『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
TOPフリーエリア
☆拙ブログは「日本文化チャンネル桜」を応援しています。 日本文化チャンネル桜動画 日本文化チャンネル桜
☆拉致問題解決へ向け、署名をお願いします。用紙は下記アドレスよりダウンロードできます。http://www.sukuukai.jp/img/syomei200604.pdf

今回は、「日本文化チャンネル桜」の報道番組にて、キャスターの高森明勅氏が、東京裁判(極東国際軍事裁判)について4つのチェックポイントを挙げて簡潔に解説されていたので、それを紹介します。

■東京裁判は「文明の裁き」か?

4つのチェックポイント
①判決内容
②裁判所の構成
③裁判の手続き
④法的根拠

①判決内容は妥当なものだったか?

答 NO!

判決は被告人らを「侵略戦争遂行の共同謀議」に加わったものとして裁いた(松井石根大将と重光葵元外相を除く)。

しかし、満州事変・支那(シナ)事変(日中戦争)・大東亜戦争(太平洋戦争)を日本の一方的な侵略戦争と決めつけることはできない。満州事変についてはリットン調査報告書が「一国の国境が隣接国の軍隊に依り侵略せられたるが如き簡単なる事件にもあらず」と断定している。支那事変については、①その発端となった盧溝橋事件がシナ側からの発砲によるものであり、②その後日本側の停戦努力を踏みにじるシナ側の挑発が続けられ、③戦線拡大の決定的転機となった第二次上海事変の背後に中国共産党のスパイの暗躍があったことが明らかになっている。

※【解説】
満州事変自体は(1931年 - )は塘沽協定(1933年)で終了しており、支那事変(1937年 -) とは連続していません。満州事変は出先の軍隊が独断で行ったことで、この点に関しては弁解の余地はありません。しかし、その背景には、シナ(中国)では排日・侮日運動が激化し、日本人居留民が日々危険にさらされていたことと、ソ連の軍事的脅威があったのです。

支那事変の発端となった盧溝橋事件を起こしたのは、中国共産党です。当時、シナでは中国共産党軍と国民政府軍が絶えず争っていましたが、中国共産党が劣勢を強いられていました。
そこで、中国共産党が思いついたのが、国民政府軍と日本軍を衝突させることでした。これにより「漁夫の利」を得ようとしたのです。
(終)

大東亜戦争における日本の「動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」のは、マッカーサー自身が認めている(1951年5月3日アメリカ合衆国議会上院の軍事・外交合同委員会での証言)。
さらに「共同謀議」については、インド代表のパール判事(東京裁判のインド代表判事)がそれを「証明する証拠は一つもない」と断定された通りだ。
なお松井石根大将はいわゆる「南京大虐殺」の責任なるものをデッチ上げられて死刑判決が下った。
重光葵元外相は解決済みの張鼓峰事件当時の駐ソ大使だった事を根にもったソ連の横車でムリヤリA級戦犯とされた(禁固7年)。これに対しては首席検事のキーナン自身が「深き遺憾」と「不本意」「無罪になることを期待する十分な理由を持っていた」と明言している(1952年2月9日付 ジョージ・ファーネス重光担当弁護人宛書簡)。

以上で判決内容が如何にデタラメなものであったかは既に明らかだろう。
スポンサーサイト
情けないことですが、ここ半月ほど体調不良でダウンしております。ブログの更新も滞り気味ですいません。m(_ _)m

ということで、今回は短めに、論壇誌の紹介をします。

私が定期購読している「WiLL」10月号です。
WiLL (マンスリーウィル) 2006年 10月号 [雑誌]
ワック
発売日:2006-08-26
発送時期:通常24時間以内に発送
ランキング:1173


今月は、「靖国問題に白黒をつける!」とした120ページに及ぶ特集が組まれていて、櫻井よしこ氏の巻頭論文を始め、拙ブログを読んで下さっている方々には、頷ける論文ばかりだと思います。特別寄稿として、小野田寛郎氏、東條由布子氏(東條英機元首相の長男・英隆氏の長女)の論文もあり、充実した特集になっています。

