から雷装に転換を図ったことも誤りとは言えない。空母の撃沈は陸用爆弾(陸上攻撃用爆弾)では無理だからだ。確かに陸用爆弾を装着した攻撃機をそのまま敵空母に向かわせ、甲板に穴を空ければ艦載機の発着を一時的に妨げることは出来ただろう。しかし、それでは最終的に勝ったことにはならない。

日本側にあと五分の余裕があれば逆に敵空母を撃沈出来たのである。正に勝敗は紙一重だ。ミッドウェイは個々の判断は正しくても敗れることがあるという典型例である。

※【注釈】
ミッドウェー海戦
1942年にミッドウェー島攻略作戦に参加するが、6月5日、重巡利根の索敵機(4号機)より敵機動部隊発見の報告が入り、攻撃隊の爆装を雷装に兵装転換行っている最中、第一航空艦隊は米空母(エンタープライズとヨークタウン)の急降下爆撃機による攻撃を受け、赤城にはエンタープライズ搭載機の2発が命中、炎上した。一時は本土までの回航も模索されたが、誘爆による大火災の発生により回航不可能と判断され、翌6月6日午前1時、味方駆逐艦(第四駆逐隊の「嵐」、「野分」)の魚雷により海没処分とされた。

単独でヨークタウンを攻撃した飛龍以外の空母では、搭乗員の戦死者は比較的少なかった(赤城ではミッドウェー島空襲時に零戦1機、上空直衛戦闘で零戦2機が撃墜され、被弾による艦上戦死者は艦攻操縦員1、艦戦操縦員1、艦爆偵察員1、艦攻電信員1と、戦死した搭乗員は合計7人)。しかし本艦を初めとした空母航空戦力の大半を喪失した日本海軍は、敗戦までそれによって生じた劣勢から回復することが出来なかった。(終)

■特攻
特攻隊の生みの親、大西中将は自ら「特攻は統率の外道だ」と言った。物量に劣る日本が追い詰められ、仕方なく取った戦法が特攻である。だがあの当時、燃料が枯渇し歴戦搭乗員の大半が戦死している状況で、一体どんな作戦が取れたというのか。こんな外道の作戦をやる前に降伏しておれば多くの前途ある若者を死なせずに済んだ、その通りである。しかし特攻隊員はその命と引き替えに貴重な財産を子孫に残してくれたのだ。それは己を捨てて国に殉ずるという至高の精神である。國神社刊『英霊の言乃葉』には多くの隊員の遺書が載っている。人は皆、自分が一番可愛い。だが遺書にはそんな「人間の常識」は当てはまらない。彼らの遺書は正に「神の言葉」である。私たちがその精神を少しでも学ぼうとするなら、彼らの死は決して無駄ではない。特攻で戦況は好転しなかった。その限りでは誤った作戦だったかも知れないが、私たちが彼らの精神を学ぶ努力を続ければ、やがて歴史が正しい評価を下すであろう。

幾つか実例を挙げたが、要するに「後からなら何とでも言える」という事である。昨今、高名な政治家や立志伝中の経営者を題材にした本がよく発売される。読者はしたり顔で「A首相は金権政治の元凶だ」「B社長は暴君だった」と、その人物と会ったこともないのに知ってるかの如くこき下すが、なぜもっと素直にその人の業績を讃えないのか。一時代を築くような人物は概ね辣腕家で敵も多い。逆にそんな人物だからこそ偉業を成し遂げたとも言えるのだ。

東條首相は極めて真面目で几帳面な性格だったそうだが、反面頑固で融通が利かない典型的な軍人であったとも伝えられる。中には「宰相の器ではなかった」と酷評する人もいる。だがこれも戦争に負けた為に言われるのであって、もし勝っていれば史上最高の大宰相と永遠に語り継がれたことであろう。東條は狭量だったとか松岡の外交はおかしかったとか、そんな結果論に拠る個人攻撃はもうやめようではないか。あの時の指導者も国民も共に全力で戦ったのだ。勿論失敗もあった。当然である。人間は失敗を犯す生き物なのだ。私は当時の外交や戦い方を批判する人々に聞きたい。「もし貴方が外交の責任者だったらあの戦争を避けることが出来ましたか」「もし貴方が軍を指揮すればあの戦争に勝つことが出来たと思いますか」「出来る」と答える人があれば、それはあまりに傲慢であろう。私たちは平和な時代に生きている。それは誠に結構である。だが平和を満喫しながら六十年前のあの戦争と指導者を悪し様に論評するのはやめるべきではないか。國に眠る英霊は大臣、大将から一兵卒に至るまで必死に戦って下さったのだ。それで充分である。真に謙虚で深い感謝の心を持って國神社にお参りをする、それが全ての英霊に対する礼儀であると信じている。
(引用終わり)


