『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
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今回はこの話題について取り上げたいと思います。まずは記事を引用します。

2016.3.14 07:30

■「2人出産が仕事より価値」発言全文 学校HPに一時掲載 校長「誤解招かないよう掲載」

 大阪市立中学校の校長が全校集会で「女性にとって最も大切なことは子供を2人以上産むこと」などと発言したとして市教育委員会が処分を検討している問題で、同校ホームページへ12~13日に発言要旨全文が一時掲載されたことが13日、分かった。

 この学校は市立茨田北中学校(鶴見区)で、寺井寿男校長(61)は産経新聞の取材に「市教委の対応や報道を受け、一部だけを切り取られて誤解を招かないよう掲載した」と説明。「市教委からの問い合わせもあって削除したが、もともと24時間だけの掲載と考えていた」と話している。

 2月29日の発言要旨が掲載されたのは日々の行事などを紹介する「学校日記」欄。寺井校長は職員に指示して12日午前8時頃から掲載。同日夜に市教委から、ネット上で反応が広まっているなどとして削除を求める依頼もあり、13日午前8時頃に削除したという。

 一時掲載された発言要旨は次の通り。

 今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げてよく聴いてください。女性にとって最も大切なことは、子供を二人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。

 なぜなら、子供が生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか子供を産むことができません。男性には不可能なことです。

 「女性が子供を2人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部に能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたらよい」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと大学で学び、医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けばよいのです。子育ては、それほど価値のあることなのです。

 もし、体の具合で、子供に恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれない子供を里親になって育てることはできます。

 次に男子の人も特によく聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。

 人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。

 子育てをしたらそれで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。

 やっぱり結論は、「今しっかり勉強しなさい」ということになります。以上です。

※引用元http://www.sankei.com/west/news/160313/wst1603130046-n1.html



2016.3.28 10:44

■「懲戒に当たらず」 「2人以上出産」発言校長、市教委が会見 指導は実施

 大阪市教育委員会は28日、全校集会で「女性にとって最も大切なことは子どもを2人以上産むこと」などと発言した市立茨(まっ)田(た)北中の寺井寿男校長(61)が3月末で退職すると発表した。処分は見送った。

 平成27年3月で定年退職した寺井校長は今月末までの任期で再任用された。4月以降も継続する見通しだったが、本人が辞退した。

 市教委は寺井校長の処分も検討したが、服務違反などは認められず、懲戒処分や行政措置には当たらないと判断した。ただ、集会での発言や内容を学校ホームページに公開したことなどが「教育的配慮に欠いた」として口頭で指導した。

 市には14~25日に約360件の電話があり、うち約200件が発言の趣旨に賛同する意見で、配慮に欠けたなどの否定的な意見は約130件だったという。

※引用元http://www.sankei.com/west/news/160328/wst1603280028-n1.html



少子化が大きな問題となり、担当大臣まで置かれている今、解決には女性が子供を二人以上産むしかありません。ですので、寺井校長の仰ることは至極真っ当なものです。
にも拘らず、この発言はマスコミでは散々叩かれ、その結果寺井校長は3月末で退職されることになったそうですが、大変残念です。

マスコミは真っ当な発言をされた寺井校長を叩く一方、保育園に子供が入れなかったとして「日本死ね!」などと愚劣極まりない表現で私怨を述べたネットでの発言(詳細はこちらで)を持ち上げ、称賛しています。
方や我が国の行く末を憂い、子育ての大切さを訴えられた寺井校長と、方や個人的な憤りから我が国を呪うような暴言を吐く輩。本来ならどちらが称賛されるべきは明らかです。

今のマスコミは、日本を誤った方向へ導き、滅ぼすために存在してるようにしか思えません。

さて、子を産み育てることの大切さを考えるとき、ご先祖から自分へと繋がる命の尊さを思わずにはいられません。

日本の歴史を振り返れば、地震や津波、台風など様々な自然災害があったり、作物が不作で飢饉が起きたり、第二次世界大戦においては敗戦し、他国の占領下に置かれるというような、幾多の苦しい状況がありました。

