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※産経ニュースより夫婦別姓に関する記事を引用します。

■男女共同参画基本計画を閣議決定 夫婦別姓は引き続き検討 表現後退も趣旨は変わらず
2010.12.17
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※男女共同参画会議で菅直人首相(右)に答申書を渡した後、握手を交わす(左から)間和代氏、山田昌弘氏、岡崎トミ子国家公安委員長・男女共同参画担当相、仙谷由人官房長官=17日午前、首相官邸(酒巻俊介撮影)

政府は17日の閣議で、平成23年度から5年間の基本方針をまとめた「男女共同参画基本計画(第3次)」を決定した。民主党政権下の基本計画策定は初めて。家族の一体感を損なうとして 反対意見が根強い選択的夫婦別姓(親子別姓)制度導入を含む民法改正については、「引き続き検討を進める」と表記。「改正が必要だ」とした男女共同参画会議(議長・仙谷由人官房長官)の答申からは表現を後退させたが、担当者は答申の趣旨を尊重する意向は変わらないとしている。

共同参画会議は今年7月の菅直人首相への答申で「選択的夫婦別氏制度を含む 民法改正が必要」と、制度導入を強く促していた。しかし、募集したパブリックコメントで反対意見が多数寄せられたほか、2日の民主党の「子ども・男女共同参画調査会」でも「世論を踏まえておらず拙速だ」(保守系議員)との不満が噴出。政府は表現の変更を余儀なくされたとみられる。一方、内閣府の担当者は「答申を踏まえて改正の検討を進めるという意味だ。トーンダウンではない」と説明している。

また、第2次計画では「ジェンダー・フリー」(性差否定)との用語を使ってひな祭りなど男女別の伝統文化を否定することについて、「国民が求める男女共同参画社会とは異なる」との注釈を入れていたが、今回はその注釈は削除された。民主党政権でジェンダー・フリー推進派が攻勢を強めているようだ。

今回の第3次計画は女性の社会進出を後押しするため、配偶者控除の縮小・廃止を含む税制改正の検討なども要求。ライフスタイルの多様化などを理由に「世帯単位から個人単位の制度・慣行への移行」を訴えるが、これには「伝統的な家族の絆を壊されかねない」との指摘も根強い。

 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101217/plc1012171033006-n1.htm



記事中の写真の岡崎トミ子氏の満面の笑みに表れているように、夫婦別姓については、国民からの反対の声などで多少遅れてはいるものの、この方々の企む方向に事が進んでいます。民意を無視して国家解体政策を進める民主党政権には、言いようのない怒りを覚えます。

この問題について、日本文化チャンネル桜の番組で詳細な解説をされていたので、その動画を掲載します。この問題の本質がよく分かるので、是非ご覧下さい。



番組にゲスト出演されていた村主真人氏の論文が、『祖国と青年』(平成二十二年十月号)に掲載されていたので引用します。長い文章ですので、数回に分けて記事にします。

暴走する内閣府・男女共同参画会議
外圧で夫婦別姓を導入を推し進める「第三次計画」の危険性

村主真人(民間教育臨調研究委員)

■国民からの意見を封殺した第三次計画

七月二十三日、男女共同参画会議は菅直人総理大臣に対し、「第三次男女共同参画基本計画策定に当たっての基本的考え方」を答申した。

答申は家族に関する法整備について、夫婦別姓が必要であると盛り込んだ。政府は答申をもとに第三次計画を十二月末を目処に閣議決定する。

内閣府は間髪を入れず、八月三日から三十一日までの期間、「第三次男女共同参画基本計画に盛り込むべき施策に関する提案募集」を行った。

今回の意見募集の肝は、あくまでも「答申」内容に基づき、計画に盛り込む施策の具体的プランの提案を求めたことにある。つまり、答申内容への批判や、計画への問題提起は受け付けなかったのだ。

これでは、答申内容に疑問を抱いた国民は意見提出の機会を奪われたことになる。更に重要なことは、今後は国民からの意見募集を行わないと、内閣府が表明したことにある。

事業計画などを盛り込んだ「計画(案)」を国民に示すことなく、一気に閣議決定を行い、今後五年間の政府の公約とすることが可能となる。極めて強引かつ危険な政治手法といわざるを得ない。

「答申」は、国民の間で意見が二つに割れている夫婦別姓について「必要である」と明記しているが、「必要」性の根拠は示されていない。

また、かつて学校現場に蔓延したジェンダーフリー教育や、異常な性教育に対する歯止めのための注意事項などは、今回の答申には盛り込まれていない。そのため、このまま「答申」が「計画」の体裁へと模様がえされれば、政府がジェンダーフリー教育に対する方針を転換したとのメッセージとなり、再び学校現場で異常な教育実践が行われる危険性が強いのである。

「答申」提出の際、仙谷由人代位所共同参画課異議議長は、菅総理大臣に対して、「多様な意見のある課題については、政府において十分議論を行い、第三次男女共同参画基本計画を策定するよう要請する」との文書を添付した。しかし、今回の意見募集の進め方は、国民からの「多様な意見」提出の機会を奪い、「十分な議論」を封殺し、民主党の特定のイデオロギーを政府の方針とするもので、容認できるものではない。

政府が、夫婦別姓についてこのように強引に進める背景には何があるのだろうか。

一月から六月までの通常国会期間中、多くの国民が夫婦別姓反対の声をあげたことにより、内閣府男女共同参画局が大きな危機感を抱いたものと考えられる。

例えば、三月に時事通信社が実施した世論調査では、選択的夫婦別姓制度に賛成が三五・五%に対し、反対は五五・八%だった。政党支持別でも、選択的夫婦別姓に賛成が民主党支持層で三三・六%、反対が五九・四%と反対が多かった。自民党支持層では賛成二四・三%、反対六九・三%であった。国民世論は選択的夫婦別姓を決して望んでいないのである。

また四月に公表された「議論の中間整理」について実施された意見公募には、夫婦別姓をテーマに、多くの反対・慎重な意見が寄せられたという。パブリックコメントの総数は一万三千通をかぞえ、夫婦別姓に対する反対意見が多数を占めていたと産経新聞は報じたが、政府は具体的な賛否の数について明らかにしていない。

通常国会期間中、二百六十五万名の国会請願署名や、百十九名の国会議員が請願署名の紹介議員となった。国民新党の亀井静香代表や、民主党の保守系議員といった与党内からも反対の声が続々とあがり、法務省は夫婦別姓を盛り込んだ民法改正案の国会提出を行うことができなかった。

それでは、今回の「答申」通り、計画に「夫婦別姓が必要」と盛り込まれることは、一体何を意味するのだろうか。

平成十二年の第一次計画では、フェミニズム運動に都合のよい理念や施策が盛り込まれたため、これらの施策や運動推進にお墨付き与える効果をもたらした。更に、こうした施策が盛り込まれることで、市民運動家は施策の進捗状況をチェックし、政府に速やかな実現を求めるといった達成目標の規準としての役割を果たしてきたのである。

即ち、「夫婦別姓が必要」と盛り込まれることは、政府自身がその計画を根拠としながら「閣議決定を経た計画に盛り込まれた政策を実現する責任がある」と、遮二無二推進する錦の御旗となるわけだ。

推進派の市民団体は、この文言を拠り所として国会議員へのロビー活動を活発に行うだろう。

地方議会においても、この文言を盾とし、立法化を求める推進の意見書決議が勢いづくものと予想される。

このように計画本体には法的な拘束力がなく、政府各省庁の行動計画に過ぎないといっても、夫婦別姓推進運動の燃焼促進剤としての効果は絶大なものだり、国民世論を賛成へと誘導するということにもなるのだ。

確信犯的な閣僚・議員を除き、与党の議員は、このような計画の危険性をどれほど認識しているのだろうか。

■仙谷大臣が男女共同参画会議に一喝

ここで、男女共同参画会議において、夫婦別姓がどのように議論されてきたのか見ていこう。議論の経過をみれば、この会議がフェミニストの巣窟と化していることがよくわかる。

男女共同参画会議は、各省庁におかれる審議会とはいささか性格を異にする組織だ。

例えば、文部科学省に置かれる中央教育審議会は、文部科学大臣が審議会に諮問し、民間有識者の委員が答申をまとめる。しかし、男女共同参画会議は官房長官を議長とし、財務大臣、総務大臣、法務大臣、文部大臣、厚労大臣、ほか関係閣僚が構成メンバーの一翼を担い神津カンナ氏、勝間和代氏、山田晶弘氏ら、民間有識者も委員として参加、政治主導によって国の男女共同参画に関する方針を決める機関である。

