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小野田寛郎さんのスピーチ

8月15日、靖国神社には20万5千人もの参拝者が訪れました。このことは、わが国の戦没者追悼の中心的施設が靖国神社であることを内外に示し、靖国の代替施設建設など無意味であることを証明しました。この日、神社内で「終戦60周年国民の集い」が催され、多くの方が登壇し、素晴らしいスピーチをされたのですが、その中の小野田寛郎氏のスピーチを紹介させて頂きます。(一部聞き取りにくくて分からない箇所があり、そこは割愛させて貰います)

※youtubeで動画を見つけましたので、貼り付けておきます。







ご紹介を頂きました、小野田でございます。

私(わたくし)は今まで、この席を借り、あるいは他の会場で、

「黙って靖国神社にお参りして頂きたい」

それをお願いしてまいりました。

今、平沼さん(元経済産業大臣)が言われたように、靖国神社に15日にお参りすると言ったのは、他でもない小泉首相であります。「命を賭けて」と言われて、いわゆる(衆議院)解散を致しました。

何故、「命を賭けて」今日お参りできないのか!

一国の首相たる者が、この靖国神社へお参りをして「心ならずも」と英霊に対して言葉をかけております。
果たして私たちは「心ならずも」あの戦争で命を散らせたのでありましょうか。

私は国の手違いで、十五年間靖国におまつりをして頂きました。もし私がその時本当に死んでいたとすれば国のために我々が戦わなければ誰が戦えるのかと、そういう自分たちの誇りを持って力一杯笑って死んでいたので、また私だけでなしに私の仲間も皆そうであります。

それがなんで同情の対象なんでしょう。

誇りを持って死んだ人に対して、何故黙って「ありがとうございました」と感謝の念を捧げられないのか。私は小泉首相に大反対であります。

靖国神社について、あるいはまた戦後のいわゆる国際裁判のこと色々先ほどから諸先生方にお話を伺いました。また、ここにお集まりの皆様方は、充分そのことをご存知のことと思います。
事後法など裁判ではありません。A級戦犯とは、敵国側が占領中につけた名前であって、決して我々の認めるものではありません。

[注釈]
ここで言われていることは、東京裁判(極東国際軍事裁判)の話です。事後法とは、[事後法の禁止]という日本国憲法39条にも明記されているもので、実行のときに適法であった行為について後に制定された法律、すなわち事後法によって遡って処罰することは出来ないという原則をいいます。
東京裁判は、この事後法の禁止の法理に反し、「法のないところに犯罪はなく、法のないところに刑罰はない」という近代法の原則「罪刑法定主義」を逸脱するもので、不当な裁判なのです。
この東京裁判が不当であるという認識は、世界でも主流の認識になっています。



私はただ一言だけ、時間の関係で皆様に何としても申し上げたいことがあります。それは、先ほど陛下の「終戦の詔書」を拝聴致しました。
(集会の冒頭、昭和20年8月15日の昭和天皇の玉音放送が流されました)

しかしながら、現在の日本において何故「開戦の詔書」を拝聴する機会が無いのかということであります。結果があるということは、原因があるからであります。ものに終わりがあるのは始めがあるからであります。「開戦の詔書」は、私は本当に入隊するまでの間、しばらく何ヶ月か、いわゆるお聞きした。今でもよく憶えております。

帝国ノ真意ヲ解セス、濫(みだり)ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ撹乱(かくらん)シ、遂(つい)ニ帝国ヲシテ干戈(かんか※武器のこと)ヲ執ルニ至ラシメ
いわゆる中国のことを言っているのであります。

[注釈]
小野田氏が発言された部分(下線部)だけでは意味が分かりにくいので、その後の文章を補足しました。
中国が、平和を願う日本の真意を理解しないで、日本が戦わざるをえない状況にした、という意味。「帝国」は「日本国」のことです。



そして、剰(あまつさ)ヘ与国ヲ誘(いざな)ヒ、帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ、更ニ帝国の平和的通商ニ有(あ)ラユル妨害ヲ与ヘ、遂ニ経済断交ヲ敢(あえ)テシ

[注釈]
ここも、小野田氏が発言されたた部分(下線部)だけでは意味が分かりにくいので、その間の文章を補足しました。



「斯(かく)クノ如クニシテ推移セムカ、東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ帰シ、帝国ノ存立、亦(また)正ニ危殆(きたい)ニ瀕(ひん)セリ」

[注釈]
「危殆ニ瀕セリ」は、危険な状態に陥るという意味です。



「豈(あに)朕(ちん)ガ志ナラムヤ」と仰せられているのであります。

[注釈]
決して朕(天皇の自称)が自ら進んでこの戦争を望んだものではなく、止むを得ない事情によるものである、という意味。



終戦の詔書にも、その旨が言われておりますけれども「帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為、決然起(た)ッテ一切ノ障礎(しょうがい◎障害)ヲ破碎(はさい※破砕:こなごなにすること)スルノ外(ほか)ナキナリ」

[注釈]
日本の自存自衛の為には、立ち上がる他はないという意味。



陛下の言わている所に、大東亜戦争の真の目的がハッキリと示されているのであります。何が侵略戦争でありましょう!
それを、ハッキリ日本国民が自覚すれば、この靖国神社に黙ってお参りをし、そして黙って感謝の気持ちを捧げられるはずであります。

その感謝の気持ちこそが、国を守るという大きな気持ちに繋がっていく、私はそをれを死ぬまで皆様方に申し上げたいと思います。

どうか皆様、私が申し上げた「開戦の詔書」には、一部言葉の違いがあるかもしれませんが、意味においては私は絶対に間違ってないと思います。

私は国の為を信じて三十年間戦い続けてきました。だけど、生きていたから靖国神社では落第生であります。

だけど、私と同じ時に死んだ、この仲間の気持ちは私と同じでありまして、私が今生きているからこそ、皆様にそう伝えたいわけで、ご清聴ありがとうございました。

(スピーチ終わり)


齢80を越えてなお、矍鑠(かくしゃく)としてスピーチをされ、英霊の思いを代弁して下さった小野田氏の姿は、武士道精神を受け継いだ、凛とした素晴らしいものでした。

後世を生きる私たちは、この思いを受け止め、英霊の思いに答えるべく、凛とした日本国にしなければならないと思いました。



◆追記
月刊誌Voice05’12月号にて、西尾幹二氏がこの演説について、

(小泉首相の)「心ならずも命を落とされた多くの方々」という表現に、今夏、裂帛の気合で反駁(はんばく)し、自ら進んで国に殉じた往時の将兵の心のわからない首相への痛憤の念を吐露した方がいる。小野田寛郎氏である。

と書かれていました。

全ての将兵がそうだったとは言いませんが、多くの方は、このように崇高な道徳心を発露され、家族や故郷、国を守る為に命を賭して戦われたのです。にも拘わらず、「心ならずも」という小泉首相の発言は、この先人の心を全く理解されておられない、一国の首相としてあまりにお粗末な発言であるといわざるをえません。

小泉首相には、日本国首相として、もっと歴史を勉強して頂き、真の先人の思いを理解して下さることを願います。


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