『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
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今回は、前回の記事(戦後の日本が失ったもの①)の続きです。初めて読まれる方は、前回の記事も合わせてお読み下さればと思います。


では何故、我が国の戦後教育が、愛国心というものを否定的に見るようになったのか。その根本には、私が申し上げている教科書の中から愛国心に関わるものが徹底的に排除されたという事実があるわけであります。

例えば、「我が国」という言葉は、教科書から検閲で削除されました。その一つの事例を紹介したいと思います。『くにのあゆみ』というのが我が国の戦後最初の歴史教科書でありますが、執筆者は家永三郎さんであります。彼は、「我が国を立て直す」という文章を『くにのあゆみ』の中に書いているわけですが、これは、英訳されまして、「reconstruct our country」と書いてあります。これが検閲でどう書き換えられたかというと、まず”我が国(our country)”というのが愛国心に繋がるから駄目だとして、ourが消されまして、これを”民主的な国(democratic country)”に改められました。reconstructのreは、接頭語で再びという意味ですが、これでは過去に良い国があったことを認めることになるので、reが消されました。
そして、「民主的な国をこれから作るんだ(reconstruct our country)」というふうに書き改められました。こういう検閲が社会科だけで段ボール箱100箱ワシントンに保存されているわけであります。これは、ほんの一例でありますけれど、このように国を愛すること自体が危険だとして、「国民的」という言葉ですとか、愛国心に関わる用語が教科書から排除されました。このことは、愛国心そのものを危険視する戦後教育の風潮に私は大きな影響を与えたと思っております。
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今回より、日本文化チャンネル桜にて平成17年に放送された、「戦後の日本が失ったもの」と題した高橋史朗氏(明星大学教授)の講義を、2~3回に分けて記事にしていきます。大変素晴らしい講義でしたので、是非読んで下さればと思います。


神戸で児童連続殺傷事件を起こしたA少年が書いた犯行声明の中に、「透明な存在」という言葉が三回出て参ります。また、「悲しいことに僕には国籍がない」という言葉もあります。これは「個」と「日本人のアイデンティティ」というものが欠落している現われではないかと私は感じております。
三島由紀夫が『文化防衛論』の中で、「豊かな音色が溢れないのは、どこかで断弦の時があったからだ」と指摘しました。断弦というのは、弦が断たれるという意味ですが、歴史と文化との断絶、これが今日の教育の姿に反映していると私は考えております。
また、夏目漱石が、「近代の日本の歴史は、文明を得て、文化を失った歴史だ」と指摘をしたわけでございますが、このことも大変示唆的な指摘であろうと思います。

私自身は30歳の時にアメリカに3年間留学致しまして、アメリカに持ち帰られました占領文書、GHQの文書を研究致しました。ワシントンに持ち帰られましたGHQ文書は、段ボール箱で12,083箱ありまして、その中に教育改革に関するものが、これはCIE(民間情報教育局)という部局の文書が917箱あります。これは、ページにしますと240万ページという膨大なものでございますが、最初私はワシントンの国立公文書館へ行きまして、そして別館でその資料を見て、気が遠くなるような思いが致しました。しかし、思い直しまして、240万ページ、一生かかれば何とか研究できるのではないかと、そんな思いが致しまして、ひたすら筆写をしました。私が手書きで写した資料だけで、段ボール箱10箱を越えております。3年間その占領文書を研究しながら、戦後日本が何を得て、何を失ったかということを考え続けて参りました。
ご挨拶が遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

今回は、産経新聞(平成19年1月7日)より、藤原正彦氏(お茶の水女子大教授)の論文を引用します。

■人類が誇れる文化生んだ日本

 『してはいけないこと』

 新年おめでとう。君にとって、日本そして世界にとって、今年が昨年より少しでもよい年になるように祈っております。といっても、少しでもよい年にするのは実は大変なことです。

 君の生まれたころに比べ、わが国の治安は比較にならないほど悪くなっています。外国人犯罪の激増もあり、世界で飛び抜けてよかった治安がここ10年ほどで一気に崩されてしまいました。

 道徳心の方も大分低下しました。君の生まれたころ、援助交際も電車内での化粧もありませんでした。他人の迷惑にならないことなら何をしてもよい、などと考える人はいませんでした。

 道徳心の低下は若者だけではありません。金融がらみで、法律に触れないことなら何をしてもよい、という大人が多くなりました。人の心は金で買える、と公言するような人間すら出て、新時代の旗手として喝采(かっさい)を浴びました。法律には「嘘をついてはいけません」「卑怯(ひきょう)なことをしてはいけません」「年寄りや身体の不自由な人をいたわりなさい」「目上の人にきちんと挨拶(あいさつ)しなさい」などと書いてありません。「人ごみで咳(せき)やくしゃみをする時は口と鼻を覆いなさい」とも「満員電車で脚を組んだり足を投げ出してはいけません」もありません。すべて道徳なのです。人間のあらゆる行動を法律のみで規制することは原理的に不可能です。