実質的な審議が行われた本年二月に時計の針を巻き戻し、当時の議論を振り返ってみる。

二月十八日、首相官邸四階の大会議室では、七月発表の答申作成へ向け、福島プランとも云うべき計画骨子が検討されていた。

第三次計画の策定に当たって、議論の主導的役回りを演じたのが、社民党の福島みずほ男女共同参画担当大臣(当時)、仙谷由人国家戦略担当大臣(当時)だ。

席上、鳩山総理は「結局は今まで不十分な原因の中には、政府自体の意識、やる気の欠如ではなかったかという御指摘がありました。そう言われないように、福島体制で頑張りますので、我々も全力で皆さんとともに闘っていきたい」と決意表明を行って、会議室をあとにした。

その後、仙谷国家戦略担当大臣が口を開いた。

「ここまでの十年間でできなかったことを反省しながら、実効性のあるものにするという組み立てになっているが、今、ここで書かれているような第三次計画で、本当に今後の五年間で事態が進展するのか。・・・つまり、全然エッジが効いてない。こんなことを百回繰り返しても、事態の進展はない」と、不十分な内容に怒りをあらわにした。

この発言を、福島大臣が「心強いことで、第三次基本計画に・・・」と引き取ったのだが、仙谷大臣はこれを制止し、「心強いというよりも、そのぐらいのことをやらないと進まない」とダメ押しした。

仙谷由人大臣は昭和二十一年生まれ。東大時代に全共闘運動にどっぷりとつかり、司法試験に現役合格した後は大学を中退、過激な学生運動で逮捕された活動家の救援活動に尽力、日教組をはじめ労組がらみの訴訟を手がけ、左翼人権派弁護士として名を馳せた。「国を変えるには権力を握らんとあかん」(『全共闘宰相への野望抱く仙谷由人』「選択」二〇一〇・五)と、政治家を志して今日に至る。

仙谷大臣の発言には、男女共同参画会議という最も政治主導をアピールしやすい場で、従来の思想信条をもとに、国策として実現しようという意図がある。

当時の担当大臣の福島みずほ社民党代表は、国会議員になる前、銀座の仙谷氏の法律事務所に所属し、「夫婦別氏の法制化を実現する会」の事務局を担った。「通称使用裁判」や別氏関連訴訟を担当し、自身も事実婚を続けている。福島氏の「パートナー」は現在の日弁連の事務総長、海渡雄一弁護士である。

男女共同参画会議に同席した千葉景子法務大臣も、社会党在籍当時から福島みずほ氏とは政治心情を同じにする同志の間柄だ。

(引用終わり)
※以下、次回に続けます。


仙谷由人官房長官は、骨の髄まで左翼思想に染まった人物で、夫婦別姓も文中にあるように仙谷氏の主導で進められています。このような人物が政権の中枢に居て権力を揮い、日本国の解体を目指しているのです。一刻も早く民主党政権を打倒しなければなりません。

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※産経ニュースより夫婦別姓に関する記事を引用します。


■民主党調査会、夫婦別姓容認の提言を強行提出 保守系議員の反発を「無視」

2010.12.2

 民主党の子ども・男女共同参画調査会(会長・神本美恵子参院議員)は2日、党政調役員会に対して、選択的夫婦別姓制度の導入を事実上容認する提言を提出し了承された。政府の第3次男女共同参画基本計画案への党提言の原案に当たるものだが、同日の調査会で保守系議員らが「世論を踏まえておらず拙速だ」などと反発し、議論が紛糾したにもかかわらず、提出を強行した形だ。

 提言は「男女共同参画会議の答申を最大限尊重して第3次基本計画を策定すること」と明記した。

 政府の男女共同参画会議は7月、「選択的夫婦別姓制度を含む民法改正が必要」とした「基本的な考え方」をまとめ、菅直人首相に答申。政府は年内に第3次計画を閣議決定するが、答申を「最大限尊重」することは、選択的夫婦別姓制度の導入を容認することを意味する。

 2日朝の調査会では保守系議員から「世論の動向を踏まえるべきだ」「社会の仕組みの根本にかかわる問題だ」「夫婦別姓の長所、短所をちゃんと検討しているのか」などの反対の声が相次いだが、調査会役員は「世論にばかり左右されるものではない」として、神本氏への一任をとりつけ、提出を強行した。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/101202/stt1012022235012-n1.htm



選択的夫婦別姓制度の導入に向け、民主党は着々と歩みを進めています。記事にもあるように、民主党の子ども・男女共同参画調査会は、保守系議員らの反発で紛糾したが、選択的夫婦別姓制度の導入を事実上容認する提言を提出し、了承されました。

十月二十一日の参議院内閣委員会では、山谷えり子議員(自民党)がこの問題について質問されたのですが、男女共同参画担当大臣である岡崎トミ子氏は、「反対の意見があったとしても、私どもの政策におきましては、長くずっと政権を取りましてからでも民法改正の方向に向けてやっていくということでございますので、これまで委員の皆様の御議論を聞きましても、そうしたことについての議論はなかった、反対の意見があってもこれは進めていくべきであるということを直接にも伺っているところでございます」と答えており、国民が反対しようとも別姓導入を強行するという姿勢を示しました。

この夫婦別姓については、マスコミでは全く取り上げられていないので、国民が知らない間に民主党は着々と導入に向けて動いており、このままでは夫婦別姓が導入されるのは確実です。民主党に抗議の声を届けて下さればと思います。

■民主党本部

〒100-0014 東京都千代田区永田町1-11-1

FAX:03-3595-9961

メール:http://www.dpj.or.jp/header/form/index.html



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【始めに】
※今回は前回の記事からの続きです。初めて読まれる方は、前回の記事からご覧下さい(↓のタイトルをクリックして下さい)。
■子供の幸福を無視した夫婦別姓導入に反対する(前編)

※拙ブログをずっと読んで下さっている方へ
今回の記事は、10月21日に掲載した『子供の幸福を無視した夫婦別姓導入に反対する(中編)』を、『子供の幸福を無視した夫婦別姓導入に反対する(後編)』と改題して、残りの箇所を追記したものです。引用文中のここから追記です】からがその箇所になります。



本文へ入る前に、夫婦別姓に関する産経のニュース記事を引用します。

■仙谷氏、夫婦別姓導入に意欲も答弁は勘違い
2010.10.21

 仙谷由人官房長官は21日の参院内閣委員会で、必ず両親の片方と子供の姓が異なることになる選択的夫婦別姓制度について、「民主党は夫婦別姓をマニフェスト(政権公約)に掲げ、党の方針にしてきた」と強調し、自身が議長を務める政府の男女共同参画会議が7月に出した答申に沿って制度を導入することに意欲を示した。

 ただ、民主党は昨年の衆院選でも今年の参院選でも、マニフェストには国論を二分する夫婦別姓制度については盛り込んでいない。答弁は「勘違い」か「勇み足」だったようだ。

 また、岡崎トミ子男女共同参画担当相も「答申に沿って(基本計画を)策定する」と夫婦別姓導入を推進する考えを表明した。政府は答申を受け、平成23年度から5年間実施する第3次男女共同参画基本計画の策定を進めている。

 いずれも自民党の山谷えり子氏の質問に答えた。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101021/plc1010211734016-n1.htm


記事にもあるように、民主党は夫婦別姓の導入に大変意欲的です。夫婦別姓の導入を盛り込んだ第三次男女共同参画基本計画は、仙谷官房長官のリーダーシップの元、年内の閣議決定を目指して動いています。
世論調査をみても、夫婦別姓には反対している国民が多いにもかかわらず、そうした声を無視して、民主党は導入を進めているのです。

