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今回は、「新しい歴史教科書をつくる会」の会報誌『史』7月号より、小山常美氏(大月短大教授・理事)の論文を引用します。


■占領管理基本法としての「日本国憲法」
―教育再建のために必要な「日本国憲法」の無効確認―

五月十四日、憲法改正手続きを定めると称した国民投票法が成立した。だが、そもそも「日本国憲法」とは憲法であろうか。

■世界の憲法が持つ三つの特徴

憲法とは、主権を有する独立国の在り方を規定するものである。したがって、世界の憲法は、三つの特徴を持っている。第一に「人類普遍の原理」よりも自国固有の原理を上位に位置づけている。世界各国は、憲法前文の中で、国民的宗教の神仏または自国の歴史から、もろもろの憲法原理を基礎づけている。

ヨーロッパやイスラム諸国は、キリスト教の神やアラーの神を登場させ、神の権威を持ち出すことが多い。たとえば、スイス連邦憲法(一九九九年)は、「全能の神名において! スイス国民と邦は、被造物に対する責任において、自由および民主主義と、・・・・・独立および平和とを強化するために・・・・・憲法を制定する」としている。(傍線は引用者、以下同じ)

アジアの多くの国は、自国または自民族の歴史から、もろもろの原理を基礎づけている。たとえば、中華人民共和国憲法(一九八二年、一九九九年改正)も、「中国は、世界で最もふるい歴史をもつ国家の一つである。中国の各民族人民は、輝かしい文化を共同でつくりあげており、栄えある革命的伝統をもっている」というふうに前文を始めている。
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【始めに】
お陰様で、ようやく復帰することができました。コメントや拍手を下さった皆様、ありがとうございました。これからも宜しくお願いします。

今回は、日本政策研究センター発行の情報誌『明日への選択』7月号より、記事を引用します。


■これが九条護憲論の正体だ
九条さえあれば、後は何も考えない――こんな連中に憲法議論する資格はない

九条護憲論を紹介するというと、本誌読者からは何を馬鹿げたことをと一蹴されそうだが、前号で取り上げさせてたいだいたように、国民投票法成立によって改憲サイドが一歩前進したと同時に、九条護憲論に象徴される「護憲リベラル」の主張が今なお一定の影響力を持ち、改憲プロセスを阻もうとしていることも現実なのである。その意味で、彼らが一体何を主張しているのかを分析し、その論の輪郭を描き、本誌なりの批判の視点を提起させてたいだくのもまた意味があると思うのである。

ただ、九条護憲論といっても、今、「九条を守れ」と叫んでいるのは、かつての護憲運動で前面に立っていた憲法学者や政治学者ではない。「九条を守れ」という運動で前面に出てくるのは、むしろ憲法とは無縁と思われている文化人や芸能人と呼ばれる連中である。

例えば、二年前の八月、『憲法を変えて戦争に行こう――という世の中にしないための18人の発言』というおかしなタイトルのブックレットが岩波書店から発行された。当時、全国紙に一面の意見広告を出したことで知られるブックレットだが、ここに登場する十八人の中で際立っているのは吉永小百合、黒柳徹子、ピーコ、渡部えり子、井上ひさしといった芸能人や作家であり、そのなかにいわゆる憲法学者は一人も含まれていない。また、前号で取り上げた「九条の会」の呼びかけ人九人の中にも憲法学者は奥平康弘一人だけである。そこで、憲法論としての護憲論は別の機会に取り上げるとして、ここでは運動として展開されている主張を中心に九条護憲論の現在を紹介することとしたい。