我々のご先祖は、そうした艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えて、子を産み育て、今を生きる私たちまで命を繋げて下さったのです。そのことに思いを馳せれば、女性が子供を産むことが、仕事やキャリアを積むこと以上に価値があるという寺井校長の言葉もよく分かるかと思います。

今を生きる私たちは、自分個人の思いだけで生きていてはいけないのです。様々な艱難辛苦を乗り越えて私たちまで命のバトンを繋げて下さったご先祖の歴史を敬いながら、自分達もまた子を産み育て、次世代にご先祖から続く歴史と命のバトンを繋げていかねばならないのです。

ご先祖が生きてきた歴史を敬うこともせず、また子を産むことに尊さを感じない女性が増えれば、少子化はますます進み、日本国は未来へと続いていくことが出来なくなります。

少子化を根本から食い止めるには、ご先祖から自分、そして次世代へと続く命の繋がりを何より大切にしてきた日本人の心を取り戻すことが肝要だと思います。

以上、障害があり、未婚の私が偉そうなことを書いてすいませんでした。m(__)m
命のバトンを繋ぐことは出来ませんが、日本の為自分にできることをしていきます。

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道端のコスモス
※数日前、近くの道端に咲いていたコスモスです。画像をクリックすると拡大します。


今回は「れいろう」平成23年10月号より、篠浦伸禎(しのうらのぶさだ)氏の論文を引用します。私自身が今心療内科へ通っていることは、前回の記事に書きました。現在のような日本社会では、私と同じように精神的不調に陥る方も多いと思いますので、今回はそれに関連した、脳機能やアイデンティティーについて書かれた論文を引用します。

■周りの人々を幸せにする脳の使い方
―脳の司令塔のレベルを高める

都立駒込病院脳神経外科部長
篠浦伸禎(しのうらのぶさだ)

昭和33年(1958年)、愛媛県松山市生まれ。東京大学お学部卒業後、富士脳障害研究所、東京大学医学部付属病院、都立荏原病院、茨城県立中央病院、国立国際医療センターにて脳神経外科医として勤務。平成4年、東京大学医学部医学博士号を取得。12年から都立駒込病院脳神経外科医長、21年に同部長に就任。脳の覚醒下手術でトップクラスの実績を持つ。著書に『人に向かわず天に向かえ』(小学館)、『脳は「論語」が好きだった』(致知出版)、『脳にいい5つの習慣』(マキノ出版)などがある。



■憂慮すべき脳機能の低下

今やわが国は高齢者が人口の二三パーセントを超す「超高齢化社会」です。老後を幸せに、家族や仲間と楽しく元気に暮らしていくためには、加齢に伴う脳機能の低下を防ぎ、認知症になりにくい生き方をする必要があります。

またストレスが多く、人のつながりも薄くなっている現代社会では、うつ病や神経症などの精神疾患、脳梗塞やくも膜下出血などに悩む人々も増えています。こうした心や脳の病気は、なんらかの理由で脳の機能が低下し、自分らしい生き方を見失ったり、ストレスを乗り越えられなかったりすることから発症します。

加齢による脳機能の低下を予防し、厳しい競争社会を生き抜いていく強くたくましい脳をつくるためには、自分の脳をコントロールし、バランスのとれた総合的で安定的な生き方をする努力が求められます。戦前の日本は封建的な社会だったかもしれませんが、地域や家族という共同体が基本であり、共に生きていくための倫理観や価値観もきちんとしていました。共同体を守るためのsy快適な規範があり、それを伝え、教える環境も整っていました。学校だけではなく、親や近所の大人たちが、子供たちに人間としてどう生きるべきかを教えてくれたものです。

ところが今は、そうした社会的な価値基準を持たない”タガ”の緩んだ社会になってしまいました。基本的な生き方を身に付ける機会を持てず、大人になってからも人間関係に悩んでいる人がたくさんいます。ストレスに押しつぶされる人も増えています。

自分らしさを打ち出せず、壁にぶつかるとすぐくじけてしまうのは脳機能が低下している証拠です。脳がイキイキと活動していれば、どんな環境にあっても人間は心や脳の病気を患うことがありません。