このままでは、夫婦別姓という狂気の政策が実現してしまいます。拙ブログを読んで下さった方には、是非ともこのことをまわりの方々に広めて頂きたく、宜しくお願いします。

では、本文へ入ります。


■「夫婦別姓」の根底を貫く家族解体のイデオロギー

高橋 夫婦別姓の導入は、家族崩壊への第一歩に過ぎません。福島消費者・少子化担当相は、男女共同参画担当相でもあり、一度改善されつつあった男女共同参画社会の流れが再びジェンダーフリーの方向に向かっていく危険性が高い。平成十七年に男女共同参画の第二次基本計画が作成された際、当時内閣府大臣政務官だった山谷えり子さんの尽力もあり、「ジェンダーフリーという用語を使用して性差を否定したり、男らしさや女らしさや男女の区別を無くして人間の中性化を目指すこと、また家族や雛祭りなどの伝統文化を否定することは国民が求める男女共同参画社会とは異なる」との文言が盛り込まれました。この趣旨から、当時三分の一の大学でフェミニズムを正当化するイデオロギーを教えるような「女性学」が必修または選択必修とされていたものが、第二次基本計画から削除されたりしました。

この男女共同参画基本計画の第三次の見直しが今年の暮れにくる。その時に福島氏が男女共同参画担当相であれば、これをまた元に戻す可能性か高い。夫婦別姓にしろ、男女共同参画にしろ、その根本にある思想は、「男が女を支配しているのが日本の家制度だ」という考え方です。階級闘争史観を家庭に持ち込み、男女関係を支配・被支配の関係として捉え、そこから解放するのが、男女共同参画や夫婦別姓の目的であるというイデオロギーが根本にあるわけです

夫婦別姓を貫いている思想の中には、家制度や家族共同体を破壊して、個人の権利という名の下に、「自由」を獲得しようとする考え方がある。これが、先程触れた「絆」と関係してくるのですが、そもそも「絆」というのは、馬を繋ぎとめる道具のことで、自由を束縛することです。「絆のある社会」というのは、結婚や子育てによって自由を束縛される中に喜びや幸せを見出す社会なのです。

戦後は「外的束縛から解放される」ことをもって「自由」と言ってきましたが、自由にはリバティー(liberty)、フリーダム(freedom)、サルベーション(salvation)、ニルバーナ(nirvana)の四つの意味があります。

リバティーというのはシビル・リバティー(市民的自由権)などと言いますが、これは外的束縛から解放される自由のことで、夫婦別姓推進論者などが「結婚は女性の自由を奪う」などという時の自由はまさにこの意味です。

もう一つの自由はフリーダムで、スピリチュアル・フリーダム(道徳的自由)などの言い方をしますが、この場合の自由の意味は、内的束縛から解放されることです。自分自身の中に自分を縛っているものがり、そこから解放されることが「自由になる」ということで、元々「自由」というのは「自らに由る」という仏教の言葉ですが、これはこの意味に近い。

また、サルベーションという英語がありますが、これは、「溺れてる者を救い出す」という意味です。溺れている者とは、一人では生きていけない絶対的弱者である乳幼児や高齢者などですが、乳幼児のお世話をすることによって自由になるのです。多くの人達は結婚は個人の自由を奪うと考え、世論調査では若年層の女性の七五%は子育てはイライラすると答えていますが、それは、子育ては自由を妨げると捉えているからです。しかし、子育てによって自由を奪われる中に喜びや幸せを発見するというのが「絆のある社会」であり、現在の風潮は、自由の意味をはき違えているのです。夫婦別姓や男女共同参画における「自由」とは、女性の人権や大人の権利など全て大人の立場からしか見ておらず、実に表層的で「心の自由」や幸福の本質を無視した「自由」に過ぎません。

■不正は「義愛」、母性は「慈愛」

高橋 男女共同参画の名の下に行き過ぎたジェンダーフリーが広がり、「男らしさ女らしさ」「父性母性」という言葉すらも差別に繋がるとされる。実際に文部科学省が調査したところ、鯉のぼりや雛祭りは「男女平等に反する」として中止した公立幼稚園が四十六園あり、また、男女混合で騎馬戦をやっている中学校が百五十一校ありました。また、高校家庭科の教科書には、未だに「桃から生まれた桃子ちゃん」というのがプロローグに載っていたりするわけです。このようなジェンダーフリーを推進する人々は、日本の男女差別の原点は日本の国生み神話にあると言います。

※男女混合騎馬戦の画像がこちらのブログに掲載されています。
■なめ猫♪ここまでいった男女混合教育



しかし、哲学者の森信三氏は、「ジェンダーフリーというのは大宇宙の神秘に対する重大な冒涜(ぼうとく)だ。ジェンダーフリーというのは戦慄(せんりつ)を禁じ得ない現象だ。男女の役割までも同一であるかのような錯覚が、洪水のように氾濫(はんらん)して止まるところを知らない。母性喪失者の群れが巷(ちまた)に充満している。民族精神の見えない深層部まで腐食している。男女の両性の本質が損なわれつつある。民族の運命を考えるとき、非常な弱体化と言ってよく、まことに深慮にたえない」と強く批判しています。

私は今、親学という国民運動を興していますが、「親心」の特性である父性は「義愛」、母性は「慈愛」と説明しています。昔から子供が成長するためには、「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせる」と言いますが、子供が歩くためには、「しっかり抱く」という慈愛の母性と、「下に降ろす」という義愛の父性の両方の働きが必要です。

白虎隊で有名な会津藩の藩校の日新館の「什(じゅう)の掟」で、「ならぬことはならぬものです」とあるように、弱い者を苛(いじ)めてははならい、卑怯な振る舞いをしてはならない、嘘をついてはならないということは具体的に教えなければならず、これは人間としての正しさやルール、マナーを教える愛情の「義愛」である父性の役割です。一方、太陽のような暖かさでまるごと受容する、無条件で受けとめるのが「慈愛」である母性の役割です。この父性と母性が父親らしさや母親らしさに繋がるわけですが、これを差別だといって否定することは、この国の精神文化の根幹に関わります。

サムソン夫人は、「日本の男女の間には不思議な調和が見られます。妻であり母である女性がその家族の代弁者。陽気な女性にとっては主人や家庭を管理することは何でもありません。女性が母のように優しく献身的であることは、日本社会にとって計り知れない貴重な財産である」と述べています。

また、文化人類学者のレヴィー・ストロースは、日本の農漁村、伝統産業において男女の役割分担や夫婦の共同作業が多いことに注目し、また、エドワード・シルベスタ・モースは、「祭日中、特に男子のための祭日が設けられており、かつそれがかくまでも一般的に行われていることに心を打たれた」と述べています。これは端午の節句のことを述べているのですが、端午の節句や桃の節句など年中行事を通して、男らしさ女らしさを育てていくことが大事なのです。

これは脳科学者が述べているのですが、男らしさ女らしさというのは生まれつき脳の性差で決まっている。男の子がどんな玩具を好むとか、どんな色を好むかは、後から作られたジェンダー(社会的文化的性差)ではなくて、生まれつきの脳の性差によって決まっているということです。ですから、それを否定するような教育は、子供のアイデンティティの確立を阻害することになるのです。

子供の心の成長、脳の発達を保障するためには、脳の性差である男らしさや女らしさを育てていかねばならず、男らしさ女らしさの確立は、アイデンティティの確立に繋がります。イデオロギーでものを考えるのではなく、何が子供の心の成長や脳の発達を促すのかという視点で考えなければなりません。夫婦別姓の問題は、大人の権利や女性の権利のみの視点から論じられるべきではなく、何が子供の最善の利益になるのかという視点も忘れてはなりません。

■親との一体感が「生きる力」を育てる

高橋 家庭は教育の原点ですが、特に大事なのは人間力を育てることで、それを今、教育界では、「生きる力」を育てると言っています。生きる力とは、総合的な人間力のことであり、その人間力とは、社会・対人関係能力と自制心が柱です。その社会・対人関係能力は何によって育つかといえば、親との愛着です。親の愛着を通して共感性が育ち、相手の痛みが分かるなら社会・対人関係能力が育つのです。

ところが、少年問題の専門家は、少年非行が質的に変化したと言い、『脳内汚染』を書いた岡田尊司氏は、自制心と共感力の欠如が相次ぐ凶悪事件の共通点だと言います。その共感性が欠如している原因は、家庭における一体感、愛着の不足です。親との一体感の中で初めて感性が育ち、これが対人関係能力とか社会適応能力のベースになるのです。夫婦別姓が導入されて親との一体感が損なわれれば、子供に共感性が失われます。佐世保市で同級生を殺害した小学生がいましたが、あの子は命は大事だと作文には書いていましたが、遺族の悲しみに全く共感できませんでした。その背景には、彼女は小さい頃は一人で遊んでいて、親との一体感が無かったために感性が育たなかった、という問題があるわけです。