それから、渡部昇一氏(上智大学名誉教授)による「靖国批判派を永久に黙らせる100問100答」も良かったです。
渡部氏が加藤紘一氏などの国内の政治家の妄言、王毅中国駐日本大使、盧武鉉韓国大統領など、中韓の要人からの言いがかりを、バッサリ斬って下さっており、読んでいて気持ち良かったです。

以下、いくつか問答を引用します。

問●日本やドイツ、イタリアがおこなった侵略戦争への反省のうえにつくったのが今の国連です。これを覆すような行動、小泉さんの靖国神社参拝のような行動は、とってはなりません。
(志位和夫 日本共産党委員長)
答○大東亜戦争を侵略戦争だと言うが、侵略戦争を行ったのは、共産党の思想的母国であるソ連です。日ソ平和中立条約を無視して、一方的に攻め込んできて、六十万人もの日本人を拉致し、数万の人を死に至らしめた国です。その時、日本共産党はソ連に抗議もせず、拉致された日本人犠牲者を救おうともしなかった。その反省なき日本共産党が何を言うか。

問●靖国参拝・教科書問題・竹島問題は)韓国への挑戦でもあり、日本が過去に戻るのでは、との懸念がある。
(盧武鉉 韓国大統領)
答○これは韓国の日本に対する挑戦です。

問●中国では有人宇宙飛行士が無事帰還しており、国を挙げての祝賀ムードの中での(二〇〇五年小泉首相靖国参拝の)報道だった。中国側が日本が意図したものではないかと勘ぐる恐れがあるため、もう少し考えるべきだった。
(加藤紘一 元自民党幹事長)
答○日本人が中国の宇宙事業について国を挙げて喜んであげる必要も無い。日本にミサイルを向けている国が宇宙開発をしたから国を挙げて喜べ、とはおよそ日本人の発言とは思えません。
余談ですが、王毅駐日大使も「中国国民がこぞって祝っている最中、世界各国から祝賀を送られている中で、隣人の日本からの『プレゼント』は、なんと靖国参拝でした」と加藤さんとそっくりの発言をしています。

問●靖国参拝によって三十三年前の中日国交正常化の原点が覆されそうになる。
(王毅 中国駐日本大使)
答○三十三年前の中日国交正常化の原点は、お互いに内政干渉はしないというものでした。原点を覆そうとしているのは中国のほうです。

問●(中国との)首脳レベルでの交流を早急に実現する上で大きな障害になっているのは、総理の靖国参拝問題である。
(河野洋平 衆議院議長)
答○大きな障害にしたのは中国のほうで、しかも国内事情から勝手にやったことです。一九八五年八月に中曽根総理が参拝したのに中国が反撥、中曽根総理がA級戦犯合祀を理由に参拝をやめてしまった。あれが間違いのもとです。
昔はそうではなかった。毛沢東や周恩来、小平は何も言わなかった。障害を作った中国の政治家たちは偉大な先輩方を見習いなさい。

問●A級戦犯合祀は中韓との関係でのどにささったトゲになっている。
(谷垣禎一 財務大臣)
答○日本がトゲを刺したのではなく、中韓が勝手に自分で刺したのだから、自分で抜きなさい。

(引用終わり)


まだまだ面白い問答が載っているのですが、しんどいのでこの辺にしておきます。

この「WiLL」は、「正論」とか「諸君」といった他の保守系の論壇誌と比べると、カラーページも多く、大変読みやすい紙面構成になっています。ですから、これまでこうした論壇誌を読んだことがないという方にもお薦めです。是非手にして下さればと思います。
売れ行きも好調のようで、こ種の本にしては珍しく、先月号は完売して増刷したそうです。

以上、論壇誌の紹介でした。

暑さ厳しい折、お体充分ご自愛のほどを。

※拙ブログの記事内容を支持して下さる方は
↓のリンクバナーをクリックして下さい。励みになります。

人気ブログランキング


今回は、論壇誌「Voice」平成18年9月号より、長谷川三千子さんの論文を引用します。少し長い文章ですが、富田メモについて、戦争の見方について、東京裁判について本質的なことが書かれていますので、お読み下さればと思います。

