『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
今回は、産経新聞(3/10)に掲載された井尻千男氏(拓殖大学日本文化研究所 所長)の論文を引用します。

「聖域」を守ってこその保守政治
許されぬ改革名目での伝統破壊

■守るべきもの先ず明確に
「聖域なき構造改革」という借辞は、誰がいつごろから使いはじめたかのか。一九九〇年代初頭からだとすると、日米の経済構造教義と無縁ではあるまい。小泉純一郎氏が首相就任以来しばしば、この台詞(せりふ)を口にしたことは記憶に新しい。

多くの国民はそれを改革の意気込みを表す修辞学のひとつと思っていたかもしれないが、私自身はかねてから厭(いや)な予感を禁じえなかった。

なぜならば「聖域」を意識することが保守政治家たることの必須要件のはずだからである。そして、保守革命ということがありうるのも、その「聖域」があってのことであり、いわゆる左翼革命との差はその一点にかかっている。

たとえば「二・二六事件」という昭和維新革命に挺身(ていしん)した青年将校たちが信じた世直しは、堅固な「聖域意識」の上に立つ保守革命だったといえるし、日本浪漫派の保田興重朗は保守こそ最強の改革者だという意味のことを言っている。いずれにせよ、守るべきものが明確な者こそが本当の改革者なのだということだろう。

小泉首相は皇室典範に関する有識者会議の報告書が公表された直後の記者会見で「いわば皇室の構造改革ですね」という言葉を口にされた。よもや郵政民営化等々の世俗的な諸改革と同一レベルでそう言ったのではあるまいが、ここ十余年にわたって叫ばれてきた「構造改革」という言葉はグローバルスタンダードという幻想と深く結びついている。それに加えて、その構造改革がわが国の伝統文化と日本的組織原理を棄損してきたという現実は否定すべくもない。

その言葉でかいは、保守系政治家の家に育った三代目とは思えないものだが、漏れ伝わってくる有識者メンバーの言葉づかいに対しても私は同様の違和感と危惧をいだいた。寛仁親王殿下のやむにやまれぬご発言に対して「どうということはない」と言ったのは誰だ。

■典範改正は歴史への冒涜
ことしの正月、小泉首相は新橋演舞場で『信長』を鑑賞し、いたく感銘を受けた様子だったが、このことも解釈のしようによっては厭な予感をいだかせるものだった。

なるほど信長も「聖域なき構造改革者」に相違ないが、もし信長が本能寺の変で斃(たお)れなかったら、その性格からして「朝廷の改革」に手を染めたかもしれない。正統性を重んずるインテリ光秀はその可能性を察知して、三日天下を覚悟の上で立ったという仮設もありえないことではない。私はそれを支持する。

小泉首相の「聖域なき構造改革」というフレーズはつねに大衆の喝采(かっさい)を受けてきた。けれども改革や革命の旗に熱狂する大衆は、ほぼ必ずといっていいほどに最良の伝統を破壊してしまう。

フランス革命から二百年以上たっているというのに、いまだに王政復古を夢見る人はいる。ロシアにだっているだろう。思想史の文脈でいえば、啓蒙(けいもう)主義という幻想から醒(さ)めたということだろう。革命の世紀は二十世紀で終わったのである。

小泉首相は任期最後の大仕事として皇室典範の改正に着手したと思われるが、どう考えてもGHQ(連合国総司令部)急拵(こしら)えの現行憲法をそのままにして、それに従属する形になっている皇室典範を改正しようというのは無理筋、歴史に対する冒涜(ぼうとく)というものだ。が、さいわい秋篠宮妃殿下ご懐妊という慶事によって事無きを得た。

しかし、ひとたび大衆的論議の的となった「女帝・女系天皇容認論」は燎原(りょうげん)の火さながらにひろがり、消しようがなくなった。ポピュリズムという小泉流政治手法の恐ろしさがそこにある。

その燎原の火がジェンダーフリーという枯れ野に飛び火したことは明らかで、その背後には人権原理主義という妖怪が蠢(うごめ)いている。演劇的台詞でいえば「回収不可能だ」という事態である。
■ポピュリズム政治の限界
明治の元勲たちは、皇室典範を「天皇家の家憲」と位置づけて臣民の関与を排除した。その英知に学ぶとしたら、まずもって国民的議論というポピュリズム政治の限界に気づくべきであり、その政治手法に最もふさわしくない課題が皇室典範だったと自覚せねばなるまい。そうして皇族方(旧宮家を含む)のご意向を確認しつつ粛々と法的作業を進めるべきである。