今、なぜ生きる力が育っていないかというと、家庭教育に問題があるからです。親との一体感が欠落していて、例えば文部科学省が徳育の懇談会を一年間やりましたが、有識者のヒアリングで問題になったのは、ノンフィクション作家の柳田邦男氏が提起した、授乳中に携帯電話をする母親が急増しているという問題でした。

発達心理学の最新の科学的知見によれば、共感性や恥、罪悪感が育つのは二歳の終わりであり、善悪を獲得するのは三歳の始めだと言います。つまり、脳の発達にはタイミング――これを「臨界期」と言います――があり、その時期にどう関わったかということが大事になってくる。

また、今、発達障害の子供が増えていますが、発達障害というのは、先天的要因と環境的要因が絡み合って発症するのですが、沢口俊之という脳生理学者は、「環境要因が整っていればいくら線的要因があっても発症しないか、あるいは正常の範囲内で留まる」と言っています。或いは、さいたま市教育センター所長の金子保氏は、「二歳までに対応すれば治る可能性は高い。三歳までなら五分五分だ。四歳以上になると治る可能性は低くなる」と言ってますが、予防に全力をあげれば発達障害は大幅に減るのです。

その予防法は何かというと、何も特別なことではなく、日本人が昔から当たり前にやっていた子育てを取り戻すことなのです。日本人が元々やってきたのは、「可愛くば二つ叱りて三つ誉め五つ教えてよき人にせよ」ということです。私は講演会でお母さん方に、「この通りにやっている人は?」とこれまで何十年と講演して聞いてきましたが、一人も手を上げた人はいません。皆さん一番やってるのは叱ることです。しかし、もっと誉めることが大事。そして、それ以上にもっと教えて下さいと言っています。なぜそれをやってないかというと、価値観を押しつけてはいけない、強制はいけない、子供に対して上から押し付けるのは封建的で子供の自由や人権を侵害するからいけないという考え方があるからです。

子供と大人の関係は人権としては平等ですが、親は大人として時代とともに変わらない価値については子供に教えなければならず、これは昔は当たり前にやってきたことです。しかし、戦後は、子供の権利、権利と言い過ぎて誤った子供中心主義になり、その結果、教育が荒廃し学級崩壊が増えてきました。その背景には、躾(しつけ)の崩壊があり、親の関わり不足による発達障害の増加という問題がある。

約百五十年前は世界一幸せだった子供が今は世界一絆を失い、世界一礼儀正しかった子供が世界一礼儀が悪くなった最大の原因は、親の問題、家庭教育の問題です。家庭教育がこれ以上荒廃すると、この国が危ない。まさに日本の再生は、家庭教育の再生にかかっています。

そのためには、先ず親が手本を示すことからしか始まりません。江戸時代は「江戸仕草」といって、親が手本を見せて教えてきました。親は子供の鑑(かがみ)であり、その鑑である親が、夫婦別姓で別々になっていくことによって一体感が損なわれれば、それが子供に与える心理的影響は図りしれません。

ここから追記です】
また、日本の家意識や家制度に関連して、日本の家は男が女を抑圧しているという否定的な考え方がありますが、決して男尊女卑が日本の文化ではなく、男と女は天と地、左と右というように、補完し合うという関係として捉えてきました。私はよく歩行で例えて言いますが、歩くときには左右の腕足どちらかが必ず前に出て一方は下がるように、時には、男が厳しく言ってお母さんが支える、時にはお母さんが厳しく言ってお父さんが支える。要するに子供の発達のためには、優しさと厳しさの関わりを使い分けて、バランスをとっていく。このバランスというのが男女すなわち陰陽の原理の補完ということです。それは差別ではなく区別であって、天と地があって宇宙が成り立つように、上下の優劣関係ではなく、秩序の補完関係です。天と地があって成り立つのは補完的原理であり、父性母性は補完的原理なのです。

日本では男と女の特性を大事にし、男らしさ女らしさを補完関係と捉えてきた素晴らしい文化を持っている。その文化を崩壊させかねないのが、夫婦別姓の本質的な問題だと思います。

■民主党政権の教育政策について

―――日教組の影響が強い民主党政権となり、これまで積み上げてきた新教育基本法に基づく教育改革が後退していくことが懸念されますが、今後の民主党政権下における教育改革の課題についてお話下さい。

高橋 民巣等政権は、事業仕分けの際、「費用対効果」といって支出した費用に対して得られる効果が薄いと見なしたものを切り捨てていきましたが、その中に全ての学校に道徳の副教材として配布されている『心のノート』の批判がありました。経済の物差しで教育を判断しているわけですが、「無用の用」という言葉があるように、教育は役に立たないように見えても、役に立つのです。

例えば、私が今やっている「親学」にしても師範塾にしても、これは国家百年の大計です。それをコツコツと積み上げ、一見すぐには役に立たないようなことが、十年二十年と積み重なっていくうちに効果が出てくるわけです。教育というのは非経済的なものであり、経済の物差しで教育予算を削るというのはもってのほかであり、そこが民主党政権の「子供の命を守る、絆を大事にする」と言いながら、一番本質のところで間違っている点だと思います。

また、国が責任を負うべきは、まず小中の義務教育なのですから、高校の授業料を無償化する前に、義務教育の国庫負担金を三分の一から二分の一に戻すのが先であって、全く順序が違うということです。

また、高校の学習指導要領の解説書の中で「竹島」について明記しませんでした。北海道教職員組合の配った資料には、「韓国の主張が事実に則っている」と書いてあるそうですが、安倍内閣時代以降、教育基本法、学校教育法、その他の法律によって戦後教育を大きく転換して見直すという画期的な教育改革をやったわけですから、特に教育についてコロコロと変わるような朝令暮改の改革をしては困るという一番本質的な問題があります。

さらに関連して、教育基本法の改正に基づいて今後十年どうしていくかという教育振興基本計画を国が作ったわけですが、今、各県や各自治体においても実施レベルに入っています。振興計画ができている自治体もあるし今作っているところもありますが、いま全国で一斉に始まっています。戦後六十年の戦後教育の見直しの実践化というものが大きく始まっているわけで、それを、どう定着させるかという努力を我々はやらなければなりません。戦後教育の大きな見直しの成果をこれから具体化し実践化していくことに全力投球していくべきです。

また、同時に日教組が不当な影響力を持たないように排除していくことも必要です。民主党政権の下で日教組の政治団体「日本民主教育政治連盟」会長を務める輿石東氏のように、個人の影響力によって、例えば、マニフェストに書いていなかった全国学力テストの見直しを輿石東氏の記者会見で突然に政策に出してきたということもある。そのような個人の考え方が前面に出てきて政策に影響していくということは極力排除しなければなりません。皆で議論して決めた法律なのですから、政権が変わったからと言ってそれを一気に変えていくようなことになると教育は混乱することになる。

定着させるべきものは定着させ、実践化させながら、それに対する不当な否定に対しては断固戦っていくという姿勢が必要だと思います。

■「美しい国・日本」は人づくりから

高橋 政界再編が遠くない時期に来ると思います。その時に問われているのは、教育は国家百年の大計で論じなければなりませんから、私はその鍵を握るのは「人づくり」だと思います。

明治維新が成功したのは、江戸時代の寺子屋や藩校、私塾など、人づくりのシステムが確立していたからです。その人づくりをどう再構築していくかということが鍵です。私はその為に教師のための師範塾と親として必要なこと、大切なことについて学ぶ「親学」を推進していますが、「一人からの教育改革」からしか日本の再生は実現しないと確信しています。

