『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
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今回は、『立ち返るべき「この国のかたち」』シリーズの4回目(最終回)です。

■先人が築いた尊い価値観に目覚めよ
中西 八木さんは日本が品格を取り戻すには何が必要だとお考えですか。

八木 繰り返しになりますが、やはり連続性、日本は歴史ある国だという意識でしょう。大人は過去からの伝統を自ら継承し子どもたちに伝えていく責任を負っているということですね。

私たちはことさら近現代史を取り上げて敗戦国としての自責の念を云々(うんぬん)していますが、日本は歴史的に厚みのある国であることをもっと大人も子どもも意識すべきです。日本はわずか数百年前にできたような国ではありません。長い歴史があって、ほかの国よりもはるかに尊い価値観を形成してきている。それを少し学ぶだけでも自信を取り戻せると思います。

中西 同感です。

八木 それから歴史の連続性に関連して申し上げると、私たちは人生をもっと長い目で見なくてはいけませんね。若い人を見ていると、目の前にあることだけしか関心を示さない人が多い。例えば一年以内に辞めていく新入社員が増えているというでしょう。入社していきなりクリエイティブな仕事をやらせろと言っても、それは望むほうが無理です。何年も下積みがあって、ようやく仕事を任せてもらえるという最近まであった常識的な考え方が、このところ急速に失われています。

その結果、技術にしろ学力にしろ鍛えられる場がなくなりつつあるんです。日本にどんなに優れた文化や価値観があったとしても、それを継承しようと思えば鍛える場が必要です。それ抜きに、クリエイティブな仕事をしたいという意欲だけはある。このままいけば衰退するのは必至です。

それは与える側の大人にも責任がある。伝統を継承してもらおうと思えば、そこに忍耐と精神的なストレスを感じるのは当然です。だがここが踏ん張りどころで、多くの大人がいまここにある危機を強く意識すれば、自分たちが若い世代にどのように接していかなくてはならないかはおのずと明らかになるはずです。
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今回は、『立ち返るべき「この国のかたち」』シリーズの3回目です。初めて読まれる方は、宜しければこれまでの回もお読み下さい。
◎立ち返るべき「この国のかたち」①
◎立ち返るべき「この国のかたち」②

■敗者の意識から抜け出さねば国の品格は取り戻せない
中西 戦後の日本はアメリカの悪しき影響を受けてきたという議論がよくなされます。もちろん悪しきアメリカニズムの影響を受けたところは多分にあると思います。だが問題はなぜそういうものだけが集中して日本に入ってきたかという点ですね。

大体精神をすべて無視した物質主義とか伝統を敵視する「進歩一辺倒」の思想だとかまったく破壊的な個人主義の価値観だとか、そういうものはアメリカですら受け入れていない。アメリカに行ってアメリカを全体としてとらえ直してみると、我々が批判するアメリカ観は非常に一方的なものなんです。気づかねばならないのはその底にコミンテルンの意図があり、それが戦後日本をかたち作ったということです。

その上で憲法、教育基本法、皇室典範という国家としての根本法規を考えると、これ以上現状を維持しようと思っても到底もたなくなっている。それは当たり前で、もともと日本の国を潰す目的でつくられているからです。よくここまでもったものだと思いますが、いよいよ東京裁判史観虚偽の歴史観がもたなくなって、これからは戦後日本の呪縛(じゅばく)はすべて崩れていかざるを得ない。私はそこに何か歴史の必然のようなものを感じるんです。

八木 確かに。

中西 もちろんこれらを改正するといっても、当面は非常に強い抵抗勢力があるでしょう。皇室典範の改悪を策した「有識者会議」にしても、報告書を作った人たちの顔ぶれを見れば昭和二十年、三十年代の教育を通じてコミンテルンの思想の影響を受け、そのまま社会のトップリーダーになったようなエリート層の人たちばかりです。

イギリスのある評論家が「いったんマルクス主義に染まった人間は二度と使ってはいけない」と言ってます。表面的にどれほど転向したとしてもそれは「血肉」になって残っていると。そう思って日本を見ると、政府の審議会に限らず、保守を標榜(ひょうぼう)する一部の政治家、経済界のリーダー、「良識派のオピニオンリーダー」と呼ばれる人にはそういう人が少なくありません。ただ、いまはこれまで隠れていたものがだんだんあぶり出される流れになっており、その意味では希望の持てる時代になりつつあります。

