『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
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今回は、拙ブログのお薦めの本欄でも紹介しています『武士道のこころ』名越二荒之助・拳骨拓史著)について、平沼赳夫氏(衆議院議員)日本会議発行の『日本の息吹』1月号に書評を書かれていたので引用します。


これだけは伝えたい 武士道のこころ
これだけは伝えたい 武士道のこころ名越 二荒之助 拳骨 拓史

おすすめ平均
stars世界平和は遠い夢ですが
stars日本国民の必読の書
stars「実にかわいい民族です」
stars名越先生の遺作!

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本書の著者の一人、拳骨氏は、旧満州で一人の中国人老女からこう話しかけられる―――。

「日本統治時代はすばらしかった。日本が満州帝国をつくってからは、満州では道端に財布が落ちていても誰一人、ネコババする人もいなかった。しかし中国共産党軍が来てからは強盗殺人が起き、民心は廃れた」
同氏はこの言葉に感動すると同時に、次に発せられた老女の言葉に胸を突かれたという。
「今の日本も、さぞ誇り高くあるのでしょうね?」

果たして、今の我々日本人はこの老女の言葉に何と答えるのであろうか。

誰しも、「その通り、我々は誇り高き民族です!」と胸を張って答えたいはずだ。

しかし、残念ながら戦後、日本人はGHQによる日本弱体化の占領政策とそれを引き継いだ左派勢力によって、民族としての誇りを奪われてしまった。

それを取り戻すには歴史を学ぶしかない。

本書は、平成十九年四月に逝去された名越二荒之助先生の晩年の構想を弟子の拳骨氏が引き継いで書き上げたものだ。

その構想とは、明治から昭和までの武士道の物語を後世に伝えることであった。

「日本人は戦後、日本の否定的な面ばかり教えられてきたが、日本には武士道という美徳がある。武士道といえば新渡戸稲造の『武士道』を思い出すが、新渡戸武士道は一八九九(明治二十二)年に書き終えたもので、その後の日清・日露両戦争や昭和の大戦での武士道は描かれていない。その時代にこそ武士道に基づいた感動のエピソードがたくさんあるのに・・・・・。先人たちの武士道精神―――二十一世紀の若者たちに、ぜひこれだけは伝えたいですね」(名越氏の言葉、本書「あとがき」より)

生前の”名越節”がここに蘇ったかのごとく、珠玉のエピソードが綴られている。その内容は本書を読んでもらうしかないが、韓国の女性の小学校校長の話は身につまされた。彼女の夫は特攻隊員として沖縄で戦死した。朝日新聞の記者が取材に訪れ、「日本の軍国主義がご主人をダマして申し訳ないことをしました」と言ったところ、日頃温厚なその校長は激怒して「私の主人はダマされるような人ではありません!自分の意思で特攻隊として出撃したのです。ダマされたというのは、人間に対する侮辱です」

戦後、いかに歴史の真実が歪められ、それによって、当時を生きた人々の誇りや思いが踏みにじられてきたことか。

名越先生の薫陶によって歴史の真実に触れ、日本人としての誇りを取り戻した人は多いだろう。これからの国を担う若い皆さんにぜひとも読んで欲しい本である。
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今回は、『致知』1月号(致知出版社)より、安元百合子氏の論文を引用します。


■「教育勅語」の精神がこの国を健全にする

道義の退廃が著しい現在の日本。元小学校校長で日本女性の会代表委員の安元百合子さんは、日本人が先人から受け継いできた美徳を取り戻し、健全な国に立て直すには「教育勅語」の精神を復活させることが欠かせないと語る。
勅語の中身に触れながら、その現代的な意義をお話いただく。


安元百合子(やすもと・ゆりこ)
大正14年東京生まれ。東京第一師範学校女子部本科卒業後、都内の公立小学校に勤務。昭和61年定年退職。その後麻布台学校教育研究所研究員、世田谷区社会教育委員、全国退職女性校長会会長、日本郷友連盟常務理事、同副会長など歴任。現在日本会議の女性団体である日本女性の会代表委員のほか、全国退職女性校長会顧問などを務める。著書に『すてきな女教師』など。



■「教育勅語」がなぜいま必要なのか

『教育勅語』(『教育ニ関スル勅語』)という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか。

明治二十三年に発布され、昭和二十三年まで日本の教育の根幹となった明治天皇のお言葉です。失効から約六十年の歳月が流れ、いまでは『教育勅語』の内容は愚か、その存在すら知らないという人も多くなりました。

特に社会主義運動の火が燃え盛る戦後民主主義の中にあって、『教育勅語』はかつての軍国主義を象徴するものであるかのように捉えられ、日本人の意識の中から葬り去ろうとされてきた歴史がありました。私がかつて籍を置いていた学校教育の現場においても、ほとんどの教師が内容を充分読みもせずに、『教育勅語』と聞いただけで一蹴してきた感は否めません。その傾向は現在でもなお続いています。

よく誤解されることですが、『教育勅語』は決して軍国主義を賞賛するものではありません。そこに述べられている内容は日本人が昔から受け継いできた美徳であり、他国に誇るべき伝統である事は、先入観を抜きに一読すれば納得いただけるものと思います。