文中に取り上げられた事例についての評価は様々あるかと思いますが、西川氏が言われるように、平和を満喫しながらあの戦争と指導者を論評するのはやめるべきだと思いますし、靖国に眠る英霊の方々は大将から一兵卒に至るまで必死に戦って下さったのですから、それで充分だと思います。東條英機を始め、いわゆるA級戦犯と言われる方々も、国家存亡の危機の中で、渾身で国家戦略や戦術を考え抜かれたのですから。

翻って今の政治家たち、靖国に参拝しないだとか、A級戦犯を分祀しろだとか、新たな追悼施設を作れだとか、中国との目先の友好のみを至上命題としてこうした妄言を吐いている方々が、果たしてどれ程真剣に、国を想い、国民を想い、国家戦略を考えているのか。
日中友好のために自国の誇りや伝統を蔑ろにし、靖国参拝をしないなどと言われている方々の行いは、真剣さのかけらもない、売国行為に他ならないと私は思います。

まもなく迎える8月15日は、戦争で亡くなられた英霊の方々のお陰で今の私たちが平和を満喫できていることを再確認し、そのご恩に感謝する日であって欲しいです。
そして、小泉首相には、そうした英霊の方々が祀られている國神社に、国民を代表して感謝と哀悼の意を捧げるべく、参拝して頂きたいです。

大東亜戦争について学ぶための本
占領体制の中で作られた戦後の歴史観から脱却し、先の戦争の意味を深く問うた良書です。是非、手にとって下さればと思います。
新大東亜戦争肯定論 新大東亜戦争肯定論
富岡 幸一郎 (2006/08)
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コメント
この記事へのコメント
>現役教師さん
現役教師さんのような立派な方が、教育現場におられることを大変嬉しく思います。

さて、ご質問の件ですが、私も正論や諸君は読んでおります。しかし、お恥ずかしい限りですが、それ以上の知識は持ち合わせておりません。お役に立てないこと、お許し下さい。

武藤章、松井石根については、アマゾンで検索したところ、幾つか本が出版されていましたので、そちらを購入されては如何でしょうか。

あるいは、私が会員になっている「日本政策研究センター」(所長 伊藤哲夫)というシンクタンクがあるのですが、そちらの方へ「会員の方から紹介された」という旨を伝え、武藤章、松井石根を生徒にどう教えていけばよいのか、尋ねてみては如何でしょうか。きっと何かアドバイスをして下さると思います。
■日本政策研究センターHP
http://www.seisaku-center.net/

■お問い合わせ
電話 03-5211-5231

メール contact_us@seisaku-center.net

なお武藤章、松井石根には触れていませんが、「日本を護(まも)った軍人の物語」岡田幹彦著(祥伝社)という本には、広瀬武夫中佐や佐久間勉、今村均など、この日本国を護るために身命を捧げた立派な軍人の方々について書かれており、生徒さんにもお薦めできる良書だと思います。参考までに。

折角ご質問下さったのに、お答え出来ず、すいませんでした。
2006/08/23(水) 23:47 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
いかに教えたらよいか
県外で高校教師をしている者です。

ご質問をお許し下さい。

最近の高校生は小林よしのりさん他の歴史漫画などの影響で、正しい歴史認識が芽生えつつあります。よいことだと思います。

A級戦犯といわれている東條首相がアメリカと自衛戦争をしたこと、満州国をつくり国の防御を守るために満州事変を起こした(板垣征四郎などの)ことは生徒たちは理解してくれます。

しかし武藤章、松井石根などの軍人について、いかにしたら優れた指導者と認識させることができるものでしょうか。今日の中国の軍拡路線を予測した慧眼の持ち主と説明しているのですが、どうしても説得力に欠けてしまいます。正論や諸君を読んでも納得できる論説出会えません。

武藤章、松井石根の再評価を教えてくれる書物(日本の未来を見据えた優れた指導者であったこと)教え方等ご教示いただきたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。
2006/08/23(水) 02:16 | URL | 現役教師 #mQop/nM.[ 編集]
>かっぱやろうさん
お手数かけてすいません。
2006/08/16(水) 18:04 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
TB
出来ないようなので、