八木 そのとおりですね。いまの日本人を縛っているのは敗者の意識、敗戦国の罪人としての意識です。国家の品格を取り戻すにはその意識を払拭することが一番の道筋です。
先ほど述べたように意図的に論点をずらされていることに気づくべきです。とっくに終わった戦後補償や、国際法上解決している問題をいまだに蒸し返すのはなぜか。日本を永久に従属させるカードとしてそれを使いたいからです。それは外国だけではない。日本の国籍を持ちながらこの国を常に抑え込んでおこうという勢力がいるからなんです。これは突き詰めれば国民の大多数、特にリーダー層がいかに歴史に対して無知なのかということと無関係ではありません。
今回は『立ち返るべき「この国のかたち」』シリーズをUPするつもりでしたが、看過出来ないニュースがありましたので、産経新聞(平成18年9月22日)より関連記事を引用します。

■「国歌斉唱の義務ない」教職員の訴え認める 東京地裁判決

東京都教育委員会が卒業式などの行事で、教職員に国旗に向かっての起立や国歌斉唱を求めているのは、思想と良心の自由を定めた憲法に違反するとして、教職員ら401人が、起立と斉唱の義務がないことの確認のほか、慰謝料の支払いなどを求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。難波孝一裁判長は「懲戒処分をしてまで起立させることは行きすぎた措置で違法」として原告側の主張をほぼ全面的に認め、都に1人当たり3万円の慰謝料の支払いを命じた。

都教委は平成15年10月、学校の式典での国旗掲揚や国歌斉唱時の起立などを求めた通達を出しており、これまでに通達違反として延べ345人の教職員が懲戒処分を受けた。判決は通達違反を理由にした処分も禁じており、都教委の対応に影響を与えそうだ。

訴訟では(1)教員らが国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務があるか(2)都教委の通達は違法か(3)教員らは通達によって精神的損害を受けたか-が主な争点となった。

難波裁判長は「日の丸、君が代は第二次世界大戦が終わるまで軍国主義思想の精神的支柱だったのは歴史的事実」と述べた上で、反対する権利は公共の福祉に反しない限り保護されるべきで、起立や斉唱の義務はないと判断した。

通達については、「合理的な基準を逸脱している」とし、「教職員が起立や斉唱を拒否しても、式典の進行や、国旗と国歌に対する正しい認識を生徒に教えることを阻害するものではない」と述べた。

難波裁判長はこうした判断の上で、「原告の教職員は義務がないのに起立や斉唱を強要され、精神的損害を受けた」として、都に慰謝料の支払いを命じた。

都の中村正彦教育長は判決を受け「主張が認められなかったことは大変遺憾。判決内容を確認して今後の対応を検討する」とのコメントを発表した。

小泉純一郎首相は21日、国旗国歌の強制は違法とした東京地裁の判決に関連し「人間として国旗国歌に敬意を表するというのは法律以前の問題だ」と述べた。


※小泉首相のコメントは正論だと思います。
※今回は、前回の記事(■立ち返るべき「この国のかたち」①)からの続きです。初めて読まれる方は、宜しければ前回の記事も合わせてお読み下さい。

■大東亜戦争ではなく冷戦を清算せよ
八木 実験国家の原型をつくったのはまさにアメリカの占領政策といえるのですが、JR東海会長の葛西敬之(かさいよしゆき)さんが最近、「二十世紀の戦争の清算が終わっていない」とよくおっしゃっています。もっとも葛西さんのおっしゃる戦争とは大東亜戦争のことではなくて冷戦のことなんです。

中西 冷戦の清算ですか。

八木 冷戦の清算をさせようとしない勢力が意識的に大東亜戦争の清算に論点をずらしていて、多くの人がそっちに巻き込まれているということです。私もこの意見に賛成です。私は数年前、この十年ほど政府が取り組んできた改革に関する審議会の答申を全部読んでみたのですが、同じことを繰り返し言っているという感想を持ちました。

それは何かというと、冷戦が終わったにもかかわらず、官の社会主義色を清算できていない。それに加えて占領政策の継承発展を政府が「改革」の名の下にやろうとしているということです。実際、答申書には「『この国のかたち』を変える」とか「戦後も国家総動員体制の下にある」とか「いまだに家制度の桎梏(しっこく)の下にある」といった表現や認識が繰り返し出てくる。