貧しかった時代には家族が支え合い、一緒に暮らせるだけで幸せを感じ、苦労があってもそれを克服するエネルギーが自然にわきだしてきたものです。人々は元気に働き、仲良く暮らしていました。今、そうして元気に生きていくことができない人が増えているのは、脳の司令塔である"自我(考え行動する主体としての自己)"のレベルが低下し、バランスを崩してしまっているからにほかなりません。

最近、fMRI(ファンクション・エムアールアイ)やトラクトグラフィーという新しい検査法によって、人の活動と脳の部位との関係性が分かるようになりました。それとともに明らかになってきたのが、脳の中央部で司令塔的役割を果たす"自我"の存在です。うつ病や認知症は、この異常による脳機能の低下が原因で発症する病気なのです。脳の老化や機能の低下をやわらげ、病を防ぎ、イキイキと人生を全うする上では、この自我をどれだけ強くでき、それだけうまく使えるかがポイントになります。

■アイデンティティーは脳が決める

脳の覚醒下(かくせいか)手術(意識がある状態で脳を露出させて行う最先端の手術)をしていると、手術による脳機能の低下をカバーするために、左脳や右脳が防衛反応を示すことが分かります。言語を使って過去を定着し、未来に向けて合理的に考える左脳は、機能が低下すると不機嫌になり「攻撃的」になります。一方、現在起こっていることに対して周囲の人と調和し、現実に注意を集中して対応する右脳は、機能が低下すると眠くなるなど「逃避的」になります。健常者でも、強いストレスがかかると眠くなったり腹を立てたりすることがありますが、それは機能低下を完治した左脳や右脳が自動的に防衛反応を示すからです。

数多くの臨床例を観察した結果、自我の使い方によってその人のアイデンティティーも決まってくることが分かりました。
図:脳の成長過程
脳をピラミッド構造に例えると↑図を参照して下さい。クリックで拡大します)、最底辺にあるのは一次元の「自立」であり、これをコントロールしているのは動物脳です。そして上位レベルには二次元、三次元の人間脳があり、脳はピラミッドの頂点にある四次元の「強い自我」を目指して成長・発展していきます。「強い自我」とは、どんな厳しい状況に置かれても乗り越える脳の使い方を指します。

自立した脳が成長して二次元に到達すると、左脳は「信念」という合理主義精神を発揮するようになり、右脳は「感謝」というキーワードを持つ共生機能を強めて活動するようになります。そして三次元レベルに進むと、左脳は未来をめざす「志」の確立に向かい、右脳は空間領域を拡大する「情熱」というエネルギーを燃やします。

その成長過程で決まるのが個々人のアイデンティティーです。ですから育った風土やジェンダー(文化的・社会的に形成される男女の差異)によって傾向は違ってきます。大まかに分けると、西洋人や男性は「二次元左」から「三次元左」へ、東洋人や女性は「二次元右」から「三次元右」に向かって進化するようです。

例えば日本人男性は、武士道に代表されるアイデンティティーが強く、「三次元左」の「志」をめざす傾向にあり、日本女性は、やまとなでしこ型で「二次元右」の感謝を大切にします。それを見て、左脳と右脳のバランスが取れた日本人は精神的・文化的に優秀だと言われてきたのです。ただし現代日本では、残念なことにそうした素晴らしいアイデンティティーは薄れつつあります。

しかし、アイデンティティーが過剰になると信念や情熱が暴走を始めることがあります。「二次元左」の「信念」が過剰になると宗教的な原理主義や民族浄化の優生主義に走りがちですし、「三次元右」の「情熱」が過剰になると帝国主義的・独裁的になります。ヒトラーやアラブ原理主義者は、自らのアイデンティティーである「二次元左」の「信念」にブレーキをかけることができなかったのです。ナポレオンのロシア遠征や豊臣秀吉の朝鮮侵攻は、「二次元右」の「感謝」を忘れ、「三次元右」の「情熱」による拡大路線に走った事例です。

現実社会を見ても、中東の宗教・民族紛争は「二次元左」の脳の異常がもたらしていること、欧米発の金融危機は「三次元左」の脳の異常がもたらしていることが分かります。このように、人間社会のあらゆる問題は自我によってコントロースできなくなった脳の異常によって引き起こされているのです。

