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今回は、民主党が進める国家解体法案の一つ、夫婦別姓法案について取り上げます。まずは産経新聞よりニュースを引用します。

■選択的夫婦別姓を明記 第3次男女共同参画基本計画策定に向け答申 

2010.7.23

 政府の男女共同参画会議(議長・仙谷由人官房長官)は23日、平成23年度から5年間実施する第3次男女共同参画基本計画の策定に向け、選択的夫婦別姓制度導入の必要性などを盛り込んだ「基本的な考え方」をまとめ、菅直人首相に答申した。これまでの基本計画では、夫婦別姓に関するスタンスは明記されていなかったが、民主党政権初の計画策定に向け、答申は制度導入を強く後押しする内容となった。

 答申は、喫緊の課題として、多様な生き方を可能にする社会制度の実現に向けて「世帯単位の制度・慣行から個人単位の制度・慣行への移行」を掲げた。その具体的な取り組みとして「家族に関する法制について選択的夫婦別姓制度を含む民法改正が必要」と明記した。

 自民党政権下の12年にまとめられた第1次男女共同参画基本計画では、夫婦別姓に関し「国民の意識の動向を踏まえ引き続き検討を進める」と表現。17年の第2次計画でも「国民の議論が深まるよう引き続き努める」と、抑制的な表現にとどめていた。

 同会議は今回の答申に先立ち、夫婦別姓の必要性を示した中間整理案を4月に公表し、パブリックコメントを募集。約1万3000件寄せられた意見では、夫婦別姓に関する反対意見が多数あったという。ただ、学識者らで構成する同会議傘下の専門調査会で「男女共同参画の実現には選択的夫婦別姓の導入が必要」と結論付けられ、今回の答申にも盛り込まれた。
 また、答申では、女性の管理職登用や育児休業の取得などに積極的な企業に対し、優遇税制や国などの事業発注での優先的扱いを検討するよう求めている。

 政府は今回の答申を基に第3次基本計画を策定、年内の閣議決定を目指す。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100723/plc1007232116011-n1.htm



民主党が国民の反発を怖れてマニフェストに記載していなかった夫婦別姓制度の導入を、いよいよ本格的に始動させるようです。前回の拙ブログの記事に、菅首相が参院選で落選して辞意を伝えにきた千葉景子氏を慰留し、大臣として残したことは、夫婦別姓を目指すという菅首相の意思の表れだと書きましたが、まさにその通りだったようです

この夫婦別姓については、記事中にもあるように、パブリックコメントを募集すると反対意見が多数寄せられているとのことですし、神奈川県民の方は参院選で千葉氏が進める夫婦別姓に「NO!」という民意を示しました。さらに、最近の世論調査でも次のような結果が出ています。


■夫婦別姓、反対が55.8%=外国人参政権も賛成少数-時事世論調査

 時事通信社が5~8日に実施した世論調査結果によると、選択的夫婦別姓制度に賛成が35.5%に対し、反対は55.8%。永住外国人への地方参政権付与についても、反対(49.0%)が賛成(38.3%)を上回った。
 政党支持別でみると、選択的夫婦別姓に賛成が民主支持層で33.6%(反対が59.4%)、自民党支持層で24.3%(反対69.3%)。地方参政権付与では、民主支持層の賛成は41.4%で反対は51.6%。自民支持層の賛成26・2%、反対67.3%だった。(2010/03/12-16:52)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201003/2010031200741



こうしたことからも、大多数の国民は夫婦別姓などが望んでいないのが分かります。では、国民の望まない夫婦別姓を進める民主党の意図とは何なのか、渡部昇一氏(上智大学名誉教授)がメルマガで指摘されているので引用します。

■夫婦別姓は左翼の陰謀である

昔は家督相続であった。家督とは一家の家長権のことである。一家の嫡子(大体が長子)が先代の家督を受け継ぐ。それだけではない。家督としての権利や義務も受け継ぐ。権利とは一族を束ねる役割などであり、義務とは一族の暮らしに目配りしたり、先祖代々の墓を守ったり、といったことである。歴史的には幾つかの変遷があるが、日本はこのやり方を根本にして社会を構成し、歴史をつくってきたと言っていい。