その際に忘れてはならないことは、天皇が祭祀(さいし)王であられるということ。政教分離の原則を盾にそれを避けたら、これまた国史に対する冒涜というものである。

(引用終わり)


井尻氏が言われるように、今回の皇室典範改正問題にみられるような、「改革」の名目での伝統破壊は許されないものです。保守政党である自民党の小泉首相には、守るべき「聖域」をしっかりと意識して頂きたいです。

自民党は昨年、結党五十年の記念大会を開催し、その中で「改革政党」としての自民党を強調していましたが、本来なら、保守政党として、「改革」の前に日本の良き伝統・文化を守り、継承していく姿勢を明確に示すのが本筋だったと思います。

この良き伝統文化が、戦後の日本ではGHQや国内のマルクス主義者によって破壊されてしまいました。特に、上は「天皇の権威」から、下は「親の権威」に至るまでの、「伝統ある権威」が破壊されたことが、今の日本人の心の混迷を生んでいると思います。

中川八洋氏(筑波大学教授)は、著書の中で、権威について次のように言われています。

人間は、伝統的な権威という見えない指針なしには、日常の生活も人生も健全には送ることはできません。伝統と慣習という、祖先の叡智に裏打ちされた”真正の権威”を棄てると、すぐに人間は、「多数の意見(世論)」などの、素性も定かではない「偽りの権威」に服従してしまうものです。「偽りの権威」で”正しい権威”を代替してしまうものです。現に日本では、マスメディアの流す「平和」「人権」「反核」「社会保障」などの言葉を「権威ある真理」と思い込み、これにひれ伏している。日本は「狂った権威」の跋扈(ばっこ)する国に成り果てました。
(終わり)


この伝統ある権威を復権させ、マスメディアの流す「狂った権威」を排除することが急務であると思います。

そして、自民党には、結党の際の諸文の中の、「党の使命」なる文書に書かれていることを再認識して頂き、共産主義者が画策した、これまでの皇室の歴史を断絶し、皇室の消滅に繋がるような典範改正はしないで頂きたいです。

以下、一部を引用します。

「国内の現状を見るに、祖国愛と自主独立の精神は失われ、政治は混迷を続け、経済は自立になお遠く、民生は不安の域を脱せず、独立体制は未だ十分整わず、加えて独裁を目指す階級闘争は益々熾烈となりつつある。/思うに、ここに至った一半の原因は、敗戦の初期の占領政策の過誤にある。
・・・初期の占領政策の方向が、主としてわが国の弱体化に置かれていたため、憲法を始め教育制度その他の諸制度の改革に当り、不当に国家観念と愛国心を抑制し、また国権を過度に分裂弱体化させたものが少なくない。この間隙が・・・共産主義及び階級社会主義勢力の乗ずるところとなり、その急激な台頭を許すに至ったのである」
(引用終わり)

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■追記
拙ブログに来て下さっているびーちぇさんが、有識者会議のメンバーである岩男氏についての記事「ウソつきを恥じない、岩男壽美子」を書かれているので、お読み下さればと思います。
http://plaza.rakuten.co.jp/beace/diary/200603090000/
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コメント
この記事へのコメント
milestaさんへ
お礼が遅くなりましたが、回答下さってありがとうございます。

タイでは首相は只今様々な汚職疑惑でリコールを求める市民団体が
週末にデモ行進を行うなど活発な動きがあり、
国民からの不満の声が強まっています。
それに比べてプミポン国王陛下の人気の高さは少し羨ましくも思います。
日本国民が天皇陛下をタイ国民の半分でも尊敬し、国の象徴として
大切に思えたら、少なくとも女性天皇
容認という愚かな議論は
起こらなかっただろうに...

やはり、家庭教育と学校教育の両面が重要ですね!
タイのように毎日朝夕2回国歌を流し、学校で国旗掲揚し、硬貨・紙幣全てに
天皇陛下のお顔を入れるべし!

それから例え国会議員に天皇家に関して決定権が与えられているとしても、
それを当然のように主張するなんてもはや日本人ではない!
「天皇家が意見する権利はない」とほざいた一国の主よ、そういうあなたに
一国民として意見する権利などないのだ!