人間は「強い自我」をめざして努力をしなければなりませんが、「過ぎたるはなお及ばざるが如(ごと)し」というのも世の中の真理です。グローバル化した競争社会で、日本人が存在感やアイデンティティーを発揮していくためには、武士道精神にも通じる「三次元左」を強化する一方で、「二次元右」の敷島(しきしま)の大和心を大切にするというバランスのとれたアイデンティティーを追及し続けていかなければなりません。

さらに、老いてなお周りの人々を幸せにできる人生を過ごすには、脳の司令塔である自我をバランスのいい状態に保つことも必要です。

自分らしさ(個性やアイデンティティー)を形成するのは強い自我です。自我を上手に使いこなせないと、脳は機能を低下してうつ病や神経症、そして認知症を発症します。その予防のためにも、自分は脳のどの部位を使っているのか、活動の基準としている価値観は何かということを明確に認識し、強い自我を確立していくことが求められているのです

■ストレスは自我を強くする

心の病気、脳の病気は、強度のストレスによって引き起こされることが分かっています。とはいえ、生きてるかぎりストレスは付いて回るものですから、今の脳科学ではストレスを悪者扱いしないで、むしろ人間的成長の糧になるものと考えるようになりました。ストレスから逃げるのではなく、ストレスは自立するために欠かせない一種の通過儀礼だと考え、前向きに受け止めていきたいものです。

人間はストレスを経験することによって今までとは違う脳の使い方を身に付け、脳のレベルを高めることができます。大病を経験して初めて感謝の心を持てるようになった人もいれば、病気を克服した喜びを仕事のエネルギー源としてその後の人生に成功した人もいます。ストレスに直面してもそれを克服し、より次元の高い自我に到達できるのが人間です。「艱難汝(かんなんなんじ)を玉にす」ということわざがあるように、ストレスは脳の使い方を転換したり、次元を高めるきっかけをつくります。

歴史上の偉人たちは、どんなに厳しいストレスに見舞われてもそれを克服し、偉業を成し遂げてきました。

徳川家康は、幼いころ人質にとられましたが、家臣団の助力によって頭角を現し、戦国時代に終止符を打って三百年近く続く江戸幕府をつくりました。「狸おやじ」という異名は、相手や状況に応じて脳の使い分けができた稀有(けう)の人だったことを示唆しています。

渋沢栄一は農家の出身でしたが、幕末に渡欧する機会を得て近代資本主義の洗礼を受け、日本初の株式会社をつくっただけでなく、五百近い会社の創立にかかわりました。著書の『論語と算盤(そろばん)』を読むと、儒教の「仁(じん)・義(ぎ)・礼(れい)・智(ち)・信(しん)」を大切にする人だったことが分かります。

「経営の神様」といわれた松下幸之助も、「水道哲学」を唱えて家電製品の普及に尽力するなど世の中に尽くすことで成功した経営者です。

一方、合理的な左脳を使って天下を取ったものの、人の情を解しなかった織田信長は本能寺の変で非業の最期を迎えました。幕末の志士たちも志を掲げて活躍しましたが、包容力という右脳の働きで明治維新を成し遂げた西郷隆盛は、時代の変化に適応する合理的な行動がとれずに西南戦争で命を落としてしまいました。

脳の狭い部分しか使っていないと、英雄や偉人といえども晩節を全うすることはできないのです。一部の部位の脳の使い方に優れていたとしても、時代や環境の変化に適切な対処ができなくなってしまうからです。

とはいえ、人間は全部の次元の脳を一度に、そしてパーフェクトに使いこなすことはできません。人間にはアイデンティティーがありますから、左脳にはついけれど、右脳には弱いとか人によって違いは必ずあります。ですから、仕事でも事業でも人と共同で何かを行う場合は、自分のアイデンティティーの強みと弱みを把握した上で、補完してくれるような相手を組むことも必要でしょう。"世界のホンダ"を創った本田総一郎は自分とはまったく別のアイデンティティーを持つ藤沢武夫とコンビを組んで本田技研を大きく育てたのです。