例えば、この五年間で日本青年会議所は大きく変わったのですが、私が五年ほど前に日本人としての誇りを持った子供をどう育てるかという講演を青年会議所の全国の集まりの場で行いました。その時に、「皆さん、毎朝おはようと子供に声をかけていますか?」と聞いたら、手をあげたのは全体の五%ぐらいでした。それが、去年の六月の全国の集まりで同じ質問をしたら九割以上が手をあげた。つまり、青年会議所の意識が大きく変わったのです。それは青年会議所のトップの意識が変わったからで、去年の会頭は沖縄の安里という青年ですが、彼は「自分づくりから社会づくりを」と言い、「世の中を変える、社会を変えるということは、まず家庭から、まず自分の日常からだ」と繰り返し説いていったのです。身近なところから絆というものを築いていくしか、大きな絆は築きようがない。安倍元首相は「美しい国・日本」と言いましたが、「美しい国・日本」は確かにありました。しかし、それがいま崩壊してしまっている。その美しい国というのは、どこからスタートするかというと、一人からの生き方として再生していかなければなりません。それに青年会議所は気づいて、「真の日本男児育成委員会」をつくり、「一人からの武士道再生」によって日本人の美しい生き方を取り戻し、子供にその大人の後ろ姿を見せようという「大人の背中運動」を始めました。

まずは自分が変わるという主体変容の意識改革を家庭・地域などの身近なところから地道にやっていくことが今、求められていることだと思います。

(二月十五日インタビュー)



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【始めに】
体調を崩してしまい、ずっとブログを更新出来ずにおりました。先月は手術後初めて大きな心臓発作が起きて、救急車で病院へ運ばれました。幸い大事には至らず、数日入院しただけで退院することが出来ましたが、その後すぐに風邪を引いて寝込んでしまいました。体がしんどい時は、体を動かすとまた発作が起きるんじゃないかという不安感が湧き上がり、動くのが怖くなります。
今は大分体調も良くなりましたが、まだ本調子ではありません。ブログの更新は相変わらずのスローペースになると思いますが、これからも宜しくお願い致します。

管理人 spiral



今回も、前回に続いて夫婦別姓について取り上げます。『祖国と青年』3月号より、高橋史朗氏のインタビュー記事を引用します(インタビューは、2月15日に行われました)。
高橋氏のお話は、単に夫婦別姓にとどまらず、子供を取り巻く環境や、育児、ジェンダーフリー、教育政策など多岐にわたっており、学ぶ所が多かったです。長い文章なので、2回に分けて記事にしていきます。

高橋史朗氏
高橋史朗(たかはし しろう)
昭和25年兵庫県生まれ。埼玉県教育委員会委員長等を経て、現在、明星大学教授・大学院教育学専攻主任、感性・脳科学教育研究会会長、NPO法人師範塾理事長、一般財団法人親学推進協会理事長、親学会副会長などを務める。



子供の幸福を無視した夫婦別姓導入に反対する

■「家族の絆」が重視される今、なぜ夫婦別姓なのか

―――千葉法相は昨年末、選択的夫婦別姓導入のための民法改正について、「法案の整備は『いつでも』というところまで整っている。できるだけ早く提案したい」と述べ、法務省はこの三月にも法案を閣議に提出し、通常国会で成立させようとしています。「親子別姓」をもたらし、家族の絆を壊す夫婦別姓法案の国会上程は何としても阻止しなければなりません。

本日は、かねてより子供の教育の視点から夫婦別姓に反対されている高橋先生にお話を伺います。

当初の民主党案では別姓を選んだ夫婦の複数の子供の姓が異なることを認めていましたが、現在の法案上程に向けた動きをどのようにご覧になっていますか。

高橋 千葉法相は、「家族の一体感が失われる」との批判を少しでも和らげ、法案成立を優先させようとしているのでしょうが、複数の子供の姓と統一したとしても、子供がどちらの姓を取るかによって、当然そこに夫婦同士の揉(も)め事が起こる可能性があります。親子別姓の家族ができることに変わりはないわけで、問題の本質は変わりません。

そもそもこの問題は、子供の立場を第一に考えなければなりません。児童の権利条約には、「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする」(第三条)と謳われてはいますが、実際には子供のことを考えずに、親の都合や大人の権利でしか進められていない施策が多く、夫婦別姓などその最たるものです。

安倍内閣時の平成十九年二月、政府は「子どもと家族を応援する日本重点戦略会議」を設置し、「家族の絆、地域の絆再生」という大きなテーマを掲げ、私もその委員として、積極的に発言しました。そして、現在、鳩山首相は「絆のある社会を」というキャッチコピーを使い、自民党の谷垣総裁も「絆」を言い、国をあげて「家族の絆」「地域の絆」の大切さを強調していますが、「家族の絆をどう再生するのか」というのが今の時代の大きな流れです。

十二月七日付の毎日新聞、日経新聞に掲載された記事で、大阪大学の研究グループが、「子供の学力を左右する要因には三つある」という調査結果を発表しました。従来、子供の学力は、「親の経済格差」や「都会と田舎の格差」に左右されるとよく言われていたのですが、年収などの経済的要因よりも「繋がりの格差」こそが大きいとし、「持ち家率」「離婚率」「不登校率」の三指標をあげました。それは、持ち家率が高いほど、逆に離婚率及び不登校率が低いほど、その都道府県の子供たちの学力は高くなるというもので、持ち家率が高いということは数世代にわたってその地域に住み近隣の人々との付き合いが密であることなどから「地域との繋がり」の豊かさを示し、離婚率は「家族との繋がり」の、不登校率は「学校との繋がり」の希薄さを示しています。子供と保護者や先生の信頼感、地域の支えなど、「繋がりの回復」こそが学力向上の打開策となるという結果は注目に値します。

一方で、十二月六日、全ての新聞が一面トップで報じましたが、内閣府の団共同参画社会に関する世論調査で、「結婚は個人の自由だから、してもしなくても良い」と回答したのが七割(二十歳代は九割)に上り、「子供を持つ必要はない」と回答したのが二十歳代で六三%、三十歳代で五九%にも上りました。「結婚や子育てというのは、自由を奪われ、自由を束縛する」という考え方が若年層に着実に広がっています。

家族の「絆が大事」などと民主党は言いながら、実際にやろうとしているのは、二万六千円の子ども手当や高校教育の無償化など結局は「バラマキ」で、損得という「経済のものさし」によって「幸福のものさし」を見失わせて親心を喪失させ、家族の絆を裂くような政策になっている。「子ども手当」と言いながら実際にそれは「親手当」であって、その財源は膨大なものになりますが、そのつけを将来背負うのは子供です。親の為にはなっても、本当に子供の為になるかというと甚だ疑わしい。今、実際に保育料を払わなかったり、給食費を払わない親もたくさんいます。中にはベンツに乗っているのに給食費を払わない親もいる。そういう親に「子ども手当」を出したら、必ずしも子供の為にはならない。「子供の為」「子供の命を守る」ということを鳩山首相は繰り返し述べていますが、本気で子供の為というならば、発想を転換しなければいけません。

夫婦別姓の問題も一番根本の問題は、「家族の絆を大切にする」と言いながら、家族の絆を崩壊させる方向に動いているという点にあります。夫婦別姓を考える際に一番大事なのは、「子供にとって」という視点です。勿論、夫婦別姓が出てきた背景には、女性の社会進出や女性の権利という観点があるわけですが、家族の絆というものが大事になっているという時代の要請から、特に「子供にとってどうなのか」という視点に立って議論しなければならないと思います。

■世界一孤独な日本の子供たち

―――現在の子供を取り巻く家族の現状について詳しくお話ください。

高橋 例えば、日米中韓の中高生を対象とした国際比較調査がありますが、「親を全く尊敬している」と答えた中学生は、日本は二〇%、アメリカは六三%、中国は六七%です。また、「親は私を大切にしてくれている」という質問に「全くそう思う」と答えたのは、日本は三六%、アメリカは八一%、中国は八二%です。

高校生を見ると、「父親は私の教育に全力を注いでいる」と答えたのは日本は二〇%、アメリカは五〇%、中国は三五%、韓国は三八%です。このように日本の子どもから見た親との関係性は非常に低い。

渡辺京二氏著『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)には、江戸末期に日本に訪れた外国人の「日本は子供の楽園」で、「日本の子供は世界一礼儀正しく幸せに暮らしていた」との声を紹介していますが、これは約百五十年前の日本の姿です。しかし、二〇〇七年にユニセフのイノチェンティ研究所が十五歳の子供を対象にした幸福度調査を実施した結果、「孤独を感じる」と答えたのは日本が二九・八%でダントツ、二位はアイスランドで一〇・三%、以下はフランスで六・四%、ドイツで六・二%、イギリスで五・四%などで全て一桁でした。日本だけが極端に孤独感が強いのは、「家族の絆が失われている」ということです。日本の子供たちは一番家族の温もりを失ってしまっている。このことをマザー・テレサは日本における講演で次のように語っています。