この家督相続は家制度を確立させ、本家がそこから別れ出た分家の求心力の中心となり、さらに本家の求心力はその上の氏族に向かい、終局の求心力の極点には天皇がいるという意識としての秩序感を植え付けることになった。この秩序感は日本人の倫理性の基盤となり、道徳性を育てる土台となった。つまり、家督相続は日本人の民族形成の重要な要素、ということである。

江戸時代以前は家督相続が成文化されていたわけではなく、自然に形成されたしきたりだったのだが、明治になって民法ができた。そこでは戸主を主として長子が相続継承する家制度となって家督相続の精神は受け継がれた。ところが戦後、昭和22年の民法大改正によって、これが根本から引っ繰り返ったのである。その代表格はご存知のように、相続は①被相続人の子、②被相続人の直系尊属、③被相続人の兄弟姉妹の順番で平等になされることになった。遺言などで相続の分配を変えようとしても、遺留分とう法的強制力が働く仕掛けにもなっている。この新民法がもたらしたものは計り知れない。

こう述べてくると、今回のテーマは相続の問題か、と思われるかもしれないが、そうではない。ある陰謀が日本をある方向に向かわせようとしていることを示したいのである。

戦後の新民法は日本の伝統である家を破壊した。それは戸籍法でも明らかである。いまの民法は三代戸籍を禁止している。同一戸籍に記載するのは親子二代だけ、三代以上の同一親族を同一戸籍に記載してはならないのだ。つまり、おじいちゃんもおばあちゃんも孫も、同一戸籍には存在しないのである。この一事を見ても、民法がいかに継続継承を断ち切る意志で貫かれているかがうかがえる。新民法では家は崩壊し、核家族化した。核家族化することで日本人が備えていた秩序感がいかに崩れ、倫理観、道徳観が混乱したかは、さまざまな事件や現象を通して大方が見聞きし、経験しているところだろう。

だが、陰謀はこれに終わったわけではない。さらに徹底的な追い打ちをかけようとしている。それがいま問題になってる民法第750条の改正、すなわち夫婦別姓法案である。夫婦別姓となれば、夫と妻の姓が異なるだけではない。子供の姓も異なるのだ。戦後の新民法で家制度を崩壊させた動きは、今度は家族をバラバラに解体しようとしているのである。そこに一つのベクトル、明確な意志を読み取るのは容易だろう。

夫婦別姓を推進しようとする人たちは、夫婦同姓では女性が姓を変えるケースが多く、そのために社会的に不利益を被っているという。だが、姓が変わったことで不利益を被っている女性が実際にどれだけいるのか。名前が売れている人なら性が変われば困る場合もあるだろうが、それなら戸籍とは別に、それまで通っていた姓をそのまま通称として使えばいいだけの話である。三浦朱門夫人の曾野綾子さんのごとく、である。

また、日本は歴史的にも夫婦別姓だったと、源頼朝夫人の北条政子、足利義政夫人の日野富子などを例に挙げる人もいる。とんでもない歪曲である。当時は濃厚な氏族社会で、どの氏の出かは非常に重要だった。だから、文書などには氏を記したのであって、日常で氏を名乗っていたわけではない。しかもこれは政治の表面などに出たごく一部の人たちだけのことで、大多数の一般庶民はどの氏の出かなどは、関係のないことだったのである。

このように夫婦別姓派が言い立てるのは枝葉末節の屁理屈、詭弁ばかりである。なぜか。それは夫婦別姓の真の目的、家族をバラバラな個人に解体してしまうことを隠すためにほかならない。失敗に終わったが、ソ連の初期、レーニンが結婚制度を廃したのでもわかるように、これは左翼思想である。人間を何の繋がりもないバラバラの個人にしてしまうことが平等だ、というわけである。

その根っこは、ルソーの悪魔的怨念があるのだ。バラバラになった個人は国家の前に無力となり、子育ても親より国がやることを目指す。

そうなったら、日本人が民族として培ってきた歴史と伝統、秩序や倫理や道徳、それらがすべて消滅してしまう、ということである。それでいいのか。夫婦別姓の問題は日本をそこに引きずり込もうとする左翼の陰謀としてとらえなければならない。