先ほど中西さんがおっしゃった個人と共同体とのバランスを欠いた、その大本にあるのが占領政策であり、それを原理とする日本国憲法なのですが、これらをベースに危ない実験をさらに進めていったのがこの十年ほどの「改革」だったというわけです。

では、この「改革」によって何か良いことがあったのか。少なくとも国民意識、あるいは本日のテーマである歴史ある国の品格という点では何もいいことはありませんでした。
今回は、月刊誌『致知』10月号(致知出版社)より、中西輝政氏(京都大学教授)と八木秀次氏(高崎経済大学教授)の対談記事を引用します。

◎立ち返るべき「この国のかたち」 国家の品格をどう取り戻すか

■未曾有の危機にある日本の安全保障
中西 八木さんは「新しい歴史教科書をつくる会」を離れて、教育再生に向けた新しい運動をスタートされたばかりですね。今後のご活躍に期待しています。

八木 ありがとうございます。マスコミを騒がせる青少年の凶悪犯罪を挙げるまでもなく、我が国の教育崩壊はいまや国家的危機の大きな一因です。これをなんとかしたいと強く思っているところなんです。この秋、「日本教育再生機構」という団体を設立しますが、おかげさまで中西さんをはじめ多くの皆さんに応援していただいています。

教育問題に限りません、防衛にしろ経済にしろ、あらゆるところにいま破滅の前兆が垣間見られます。中西さんは何が一番の危機だとお考えですか。

中西 やはり一番は、なんと言っても北朝鮮の核ミサイル問題に代表される安全保障の危機でしょうね。これはいま未曾有(みぞう)の危機です。だがそれにピンとこないのが日本国民のいまの精神状態といいますが、ことにマスコミを中心に故意に事態から目を背けようとする風潮が根本にありますね。

この間アメリカの友人と話していたら、日本に来て首相の靖国参拝が問題になっていたのでビックリしたというんです。ちょうど例の「富田メモ」が取りざたされている時でしたが、なんで六十年も前の戦争のことでそんなに騒ぐのかと。というのも、よくよく考えたらあの戦争で亡くなった日本人はたった三百万人だというわけです。彼は「オンリー・スリー・ミリオン」と表現していました。

ところが目の前の北朝鮮の脅威を見てみろと。金正日はノドンミサイル二百基を日本に標準を合わせ配備している。一発がもし大都市圏に落ちれば三十万人は死ぬ。仮に二十発打って半分が命中しても、一日二日で三百万人死ぬじゃないかというんですね。それだけの重大な危機が目の前にあるにもかかわらず、あっという間に問題が靖国にすり替わってしまっていたのが、彼には不思議でならなかったんです。

今の安全保障上の危機はおそらく昭和二十年以来で、明日にでもこの日本に「第三の被爆地」が生じてもおかしくない状態です。現実的な分析をすると北朝鮮が核実験の強行など日本を恫喝(どうかつ)してくる可能性は非常に高い。これが世界の常識なんですね。それなのにこれに対する日本の対策はほとんど議論されていません。
今回は、産経新聞(平成18年9月14日)に掲載されていた、胸のすく論文を引用します。

■踏襲必要ない村山談話
【櫻井よしこ 小泉首相に申す】

小泉政治のあとに、どんな政治を構築するのか。次期首相就任が確実な安倍晋三氏に一部メディアが突きつけているのが、歴史認識の問題だ。「安倍氏、村山談話踏襲明言せず」「アジア外交に不透明さ」(9月7日『朝日新聞』)のように、村山富市内閣が95年8月15日に閣議決定した談話を、なぜ、受け継がないのかとの問いだ。

安倍氏は村山談話を踏襲する必要は全くないのである。同談話を超えて、日本人の誠実さと誇りを真に表現する安倍氏なりの歴史認識を打ち出すことこそ重要だ。そうしてこそ、より良い外交関係が開けてくる。

村山談話は第二次世界大戦で日本国が、「国策を誤り」「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と反省と謝罪に徹している。

小泉純一郎首相は日中関係に軋轢(あつれき)が生じた時、右の談話を複数回にわたって引用し、謝罪した。だが事態は収まらなかった。なぜか。それは村山談話が、外交において諸国はあくまでも対等であること、戦争も平和も一国で成すものではないとの大原則を踏まえていないからだ。当時、一方的に謝罪した日本に、中国も韓国も「今後の日本の態度に注目する」との冷淡な反応を示しただけだ。そして江沢民政権は日本に永遠に歴史問題を突きつける戦略を採り続けた。