「アフリカの国々が滅びるとしたら貧困が原因だろうが、日本は心が原因で滅びるでしょう。日本人はインドのことよりも日本の国内の心の貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります。誰からも必要とされていない貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりももっとひどい貧しさと言えます。豊かな日本に心の貧しい人がたくさんいる。それに気づくことさえできない人もいる。愛はまず家庭から始まります。まず家庭の中から不幸な人を救いなさい。夫婦が愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。自分の家庭が愛に満たされなければ隣人を愛することはできません」

モノに飢えているアジアやアフリカのストリート・チルドレンよりも、心や愛に飢えている日本の子供の方が不幸であるというのは、「心の絆」が失われているからです。先程のユニセフの幸福度調査の他にも子供の幸福に何が関係がるのかという様々な調査が行われているのですが、それで分かったのは、「経済力と幸福は関係が無い」ということです。お金があれば幸せだと思いがちですが、世界価値観調査の二〇〇〇年度の統計で世界で最も「幸せだ」と答えたのはナイジェリア、二番目はメキシコでした。二〇〇五年度はプエルトリコが一番です。私たちから見れば非常に意外な国ですが、ニューズウイークの分析によれば、ナイジェリアの人が最も「幸せ」だと答えたのは、逆境というものが人間関係を深めているからではないかということでした。政治不安や天災などの困難や挫折、様々な失敗という不幸の連続の中で逆に家族の絆が強まっているのです。子供が家族の絆や温もりを感じている度合いが、子供の幸福感に関係しています。

数学者の岡潔氏は、「日本を支えてきたのは情だ」と言いましたが、その情の一番の中核は親が子を思い、子が親を思うという「親子の情」です。例えば、親が子を思う情は、山上憶良「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる寶(たから)子に如(し)かめやも」の和歌によく現れていますし、逆に子が親を思う情は、吉田松陰の「親思うこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん」という辞世の句によく現れています。親が子を思い子が親を思う―――そういう親子の情が日本人の民族精神の根っこにあるものですが、それが今、崩れ始めています。

今では祖父母とか社会の子育て支援力などの親を支える力がありましたが三世代同居が無くなり、父親は外で働くことで精一杯で、母親だけが子育てで孤立し、母親の負担が増えている。そこで母親がストレスがたまって、パニックになり、昔なら身につけていたはずの親力がどんどん低下しています。

そして、親力が低下して起こったのが、子供の「脳内汚染」です。「脳内汚染」とは精神科医の岡田尊司氏の本の題名ですが、地球環境の破壊よりも恐ろしいのは内なる自然破壊、つまり、子供の心や脳の破壊です。それは主に睡眠や食生活の乱れ、ゲームなどの有害環境の影響ですが、それに拍車をかけているのが親の問題です。夫婦別姓の問題は、かろうじて欧米化しないで保っている日本人の絆の最後の砦である家庭が崩されかねない点にあります。

■家族の絆、夫婦の絆は子供にとっての鑑

―――福島消費者・少子化担当相は、「夫婦別姓は選択しの拡大で、家族の絆が弱まることはない」と述べています。

高橋 そう単純にいえるものではないでしょう。つまり、「子供にとっての影響」と考えた場合、それはあります。戸籍上は同姓でも職場での便宜上、「通称」として旧姓を使うことは今でも認められているわけで、むしろ通称使用をより円滑にできる方向に改善すればよいわけですから、「選択肢の拡大」「家族の絆が弱まることはない」というのは夫婦別姓容認の根拠にはなりません。

また、よく「自分は別姓にはしないが、社会の一部に別姓にしたいという人がいるならば選択制で認めてあげてもよいのでは」という人がいますが、それは大人の勝手な論理です。子供の側から見たらどうなのかということを考えてみると、やはり別姓の夫婦の間に生まれてくる子供にとっては親子の一体感を損ねるということに繋がるし、日本人が一番大事にしてきた家族共同体を壊していくことに繋がる。これが一番本質的な視点ではないでしょうか。民間の中高生調査でも、両親の別姓を六割以上が嫌がっていることが明らかになっています。

先程『逝きし世の面影』のことを紹介しましたが、「日本は子供の楽園、日本の子供は世界一礼儀正しい」という指摘で明らかなように、約百五十年前の日本には家族の絆がしっかりあり、親が子供に手本をしまして「後ろ姿」で教えてきたということです。

やはり親が手本にならないと道徳教育も何も成り立ちません。家族の絆、夫婦の絆というのは子供にとっては鑑や手本であり、家庭は倫理の源泉、教育の原点です。今、その家庭という子供の教育にとっての土台が崩壊しつつあるわけですが、今度の夫婦別姓の導入によってその家族崩壊の流れにさらに拍車がかかることは恐ろしいことです。

ところで、法務省が推進しようとしている選択的夫婦別姓制度のように、家族の姓を同姓にするか別姓にするかを完全に自由な選択の対象としているのは、世界ではスウェーデンしかありません。そのスウェーデンについて書かれた武田龍夫著『福祉国家の戦い』(中公新書)によれば、あの国には百歳を超えるお年寄りが七百人以上もいて、「あなたの人生で最も大きな変化は何でしたか」と聞かれた際にその多くが、「家族の崩壊」を上げています。

また、アメリカの文化評論家のトフラーは、「人類の危機は核兵器よりも家族や家庭の崩壊だ」と言いましたが、家族というのは最後の砦です。その家族が崩壊してしまったら、欧米のような教育の荒廃がどんどん押し寄せてくる。日本もモンスターペアレントなどが出てきて、かなり欧米化しつつありますが、まだ家族の絆というのはかろうじて保たれています。それが夫婦別姓の導入によって一気に崩されてしまうことに繋がることを私は危惧します。

※記事中で引用されている著書

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
(2005/09)
渡辺 京二

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福祉国家の闘い―スウェーデンからの教訓 (中公新書)福祉国家の闘い―スウェーデンからの教訓 (中公新書)
(2001/02)
武田 龍夫

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以下、次回に続けます。

※続きはこちら(↓のタイトルをクリックして下さい)
■子供の幸福を無視した夫婦別姓導入に反対する(後編)


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【始めに】
8月はあまりの暑さに体調を崩してしまい、一度しかブログの更新が出来ず、申し訳ありませんでした。そんな状況にも拘らず、毎日拙ブログに訪問してランキングをクリックして下さる方もおられて、本当に有り難く、感謝しています。

今月に入ってもまだしばらく暑さは続いており、何とか気力でこの暑さを乗り切らなければと思っています。皆様も体調には気をつけて過ごされますように。


今回は、『明日への選択』4月号(日本政策研究センター発行)より、小坂実氏(日本政策研究センター研究部長)の夫婦別姓についての論文を引用します。

夫婦別姓という家族への「蛮行」

■「個人の名称」か「家族の名称」か

「夫の姓を名乗りたくない」、「戸籍制度に”風穴”をあけたい」―――。こんな特異な願いをもった一握りの人々の期待を背に、千葉景子法相は選択的夫婦別姓(以下、夫婦別姓)を柱とする民法改正案の国会提出をめざしている。しかし最近、負負別姓には過半数以上の国民が反対していることが判明した。三月上旬に時事通信社が行った世論調査によると、別姓反対が五五・八%で、賛成(三五・五%)を大きく引き離したからだ。政党支持別の反対は、民主党支持層で五九・四%(賛成三三・六%)、自民党支持層では六九・三%(賛成二四・三%)に達している。

だが、同法相は三月十六日の参院法務委員会で、この反対世論について、「自分に直接かかわりがない問題で、導入しなくてもいいと感じる人がいるのかもしれない」と恣意的に解釈し、早期実現をめざす考えを強調したという(引用は時事通信)。別姓導入の立役者になりたい法相は、鳩山政権に対する支持率の急降下を横目に焦っていることだろう。しかし、過半数もの反対世論を、まるで別姓問題を他人事と見ている無責任な人々でもあるかのように印象づけてみせたのは、狡猾な論理のすり替えであり、国民を欺くものだ。 

というのも、この調査結果は、平成十八年の内閣府の調査結果(「夫婦は必ず同じ姓を名乗るべき」が計六一・一%)ともほぼ重なる。その結果に照らし合わせれば、別姓反対の国民は「自分に直接かかわりがない」との消極的な理由で反対しているのではなく、夫婦同姓制度とそれに基づく「家族の名称」(ファミリーネーム)を守るべきだと考えて反対していると見なし得るからだ。