そして、この日本の左翼はスターリンの意図に従って日本の独立回復に反対し、サンフランシスコ平和条約の意味を国民から隠し、日本がまだ東京裁判を背負っているという嘘を国民に説き続けている人たちであることをわすれてはいけない。(終)


夫婦別姓とは、日本人の繋がりを断ち切り、砂粒のようなバラバラの個人にしてしまおうという恐ろしいものです。左翼政権である民主党が進めようとしているこうした国家解体政策は、絶対に阻止しなければなりません。



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先日参院選が行われ、民主党が大きく議席を減らして敗れたことは、大変良かったと思います。もし、民主党が勝利していれば、外国人地方参政権、夫婦別姓、人権侵害救済といった国家解体法案の可決を阻止することが極めて困難になっていたからです。とりあえず一安心しました。
しかし、民主党政権が続く限り、これらの法案可決を諦めないでしょうし、前回、前々回の記事で取り上げた「地域主権」も進め、これまでと同様に日本国家解体を目指していくことでしょう。ですから、油断は出来ません。この「地域主権」ですが、今回議席数を大きく伸ばしたみんなの党も地域主権を唱えており、これからどういう動きをするのか注視しなければならない存在だと思います。

そこで、「祖国と青年」7月号より、民主党の危険性について指摘されている文章を引用します。

■民主党政治ここが危ない!

●菅総理は拉致実行犯の釈放嘆願書に署名した!

菅首相は、八九年に韓国で捕まっていた「辛光洙(シンガンス)」という日本人拉致の犯人を釈放してほしいという国会議員の署名に加わった人です。辛光洙は、原敕晁さん、横田めぐみさん、地村保志、富貴恵さん夫妻を拉致した犯人であり、横田めぐみさんと曽我ひとみさんの教育係でした。

菅首相は「対象の中に辛光洙が入っていたことを十二分に確かめずに署名したことは間違いだった。従来から反省している」などと言っていますが、北朝鮮が朝鮮総連を使ってその署名をしかけ、当時の社会党がそれに乗って、菅首相は社民連の議員としてサインしたのです。

●民主党の実権は旧社会党左派が握っている!

菅首相と仙谷官房長官は全共闘のリーダーだった人たちで、枝野幹事長も「全共闘世代」ではないものの、学生運動に系統していたといいます。党内では日教組の政治団体である日政連会長の輿石東氏と小沢氏の関係が非常に密接なことからわかるように、旧社会党左派だった人たちが民主党の実権を握っています。

特に昨年の選挙前に、一部だけ明らかになった『政策インデックス二〇〇九』などは、旧社会党の最左派といわれたマルクス主義を信奉する「社会主義協会」系の人々から成る一団が作ったもので、彼らが今の民主党の政策スタッフや事務局の主要部分を握っているといわれています。そして、マニフェストをつくるときには、国民を安心ため左派色を薄めた「お化粧」したものを選挙用に出すという、ある種の欺瞞(ぎまん)工作をしました。このように隠された二重構造をこの正統派持っているのです。

※枝野幹事長については、このようなニュースがありました。

■「枝野氏が革マル幹部と覚書」月刊誌報じる

2010.7.17 10:52

 民主党の枝野幸男幹事長が平成8年の衆院選に立候補した際、警察当局が左翼過激派の革マル派幹部と判断している人物との間で、「推薦に関する覚書」を交わしていたと、17日発売の月刊誌「新潮45」が報じた。

 枝野氏が覚書を交わしたのは、JR東労組大宮支部の執行委員長で、警視庁公安部が革マル派のJR内秘密組織の幹部と判断している人物としている。枝野氏は覚書で「私はJR総連及びJR東労組の掲げる綱領(活動方針)を理解し、連帯して活動します」などとしている。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100717/plc1007171052008-n1.htm



●民主党は利益誘導政治や利権選挙を復活させた!

特に小沢氏が前面に出てきて、道路の利権や公共事業を民主党を支持する自治体に配分するなど、民主党の選挙マシーンとして、日本の公共工事を完全に乗っ取ろうとしています。田中角栄時代の自民党ならいざ知らず、三十年以上も聞いたことがないような、すごい利権談合政治を民主党は始めました。

さらに、労働組合が支持団体、支持基盤として前面に出てきました。今、連合に属する労働組合だけはどんな陳情をしても、幹事長室を通さずとも全部フリーパスで実現されるようです。連合を中心とする巨大労組の利権が何よりも優先されるということが、白日の下に現れています。

●民主党は日本経済を破綻させる!