村山談話には出自の卑しさも目立つ。それは同談話の閣議決定に至る過程に明らかだ。まず談話の前段として95年6月9日の「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議案」があった。「謝罪決議」と通称される同決議は「我が国が過去に行ったこうした(数々の植民地支配や侵略)行為」に「深い反省の念を表明」する内容だ。

官報によると、同決議採択のための衆議院本会議の開会は95年6月9日午後7時53分、山崎拓氏らが提出してあっという間に可決、7時59分に散会となった。この間、わずか6分である。

この間の経緯を当時衆議院議員の西村眞悟氏が『諸君!』05年7月号に次のように書いた。

自社さ政権の下で国会における謝罪決議が構想され始めたが、反対の声は超党派で強まり、決議案が上程されても否決されることが明白になった。すると6月9日の金曜日、「本日は本会議なし、各議員は選挙区に帰られたし」との通知が衆議院内にまわされ、反対派の議員らは選挙区に戻った。そのすきを狙ったかのように、土井たか子衆院議長が金曜日の午後8時近くという遅い時間に本会議開会のベルを押した。

結果として265人の議員が欠席、議員総数509人の半数以下の230人の賛成で決議案は可決。だが、参議院は採決を見送った。

どう見てもこれはだまし討ちだ。精神の卑しさを強調するゆえんである。
はじめに
拙ブログも、皆様のお陰で、今月で立ち上げてから一年を迎えることが出来ました。面倒臭がりで飽き性の私が、こうして続けてこれたのは、読んで下さる方がいればこそです。本当にありがとうございます。
そして、ブログを通じて思いを同じくする方々に出会えたのは、何よりの私の財産です。
相変わらず「へっぽこ」な記事しか書けませんが、これからも宜しくお願いします。

spiral


さて、今回は、山陽新聞(平成18年9月4日)より、『小泉政治の残照』第5部「識者論評」より、立花隆氏の論文を引用します。

■歴史認識転換の恐れ

立花隆(評論家)

はじめのころ安倍晋三氏の有力対抗馬とみなされていた福田康夫元官房長官が不出馬宣言をしたあたりから、自民党内は大勢が勝ち馬に乗る方向に流れはじめた。安倍の勝利がゆるぎないものとなったこの半月は、みっともないほどの「バスに乗り遅れるな」現象が次々に起きている。

同じような現象が、六十九年前、近衛文麿が青年宰相として登場してきた時にも起きた。国民的人気を勝ち得た近衛をかつぐ人々が続々現れ、それはやがて近衛新党運動になり、ついには第二次近衛内閣が成立して、わずか三ヵ月後には、政党が次々に解散して、みんな大政翼賛会になってしまうという、全体主義体制になってしまうのである。

奔流のごとき安倍へ安倍へと向かう流れを見ていると、この国がこういう雪崩現象の様相を呈すときは、歴史的にいって、何か危ういことが起こりそうだ、と心配せずにはいられない。

●数の力利用か
前回衆院選の結果、〇五年体制(与党が一方的に何でも決められる大勢)が生まれた。小泉純一郎首相はその前から少しずつ危ういことを始めていたが(イラク派兵、一連の有事法制など)、その体制を利用して一挙に危うい体制を作ろうとはしなかった。

小泉はもともとそれほどイデオロギッシュな人物ではなかったから、むきになって靖国参拝を繰り返す程度のことはしたが、イデオロギー的に国論を二分させるようなところまではあえて踏みこまなかった。

しかし、次期総理に事実上確定している安倍は小泉とちがう。大変にイデオロギッシュな人物だから、〇五年体制の数の力を利用して、これからアッという間に、小泉がさしひかえていた領域にどんどん踏みこんでいく可能性が強いと思う。

その最初のとっかかりは、おそらく、小泉が前国会で流してしまった、教育基本法改正案と(憲法改正のための)国民投票法案になるだろう。

●東京裁判を否定
教育基本法改正案が通れば、おそらく。愛国心を強調する立場からの教科書の書きかえがどんどん行われ、安倍がかねがね持論としている「東京裁判否定史観」が歴史教育の基本になってしまう恐れがあると思う。
国旗(大)