■思考の練習帳
靖国問題をめぐつて

慰霊は個々人の業績の成績づけとは一切関係がない

長谷川三千子(はせがわみちこ)
【埼玉大学教授】

およそ一般に、思想と呼ばれる領域のことがらにおいては、難問の登場ほど喜ばしいものはありません。それまでの安易な答への出し方が、もう一度再考をせまられ、それまであやふやだつた考へを、もう一度明確にする必要が生じてくる――さうした難問の登場こそが、思想を鍛え、深めてくれる何よりの刺激であつて、これほど歓迎すべきものはないのです。

たとへば、つい先日、新聞紙上に発表された、元宮内庁長官のメモ――昭和天皇が靖国神社への、いはゆる「A級戦犯」の合祀に不快感を示され、それ以後のご親拝がとだへてゐるのもそれ故のことだとおつしやつたというふメモ――を、さうした「歓迎すべき難問」の一つとして、われわれの考へを深めるための練習台にすることは、十分に可能です。

もちろん、これ自体は、大袈裟に騒ぎたてるべき問題では全くありません。このやうなメモは、それを書き残すこと自体がよくないことである、と言つて片付けてしまへばすむことです。いつの御代であれ、天皇陛下はご自身の私的な好悪といふものを決して公になさらないのが決まりです。もしその枠をはづしてしまつたら、その時々の天皇ご自身のたまたまの好き嫌ひが国政を左右することにもなりかねない。それでは、西洋のいはゆる専制君主の在り方と少しもかはらないことになつてしまひます。日本の皇室の伝統的な政治道徳といふものは、その時々の天皇のご意志が絶対なのではなくて、どの時代の天皇も、つねに※皇祖皇宗の遺訓に照らしてご自身の行動を決定なさる――そこが大切なところなのです。現に昭和天皇も、公の場で、その枠をはづれたご自身の私的なご意見をおつしやることは、決してありませんでした。宮内庁の長官ともあらう人が、その大原則を知らないはずはない。いや、現に、「宮中のことは親にも申すまじく・・・」と記者たちにかたく口をとざす人だつたというのですから、ならば、メモや日記は自分の死後焼却のこと、としつかり遺言しておくべきでした。あるいは、不慮の事態にそなへて、自ら処分しておくべきでした。今回のメモ騒動は、ただ単純に、富田某なる元宮内庁長官の不用意、不見識を示す出来事であつて、それ以上でもそれ以下でもない、と心得るべきものでせう。

※皇祖皇宗
皇祖とは神話時代の神々のことを指し、皇宗とは初代神武天皇以来の我々の天皇を意味する。日本は官民一体の国柄であるから、天皇の祖先は私たち国民全体の祖先である。だから、皇祖皇宗とは日本民族の祖先のことである。
「教育勅語」のすすめ―教育荒廃を救う道【日新報道】より引用)
今回は、「教科書が教えない歴史2」(産経新聞ニュースサービス発行)という著書より、東京裁判について書かれた部分を引用します。

■抹殺された日本人の歴史観

「一国の人々を抹殺するための最後の段階は、その記憶を失わせることである。・・・その歴史を消し去った上で、・・・新しい歴史を発明させることだ。そうすれば間もなく、その国民は国の現状についてもその過去についても忘れ始めることになるだろう」

『笑いと忘却の書』を著したチェコ出身の作家、ミラン・クンデラは、このように登場人物に語らせています。戦後の日本にも同じようなことが行われたことを皆さんは知っていますか。

第二次大戦後、日本は連合国の占領軍によって統治されましたが、占領軍が消し去った歴史を「大東亜(だいとうあ)戦争」、発明した歴史を「太平洋戦争」と言います。

日本人は大東亜共栄圏(きょうえいけん)の樹立という理想のもとに「大東亜戦争」を戦いましたが、占領軍は一九四五年(昭和二十年)十二月十五日の「神道指令」の中で、この「大東亜戦争」という用語自体の使用を禁止しました。