http://kappaneko.blog68.fc2.com/blog-entry-155.html

お願いしまス~。
<(_ _)>
2006/08/16(水) 10:40 | URL | かっぱやろう #-[ 編集]
先日「だから日本人よ、靖国へ行こう」を読み終えました。自分の学生時代を振り返ると、おそらく「靖国」という言葉を聞いたことが無かったのではないか、と思います。学校では勿論、当時は今のような「靖国問題」なる物はなくて、だからテレビでも聞かれることは無かったですし。8月は地元が岡山なので、広島の平和記念公園での式典が大きく取りざたされていたのは記憶にあります。もっと早くに、そして正しく教わっていれば、「靖国問題」なんて問題にならなかったのに...悔しいし残念です。
さて、先日高校野球が開幕した、というニュースを見ましたが、原爆投下の自国に「広島県代表の球児だけ」が起立し、黙とうを捧げていたのを見て、とても驚きました!私が学生だった頃は全国の球児は勿論、列席者(観客を含む)全てが起立し、黙とうしていたし、それは当たり前のことだと思っていたのに、何故広島県代表だけ?他校の生徒や引率の教師は何も違和感を感じないのでしょうか?日本に世界で初めて原爆が投下され、一般市民を含む多くの日本人が犠牲になった時間ですよ!無関係なはず無いじゃない!あれは靖国問題とは全く別の話で、黙とうしなかった(させなかった)学校の引率者と校長に処分を与えるべきです!長崎・広島の原爆投下の日と終戦記念日は一番日本人が心を一つにさせるべき日だと思います。
ごめんなさい、このブログの内容と無関係のコメントになってしまいました。
2006/08/09(水) 16:01 | URL | ゆう #-[ 編集]
>tonoさん
戦後六十年が過ぎたのですから、この辺で歴史事実の検証をしっかりとしておかないといけませんね。

そして、史実を無視した論評をされる方や、中国や朝鮮からのいいがかりに対しては、きちんと反論すべきですよね。

>milestaさん
歴史上の出来事は、様々な要因があって起こるものですし、簡単に善悪の判断はつけられませんよね。

先の大東亜戦争についても、戦後定着した東京裁判史観を捨て、ペリー来航以来の1世紀に及ぶ歴史の流れを見ていかなければならないと思います。

>かっぱやろうさん
歴史問題を考察する際には、現在の常識で見るのではなく、その当時の常識に照らして見るべきですよね。

そして、先人の揚げ足をとるような恩知らずな行為をしている方々は、決して幸せにはなれないと思います。

>かついちさん
おっしゃるとおり、勝てば官軍、負ければ賊軍で、歴史は勝者によって書かれてきましたからね。

大東亜戦争については、東京裁判で東條英機元首相が「自衛戦争」であると述べ、後にはマッカーサーまでもが同じく日本の戦争は自衛戦争であったと米国上院議会で述べています。
渡部昇一氏はこれを「東條・マッカーサー史観」と言われていますが、時が経てばこの史観が定着するだろうと思います。
2006/08/08(火) 12:01 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
勝てば官軍
勝てば官軍、負ければ賊軍という言葉があるように、勝ったら勝ったなりにいい評価はされ、逆に負けたら負けたで酷評される。世の常とも言えると思います。大東亜戦争(父もそう言っていましたので以後私はこの戦争をそう呼ぶことにします)は決して日本の野望で行われた戦争ではなかったと思うし、そう信じたいです。これから先終戦から100年が経ったとき、日本の歴史に対する見方は正しい方向に修正されるだろうと思います。これからあと約40年後、私は70歳になっているでしょうが、その時はこの戦争が日本の存亡を賭けた戦いであったと、堂々と言える時代になってくれたらいいなと思います。
2006/08/08(火) 10:14 | URL | かついち #JalddpaA[ 編集]
当時
取るべき道はそう沢山なかったはずですよね。
先人が最良の選択をしたんだと思っています。
自分とこのブログでも書きましたけど、
当時の出来事を、今の物差しではかるのはナンセンスです。
どーのこーの言っても、結局は後の祭りなわけで。
先人のあげ足をとってしたり顔してる連中。
反吐が出ますね。
誰のおかげで普通の暮らしができてるのか、
よーく考えろ、なんちう風に思うことしきりです。
2006/08/07(月) 22:09 | URL | かっぱやろう #-[ 編集]
歴史に関する本を読んでいると、好人物に書かれていた同じ人が別の本では役立たずに書かれていたりします。
歴史というのは、後世の者が簡単に「良い」「悪い」と決めつけることはできないものなのかもしれませんね。
ましてや「自分だったら失敗しなかった。」などという人は、西川さん仰るように傲慢以外の何ものでもありませんよね。
2006/08/07(月) 18:53 | URL | milesta #S4B2tY/g[ 編集]
TBありがとうございます。
歴史というのは、時間という人間が止められない物の中で、現在(=当時)の積み重ねだと思います。
史実・史料を元に、現在までの史観を国としてぶれないようにしていくことは大切だと思います。
結果を知った現在から、結論ありきの、まして、史実をさえ無視した評論をする輩には腹立たしい思いがぬぐえません。
現在の日本で平和を甘受出来るのは、時の流れの中で、究極の選択を迫られた人々の「決断」の積み重ねのおかげなのは事実なのですから。
TBさせて頂きました。
2006/08/07(月) 15:39 | URL | tono #goQCcphI[ 編集]
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