民主党政権は、子どもてあて、高校無償化、高速道路無料化、暫定税率廃止など、急激な財政破綻に繋がる可能性の高い政策を一気に推し進め、実質四十五兆円ほどの赤字国債を出しました。

もし、この政権がもう一度予算をつくれば、日本の国際のいわゆる「値崩れ」が起こり、長期金利が一気に上昇し、日本経済が破局に直面する可能性があります。

●民主党政権が続く限り日米関係の修復は不可能!

普天間基地問題の根本は、「抑止力」という議論を最後までしなかった点にあります。日本の安全保障をどうするかという議論を一切抜きにして、「基地負担の軽減」という選挙目当て、票目当ての言動のみに終始したのは鳩山前内閣の大きな罪でした。

アメリカがここまで深い不信感を持ったからには、もう日米関係は元には戻りません。少なくとも民主党政権が続く限り、アメリカは、日米同盟を将来性あるものとは思えないという前提で、対日政策を新たに組み上げるでしょう。この政権は、戦後六十年間、少なくとも岸内閣以後の日米の安保関係を根底から揺るがした、といえます。

●外国人参政権、夫婦別姓は再度必ず出てくる!

参政権は民主主義の国家基盤であり、国政に参加できるのは国民しかあり得ない。国政の範囲は、当然自治にも大きく及んできます。外国人参政権を推進しようとする民主党内の動きは少しも衰えておらず、参議院選挙後に必ず再度、出てくるでしょう。

また、夫婦別姓問題も、国家基盤の支柱である家族や社会の基礎単位である家族の存在を脅かし、社会の安定を支えている日本人の精神基盤を動揺させることで、人間関係の絆や伝統的価値観を破壊しようという狙いをもった、マルクス=エンゲルス以来の左翼的理念を秘めた政策です。根は国家を敵視するマルクス主義だということを忘れてはなりません。

※夫婦別姓ですが、今回の選挙で落選したにもかかわらず、大臣を続けることになった千葉景子氏はこのように言われています。

【参院選】夫婦別姓、人権擁護は「否定されていない」落選の千葉法相
2010.7.13

このニュースのトピックス:参院選2010
 千葉景子法相は13日の記者会見で、自身が選択的夫婦別姓を可能にする民法改正や人権侵害救済機関設置法案(旧人権擁護法案)を推進してきたことが、参院選落選につながったかについて「それ自体が否定されたとは思っていない」と述べた。また、その上で「より前に進めて道筋をつける」と強調し、引き続き実現を目指す考えを示した。

 一方で、「非常に意見が分かれる課題だ。それを是としない方にとってはマイナスの評価になる」とも指摘した

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100713/plc1007131710013-n1.htm



千葉景子氏は落選されても未だ現実が見えていないようで、千葉氏が落選したのは、マニフェストにも書かれていない国の根幹を揺るがすような夫婦別姓などの政策を進めようとしたからです。
千葉氏は菅首相に辞意を伝えに行った際、菅首相に慰留されて大臣として残ることになったそうですが、菅首相はこうした法案の可決をこれからも目指すという意思の表れだと思います。


これからも、民主党が進める危険な政策について取り上げていこうと思います。

管理人近況
早いもので、昨年の12月に手術を受けてから半年が過ぎました。術後は心臓の方は落ち着いているのですが、最近になって、体が軽くなってきたというか、これまでより元気になったように感じます。手術で受けたダメージは半年ぐらいは残るといわれていたのですが、その半年が過ぎ、ダメージが完全に抜けて元気になったのかなと思います。
これからは、ブログの更新ペースも上げていければと思っていますので、宜しくお願いします。


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今回はまず、月刊誌「致知」七月号より、山谷えり子氏(自民党参議院議員)中條高徳氏(朝日ビール名誉顧問)のインタビュー記事の一部を引用します。

■一票に込められた百万人の祈り

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山谷 福沢諭吉翁は「独立の気力なき者は国を思ふこと深切ならず」とおっしゃいましたが、いまの政権には、この「国を思ふこと深く切なり」という、国のリーダーとして本当に当たり前のことが感じられません。

