『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
※今回は、産経新聞より岡山版に掲載されている森靖喜(もり・やすき)氏の論文を引用します。

■現在(いま)を問う
岡山学芸館高・清秀中学園長
森靖喜

太平洋戦争と原爆投下に何を学ぶか

多くの日本人は「太平洋戦争」は知っていても「大東亜戦争」を知らない。毎年夏、日本は「太平洋戦争」に関する記事や報道で覆われる。読み、聞き、見るたびに「憂鬱(ゆううつ)」になる。まずは「太平洋戦争」という米国占領軍が命令した「名称」に対しての腹立ちである。

昭和16年12月8日のハワイ真珠湾奇襲攻撃直後、日本政府は「大東亜戦争」と命名した。「大東亜戦争」の名称は、日本の自衛のための戦争であり、「フィリピン」「インド・ビルマ(現ミャンマー)・マレー」「インドネシア」を植民地として支配していた「米」「英」「蘭」を追い出し、アジアの諸民族の独立を促した結果からしても妥当な名称である。

あの戦争は白人の迫害に抗した「日本の自衛戦争」であり、「アジアを解放した戦争」ということになり、あくまで日本はアジア侵略した「悪者国家」でなければならない米国にとっては、非常に不都合である。大東亜共栄圏は、有色人種が団結して白人の侵略に対抗しようという意味を含む。それは米占領軍にとっては知られたくない事実であり、戦後は「大東亜」という言葉の使用を禁じた。太平洋戦争という言葉には「アジアを侵略した日本」という意味が込められている。

占領軍は昭和20年から翌年にかけて、「太平洋戦争史」という連載新聞記事、「真相はこうだ」と題するNHKラジオで日本人に「日本はアジアを侵略した悪者国家」と思わせる洗脳工作を実施した。それは有無を言わさぬ命令であり、ポツダム宣言に違反した徹底した『検閲』の下に行われた。それに反論、抗議することは逮捕か公職追放を意味し、沈黙するしかなかった。「日本侵略悪者国家」という「米国が押し付けた歴史観の是正」「日本人の精神の健全化」は、新聞・テレビ・教科書から『太平洋戦争』という呼称を追放し、『大東亜戦争』に改めることから始めるべきである。

そして、次は『投下した米国の責任』が一言も出てこない原爆被災報道である。米軍は昭和20年8月6日に広島へ、9日に長崎へ原爆を投下し、20万人以上の人類史上類の無い大虐殺を行った。日本の降伏の意思を知っていたにもかかわらず、トルーマン米国大統領は8月3日、広島・小倉・長崎のいずれかに原爆を投下せよと命令した。

8月6日、B29爆撃機『エノラゲイ号』が広島に投下。一瞬にして12万人以上が爆死した。原爆実験成功から、わずか20日というスピードでの投下であった。長崎への投下を急いだのも、広島のウラン型原爆とは異なるプルトニウム型原爆を実験したい思惑であった。旧ソ連が対日参戦を約束したことにより、日本は降伏すると考えたトルーマン大統領は原爆投下の機械を失うことを恐れた。それは実験以外の何ものでもなかった。トルーマン大統領は戦後の対ソ戦略の一環として原子爆弾の威力を見せ付けたのである。

そして、過去500年の歴史の中で有色人種は人間ではない、とした白人の人種差別意識が原爆投下の背景にあったことを忘れてはならない。

広島平和公園の原爆慰霊碑は「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」とある。たとえどんな理由があれ、原爆という大量破壊兵器を一般市民の頭上で爆発させたことは、断じて米国の過ちである。慰霊碑を「繰り返させませぬから」と書き直すのが反核平和運動の原点であろう。

【引用終わり】

※森晴喜(もり・やすき)
昭和16年、岡山市生まれ。明治大学大学院卒業後、43年から金山学園(現・岡山学芸館高校)の教諭、岡山市教育委員長などを歴任。現在は岡山県私学協会長、学校法人・森教育学園理事長、岡山学芸館高校・青秀中学校学園長、教育再生をすすめる全国連絡協議会世話人。専門は政治学。

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