■自我を高めるのは人間学

普通の人の場合は。脳全体をバランスよく使っていないと、時代や環境の変化についていけずに認知症を発症したり、脳梗塞や脳出血になる確率が高くなったりします。脳外科で手術をした患者さんたちの例を見ると、西遊の脳の使っていないほうの脳に脳梗塞が多く、よく使う脳の方に脳出血が多いようです。

特に脳をバランスよく使う上で重要なのは、脳機能のベースである一次元脳です。人にあったら挨拶するなど、ただ見たまま、聞いたままの情報で判断・反応するのが一次元脳であり、ここがうまく機能しないと、社会生活上の儀礼や人への礼節を欠き、たとえ高度な三次元の脳を使えても、孤独な生活を余儀なくされます。

脳をバランスよく使える人とはつまり、その一次元をベースに、人生という時間に耐える、レベルの高い使い方をしている人と言えます。そこで欠かせないのが、社会の役に立つような生き方です。人間の大脳の内側には、食欲や性欲、快感といった生物としての本能的な情動をつかさどる"動物脳"があります。人間が強いストレスを受けると、この動物脳が反応しますが、そこで動物脳がうまくコントロールできないと、自暴自棄な行動に走ったり、認知症や病気になったりします。動物脳をコントロールすることは、言い換えれば、いかに人としての「私」の部分を抑え、人のため、社会のためという「公」に向かって生きるか、ということです。人間の脳は「公」をめざさないかぎり、働かないようにできている、と言っても過言ではないでしょう。

坂本竜馬をはじめとする幕末の志士たちが、「サムライ」として尊敬され続けるのは、彼らが動物脳を完全にコントロールし、大義(公)のためという「志」に生きる脳の使い方をしていたからにほかなりません。

彼らが自身を向上させるうえで、深く学んだのが「人間学」です。人間学とは一言でいうと、動物脳をコントロールするために、どのような心構えで生きていけばよいかを教えてくれるものです。

人間学の代表である『論語』では、儒教の五つの徳目「仁(思いやりの心)・義(人として正しいことを行う心)・礼(礼儀と感謝の心)・智(物事の善し悪しの判断力)・信(誠の心)」を兼ね備えた人のことを「君子」と言っていますが、その「君子」のあり方を脳科学的に分析すると、脳のあらゆる機能を高いレベルで使っている状態と言えます。ですから、一見すると古臭い『論語』も、実は「脳を一生徹底的に使い、向上していくことをめざす人間学」の原点なのです。脳科学ではいまだに『論語』の中の言葉がなぜ脳に有効に働くのか説明できませんが、精神的に健康な人のみならず、うつ病やストレスによる精神疾患にかかっている人を元気にする言葉がたくさん詰まっています。

良き人間学に学び、自分のことではなく、人のため社会のために「情熱」を注ぎたくなるような「志」を持つこと、それがいくつになっても、脳をイキイキとさせる秘訣といえるのかもしれません。東日本大震災の後、多くのボランティアが支援活動をしていますが、「公」のために尽くすことで、脳機能の司令塔である自我はさらに強くなり、脳は活性化します。

年を重ね、経験を積む中で、簡単にストレスに負けない自分を鍛えましょう。そうすることで人は最後まで幸せに生きられるのです。(終)


前回のブログで、病気のストレスに負けない強い心を養いたいこと、そのために「日本人の心」を改めて学び始めたことを書きました。
その後、この篠浦伸禎先生の論文を読ませて頂き、自分が考えていたことが間違ってないと分かり、嬉しく思いました。「志」を持つことや、「感謝」を大切にすること、「私」の部分を抑え、社会のため「公」のために生きることなどは、吉田松陰を始め偉人の方々が何度も何度も繰り返し言われてることです。そのような「日本人の心」を始め、人間としてどう生きるべきかを教えてくれるもの、篠浦先生は「人間学」と言われていますが、それを学ぶことで脳機能が高まり、ストレスに負けない強い自分を作ることができるというのを、医師の立場から述べて下さっているのは、大変心強く感じました。