中條 国会というんだから、国政に参加する人たちはなんといったって「国益」という概念が最重要であるのに、その課題を忘れているように見えてなりません。国益といったら、何か戦前のナショナリズムというような誤解をしている人たちがいるんですね。国益なんていつの時代でも最優先に考えるのが当たり前なんです。政治家というものは。

山谷 私はここへきて、一票の重さというものをまた別の感覚で抱きしめるようになりました。祖母からいつも言われていたんです。二十代前に遡(さかのぼ)るとご先祖様の数は百万人にもなる。その百万員のご先祖様がおまえのことを応援してくださっているんだから、いじけたり怠けたりしたらいけないと。

中條 その感覚を持つことはとても大切です。

山谷 そこから私は、そうなんだ、一票には百万人のご先祖様の愛と祈りがあるんだと気づいたんです。そのご先祖様たちは、国家解体とか家族解体なんか望んでいるわけがない。だから自民党も民主党も、本当にこの一票の重みというものをもう一度考えなければなりません。単なる自分の一票ではなく、ご先祖様たちの祈りのこもった一票ということを考えたら、自ずと自分たちがどういう行動を取るべきか分かると思うんです。

中條 ほら、見てごらん。いざ差し迫った時には必ずご先祖様への尊敬、崇拝の念が生じてくる。これこそが日本人の特質なんです。

山谷 日本はご皇室をいただいて君民一体の大きな家族のように睦(むつ)み和らぎ、徳を高め、勤め励んで文化の国、道義の国をつくってきて、今年は皇紀二六七〇年という世界で最も長い歴史を誇る国です。一票の重みというものをいま一度自覚して、この尊い歴史をなんとしても守らなければならない、と私は決意を新たにしているんです。

中條 今度の参議院選挙がまさに分水嶺(ぶんすいれい)になりますね。
(引用終わり)



私たち有権者が持つ一票は、今を生きる私たちだけのものではありません。山谷えり子氏が言われるように、「一票には百万人のご先祖様の愛と祈りがある」のですから、選挙の際には、自分の考えだけでなく、ご先祖様の思いに答えるにはどういう選択をすれば良いのかということも踏まえて投票して頂きたいです。そうすれば、前回拙ブログで取り上げたような、国家解体を着々と進めている政党に投票するという選択はありえないと思います。

山谷えり子氏は、今回の参院選では改選期を迎えて自民党から比例区で立候補されていますが、山谷氏のような真の保守の考えを持たれた方にこそ投票して頂きたいです。


次に、前回の記事(民主党が目指すものは日本国の解体です!)の補足をします。

まず、「市民」と「国民」の違いについてです。これについて、井尻千男氏(拓殖大学日本文化研究所顧問)が「月刊日本」平成二十二年七月号にて端的に書かれていたので引用します。

国民という概念には、国を形成してきた先人たち、これから受け継いでいく子孫たち全てが含まれている。それに対して、市民(あるいは人民)というという言葉は、歴史性からも伝統からも遊離した、ふわふわした西洋近代的個人概念なのです。


これに続けて、井尻氏はこう述べています。

菅直人新首相が「市民運動」から出発したことを大変危惧しています。わが国の総理が、わが国の歴史にも伝統にも無頓着に合理主義的政策を進めれば、まさにそれこそ国体の危機だからです。



菅首相は、「市民運動」から出発された方で、井尻氏の指摘は正にその通りだと思います。

これに関連して、渡部昇一氏(上智大学名誉教授)はメルマガで次のように述べています。

首相になってからの菅氏を注意してみると、時々は「国民」という言葉を使い、「国家」と言う。しかし以前は、「市民」「社会」で通していた。これは国家を否定して崩壊させる、左翼思想の根源となったルソーレーニンの思想に通じることは言うまでもない。これは鳩山前首相の「日本列島は日本人のためだけにあるのではない」という思想にも直結している。ある意味、鳩山前首相は率直であった。だが、菅首相は本音をオブラートに包み、鵺(ぬえ)的な言動がとれるだけに、かえって危険性が増したと言える。こういうリーダーではそれと気づいたときには日本が取り返しがつかないほどダメになっている可能性が高い。これは絶対に阻止しなければならない。