いまの日本は、表向きは平和で自由で豊かかもしれません。しかし親が子を、子が親を殺傷するなど信じがたい事件が連日のようにマスコミで報道される現実を思う時に、現代人は表面的な自由や豊かさと引き換えに、大切なものを見失ってしまったのではないかという感を強くしています。

私はこういう時代にこそ、もう一度『教育勅語』を噛みしめることに意義があると考えます。この国を再興する鍵が、その短いお言葉に実に的確に表現されているように思えるからです。

その中身に触れる前に『教育勅語』の制定のいきさつについて簡単に振り返っておきましょう。

『教育勅語』は明治二十三年に発布されました。明治天皇がなぜ勅語を発せられたかについては、諸説あるようです。一つには前年の帝国憲法制定により近代国家の仲間入りができたものの、その中には道義心のような道徳は盛り込まれていなかった点が挙げられます。日本人にとっては聖徳太子の「十七条憲法」以来、憲法といえば道義や倫理を盛り込むものだという意識がありますので、明治天皇はそういう民心に思いを馳せられて勅語をおまとめになったというのです。

さらに当時は、欧米の文物を輸入するのに急で、官民ともに欧風に心酔し、日本古来の道徳も文化も歴史的精神も軽んじられる状態であった。この思想的危機を明治天皇が心配され、国民道徳の大体を教示されたわけです。

長く日本人の精神的支柱となってきた勅語ですが、第二次世界大戦後、GHQの占領下の日本では国家意識や伝統精神を強調するものはことごとく排斥され、『教育勅語』もその風潮の中で失効してしまったのです。
今回は、『月刊日本』12月号より、平沼赳夫氏(衆議院議員)へのインタビュー記事を引用します。


真正保守勢力結集のために
~新党結成の信念は決して曲げない~

■自国の安全を他国に委ねるのは異常だ

―――自民・民主の大連立構想、小沢一郎民主党代表の辞意表明とその撤回、と政局が混迷している。

平沼 今の政治家にとって必要なのは、政党や派閥の思惑といった近視眼的な観点ではなく、日本という国の在り方、という大局的観点から物事を考えることだ。
 一連の騒動の原点になるのは、自民・民主という二大政党の大連立構想だったが、これは有る意味、アメリカという超大国の覇権下にある日本にとっては、必然的な選択肢だったと思う。
日本という国は、日本国憲法の制約のために、自国の安全を他国に任せているという異常な状態が今日も続いている、こうした状況下で、インド洋での給油を拒絶するようなことは、与党だろうが、野党だろうが、本当は実質的に不可能なのだ。
 日本政府や政治家には、アメリカから陰に陽に圧力をかけられるが、こうした圧力に耐えられる政治家はそうそういるものではない。福田首相は当初、大連立構想をどちらが言い出したものでもなく、「阿吽の呼吸」だと表現していたが、これは嘘ではないだろう。
福田康夫首相も官房長官時代が長かったわけで、インテリジェンス能力は高い人だ、アメリカから与党にも野党にも圧力がかけられたとすれば、自ずと大連立をして、テロ特措法を成立させようという空気が醸成されてくるのだ。

■日本の有権者は衆愚ではない、衆賢だ

―――自民党は衆議院で3分の2を確保している。衆議院で否決されても再可決すればよいのではないか。

平沼 確かに衆議院での再可決は手続きとしては可能では有る。だがそれをやってしまえば、野党が過半数を握る衆議院で福田首相に対する問責決議が可決することになる。そうなると、問責決議を盾に野党は審議拒否をして、最悪の場合、衆議院での審議に日本の内閣総理大臣が出席できないという異常事態となる。
 この野党が衆議院で過半数を占める「ねじれ現象」というのは、このように深刻な問題をはらんでいる。下手をすると、この「ねじれ」は、今後9年間、変わらない可能性もある。
 これを解消するには、衆議院解散で国民に信を問うという方法もあるが、その場合、もちろん自民党は政権を手放す覚悟が必要だ。だが、私は日本の有権者は「衆愚」ではなく、むしろ「衆賢」だと思っており、有権者は適切な判断を下すと信じている。
 衆議院選挙の結果は、普通、政権選択に直結しないから、与党に対する批判票、いわゆる「お灸を据える」結果が出ることが往々にしてある、だが、今回はあまりに自民党に勝たせすぎたのを反省するあまり、民主党を勝たせすぎてしまったのだ。
 こうしたことを踏まえ、そして衆議院選挙が政権選択に直結する選挙であることを有権者が理解しているならば、現行の3分の2を維持するのは無理であっても、今回の衆議院選挙のような負け方をするとは考えにくい。
 今、日本国民は国内的には小泉時代の新自由主義政策の見直しを求めている。もっと端的に言えば、国民生活を重視した政権を求めている。そして国際的には、これは世論調査でも明らかだが、インド洋での国際貢献という、日本が国際的に果すべき役割について自覚している。「何でも反対の野党」では衆議院選挙で華々しい成果は出せないだろう。