思えば、私が病気になり、何度も生死の境を彷徨いながら、それでも生きて来られたのは、お天道様やご先祖様、英霊の方々、天皇陛下の国民への無私の祈りなどの目に見えない陰のお力と、家族や周りの人々の助け、拙ブログを読んで下さっている方々からの激励などに支えられてのことです。
そしてもう一つ、私自身が「この国難の時に『公』のため何もせずに死んだら。あの世でご先祖様や英霊の方々に詫びる言葉もない。だから必ず生き抜いて、この時代に生まれてきた者の使命として『公』のためにできることをするんだ!」という「志」を、強く強く心で念じていたことがあるかもしれません。そのことが、篠浦先生の言われるように脳の次元を高め、困難やストレスを乗り越える力になっていたように思います。

ですから、今自分に起きている精神的不調も絶対に乗り越えて、拙ブログは続けていきます。更新は相変わらずのスローペースになるかと思いますが、これからも宜しくお願い致します。


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今回は、加瀬英明氏のメルマガが素晴らしい内容でしたので引用します。

※加瀬英明氏についての詳細はHPをご覧下さい。
http://www.kase-hideaki.co.jp/

■「加瀬英明のコラム」メールマガジン
題 名 : 日本の時代がやってくる

 日本ほど世界のなかで、美意識が発達している国はない。

 日本は19世紀後半から、ヨーロッパ美術界に深奥な影響を及ぼした。ジャポニスムとして知られるが、ルノワール、ピサロ、ロートレック、ドガ、モネ、ゴッホ、ゴーギャン、ロダン、ムンクなど、おびただしい数にのぼる作家を魅了した。

 これらの作品には、それまでの西洋にとって衝撃的で、斬新だった浮世絵版画の構図を、そのまま用いたものが多い。浮世絵版画によって触発されて、西洋美術が変わった。ジャポニスムの波は、陶磁器から、皿、カップなどのテーブルウェア、工芸品、服飾、壁紙などの室内装飾、造園までを洗った。

 日本は20世紀に入ると、近代建築に大きな影響を及ぼした。ブルーノ・タウト(1880年~1938年)が伊勢神宮の内宮を訪れて、外容と内容が完全に一致しているのに驚いて、「稲妻に打たれたような衝撃をうけた」と記したことは、日本でもよく知られている。

 それまでの西洋建築といえば、外装(ファサード)がまるでデコレーションケーキのように、飾りたてられていた。20世紀に入ると、外容と内容が一致した、鉄筋とガラスを用いた機能的なビルが生まれるようになった。

今回は、月刊誌『致知』4月号より、呉善花氏と村上和雄氏の対談記事を引用します。


■世界の未来が日本にある 極楽浄土の国・日本

日本はいま、大きな転換期に差し掛かっている。強きもののみが生き残る世界から共生の世界へ、目に見えるものだけの世界観から精神的な世界観へ―――――。
今回は来日後に親日派となり、現在は拓殖大学で日本文化の教鞭を執る呉善花氏を迎えて、日本と韓国という近くて遠い国の過去・現在・未来を語っていただいた。


呉善花さん
呉善花(お・そんふぁ)
拓殖大学教授
韓国・済州島生まれ。韓国で女子軍隊経験を持つ。83年に来日、大東文化大学の留学生となる。その後、東京外国語大学大学院修士課程修了。現在、拓殖大学国際学部教授。著書に『スカートの風』(三交社)『攘夷の韓国開国の日本』(文藝春秋)他多数。最新刊は『漢字廃止で韓国に何が起きたか』(PHP研究所)。



村上和雄さん
村上和雄(むらかみかずお)
筑波大学名誉教授
昭和11年奈良県生まれ。38年京都大学大学院修士課程修了。53年筑波大学教授就任。遺伝子工学で世界をリードする第一人者。平成11年より現職。著書に『心のちから』(共著・致知出版社)など多数。



■二年間、日本食を食べなかった

村上 韓国から日本に来られて何年になりますか?