今、日本は「菅直人」という、日本の歴史や伝統に基づく考え方ではなく、西洋近代的な左翼思想に基づく考え方を持った方が首相になり、党を挙げて国家解体政策を進めているのです。この恐ろしさ、危険性というものを多くの方が理解して下さればと思います。

さらに菅直人首相について、渡部昇一氏は佐々淳行氏(評論家)から聞いた話を同メルマガに書かれていたので引用します。菅首相の本質がよく分かります。

評論家の佐々淳行さんは警視庁で要職を歩み、初代内閣安全保障室長を務めた危機管理の専門家である。その佐々さんから聞いた話である。市民運動家だった若いころの菅直人首相を、警察関係者は「第3列の男」と呼んでいたという。この言い方には若干の解説が必要だろう。戦前、「第5列」と呼ばれた人たちがいた。軍隊では行進でも整列でも原則は4列縦隊を組む。国家に貢献するこの4列の隊列から外れて反国家的言動をとる者、具体的にはスパイを指して「第5列」と呼んだのである。菅氏に対する「第3列」の呼び方は、反国家に転じるすれすれに位置していたことを意味する。

また、こういうこともある。戦後、左翼運動が激化し、デモ高度が過激になった。当然、警察は抑止する。その衝突で逮捕者が出ることがある。だが、警察は手当たり次第に逮捕したりはしない。過激の核となってデモを指導し煽動するリーダー層を逮捕すれば十分である。警察は過激派に目星をつけていて、リーダー層の第2列目あたりまでを逮捕する。このとき、菅氏は逮捕を免れるぎりぎりの「第3列」あたりについてアジっていた、ということも表している。

この「第3列」ほど、市民運動化から政治家に転じ、首相にまで昇り詰めた菅氏の本質を示すものはないと思う。本音を隠して妥協し、時には退いてみせる。だが、決して本音を手放したわけではない。その朝兆候はすでに現れている。首相としての所信表明演説は財政立て直しなどに多くを割いても、防衛については一言半句も触れなかった。国境問題などはきれいに消えてしまっていた。多くの関心を財政問題などに向け、本音が露呈しそうな問題は隠すのだ。



次に「地域主権」について、井尻千男氏が「月刊日本」平成二十一年七月号に論文を寄せているので引用します(井尻氏は「地方主権」と表現されていますが、「地域主権」と同意です)。そもそも「主権」とは何なのか、その根本を問われています。

■「地方主権」という国家解体の策謀を撃て!

「地方主権」という言葉を口にする政治家がふえている。気になってメディアを注視すると、与党、野党の別なく、国政に責任を負う政治家が「地方主権」と言っている。

私はかねて「主権回復記念日」を創設せよと主張してきた。国家主権を喪失していた被占領期レジームから脱却するためにはまずもって「国家主権」を回復した日を祝わねばならない、信ずるからである。

ところが驚いたことに、「国家主権」という言葉を一度たりとも口にしたことのない政治家たちが「地方主権」と言いだしたのである。しかも、「主権」という観念を、あたかも分割可能なものの如くに言うのである。このような粗雑な言語感覚の政治家は即刻、国政の場から退場してもらわねばならない。

そもそも「主権」という至高の観念は、政治学的にいえば国家固有のものであって、分割不可能な観念であり、それ故に国法というものの尊厳と正統性が担保されるのである。このことに関しては国家の大小にかかわりなく、いかなる小国といえども国家であるかぎり「主権」を有している。だが、いったん戦争に敗れて被占領状態に陥ると「主権」を喪失する。が、講和が成れば「主権」を回復する。

つまり国家固有の「至高の観念」を「国家主権」と名づけているのである。私はしばしば憲法九条に言及して、戦後の日本人は「国権の発動」たる戦争を放棄するとともに「国権」という至高の観念まで放棄してしまったと言ってきた。この場合の「国権」は「国家主権」にほかならない。