この指令にもとづき、占領政策などに違反する出版物をチェックする検閲政策によって「大東亜戦争」という用語はすべて「太平洋戦争」に書き換えさせられました。

このことは、日本人が「大東亜戦争」という固有の歴史観をもつことを否定し「太平洋戦争」という「新しい歴史」観をもつことを強制したことを意味しています。
8月15日が近づいてくると、テレビ等でも大東亜戦争(太平洋戦争)を取り上げた番組を見ることが増えてきます。
そこで今回は、國神社の広報誌『國』(平成18年4月号)より、西川淳氏の論文を引用します。先の戦争をどう考えるのか、その参考にして下さればと思います。

■あの戦争は本当に「誤り」だったのか
~真の感謝を英霊に捧げよう

西川淳(にしかわじゅん)
【甲子園学院中学・高校教頭】

私達の毎日は小さな判断の連続であり、その集積が人生である。そして人の一生には、進学、結婚、就職など比較的大きな判断を迫られる場面がある。

なぜ冒頭にこんな当たり前の事を書くかというと、あの大東亜戦争について、曰く三国同盟は最悪の選択だった、曰く米国との戦争に踏み切ったのは間違いだった、更には真珠湾攻撃は拙かった、ミッドウェイ作戦も失敗だった等、指導者の判断の判断の誤りを並べ立てる論評をよく目にするからである。私はそんな記事を読む度に「果たしてそうなのか?」という疑念が湧いてくる。私たちの人生を考えても判断を誤ったと臍(ほぞ)を噛む場面が何と多いことか。また今は正しい判断だと思うことでも何年か先には間違っていたと後悔する場面もあるだろう。「いや個人と国家は違う、国家判断は絶対誤ってはならない」と反論する人もいる。だが、人はそれ程完璧な存在なのか。当時の指導者にだけ完璧な判断を求めることは酷に過ぎないか。左翼の如く彼らを戦争犯罪人として追及し続けるのは論外としても、保守層にも彼らを論難する人々が存在する現実を私は非常に残念に思う。勿論過去から学ぶという姿勢は大切だし、敗戦により自虐史観に染まったわが国の現状を憂え、「あの時勝っておれば・・・」と歯ぎしりするような苛立ちを覚える気持ちも理解出来る。私もその一人だ。しかし、敗戦の責任を当時の指導者に負わせる気にはなれない。確かに東條首相は「我に責任あり」と言っている。また國神社の参拝者の中にも「自分は日本を敗戦に導き国民に塗炭の苦しみを与えた指導者達に対してではなく、馬鹿な命令に服従させられて命を落とした一般の将兵に対してお参りするのだ」と公言する人があることも承知している。だが東條首相が自らの反省の気持ちを披瀝するのと、自分は暖衣飽食の中にあって、当時の国策や戦い方は間違いだったと、評論家宜しく酷評するのとは訳が違う。結論を言おう。
今回は、いつもと少し違う話題で、日本の食文化について、小山和伸氏(神奈川大学経済学部教授)の著書『救国の戦略』より、一部を引用します。

■食文化に見る日本人の叡智

数年前O・157による食中毒が、児童を中心に蔓延して大騒ぎになったことがる。あの時、問題のO・157の繁殖を抑制する食品の研究が進められた。まだ記憶に新しいが、抑制効果に特効があったのは、緑茶とヨーグルトであった。この時、鮨屋であれほど大きな湯飲みで、濃いめの緑茶が出されることの意味がはっきりと分かった。そこには、魚の生食を好む日本人の叡智が脈々と息づいてゐたのである。

鮨の話が出たところで、生魚を常食する日本人の知恵について少し検討してみよう。刺身のつまとして必ず付いてくる大根、内臓を食べる秋刀魚に付き物の大根おろしだが、大根には魚類の食あたりの防止に特効のあることが知られてゐる。昔から下手な役者を「大根役者」などと言ふのも、大根を食べると生魚にあたらないことから、興行の当たらない役者をかう呼んだのだと言ふ。