 一九八三年の夏ですから、もう二十五年になりました。

村上 「以前は反日少女だった」とどこかに書いておられますね。

 韓国で反日教育を受けていましたから、凝り固まった反日でした(笑)。

でも、なぜ日本に来たかというと、当時、韓国で外国といえばアメリカだったんです。アメリカ帰りなら、出世もできる。私も当然、アメリカに行きたかったわけですが、二十五年前は、外国に行くこと自体とても大変な時代でした。特にアメリカはお金があるか、とびきり頭がよくなければ行けませんでした。どちらも私にはなかったので、とりあえず親戚もいるし、国際都市の東京へ行こうと思ったわけです。

ただ、日本に来ても、「日本の文化に染まりたくない」という気持ちが強くて、二年くらいは和食を食べませんでしたよ。

村上 食にも反日だった(笑)?

 食事は一番身近ですから、日本食を食べると、自分自身が負けてしまう、そんな気持ちでした。日本語は覚えたいけれども、日本の文化には染まりたくない。特に文化的には韓国のほうが上だという思いがずっとあったのです。

韓国では、「韓国は国土が狭いので考え方も小さい」というのですが、日本も国土が狭い。だから日本を足場にして早く広いアメリカへ行きたいと思っていたんです。

日本の大学の留学生になって学生生活を続けていくうちに、「どうも日本人はおかしい」と思いはじめたんです。ピークの時には、「日本人は人間ではない」とさえ思っていました。

村上 どんな点で?

 日本人の考え方、価値観を理解できませんでしたね。

まず人間関係です。韓国では人間関係をつくる上で、一番大切なことは、距離感をなくすことです。「この人は優しいな」「私と気が合うな」と思えば、初対面でもベタベタしていく。相手の家に訪ねて行った時に、台所に入って、冷蔵庫を開けて勝手に中のものを食べたり、コーヒーをいれて飲んだりします。

村上 え、初対面でも?

 はい。まず、そういうふうにできるかが大切なんです。友達の机の上にボールペンがあって、「これを使いたいな」と思えば、勝手に使って戻すのが韓国流です。

ところが日本人はいちいち、「貸してくれる?」「ありがとう」と言う。そんな人間関係にショックを受けましたね。

村上 「水臭い」と感じるのでしょうか。
今回は、『れいろう』11月号(モラロジー研究所発行)より、大津寄章三氏の書かれた文章を引用します。

■運命を従容として受け入れる力
―――――品格の中心に位置する価値

大津寄章三(おおつきしょうぞう)
愛媛県松前町立岡田中学校教諭

「焼き場にて、長崎」
「焼き場にて、少年」 撮影ジョー・オダネル氏
(『トランクの中の日本』小学館)


■焼き場に立つ少年

終戦直後、一人の報道写真家が米国から来日しました。彼、ジョー・オダネル氏はこのときまだ十九歳の青年でした。上の写真はそのオダネル氏が、被爆した長崎市浦上川(うらかみがわ)のほとりで撮影した一枚です。

河原には大きな穴が掘られており、マスクをした男たちが立ち、働いていました。彼らは原爆で亡くなったおびただしい死体を荷車から降ろし、その穴に投げ入れて焼いていたのでした。

オダネル氏は、そこで写真の少年に出会ったのです。十歳ほどに見えるこの子はやせ細り、ぼろぼろの服を着て、しかも裸足でした。おんぶひもで背負われた幼い子は、よく眠っているのか首をうしろにのけぞらしたままです。少年は河原の近くまで来ると、硬い表情で目をこらしたまま、炎の起こす熱風にも動ぜず立ち尽くしていました。

マスク姿の男たちは少年に気づくとそばに寄り、そのおんぶひもをゆっくりと解きはじめました。オダネル氏は、このとき初めて背中の子がすでに死んでいることに気がついたのです。

男たちは幼子の手足を持つと、焼き場の熱い灰の上に横たえました。やがてまばゆい炎がさっと上がり、幼子を包み込んでゆきました。炎は、弟の最後の姿を目に焼き付けておこうとするかのような少年の横顔を赤々と染めていきました。直立不動の姿勢で、身じろぎもせずそれを食い入るように見つめている幼年の唇は、血がにじむほど強くかみしめられていました。そのときの様子をオダネル氏はこう記しています。

「私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみにうちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った」

やがて炎が静まるのを見届けた少年は、くるりときびすを返すと、そのまま焼き場を去っていったのです。この写真はその後だれの目にも触れることなく、半世紀の長きにわたって氏のトランクに眠っていました。