2006/03/22(水) 13:43 | URL | ゆう #-[ 編集]
>百式さん
どうもありがとうございます。
2006/03/18(土) 15:09 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
職場からのアクセスです
 早急な復帰を願ってはおりますが、あせって無理はしないでくださいね。
2006/03/17(金) 21:34 | URL | 百式 #-[ 編集]
皆様コメントありがとうございます。
現在体調を崩してしまいまして、ブログの更新が出来ずにおります。
少しづつですが、快方に向かっているので、近日中には復帰出来るかと思います。
季節の変わり目、どうか皆様も健康に留意されますように。
2006/03/16(木) 22:05 | URL | spiral(管理人) #-[ 編集]
第2回内閣部会
草莽崛起-PRIDE OF JAPANに、3月15日に行われた第2回内閣部会の内容が紹介されていました。
http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-293.html

2006/03/16(木) 21:43 | URL | milesta #4On3Ze.o[ 編集]
spiralさんの方がお詳しいでしょうが・・・
>ゆうさん
中川八洋氏が『正論』一月号に書かれていたことの要約です。
-----------------
明治皇室典範では、皇位継承法の改正は「枢密院」の審議と「皇族会議」を経ることになっていて、どちらも天皇陛下がご親臨(出席)されるべきと定めてあり、またメンバーに皇族が複数いらした。従って政府や議会だけの皇位継承議論は不可能な規定になっていた。

日本国憲法の制定に当たり、GHQにより枢密院が強制廃止され「皇室典範は国会が議決する。」とされる。
これを天皇制廃止の好機と見た共産党系憲法学者たちが「皇族会議」の廃止とその権能の国会への移行を図り成功。皇室典範改正条項についても「皇室会議」(「皇族会議」に替わって規定された)から審議権は剥奪され、改正は国会のみが行えるようになった。

これで「国会が命令する側、天皇が命令される側」となってしまった。

ヨーロッパの王位継承法は憲法レベルかそれ以上の扱いなのに、日本国憲法では法律のレベルに貶めている。
例えば、イギリスでは国会や法律より優先する「法」というものがあり、王制について「古来からの国体としての王制は人智を超えた真理であるから法である」とみなされている。(つまり王制は、国会や法律より上位にあると言うこと。)
-----------------

日本国憲法制定時に、共産主義者が「王制の真理」を軽んじて(正確には天皇家の廃絶を目論んで)、国会が天皇家のことを一法律と同等に改正できるようにしてしまった。
それで国会議員達がどうこう言っているのでしょう。

しかし「真理」を考えれば、口を出すなんて恐れ多いことですよね。
中川八洋氏の言葉を借りれば、口を出して良いのは、天皇制護持のためであれば生命も財産もかなぐり捨てる覚悟のある国会議員だけということです。
2006/03/13(月) 22:56 | URL | milesta #4On3Ze.o[ 編集]
私もそう思う
天皇陛下や皇室のことを言うべきではないと思います。天皇陛下を政治利用するなどもってのほか。国の運営は国民の代表である総理大臣が行うもので、国の骨格を支えているのは皇室。これは他のどの国にもない、我が国独特の国家体制です。天皇が政治的権力を持ってしまったらこの国はとうの昔に滅びてしまっていると思います。天皇がこの国の平和と安定に寄与しているからこそ私たちは日本人である、と言ってられるのだと思うのです。
2006/03/13(月) 17:29 | URL | かついち #JalddpaA[ 編集]
洗濯物を干していて...
ふっと思ったんだけど、国会議員が皇室に関することをどうこう言う権利はあるの?
総理大臣が皇室の存続に関わる重大なことを決定する権利はあるの?
あるとすれば、それはなんともおかしな話じゃないか、って思いました。

不勉強でごめんなさい。だけど何も知らなくても、逆に知らないからこそ
こういう疑問を持つんじゃないかしら?

私の古い記憶だと、「天皇陛下は政治に口を出してはいけない。
政治を行うのは国会議員で、天皇陛下は国の象徴なので、国の平和と繁栄のために存在している」と
学校で教わったはず。実際はもっと天皇陛下を悪く言う表現でしたが。
つまり、国の政治と天皇陛下は全く別物で、切り離して考えるべきもの、と
習ったと思うんだけど...



2006/03/13(月) 13:39 | URL | ゆう #-[ 編集]
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本日、産経新聞他のマスコミから、政府の「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーである岩男寿美子・武蔵工大教授が、自身が編集長を務める海外向けの英文雑誌「ジャパンエコー
2006/03/12(日) 00:49:10 | 釣りキチおやじの言いたい放題