高市早苗衆議院議員も強調しているように、そもそも夫婦別姓派と同姓派の違いは、姓を単なる「個人の名称」と考えるか、それとも「家族の名称」と捉えるかの違いにある。この違いは本質的で大きいが、正面から議論されてきたとは言い難い。

※【管理人注】唐突に高市議員(自民党)の名前が出てきますが、今回引用した「明日への選択」4月号の中に高市議員の論文が載っており、それを受けてのものです。高市議員のお考えについては、こちらの画像↓をご覧下さい。私は高市議員は正論を述べておられると思いました。



それどころか、別姓推進派は「夫婦別姓は選択肢の拡大に過ぎない」だとか「同姓が否定されるわけではない」などと、あたかも「選択的」だから同姓派が反対する理由は何もないように吹聴してきたのである。

だが、これは恐るべき詭弁である。なぜなら、選択制の下では姓は法制度的に「家族の名称」ではなく、単なる「個人の名称」に過ぎなくなるからだ。つまり、同姓を名乗ること自体が否定されるわけではないが、「家族の名称」としての意味合いは消えてしまうのだ。事実、こうした問題意識から、元法務省民事局参事官の小池信行氏(民法改正を答申した法制審の幹事でもある)は別姓推進派ながら、同姓制度を維持するか別姓導入かについては、「一国の制度のあり方として国民全員が議論すべき事柄」だと説いている。国民意識の現状からいっても、この点での議論は絶対に不可欠だといえよう。

とはいえ、現行の夫婦同姓制度はフェミニズムの攻撃によって、不当に貶められてきた。今後の国民的な議論のためにも、歴史的な始点から同姓制度を見つめ直し、その意義を再確認したい。

■明治民法の夫婦同姓は庶民の慣行と外交の要請

日本に夫婦同姓が導入されたのは明治三一年にできた明治民法にさかのぼる。だが、明治民法は占領下に廃止された戦前の「家制度」を定めたものでもあることから、同姓制度は「家制度」と同一視されることで不当に貶められてきたといえる。

例えば福島瑞穂氏は、「一八九八(明治三一)年に、明治民法により、徹底した『家制度』が法律上作られ、同姓が強制される」だとか「戦前の『家制度』の帰結である夫婦同姓」などと説いている(『結婚と家族』)。しかし、夫婦同姓をやれ強制だとか家制度の帰結だなどとレッテル張りするのは短絡的で事実にも反する。

そもそも日本で一般の国民が姓を公称できるようになったのは明治に入ってからだが、その際、当時の政府は、武士階級の習慣から夫婦別姓を布告・指導した。ところが、政府の指導とは裏腹に、国民の大多数は夫婦同姓を選んだのである。

例えば、明治二二年に宮崎県が当時の内務省に出した書類は、妻は生家の氏(今で言う旧姓)を使うように、との指導がなされているが、婚家の氏(夫の姓)を称するのが「地方一般の慣行」であると異議を申し立てている。また、その翌年に出された東京府の陳情書には、「民間一般の慣例によれば、妻は夫の氏を称する、旧姓を称するものはわずかしかいない」と記されている。家制度に詳しい井戸田博史・帝塚山大名誉教授によると、政府の夫婦別姓政策を疑問視する地方からの異議申し立ては、「明治二七年ころまでほとんど毎年のようにだされ、多い年には五件もあり、延べ三十数件にも達していた」(『氏と家族』)という。

つまり、明治民法の成立前から夫婦同姓派国民的慣行として定着していたのであり、それを民法が追認したというのが歴史的事実なのだ。換言すれば、夫婦同姓は「家制度」以前に庶民の間に広がっていた慣行であり、決して上からの「強制」ではないし、「言え制度の帰結」でもない。

では、なぜ政府が布告まで出して指導した夫婦別姓派否定されることになったのだろうか。特に重要な背景としては二点挙げられる。

まず、当時の夫婦別姓派「武士を中心とした支配層が規範とした男尊女卑の家父長的『家』原理に準拠する政策」であり、庶民の生活実態とはかけ離れていたことだ。井戸田氏によれば、武士の妻が旧姓を称することは、妻が婚家で「余所者(よそもの)」であることを示す役割を果たしていた。と同時に、「腹は借り物」とされた当時、複数の「子を生む腹」という出所を明らかにするためにも、「妻の出所すなわち妻の苗字ははっきりさせておく必要があった」という。

一方、生活が家族の協業で維持されていた庶民にあっては、妻は婚家でそれなりの場を占めており、「夫婦一体の生活実態と意識」もあり、そこから夫婦同姓が芽ばえ、当然視されるようになったという。むろん、庶民の多くは一夫一婦であり、「腹の出所」を明らかにするための夫婦別姓はもともと不要でもあった。

政府の別姓政策が否定されることになった背景としては、不平等条約改正という当時の外交課題も見逃せない。つまり条約改正に向けて、明治民法の編纂においては、キリスト教的な夫婦一体論に立つ欧米の法典が参考にされることになったのだ。その結果、「明治民法はこれまでの夫婦別氏の伝統を否定し、夫(夫家)が優位する夫婦同氏の原則を採用した」と井戸田氏は言うのである。

このように、明治民法の夫婦同姓は、「夫婦一体」のシンボルとして庶民層に広がってきた慣行が欧米法をモデルに追認されたものであり、「家制度の帰結」などではない。

■現行の夫婦同姓制度が体現する「男女平等」

戦後の民法改正によって「家制度」は否定されることになったが、同姓制度は維持された。しかし明治民法の同制が、「夫(夫家)優位の夫婦同姓」であったのに対して、生後の民法は、結婚のときに二人が対等の立場で話し合い、夫婦の姓を決めればよいとした。すなわち現行民法は、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」(七五〇条)と規定したのである。

現行の同姓制度の意義について井戸田氏は、「せいの選択の自由は女性にも認められているのであって、法律上の平等は実現したことになる」「現行家族法の夫婦同氏は、男女平等という近代家族の理念に適うものといえる」と評価する。

しかし別姓推進派は、実態としては夫の姓を名乗る夫婦が多いことから、現行制度の男女平等はあくまで法律上の「形式的平等」にすぎず、夫婦の姓の実態は「男女平等とは言い難い」と批判する。例えば千葉景子氏は、「法律には『どちらの姓でもいい』となっていながら、何で九八%も女性が変えざるを得ないのか。それも本当は問題」だと語り、福島瑞穂氏は、「私は男の人と女の人は半分づつぐらい変えていたらこれほど違和感を感じなかった。女の人は結婚して名前が変わるものだという常識はやはり変、とっても変。『マインドコントロール』されているんじゃないか」とさえ言う(『夫婦別姓――家族をここからかえる』)。

現在も九六%強の妻が改姓しているのは事実ではあるが、彼女らの主張は感情論にすぎず制度論として成り立たない。井戸田氏は別姓容認派ではあるが、こう述べている。

「今日から考えると、『原則夫の氏・例外妻の氏への夫婦同氏』から『夫または妻の氏への夫婦同氏』への転換を、『大したことがないから、簡単に変更した』『実質的な変更ではなく、表現の変更にすぎない』という認識は、甘いように思われる。むしろ、ここに夫婦の氏についての法制上大きな質的転換があったと評価すべきである」(前出)。

つまり、九割以上の妻が改姓している現状を以て、「同姓強制」だとか「『形式的平等』にすぎない」というのは、夫婦の姓についての「法制上の大きな質的転換」を無視した乱暴な議論と言うべきなのである。

むろん、大半の妻が夫の姓を名乗っているのは、従来の慣習に基づくものであって強制ではない。しかも、厚労省統計(平成十八年度婚姻に関する統計の概況)が「妻の氏が昭和50年から増加傾向にある」と指摘しているように、夫が改姓する割合は一・二%(昭和五十年)から三・七%(平成十七年)へと三倍以上に増えている。特に注目されるのは夫婦とも再婚のケース。夫が改姓する割合は九%(十七年)に達している。