 『心情で奮い立つ民族』

 法律とは網のようなもので、どんなに網目を細かくしても必ず隙間があります。だから道徳があるのです。六法全書が厚く弁護士の多い国は恥ずべき国家であり、法律は最小限で、人々が道徳や倫理により自らの行動を自己規制する国が高尚な国なのです。わが国はもともとそのような国だったのです。

 君の生まれる前も学校でのいじめはありました。昔も今もこれからも、いじめたがる者といじめられやすい者はいるのです。世界中どこも同じです。しかたのないことです。

 でも君の生まれたころ、いじめによる自殺はほとんどありませんでした。生命の尊さを皆がわきまえていたからではありません。戦前、生命など吹けば飛ぶようなものでしたが、いじめで自殺する子供は皆無でした。

 いじめがあっても自殺に追いこむまでには発展しなかったのです。卑怯を憎むこころがあったからです。大勢で1人をいじめたり、6年生が1年生を殴ったり、男の子が女の子に手を上げる、などということはたとえあっても怒りにかられた一過性のものでした。ねちねち続ける者に対しては必ず「もうそれ位でいいじゃないか」の声が上がったからです。

 君の生まれたころ、リストラに脅かされながら働くような人はほとんどいませんでした。会社への忠誠心とそれに引き換えに終身雇用というものがあったからです。不安なく穏やかな心で皆が頑張り繁栄を築いていたから、それに嫉妬(しっと)した世界から働き蜂(ばち)とかワーカホリックとか言われ続けていたのです。日本人は忠誠心や帰属意識、恩義などの心情で奮い立つ民族です。ここ10年余り、市場原理とかでこのような日本人の特性を忘れ、株主中心主義とか成果主義など論理一本槍(やり)の改革がなされてきましたから、経済回復さえままならないのです。

 『テレビ消し読書しよう』

 なぜこのように何もかもうまくいかなくなったのでしょうか。日本人が祖国への誇りや自信を失ったからです。それらを失うと、自分たちの誇るべき特性や伝統を忘れ、他国のものを気軽にまねてしまうのです。

 君は学校で、戦前は侵略ばかりしていた恥ずかしい国だった、江戸時代は封建制の下で人々は抑圧されたからもっと恥ずかしい国、その前はもっともっと、と習ってきましたね。誤りです。これを60年も続けてきましたから、今では祖国を恥じることが知的態度ということになりました。

 無論、歴史に恥ずべき部分があるのは、どの人間もどの国も同じです。しかしそんな部分ばかりを思いだしうなだれていては、未来を拓(ひら)く力は湧(わ)いてきません。そんな負け犬に魅力を感ずる人もいないでしょう。

 100年間世界一の経済繁栄を続けても祖国への真の誇りや自信は生まれてきません。テレビを消して読書に向かうことです。日本の生んだ物語、名作、詩歌などに触れ、独自の文化や芸術に接することです。人類の栄光といってよい上質な文化を生んできた先人や国に対して、敬意と誇りが湧いてくるはずです。君たちの父母や祖父母の果たせなかった、珠玉のような国家の再生は、君たちの双肩にかかっているのです。
(終)


前回の記事で中條高徳氏が指摘されていた「恥」の心や、今回の藤原氏が言われている卑怯を憎む心など、現在の日本人は、過去より連綿と伝えられてきた道徳心を喪失してしまったために、社会や学校、家庭に於いて様々な問題が発生しています。

そして、私がブログを書こうと思うきっかけになったことですが、戦後学校で行われてきた自虐的な歴史教育も大きな問題です。確かに歴史を見れば、輝かしい事柄ばかりではなく、負の部分もあります。しかし、これはどこの国も同じです。ですから、歴史の負の部分ばかりを(時には嘘も織り交ぜて)教えている現状では、藤原氏の言われるように、未来を拓く力は湧いてこないですし、自国を愛せず、日本人としての自覚と誇りも持てない、「根無し草」のような人間になってしまいます。これでは、「自分」というアイデンティティを形成するのにも大きなマイナス影響を与えるでしょう。

以前も引用しましたが、駐日フランス大使を務めたポール・クローデルが、昭和十八年、日本の敗戦が濃厚となっていた頃に述べた言葉があります。

「私が決して滅ぼされることのないように希(ねが)う一つの民族がある。それは日本民族だ。(中略)彼らは貧乏だが、しかし彼らは高貴だ」

戦後教育では否定された過去において、ご先祖は、外国人も称賛する「高貴な精神」を持っていたのです。 ですから、歴史に学び、ご先祖の高貴な精神を継承し、日本人としての自覚と誇りを持つことが、何より急がれる、大事なことではないかと思います。

※ポール・クローデル以外にも、多くの外国人が日本人を賞讃しています。こちらの著書にそれが書かれていますので、是非お読み下さい。読後には、日本人に生まれて良かった、と思える一冊です。
世界の偉人たちが贈る日本賛辞の至言33撰 世界の偉人たちが贈る日本賛辞の至言33撰
波田野 毅 (2005/10)
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