ところがである。近年の政治家たちは、「国家主権」については何ひとつ語らずに、いきなり「地方主権」と言い出したのである。畏れを知らぬとは、こういうことだ。国家を解体する覚悟あってのことなのか、と借問せざるをえない。なぜならば、「主権」という至高の観念は、そもそも分割不可能なものであるから、「地方主権」というかぎり、立法行為から安全保障、ひいては宣戦布告までの全責任を取らねばならない。その覚悟がないのであれば、言葉を弄んではいけない。国家というものを愚弄してはいけない。

政治的言語に無知な地方議員が知ったかぶりの勇み足で「地方主権」をよこせとでも言ったというなら、笑って見のがすこともできる。だが、国政に参画して一億二千万の国民の生命と財産を守るべき政治家が「国家主権」について語らずに、「地方主権」を主張するとは何事か。本末転倒もはなはだしい。

その本末転倒が、何故に、いつごろから始まったのか。その淵源をたどれば、被占領期の終焉した日のことを忘却したことに始まる。すなわち昭和二十七年四月二十八日、世界四十八カ国との講和条約が発効して、わが国が「主権」を回復した日を祝祭日にしなかったことに始まる。だが、そのころの日本人はいまの政治家よりはましだった。自主憲法を制定した暁(あかつき)のことを考えていた。そのときこそが実質的な「主権回復」の日になるのだ、と。

ところが今日盛んな「地方主権」論はそれまでとはまるで次元が異なる。一言で言えば、冷戦終焉後の無防備な国家観と、市場原理主義が合体したときから始まったと見るべきだろう。

「規制緩和」の大合唱を思い出してみれば分かるように、国家による秩序形成というものを悪しざまに言うことが流行した。一部の狂信的原理主義者がそう主張するなら笑い話ですむが、わが国においては国政をあずかる政治家までが、「規制緩和」を大合唱したのである。その雑駁(ざっぱく)きわまりない論理のゆきつく先が「国家主権」の放棄であり、「地方主権」の確立という迷妄だったのである。「主権」という観念の厳粛性は露ほどもない。ないどころか、厳粛性を笑いものにしているとしか言いようがない。

耳を澄ましてみるに、どうやらその「地方主権」という珍にして奇なる観念は「道州制」につながっている。

県市という行政単位だと荷が重すぎるが、道州という行政単位ならば成立するだろう、と考えている節がある。つまり「道州制」をまず実現し、そこに「地方主権」を付与し、州法国法を同格のもにしようということだろう。しかし、繰り返しいうが「主権」は分割不可能な至高の観念であり、それは国家のみが保有しうるものである。にもかかわらず、「地方主権」を確立しようというのであれば、「国家解体」を前提にせねばならない。

「中央集権国家」をアプリオリに悪ときめつけないと、そういう論理は出てこない。したがって「地方主権」をいうのであれば、まずもって「中央集権国家」が悪であることを論証せねばならない。そのうえに、わが国の場合、天皇と国民の関係を考えねばならない。「道州制」と「地方主権」を認めるということと、「立憲君主制」をどのように整合させるのか、その種の政体論が全く聞こえてこない。「道州制」と「地方主権」を前提にすれば、当然、天皇と国民の距離感が州によって異なるという事態が発生するだろう。ある州は共和政体、ある州は君主政体ということだって起こりうる。それが「主権」というものの恐ろしさである。

わが国は古来、万世一系の天皇を戴く君主国であり、一度として分裂国家になったことはない。江戸時代の幕藩体制とてユーラシア大陸に見られるような封建政体ではない。みごとな統一国家だったといわねばならない。

だが、そんな悠長な議論をしている暇はない。「道州制」と「地方主権」という国家解体の策謀を葬り去らねばならない。私には北京・中南海の高笑いが聞こえるのだ。

「道州制」と「地方主権」と「沖縄」を結びつけてみれば、これほどに攻めやすい政体はないからである。これまでも、これからも、中南海は「道州制」論者を徹底的に好遇するだろう。



マスコミでは、産経新聞を除いては菅首相の素性であるとか、民主党政権の進める国家解体政策についてほとんど報じないので、参院選で投票するにあたって是非知っておいて頂きたいことを記しました。
今回の参院選でもし民主党が過半数を取れば、これまで拙ブログで書いてきた民主党政権が進める国家解体政策を止めることが出来なくなります。正に日本の命運がかかった選挙です。有権者の方が賢明な判断をして下さることを切に願います。


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