ちなみに、これらの数字は、あくまで婚姻届で「妻の氏(姓)」をチェックした数字であり、婚姻届を出す前に夫が妻の親と養子縁組した夫婦の数は反映されていない。こうした夫婦を含めれば、実質的に「妻の氏」となった夫婦の割合はされに増加するだろう。現行同姓制度を「形式的平等」などと批判するのは「為にする議論」に過ぎない。

■妻の改姓が多い理由

一方、「『マインド・コントロール』されている・・・・・」との福島氏の発言に至っては、大方の女性を侮辱するものではなかろうか。

狭山ヶ丘高校校長の小川義男氏も言うように、妻の改姓が多い現状は、「強制と言うよりは、夫を信頼し、その姓を自らの姓として生きて行くことで、喜びも悲しみも共にしようとする女性の決意もしくは幸福感を象徴するもの」(『祖国と青年』三月号)ともいえるからである。

事実、前出の内閣府の世論調査によると、姓が変わったことで「新たな人生が始まるような喜びを感じると思う」(四七・一%)が最も高く、次に「相手と一体となったような喜びを感じると思う」(三〇・二%)が続く。「今までの自分が失われてしまったような感じを持つと思う」(推進派が言う「改姓は個人のアイデンティティを損なう」に相当)との回答は九・九%に過ぎない。

ちなみに、多くの妻が改姓している現状については、そこに「女性の戦略」があるのではないかとの興味深い分析もある。長崎大学の篠原駿一郎教授は次のように述べている。

「98パーセントの夫婦が男性の姓を選ぶというのは、見方を変えれば、男女不平等の表れではなく女の戦略だったのではないか。女は自分の生を捨て相手の姓に転化することによって、より強い『精神的貞操』を男に示そうとしたのではないか。

男と女が結婚して新たな家族を形成する。そして家族の生活の維持と安全の確保のためには父親が必要であり、そのためには女は貞操を守り、そして女も子供も男の姓を受け継ぎ家族の絆を強める。これは『人間は動物である』という、浅薄な男女平等論を吹き飛ばしてしまうほどの厳粛な事実から出てくるものである」(『長崎大学教育学部社会科学論叢第六二号』)

むろん、ここでいう「戦略」とは、自然の摂理と言ってもよかろう。

ともあれ、「夫婦一体」のシンボルとして明治期に導入された夫婦同姓は、先の敗戦を機に男女平等の理念を踏まえてリニューアルされて、占領という民族的な試練を乗り越えて生き残ることになったのだ。

■「制度としてのファミリーネーム」が消滅する

ところで、冒頭で別姓派と同姓派の違いは、姓を「個人の名称」と考えるか、「家族の名称」と考えるかの違いに行き着くと述べたが、では今日、姓はいかなるものとして捉えられているのだろうか。

まず、姓の法制度的な性格については、学説上いくつかの説があるが、主なものは「個人の名称」とする説と「家族の名称」とする説の二つである。例えば井戸田氏は、次の三つの点から、氏は単なる「個人の名称」とは言い切れないと見る。

①現行民法は夫婦同氏と親子同氏の原則をとり、戸籍法では同氏同籍の原則を採用した。この点からみて、氏を「個人の名称」と割り切っているとは言い難い。

②民法七六九条では祖先祭祀と氏の異同が関連づけられている。「氏を同じくする者に祭祀を継承させたい」(我妻栄)という「家」的な考えがこの規定の背景にある。

③法制度としての「家」が廃止されたとしても、「家」についての国民感情や習俗がなくなったわけではなく、「家」的な考え方や慣習が依然強く残っている。

冒頭で紹介した小池信行氏も、「今の日本における制度のもとでは、婚姻の際に夫婦が決めた氏は、当然に子どもの氏になります。そうなると、これは単なる個人の氏ではなくて家族の氏でもあるわけです。そういう機能を果しています」という。

一方、国民は姓をどのように認識しているのだろうか。十八年の内閣府調査によると、「先祖から受け継がれてきた名称」と考える者の割合が六七・二%、「夫婦を中心にした家族の名称」が三三・九%、「他人と区別して自分を表す名称の一部」とのみ認識している者は一二・五%に過ぎない(重複選択可)。つまり、多くの国民は自分の姓の背後に「家族」や「先祖」といった個人を超える存在を認識しているのであって、単なる「個人の名称」とだけ認識しているわけではない。すなわち、姓は法制度としても事実上も、依然「家族の名称」(ファミリーネーム)としての役割を果しているわけだ。

問題は、すでに触れたように選択的別姓の導入は、この「家族の名称」の廃止を意味していることだ。小池氏は説いている(『法の苑』09年春)。

「夫婦別姓を認めるとなりますと、家族の氏を持たない家族を認めることになり、結局、制度としての家族の氏は廃止せざるを得ないことになる。つまり、氏というのは純然たる個人をあらわすもの、というふうに変質をするわけであります。日本では伝統的に武家の時代から家族の氏というものがあったわけでありまして、そういうものを捨て去ってしまっていいのか、という問題が実はあるわけであります。

ですから、夫婦別姓論者が反対論者に向かって、別姓を選ぶのは自分たちの勝手なのだ、おまえさん方が反対する理由がないのではないか、ということがあるのですが、この言い方は正しくないことになります」

つまり、別姓導入は推進派が強調してきたような単なる「選択の拡大」などではなく、いわば「制度としてのファミリーネーム」の廃止を意味しているということだ。言い換えれば、自分はファミリーネームを大事にしたいから同姓を望むが、別姓を希望する人のために選択性を導入しても構わないのではないか、という「寛容な」考え方は成り立たないということなのだ。だからこそ、別姓問題に法務省内で深く関与した元参事官の小池氏は、冒頭でふれたように同姓制度を維持するのか別姓制度にするのかは、「一国の制度のあり方として国民全員が議論すべき事柄」だと強調するのであろう。

選択的別姓の導入が意味するこうした制度的な変質は、これまで国民の間で十分に議論も認識もされてこなかった重大な論点だといえよう。

むろん、これまで見てきたように、同性制度とその下で維持されてきたファミリーネームは、国民の意識に深く根を下ろした文化であり伝統だと言える。林道義氏も言う。「世界の家族は絆を強める仕掛けをそれぞれに持っている。日本の家族の絆を強めている重要な特徴の一つが家族同姓である。夫婦同姓派は日本の家族が長い歴史をかけてたどり着いた一つの到達点である」(『家族の復権』)

選択的別姓の導入がこうした家族の絆を強めてきた文化・伝統の廃棄を意味しているとすれば、それはあのGHQ(占領軍)さえ行わなかった蛮行と言ってよい。占領軍さえ手をつけなかった家族という”聖域”を死に至らしめる仕掛け―――それが夫婦別姓にほかならないのである。



現在、マスコミでは民主党の代表選が大きな話題になっており、連日取り上げられていますが、菅氏と小沢氏、どちらが勝っても民主党政権は続きます。ですから、拙ブログでこれまで指摘してきた民主党による国家解体政策はこれからも着々と進められると思います。
先の参院選で民主党が負けて所謂”ねじれ”状態になり、簡単には民主党の法案は通らなくなりました。しかし、この夫婦別姓については、公明、共産、社民三党が選挙公約などに盛り込んでおり、今後、これらの政党とパーシャル連合が形成され、別姓導入が進められる可能性は十分考えられることです。そこで今回改めて夫婦別姓について取り上げました。

論文にもあるように、明治民法によって夫婦同姓は導入されたのですが、時の政府は夫婦別姓を布告・指導していたにも拘らず、国民は夫婦同姓を選びました。夫婦同姓は林道義氏の言われるように、「日本の家族が長い歴史をかけてたどりついた一つの到達点」だと思います。

夫婦別姓の導入は、歴史の中で培われ、家族の絆を強めてきた夫婦同姓という伝統・文化の破棄を意味し、家族をバラバラの個人に解体してしまうものだと思います。まさに、GHQでさえ行わなかった蛮行です。

何度でも書きますが、民主党政権が行おうとしているのは、皇紀で言えば2670年続いてきた我が「日本国」の解体です。この夫婦別姓もその意図に沿ったもので、国家基盤の支柱である家族や社会の基礎単位である家族の存在を脅かし、社会の安定を支えている日本人の精神基盤を動揺させることで、人間関係の絆や伝統的価値観を破壊しようという狙いをもった、マルクス=エンゲルス以来の左翼的理念を秘めた政策です。根は国家を敵視するマルクス主義だということを忘れてはなりません。



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