今日はこの御慶事に尽きますね。母子ともにお健やかに、親王殿下がご誕生になりました。心よりお祝い申し上げます。以下、ニュース記事の引用です。

紀子さま、男のお子さまご出産

秋篠宮ご夫妻

※ご出産に備えて愛育病院に入院される紀子さまと、付き添われる秋篠宮さま=8月16日、東京都港区

秋篠宮文仁親王殿下(40)と同妃紀子殿下(39)の第3子が6日午前8時27分、東京都港区の愛育病院で誕生された。宮内庁によると、お子さまは親王(男児)で、体重は2558グラム。皇族としては初めてとなる帝王切開でのご出産となったが、母子ともにお元気という。皇室では昭和40年にお生まれになった秋篠宮さま以来、41年ぶりの男子で、天皇、皇后両陛下には皇太子さまの長女、愛子さま(4)に続く4人目の孫。お子さまのご誕生で皇族は皇后さまをはじめ22人となった。

ご出産の喜びは、すぐに天皇、皇后両陛下に伝えられ、両陛下は非常にお喜びのご様子だったという。

秋篠宮さまも大変安心して喜ばれ、長女の眞子さま(14)と二女の佳子さま(11)は初めて弟ができた喜びをかみしめられた。

皇室では秋篠宮さまのご誕生の後、9人続けて女子が誕生されていた。

お子さまの皇位継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに次ぐ第3位。第4位は常陸宮さま、第5位は三笠宮さま、第6位は寛仁親王殿下、第7位は桂宮さまとなる。

紀子さまは2月7日にご懐妊の兆候が確認され、宮内庁は同24日、妊娠3カ月目と正式発表。7月12日、宮内庁病院での検診で、胎盤が子宮口の一部をふさぐ「部分前置胎盤」の状態で帝王切開が必要と診断された。

引用元(産経Web)


笑顔の天皇、皇后両陛下―札幌

天皇・皇后両陛下

訪問先の札幌で沿道からの祝福の声に笑顔で応える天皇、皇后両陛下。宮内庁を通じ「母子ともに元気であることを知り、安堵(あんど)しました」との感想を発表した(6日午前、札幌市内=代表撮影)(時事通信社)12時36分更新


「帰ってまいりました」=手術終えた紀子さま-秋篠宮さま「ご苦労さん」

「ご苦労さんでした」とねぎらう秋篠宮さまに、「帰ってまいりました」と応じる紀子さま―。帝王切開による出産を終えた紀子さまを、秋篠宮さまは手術室前で出迎え、無事出産を喜ばれた。記者会見した金沢一郎皇室医務主管らによると、前日、秋篠宮さまは執刀医の中林正雄愛育病院長から「子宮を摘出することになるかもしれない」と告げられ、「お任せします」と答えた。お2人は「どんな状態でも自分たちの子なので、受け入れたい」との考えで、性別や障害の有無を事前に知ろうとはしなかった。

この日、紀子さまは「行ってまいります」と手術室に入った。付き添っていた秋篠宮さまは短く「じゃあ」と見送った。 
(時事通信) - 9月6日13時1分更新


皇太子さま「おめでとう」…秋篠宮さま電話で連絡

宮内庁によると、皇太子さまは午前8時40分ごろ、秋篠宮さまから電話で男子誕生の連絡を受けられた。

皇太子さまは「ご無事のご出産おめでとう。妃殿下の手術が無事に終わることを祈っています。両殿下も親王殿下もお身体をお大切に」との言葉を伝えられたという。

一方、秋篠宮さまの紹介で知り合った黒田慶樹さん、清子さん夫妻は、宮内庁を通じ、「ご無事にご出産になり、妃殿下、新宮様御共にお健やかでいらっしゃることを伺い、お喜び申し上げております」との感想を出した。

(読売新聞) - 9月6日13時50分更新


朗報に沸く各界、首相「晴れやかだね」
 
秋篠宮妃紀子さまのご出産に各界からお祝いの言葉が寄せられた。

小泉首相は6日午前、秋篠宮妃紀子さまが男のお子さまを出産されたことについて、「良かったね」と首相官邸で記者団に述べた。

首相はまた、同日昼の政府・与党連絡会議で「皇居にお祝いの記帳に行った。晴れやかだね。国民とともに心からお祝い申し上げたい。健やかに成長されることをお祈りします」と語った。

