『散る桜、残る桜も散る桜』 父祖の思いを受け継ぎ、次の世代へと伝えたい
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今回は、フレデリック・スタール博士(1858~1933)というアメリカの人類学者の言葉を紹介します。

スタール博士は日本人以上に日本の伝統を愛し、自ら「寿多有(スタール)」と名乗り、日米の架け橋となった方です。
明治37年(1904年)に来日し、日本人の民族性に魅せられ、来日回数は前後15回に及びました。
特に富士山の崇高さ、雄大さに魅せられ、富士山の大崇敬者になり、また富士山の影響と日本民族のことを深く研究し、日本そのものの魅力にとりつかれ、自身も日本人のようになりたいと思いました。博士は日本に滞在中は常に紋付袴を着用し、その日常生活は日本人と同じ生活様式に倣ったのでした。

大正13年(1924年)に「排日移民法」が米国議会上程された時には、「日本人だけを差別する移民法は、人道を無視するもの。しかも関東大震災後、日本が困っている時にこのような法律を制定することは、米国の建国精神に反する」として反対されています

博士は生前、「死んだら富士山麓に埋めるように」という遺言をされており、その遺言通り、静岡県須走(すばしり)の富士山がよく見える場所に埋葬され、その上に墓碑が建てられました。
碑文は富徳蘇峰によって書かれ、昭和9年(1934年)の除幕式には富徳蘇峰を始め、斉藤実元首相も出席され、地元の有志の方も300人以上出席して盛大に行われました。

スタール博士の真面目は、昭和5年(1930年)10月19日、米国へ一時帰国する前夜、東京中央放送局から「去るに臨みて・親愛なる日本国民諸君へ」と題して行った講演の中に現れています。
以下、その中の一部を引用しますが、長くなるので、今回は前半部のみ引用し、後半部は次回に続けます。
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今回は名越二荒之助氏(元高千穂商科大学教授)の書かれたドキュメント 世界に生きる日本の心―21世紀へのメッセージより、日本の国柄(国体)を深く理解し愛したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)について書かれている箇所を引用します。

小泉八雲


(引用開始)
ラフカディオ・ハーンは、一八五〇年、アイルランド人の父とギリシャ人の母との間に生まれました。幼年期をギリシャで過ごし、両親の離婚により、アイルランドに引きとられました。
明治二十三年(一八九〇年)に来日し、松江中学校の英語教師となりました。松江は出雲神話の故郷であり、彼は松江を「神々の国の首都」と呼びました。
彼の生地ギリシャでは、太古の神々を祭る神殿は悉く廃墟となっており、ゼウスの神やアポロンの神殿を礼拝する者はいませんでした。
にも拘らず日本では、天照大神に拍手を打ち、出雲大社への参拝者が絶えません。八百萬(やおよろず)の神々が生活の中に生きていたのです。彼は、この地球上に多神教が生きていることに驚きました。

彼が最晩年にまとめた『日本 解明への一試論 Japan An Attempt at Interpretation』という一書は、日本研究の総決算であり、最高傑作と評する外国人は多い。
原文は『JAPAN』ですが、大扉に「神国」と漢字による邦題がつけられているので、邦訳書では「神国日本」となっています。この書は題名が悪いのか、教科書には「耳なし芳一」のような会談ものは載っていますが、『神国日本』は載っていませんし、メディア等で紹介されることもありません。

彼の説く「神国日本」とはどういう内容だったのでしょうか。