安倍官房長官も同日午前、「本当に喜ばしく思います。秋篠宮妃殿下、(誕生した)親王殿下ともども大変お元気だとの報告を受け、本当にほっとし、うれしく思っています。すがすがしい気分になりました」とお祝いを述べた。首相官邸で記者団に語った。 河野洋平衆院議長「秋篠宮、同妃両殿下のお喜びはもちろんのこと、天皇、皇后両陛下にはさぞかしご安心、お喜びのことだろうと思います。新しい命の誕生というのはすばらしいニュースで、私も本当にうれしく思っています」

扇千景参院議長「少子社会が日本に訪れておりますので、3人目のお子さんを勇気をもってご出産になり、私たち女性も見習いたいと思います。親王殿下のご誕生ですから、もう少し時間をかけて、あわてて皇室典範を改正する必要はないという空気が広まるのではないかと思います」

中曽根康弘元首相「本当におめでとうございます。全国民も心からお祝い申し上げていると思う。天皇、皇后両陛下もさぞお喜びと思います。皇統維持という面から当分、皇室典範改正の必要がなくなったという安心感が全国民の皆さんからおこっていると思う。当分、この問題は解消したと考えていいと思います」

石原慎太郎東京都知事「ご誕生に際し、都民を代表して心からおよろこび申し上げます。妃殿下のその後のご経過も極めて順調と伺っておりますが、一日も早くご一家そろわれての生活をお送りになられますことをお祈り申し上げます。お健やかなご成長と皇室のますますのご繁栄を、心から祈念いたします」

御手洗冨士夫・日本経団連会長「吉報に接し、澄みきった秋空を見上げるような、清々(すがすが)しくも凛(りん)とした気持ちをかみしめております。同時に、この国の歴史と伝統への尊崇と敬愛の気持ちを新たにいたしました」

山口信夫・日本商工会議所会頭「皇室ご一家におかれましては、41年ぶりの男子のご誕生であり、慶賀に堪えません」

(2006年9月6日13時23分 読売新聞)


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今回は、「新しい歴史教科書をつくる会」の会報より、中西輝政氏の論文を引用します。

■第二次世界大戦の始まり

中西輝政(京都大学教授)

雑誌『正論』平成十七年八月号誌上での兵頭二十八(ひょうどうにそはち)氏と別宮暖朗(べつみやだんろう)氏の対談を読んで思い出したので、歴史家で元駐日大使のライシャワーが遺した著書『ライシャワーの日本史』を読み直してみた。ライシャワーは、第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻(一九三九年九月)によって始まったのではなく、昭和十二年(一九三七年)八月十三日の中国軍による上海における日本海軍(上海特別陸戦隊)への全面攻撃の開始によって始まったとしている。

そこには、すぐれた歴史家の二つの視点が明確に示されていて参考となる。一つは、日本とあの戦争との関わりとして、満州事変と日中戦争(当時の呼称としては支那事変)とは明確に別の戦争として把え、いわゆる「十五年戦争」論と一線を画している点である。もう一つは、盧溝橋事件など北支における一連の「小ぜり合い」は、いわば中国大陸において何十年とくり返されていきた日常的局地紛争であって、これらと日中全面戦争の開始に至った経緯との間には、より明確な一線が引かれるべきだ、という視点である。前者においては日中間で実質的な講和(一九三三年塘沽(タンクー)停戦協定)が成立しているし、後者については、そもそも全面戦争とは、少なくとも当事国のいずれか一方に明確な国家意思をもって大規模な近代戦を仕掛ける決定がなくてはならない。中国側には西安事件(一九三六年)以来、抗日全面戦争への意志が明確だった。他方、日本側が一貫して不拡大方針を堅持していたことはよく知られている。それゆえ、条約上の権利の下に駐留していた僅か二千五百人の上海の日本軍に十二万以上の兵力で中国軍の全面攻撃が開始された八月十三日が第二次世界大戦の始まりだった、とライシャワーは言うのである。けだし正鵠を射ている。

またそもそも盧溝橋などの「小ぜり合い」自体も、今では中国共産党の謀略によって始められたことが明白となっている。国際関係はそれ特有の論理と枠組みで語られるべきであり、また誤った贖罪(しょくざい)の感情や「○○主義」という抽象語で歴史を語るべきではないのだ。
(引用終わり)